『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 ベルフォート公爵家の断罪から、半年が過ぎた。

 王都アストラリスを覆っていた重苦しい瘴気の淀みは嘘のように晴れ渡り、人々が吸い込む空気には、春の始まりを告げる甘い花の香りが混じるようになっていた。

 それは、単なる季節の移ろいによるものではない。

 旧市街の空を黒く染め、人々の健康を蝕んでいた旧式の瘴気反応炉は次々と稼働を停止し、代わりにエーテルポート地区から供給されるクリーンな魔力が、水晶の導管網を通じて街の隅々にまで行き渡り始めていたからだ。

 街は、物理的に明るくなった。人々の表情もまた、同様に明るくなった。長らく忘れていたような穏やかな活気が、そこかしこに満ちていた。

 この変革の中心には、一人の女性がいた。

 かつて公衆の面前で婚約を破棄され、全てを失った令嬢。今や、王国の誰もがその名を敬意と親しみを込めて口にする、セラフィナ・ド・ヴァレンシア。

「――以上が、南部三都市におけるクリーン・エーテル転換炉の第一期設置計画です。セラフィナ長官、ご裁可を」

 王宮の一角に新設された「王立革新省」の長官執務室。その中央に、光の粒子で構築された巨大な王国の立体地図が浮かび上がっている。

 セラフィナは、指先でその立体地図の一部を滑らかに拡大しながら、静かに頷いた。彼女が身につけているのは、自らがデザインした機能美あふれるチャコールグレーの仕事着だ。かつての舞踏会のドレスのような華やかさはないが、その姿には揺るぎない権威と、未来を見据える知性が宿っていた。

「計画に異論はありません。素晴らしい内容です。ただし、一点だけ」

 彼女はきっぱりとした声で続けた。

「転換炉の設置に伴い、職を失う旧反応炉の技術者たちへの再教育プログラムを、最優先で並行して進めてください。彼らが培ってきた現場での知見や勘は、設計図だけでは決して得られない、王国の宝です。彼らを見捨てることは、この国の未来にとって大きな損失となります」

 彼女の言葉に、エーテル・プロジェクションによって会議に参加している各地の官僚たちが、一斉に息を呑んだ。ただ新しいものを作るだけではない。古いものから生まれた人々をも包み込み、共に未来へ進もうとする指導者のビジョンが、そこにはあった。

 セラフィナの隣に立つ秘書官、クロエ・ラングドンが、手にした魔導端末に素早くメモを刻みながら、誇らしげに微笑んだ。没落した令嬢に付き従った忠実な侍女は、今や王国の最重要官庁で長官を支える、有能な首席秘書官としてその名を知られていた。

「相変わらず、水晶玉でも磨いてた方がマシな石頭ばかりだな。お前さんの言う『人の価値』とやらが、どいつの頭にもインストールできりゃ楽なんだがな」

 部屋の隅のソファにふんぞり返り、腕を組んでいたギルバート・ナイジェルが、ぶっきらぼうに呟いた。彼は王立革新省の技術顧問という大層な肩書を押し付けられていたが、本質は今も市場地区の工房にいた頃と何ら変わらない、無骨な職人だった。

