『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 王都アストラリスの夜は、かつてないほど明るく、そして澄んでいた。

 アトリエ「アウラ」の最上階。エーテルポート地区の摩天楼を見下ろすガラス張りの一室は、セラフィナ・ド・ヴァレンシアにとって、王立革新省長官の執務室でもあり、彼女自身の聖域でもあった。

 眼下に広がる光の海は、彼女とセバスチャンが推し進めた「クリーン・エーテル転換炉」がもたらした恩恵の証だ。かつてベルフォート家の瘴気反応炉が吐き出していた淀んだ空気は薄れ、夜空には本来の星々が瞬きを取り戻しつつある。

 セラフィナは、巨大なガラス窓の前に立ち、その光景を静かに見つめていた。

 ベルフォート家が断罪されてから、半年以上が過ぎた。復讐という名の嵐が過ぎ去った心には、凪いだ海のような穏やかさが広がっている。忙殺されるような日々の中にも、確かな充実感があった。

 失われたものはない。むしろ、手に入れたものの方がずっと多い。

 信頼できる仲間。自らの手で道を切り拓く力。そして――かけがえのないパートナー。

 彼女の視線が、窓辺に置かれた小さなテラコッタの鉢へと移る。

 一ヶ月ほど前、セバスチャンから贈られた「ルナ・フレア」の種。暗闇が深いほど、その光を増すという不思議な花。

 彼の言葉通り、丁寧に世話を続けると、土の表面から、か細くも力強い双葉が顔を出していた。まるで、これから始まる新しい物語を祝福するかのように。

 その小さな緑を見つめるセラフィナの唇に、自然と柔らかな微笑みが浮かぶ。

「……セラフィナ」

 背後からかけられた穏やかな声に、彼女はゆっくりと振り返った。

 いつの間に現れたのか、セバスチャン・モランがそこに立っていた。いつもの公爵としての儀礼的な装いではなく、上質な生地のシャツにスラックスという、くつろいだ姿だ。

 彼の訪問に、もはや驚きはなかった。この場所は、いつからか二人の共有空間のようになっていた。

「セバスチャン。あなたこそ、お疲れ様ですわ」

「セラフィナ。また私の知らないところで、一人で根を詰めていたな」

 彼はそう言って苦笑しながら近づくと、彼女の隣に並んで窓の外を見やった。

「見事な夜景だ。君が描いた設計図が、こうして本物の光になった。…君は、いつだって私の想像を超える」

「いいえ。この光は、私一人では灯せませんでした。何より、あなたが信じてくださったから…そして、皆が支えてくれたからこそ、今この景色があるのです」

 セラフィナの言葉に、セバスチャンは満足そうに頷いた。

「もちろん。だが、その中心にいたのは紛れもなく君だ。……旧市街の瘴気濃度、さらに三割低下したそうだ。住民の健康調査でも、呼吸器系の疾患が劇的に改善しているという報告が上がっている」

「ええ、先ほど報告を受けました。転換炉の第二期計画も、予定通り進められそうですね」

 二人の会話は、ごく自然に仕事の話へと移っていく。それは、彼らにとって恋人たちの甘い囁きにも等しい、情熱を分かち合うための言語だった。

「問題は、旧反応炉の関連技術者たちの再雇用先だ。君が立ち上げた再教育プログラムは順調だが、まだ席が足りない」

「ええ。ですから、第三世代の自律型使い魔の開発を前倒しで進めています。メンテナンス部門を新たに設立し、プログラム卒業生の受け皿にする計画です。ギルバートが試作品を完成させていました。従来の鳥型ではなく、より複雑な整備作業を補助できる多腕型のゴーレムです」

「多腕型か。面白い。君がギルバートに任せた判断は、いつも最良の結果を生むな。さすがだ」

 セバスチャンは心底感心したように言う。彼の眼差しは、セラフィナの横顔に注がれていた。その瞳に宿る深い愛情と尊敬の念を、セラフィナは肌で感じていた。

 この人が隣にいる。

 ただそれだけで、どんな難題も乗り越えられるような気がした。

 婚約破棄の屈辱にまみれた夜、市場の安宿で震えていた自分に教えてやりたい。あなたは一人にはならない、と。最高の理解者が、すぐそばであなたを見守ってくれるのだ、と。

 ふと、セバスチャンの視線が窓辺の鉢植えに留まった。

「おや……芽が出たんだね」

 彼の声は、先ほどよりも一段と柔らかくなっていた。

「はい。あなたがくださった大切な命ですもの。毎日、少しずつ大きくなっていくのが、今は何よりの楽しみですわ」

 セラフィナは微笑みながら答える。

「この花について、少し調べてみたのです。自ら光を放つ仕組みは、極小のエーテル結晶を体内に生成し、周囲のマナと共鳴させるからだとか。まるで、特定の微生物と共生して光る深海の生物のようですわ。片方が触媒となり、もう片方が燃料を供給し合うことで、単独では生み出せない輝きを生む……まるで、私たちみたいだと思いませんか?」

