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第五章
婚約破棄
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「昨日はエミーが本当にすまなかった」
翌朝ユリウスがモント領館へ行くとコーバスが顔を合わせたとたん、頭を下げた。昨日、エミーを迎えに来た際にも何度も頭を下げられたあとだ。
「もうその件は忘れろ」
いつまでも引きずることでもない。エミーの婚約式はもうすぐそこまで迫っている。これ以上何も言うこともない。
「エミーには、俺は酷いことをしたんだな」
青い騎士団服が縮んだかのようにコーバスは身を屈めた。
「昨日あれからも、エミーに泣かれて大変だったんだ。俺はエミーの話をちっとも聞かない。勝手にクライドとの婚姻話を取り付けてきて、いいと言っていないのに話を進めたと。それでエミーはどうすることもできずに、おまえの屋敷まで走っていったのだとな」
妹思いがゆえのコーバスの強引さはユリウスも感じていたことだ。
「年の離れた妹が心配でかわいいのはわかるがな。もう少し手を離してやったらどうだ。四六時中、図体のでかいおまえが張り付いていたのでは、エミーも気が休まらん」
「図体がでかいのはユリウスもだろう。おまえには言われたくないな。実はおまえに頼みがある。エミーをもらってやってくれないか?」
「おまえな」
あまりの頼みにさすがにユリウスは呆れた。
「俺の答えがわかっていて言ってるんだろうな」
「だよな」
コーバスは執務室のソファに座り込んだ。話しながら二人は場所をユリウスの執務室へと移動していた。
「昨日エミーに泣きつかれた手前、一応な。答えがわかっていても、聞かないわけにはいかなかった」
「それはクライドにも失礼というものだろう」
「わかってはいるんだがな。エミーの奴、性奴隷の希少種がいてもおまえがいいんだとさ。妻の座はあいてるからな。昨日は希少種とも上手くやれるというところを、屋敷の者に見せようとして、ああなったらしい」
「なるほどな」
ルカと上手くやって、なおかつ奴隷と妻という立場の違いをルカにわからせようとしたということか。
昨夜はまだ少し体の怠そうなルカをさすがに抱くことはなかったが、しばらくはルカの頬の傷を見るたび、つまらない見栄を張ろうとしたエミーのことを思い出しそうだ。
コーバスは結局それ以上、エミーの押し売りはしなかった。ユリウスの気持ちが固く、どうあってもエミーが太刀打ちできないことをわかっているからだろう。
その数日後、予定通りエミーとクライドの婚約式が両家で無事に執り行われた。そう報告してきたコーバスは、ほっとしたような面持ちだった。
時を同じくして、ユリウスの屋敷に滞在していたディックら希少種達は、完成した林の小屋へと移り住んだ。その更に数日後、コーバスは、エミーとクライドの婚約が破棄されたことをユリウスに告げた。寝耳に水とはこのことだ。なぜだとコーバスに問うと、わからないんだとコーバスは言う。
婚約破棄はクライドの方からの申し出らしい。その理由をクライドは話そうとしないという。ただ、エミーとの婚約を解消したい。その一点張りで取り付く島もなく、婚約はクライドの側から一方的に破棄された。
「クライド、ちょっといいか」
その日の夕方、ユリウスはクライドの姿を見つけて呼び止めた。国境線の警備から帰ってきたばかりのクライドは疲れた様子で、いつも少し上気している頬が今日は青白い。ユリウスが呼び止めると、用件はわかっていたのだろう。ユリウスの執務室で、二人向かい合ってソファに座った。
「エミーとの婚約を解消したそうだな。何があったんだ?」
「特に何も。何もありません。ユリウス様には、エミー殿との間を取り持って頂いたのに、何の報告もせず申し訳ありませんでした」
「俺のことはいい。第一取り持ったというほどのことはしていないからな」
「でも、お話を最初に頂いたのはユリウス様でした」
クライドははぁと息をつき、肩を落とした。
「エミーに何か問題があったか?」
「いえ。そんなことは……」
うそのつけない男だ。クライドは言葉を濁した。
「何だ。言ってみろ。婚約式までしておいて破棄したくらいだ。相当な何かがあったのだろう」
「実は、私自身何が本当なのかわからないのです。ですがこんな気持ちのままエミー殿と一緒になるのは、お互いのためによくないだろうと思ったのです。それで……」
「婚約を破棄したと?」
「……はい」
クライドは下を向いたまま、しばらく逡巡していたが、やがて口を開いた。
「ユリウス様に教えていただきたいことがあるのです。その、ルカ殿とエミー殿との間に何があったのか。実は―――」
婚約式の終わった直後、国境線の警備にあたっていたところ、金髪黒目の男と林で出会った。ユリウスが雇ったという、林で小屋を建て生活している者の一人だとその男は言った。