「ギルバート、その『インストール』という言葉遣い、彼らの前ではおよしになって。余計に話がこじれますから」

 セラフィナが苦笑しながら窘めると、ギルバートは「へん、こっちの言葉が通じん相手に、何を言ったところで同じことだ」とそっぽを向く。

 半年前には考えられなかった光景。

 復讐は終わった。そして、瓦礫の上に新しい世界を築くという、遥かに困難で、けれど遥かに胸の躍る仕事が始まっていた。

 会議が終わり、光の地図が霧散すると、クロエが封蝋の施された一通の手紙を差し出した。

「セラフィナ様、ヴァレンシア家より正式な招待状が届いております」

 その名を聞いた瞬間、セラフィナの表情からふっと感情が抜け落ちた。

 クロエが心配そうに続ける。

「『我が娘、セラフィナ・ド・ヴァレンシアの輝かしき功績を祝う晩餐会』、とのことです。……お断りになっても、誰も何も言いはしません。むしろ、その方が……」

 クロエの言う通りだった。

 今のセラフィナに、ヴァレンシア家の威光など必要ない。むしろ、ヴァレンシア家の方が、国民的英雄となった娘との関係を修復しようと必死なのだ。

 セラフィナは手紙を受け取ると、迷うことなくその封を切った。

「いいえ、クロエ。受けます」

「しかし……!」

「これは、私にとって必要な儀式なのです。過去を完全に葬り去り、未来へ進むための」

 その声には、氷のような冷静さがあった。クロエはそれ以上何も言えず、ただ深く頭を下げることしかできなかった。

 ◇

 数日後、セラフィナを乗せた静音魔導車は、懐かしいヴァレンシア家の屋敷の前に静かに停止した。

 半年前、彼女が勘当同然に追い出された場所。

 扉が開くと、そこには彼女の父と母、そして兄たちが、まるで王族を迎えるかのように深々と頭を下げて待ち構えていた。

「おお、我が誇り、セラフィナ! よくぞ戻ってくれた! 父は……いや、このヴァレンシア家は、お前が必ずや大輪の花を咲かせると、固く信じていたとも!」

 父親が芝居がかった口調で駆け寄り、彼女の手を取ろうとする。セラフィナはそれをさせず、静かに一礼するだけにとどめた。

「お招きいただき、ありがとうございます。父上、母上」

 そのよそよそしい態度に、家族の顔が一瞬引きつる。だが、彼らはすぐに媚びるような笑みを浮かべ、彼女を晩餐の席へと案内した。

 豪華絢爛な食事が並ぶテーブル。集められた親族たちは、代わる代わるセラフィナの功績を褒めそやし、彼女がいかにヴァレンシア家の誇りであるかを語った。

 それは、聞くに堪えない茶番劇だった。

 彼らが称賛しているのはセラフィナ本人ではない。彼女が手にした権力と名声、そしてそれがヴァレンシア家にもたらすであろう利益だけだ。

 一通り食事が進んだ頃、父親が待っていましたとばかりに切り出した。

「して、セラフィナよ。お前のその類まれなる才覚、いつまでも平民相手の商売などに使っていては宝の持ち腐れだ。我がヴァレンシア家のためにこそ、活かすべきだとは思わんかね? 実はな、北方のマクシミリアン侯爵家から、ぜひお前を、と熱心な申し出があってな。ベルフォートの愚息とは比べ物にならん良縁だ。あそこと手を組めば、我が家の未来は盤石なのだが……どうだ?」

 その言葉が、セラフィナの中で最後の引き金を引いた。

 彼女はカトラリーを静かに置くと、まっすぐに父親の目を見据えた。その瞳は、凪いだ冬の湖のように、何の感情も映していなかった。

「父上」

 凛とした声が、騒がしかった晩餐の席を支配する。

「私の功績は、ヴァレンシア家のためのものではありません。リリア王国の未来のためのものです」

 空気が凍り付く。

「そして、私の人生は、もはや父上や母上が采配するものではありません。私は私の意志で、私のパートナーを選び、私の道を歩みます」

 セラフィナはゆっくりと立ち上がった。その姿は、この場にいる誰よりも気高く、そして誰よりも自由に見えた。

「私が勘当同然にこの家を追い出されたあの日、ヴァレンシア家の娘としてのセラフィナは死にました。今日、私がここに来たのは、その事実を、皆様にはっきりと、そして丁寧にお伝えするためです」

「何を……何を言っているのです、この子は! 誰のおかげで、今日まで何不自由なく育ってこられたと思っているの! その服も! その地位も! 元をたどれば全て、このヴァレンシアの血があればこそでしょうに……! この恩知らず!」

 母親が震える声で呟く。

「血の繋がりという事実は認めましょう。家族としての情が、一片も残っていないと言えば嘘になります。ですが、あなた方が私に何かを要求し、私の人生を政略の道具として利用する権利は、もうどこにもありません」

 彼女は、そこにいる全員を見渡した。恐怖、狼狽、打算、そして後悔。様々な感情が渦巻く顔、顔、顔。

「これからは、ただのセラフィナ・ヴァレンシアとして、お付き合いいただければ幸いです。……ごちそうさまでした。とても、有意義な時間でしたわ」

 そう言い残し、セラフィナは誰に止められることもなく、静かに晩餐室を後にした。

 扉が閉まる瞬間、背後で父親の怒声と母親の泣き声が聞こえたような気がしたが、彼女はもう振り返らなかった。

 屋敷の重い扉を開け、夜の冷たい空気を吸い込むと、胸の奥につかえていた最後の澱が、すうっと消えていくのを感じた。

 これで、本当に終わった。

 過去との、最後の清算が。

 ふと視線を上げると、街灯の光の中に、見慣れた人影が立っているのに気づいた。

「セバスチャン……」

 彼は魔導車のそばに寄りかかり、静かに彼女を待っていた。

 セバスチャン・モラン。革新派を率いる若き公爵であり、彼女の才能を最初に見出し、そして共に戦い抜いた、唯一無二のパートナー。

「終わったかい?」

 彼は、屋敷の中での出来事を問いただすような野暮なことはしなかった。ただ、労わるように穏やかに微笑むだけだ。

「ええ。すべて」

 セラフィナもまた、微笑み返した。

 二人はどちらからともなく歩き出し、グランド・コルニーシュの遊歩道へと向かった。湾からの潮風が心地よい。かつて瘴気の靄に沈んでいた対岸の灯りが、今は星屑のように澄み切って瞬いている。遊歩道からは、子供たちの楽しげな笑い声が遠く聞こえてきた。