「その通りだ。だが、もっと大切なことがある」

 セバスチャンはそう言うと、セラフィナに向き直った。その真摯な眼差しに、彼女はごくりと息を呑んだ。

「ルナ・フレアは、暗闇が深いほど強く輝く。それは、君の生き方そのものだと思った。だから、あの夜、これを贈った」

「……はい」

「だが、モラン家に伝わる本当の言い伝えは、もう少しだけ続きがあるんだ」

 彼は懐から、ビロードの小さな袋を取り出した。セラフィナが彼から種を受け取った時と、全く同じ袋。

「この花は、決して一人では咲かない」

 セバスチャンは静かに語り始めた。

「二つの種が寄り添い、同じ土に根を張り、互いのマナを分かち合うことで初めて、その光は完全なものになる。一つだけでは、か弱い光しか放てない。だが二つが揃えば、その輝きは夜空のどんな星々にも劣らないものになるんだ。……だからモラン家の人間は、生涯を共にするただ一人の相手に、この二つの種を贈る。一つは先に。そして、もう一つは……覚悟を決めた、この瞬間に」

 彼はその小さな袋を、セラフィナの掌にそっと乗せた。温かい布の感触が、彼女の心にまで染み渡るようだった。

「セラフィナ。この種を、君が育てているあの鉢に、私に植えさせてはくれないだろうか。君の未来の隣に、私の居場所を……私を、根付かせてほしい」

 それは、問いかけの形をしていたが、疑いようもなく、彼の魂からの誓いだった。

 セラフィナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 それは、かつて流した悔し涙でも、悲しみの涙でもない。心の奥底から湧き上がる、温かく、澄み切った歓喜の雫だった。

 彼女は何も言わず、ただ深く頷いた。

 二人でアトリエのバルコニーに出た。

 ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よかった。眼下には、無数の宝石を散りばめたような王都の夜景が、どこまでも広がっていた。ジュリアンと出席したあの舞踏会の夜に見た景色とは、まるで違った。これは、希望の光だ。自分たちの手で灯した、未来の光だ。

 セバスチャンは、彼女の前に膝をつくことも、紋切り型の愛の言葉を並べることもしなかった。そんなものは、二人には必要なかった。

 彼は、セラフィナの隣に立ち、同じ景色を見つめながら、静かに語り始めた。

「王都のエネルギー網が安定したら、次は地方のインフラ整備だ。特に北部では、旧来の魔術ギルドの抵抗がまだ根強い。だが、君の考案した移動式のエーテル転換ユニットがあれば、彼らの生活を直接豊かにすることで、理解を得られるはずだ」

「ええ。輸送には、改良型の自律型使い魔を使いましょう。物流網そのものが、新しい技術のショーケースになります」

「素晴らしい。それから、王立アカデミーのカリキュラム改革も急務だ。エーテル織演算を正式な科目として導入し、次世代の才能を育成する。君には、初代学部長に就任してほしい。君の言葉で、未来を担う者たちを導いてやってくれ」

「わたくしが…? そんな、あまりにも大きな役目ですわ…」

「君以外に誰がいる? 君の知識と経験こそ、この国の最も貴重な財産だ」

 セバスチャンはそこで言葉を切り、セラフィナの顔を真っ直ぐに見つめた。彼の瞳には、夜景の光が映り込み、星のようにきらめいていた。

「セラフィナ。僕が言いたいのは、こういうことだ。これから先、僕たちが成し遂げたいことは、数え切れないほどある。困難な課題も、乗り越えるべき壁も、山のように待ち構えているだろう。だが……」

 彼は、そっと彼女の手を取った。その手は大きく、温かく、そして力強かった。

「君と一緒なら、すべてがもっと良くなる。どんな困難も、二人でならきっと乗り越えられる。だから、これからもずっと、共に未来を創っていこう。王国の未来を設計するように、僕たちの未来も、二人で設計していきたい。僕の人生の設計図には、もう君という光がなければ、完成しないんだ」

 これ以上ないほど、セバスチャンらしいプロポーズだった。そして、セラフィナが心から望んでいた言葉だった。

 彼女は、溢れる想いを込めて、彼の言葉に応えた。

「はい、セバスチャン」

 その声は、微かに震えていたが、迷いは一切なかった。

「私たちの未来を、共に創りましょう。あなたという光が隣にあるのなら、どんな夜も、もう怖くはありません。わたくしの未来にも、どうかあなたの場所を永遠にくださいませ」

 二人は指輪を交換する代わりに、バルコニーに持ち出した「ルナ・フレア」の鉢に、もう一つの種をそっと埋めた。セラフィナの指とセバスチャンの指が触れ合い、土の冷たさと、互いの肌の温もりが混じり合った。

 これが、二人の誓いの証。

 これから共に根を張り、支え合い、世界を照らす光を放つという、静かで、しかし何よりも固い約束。

 セラフィナは、セバスチャンの肩にそっと頭を寄せた。彼の腕が、優しく彼女の体を抱きしめた。

 眼下に広がる、まばゆいばかりの王都の光。

 それはもはや、見上げるだけの星空ではなかった。自分たちの手で創り出した、新しい世界の始まりの景色だった。

 (かつて私は、砕け散った星屑だった)

 セラフィナは心の中で呟いた。

 (けれど、今は違う。彼の隣で、私は夜空そのものを創り出すのだ)

 (二人で、どこまでも続く輝かしい天穹を――)

 物語は、結婚式では終わらない。

 愛と仕事、そして夢。その全てを分かち合う、永遠のパートナーシップの約束。

 夜空に瞬く星々と、地上に広がる街の光が溶け合う中で、二人の新しい夜明けが、今、静かに始まろうとしていた。

【完】
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