その男によると、数日前、突然ユリウスの屋敷にエミーが訪ねてきて、ルカを性奴隷だと貶め、ルカを蹴りつけ怪我をさせたというのだ。普段の大人しいエミーからは想像もつかない話で、その時はまさかとクライドは思った。
けれど思い返してみると、確かに数日前朝の散歩をしているユリウスとルカに出会ったとき、ルカの頬に痛々しくガーゼがあてがわれていた。その時、ユリウスが他の者と話している間に、クライドは少しルカと話したらしい。「どうされたのですか」と聞いたら、ルカは「ちょっと転んでしまって」と答えたので「お気をつけて」と返して終わった。
あの時は何気ない会話だったが、男の話と合わせてみると、ルカの怪我と同時期だ。
なぜそんなことを告げ口してくるのかと男に問えば、「だって、婚約されたんでしょう? そのエミー様と。奥方になる方がどんな方か、お教えしたほうがいいと思いまして」と言われた。
それだけならクライドも聞き流していたかもしれない。けれど最近林で暮らし始めたディック、フォリスとクライドはよく情報交換するようになったらしい。
一日中林で過ごし、国境線を見ている彼らの視点は、警備の際にも役立つ。情報交換の過程でふと、クライドはこの間の男の話を思い出し、聞いてみた。
つい最近まで、ディックとフォリスがユリウスの屋敷に住んでいたことも知っていたので、何か知っているだろうかと。
エミーのことを聞いたら、二人は顔を見合わせた。はっきりと何があったかは知らないんだけどなとディックは前置きし、エミーのせいでルカが怪我をしたというのは本当だと答えた。ルカは何も言わないが、応接間からユリウスに抱かれて出てきたルカの胸元が泥で汚れていたこと、頬にガーゼがあてがわれていたのを見たことをディックは話した。
そのあと、血相変えたコーバスがエミーを迎えに来て、平身低頭謝って帰っていったと。
それを聞いて、クライドはやはりあの男の話は本当なのだと思った。第一、クライドにうそをついて告げ口しても、あの男には一文の得にもならない。ただの親切心でエミーの真実をクライドに教えてくれたのだと。
ディックにその男のことを聞くと、それはラウだろうと言った。
「ユリウス様は、私に以前おっしゃいました。ルカ殿は奴隷ではない、ユリウス様の大事な家族だと。私は、王都に憧れを抱く青二才な男です。誰かのことをそんなふうに想ったことはありませんでしたし、希少種というと奴隷であり、卑しい存在なのだと決めつけておりました。今思えば、王宮騎士団の手先となって、逃げ出したという希少種をとらえようとしていたことも、その希少種の立場を思いやれない、未熟な考えがもたらした恥ずべき行為でした。私は、事の真相を直接聞こうとエミー殿に尋ねました。うろたえていました。ああ、これは本当なのだなと思いました。そして事もあろうに、エミー殿は言ったんです。相手は奴隷なのだからと。私はでも、ルカ殿はユリウス様の大事なお方だと言い返しました。するとそのことと、ルカ殿が奴隷であることと何か関係があるのかと返されました。それを聞いて、エミー殿との間には、決定的に考えの相違があり、その溝は埋められないものだと思い知りました」
それに、とクライドは続けた。
「誰かが大事に思っている方を、簡単に傷つけられるエミー殿に失望もしました。さきほどはユリウス様に、エミー殿とルカ殿との間にあった本当のことをお聞きしようとしましたが、それももういいです。今ユリウス様に順を追って話していて確信を持ちました。私は、エミー殿と一生を共にすることはできません」
ルカがユリウスにとってどんな存在なのか。正直に答えたあの答えが、クライドの心に落としたものの大きさを、この時ユリウスははじめて知った。
翌朝ユリウスがモント領館へ行くとコーバスが顔を合わせたとたん、頭を下げた。昨日、エミーを迎えに来た際にも何度も頭を下げられたあとだ。
「もうその件は忘れろ」
いつまでも引きずることでもない。エミーの婚約式はもうすぐそこまで迫っている。これ以上何も言うこともない。
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青い騎士団服が縮んだかのようにコーバスは身を屈めた。
「昨日あれからも、エミーに泣かれて大変だったんだ。俺はエミーの話をちっとも聞かない。勝手にクライドとの婚姻話を取り付けてきて、いいと言っていないのに話を進めたと。それでエミーはどうすることもできずに、おまえの屋敷まで走っていったのだとな」
妹思いがゆえのコーバスの強引さはユリウスも感じていたことだ。
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「図体がでかいのはユリウスもだろう。おまえには言われたくないな。実はおまえに頼みがある。エミーをもらってやってくれないか?」
「おまえな」
あまりの頼みにさすがにユリウスは呆れた。