 煌めく王都の夜景は、かつてジュリアンと見上げたものと同じはずなのに、今は全く違う輝きを放っているように見えた。

「その瞳だ。半年前、舞踏会で見た時も気高く凍てついて美しかったが、今の君の瞳には、暖かな光が宿っている。……君は、自分の力で夜明けを掴み取ったのだな」

 セバスチャンがぽつりと言った。

「あなたと、クロエと、ギルバートがいてくれたからです。一人では、とっくにあの路地裏で凍えていました」

 素直な言葉が口をついて出る。

 彼らはしばらく、仕事の話でも、政治の話でもなく、ただとりとめのないことを語り合った。セバスチャンが子供の頃に研究に没頭するあまり、三日も研究室に閉じこもって大騒ぎになった話。セラフィナが、幼い頃に魔術の本を隠れて読んでいた話。

 それは、戦友としてではなく、一人の男性と一人の女性が、互いの魂の柔らかな部分にそっと触れるような、穏やかで優しい時間だった。

 やがて、セバスチャンは懐から小さな布袋を取り出した。

「これは、私の領地でしか育たない花だ。夜になると、燐光を放つ」

 彼が袋をセラフィナの手に乗せると、中から数粒の小さな種がこぼれた。

「『ルナ・フレア』。月光の炎、という意味だ。この花は面白い性質を持っていてね。暗闇が深ければ深いほど、蓄えた光で強く、そして優しく輝くんだ。……誰かさんの生き方のようだろう? 君の新しいアトリエの庭に、新しい始まりの記念としてどうだろうか」

 それは壮大なプロポーズの言葉ではなかった。高価な宝石でもない。

 けれど、そのささやかな贈り物が、この小さな命の約束が、どんな言葉よりも深く、セラフィナの心に温かく染み渡った。

「……ありがとうございます。大切に、育てます」

 彼女は種を握りしめ、心の底から微笑んだ。

 ◇

 アトリエ「アウラ」は、今やエーテルポート地区の象徴ともいえる、巨大な複合施設へと変貌を遂げていた。

 ガラスと鋼鉄でできたモダンな建物には、最新鋭の研究開発棟、数百人の職人が働くデザインスタジオ、そして世界中から顧客が訪れるショールームが併設されている。

 自室のバルコニーに出たセラフィナは、眼下に広がる王都の光の海を見下ろした。その輝きの一つ一つが、自分たちが成し遂げたことの証のように思えた。

 彼女はポケットからセバスチャンにもらった花の種を取り出し、手のひらの上で転がす。

 新しい始まり。彼の言葉が、胸の中で反響する。

「セラフィナ様」

 背後からクロエの声がした。彼女は一枚の羊皮紙を手にしている。

「お休みのところ申し訳ありません。王立革新省から、喜ばしい報告が届きましたので」

「喜ばしい報告?」

「はい。先日ご指示なさった、旧反応炉の技術者の方々への再教育プログラムですが、第一期生が先日、無事に卒業いたしました。これは、その卒業生一同からの、長官宛の感謝状です」

 クロエが差し出した羊皮紙を、セラフィナは受け取った。

 そこには、少し不器用だが、心のこもった力強い文字が並んでいた。

『――我々は、時代遅れの技術と共に見捨てられる存在だと思っていました。しかし、セラフィナ長官は、我々の経験に価値を見出し、新しい技術と、何より未来への誇りを与えてくださいました。この手で、王国の新しい夜明けを支えていけることを、心から感謝いたします――』

 復讐は終わった。

 過去との因縁も、すべて清算した。

 手のひらに握られた、未来を象徴する花の種。そして、目の前に示された、過去から未来へと繋がった人々の心。

 セラフィナの瞳に、かつての屈辱をバネにした復讐の炎とは違う、温かく、そして力強い光が宿った。

 彼女の物語は、まだ終わらない。

 これから始まるのは、この国に暮らす全ての人々と共に、本当の未来を創っていく、希望の物語なのだ。
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