「俺の答えがわかっていて言ってるんだろうな」
「だよな」
コーバスは執務室のソファに座り込んだ。話しながら二人は場所をユリウスの執務室へと移動していた。
「昨日エミーに泣きつかれた手前、一応な。答えがわかっていても、聞かないわけにはいかなかった」
「それはクライドにも失礼というものだろう」
「わかってはいるんだがな。エミーの奴、性奴隷の希少種がいてもおまえがいいんだとさ。妻の座はあいてるからな。昨日は希少種とも上手くやれるというところを、屋敷の者に見せようとして、ああなったらしい」
「なるほどな」
ルカと上手くやって、なおかつ奴隷と妻という立場の違いをルカにわからせようとしたということか。
昨夜はまだ少し体の怠そうなルカをさすがに抱くことはなかったが、しばらくはルカの頬の傷を見るたび、つまらない見栄を張ろうとしたエミーのことを思い出しそうだ。
コーバスは結局それ以上、エミーの押し売りはしなかった。ユリウスの気持ちが固く、どうあってもエミーが太刀打ちできないことをわかっているからだろう。
その数日後、予定通りエミーとクライドの婚約式が両家で無事に執り行われた。そう報告してきたコーバスは、ほっとしたような面持ちだった。
時を同じくして、ユリウスの屋敷に滞在していたディックら希少種達は、完成した林の小屋へと移り住んだ。その更に数日後、コーバスは、エミーとクライドの婚約が破棄されたことをユリウスに告げた。寝耳に水とはこのことだ。なぜだとコーバスに問うと、わからないんだとコーバスは言う。
婚約破棄はクライドの方からの申し出らしい。その理由をクライドは話そうとしないという。ただ、エミーとの婚約を解消したい。その一点張りで取り付く島もなく、婚約はクライドの側から一方的に破棄された。
「クライド、ちょっといいか」
その日の夕方、ユリウスはクライドの姿を見つけて呼び止めた。国境線の警備から帰ってきたばかりのクライドは疲れた様子で、いつも少し上気している頬が今日は青白い。ユリウスが呼び止めると、用件はわかっていたのだろう。ユリウスの執務室で、二人向かい合ってソファに座った。
「エミーとの婚約を解消したそうだな。何があったんだ?」
「特に何も。何もありません。ユリウス様には、エミー殿との間を取り持って頂いたのに、何の報告もせず申し訳ありませんでした」
「俺のことはいい。第一取り持ったというほどのことはしていないからな」
「でも、お話を最初に頂いたのはユリウス様でした」
クライドははぁと息をつき、肩を落とした。
「エミーに何か問題があったか?」
「いえ。そんなことは……」
うそのつけない男だ。クライドは言葉を濁した。
「何だ。言ってみろ。婚約式までしておいて破棄したくらいだ。相当な何かがあったのだろう」
「実は、私自身何が本当なのかわからないのです。ですがこんな気持ちのままエミー殿と一緒になるのは、お互いのためによくないだろうと思ったのです。それで……」
「婚約を破棄したと?」
「……はい」
クライドは下を向いたまま、しばらく逡巡していたが、やがて口を開いた。
「ユリウス様に教えていただきたいことがあるのです。その、ルカ殿とエミー殿との間に何があったのか。実は―――」
婚約式の終わった直後、国境線の警備にあたっていたところ、金髪黒目の男と林で出会った。ユリウスが雇ったという、林で小屋を建て生活している者の一人だとその男は言った。
その男によると、数日前、突然ユリウスの屋敷にエミーが訪ねてきて、ルカを性奴隷だと貶め、ルカを蹴りつけ怪我をさせたというのだ。普段の大人しいエミーからは想像もつかない話で、その時はまさかとクライドは思った。
けれど思い返してみると、確かに数日前朝の散歩をしているユリウスとルカに出会ったとき、ルカの頬に痛々しくガーゼがあてがわれていた。その時、ユリウスが他の者と話している間に、クライドは少しルカと話したらしい。「どうされたのですか」と聞いたら、ルカは「ちょっと転んでしまって」と答えたので「お気をつけて」と返して終わった。
あの時は何気ない会話だったが、男の話と合わせてみると、ルカの怪我と同時期だ。
なぜそんなことを告げ口してくるのかと男に問えば、「だって、婚約されたんでしょう? そのエミー様と。奥方になる方がどんな方か、お教えしたほうがいいと思いまして」と言われた。
それだけならクライドも聞き流していたかもしれない。けれど最近林で暮らし始めたディック、フォリスとクライドはよく情報交換するようになったらしい。
一日中林で過ごし、国境線を見ている彼らの視点は、警備の際にも役立つ。情報交換の過程でふと、クライドはこの間の男の話を思い出し、聞いてみた。
つい最近まで、ディックとフォリスがユリウスの屋敷に住んでいたことも知っていたので、何か知っているだろうかと。
エミーのことを聞いたら、二人は顔を見合わせた。はっきりと何があったかは知らないんだけどなとディックは前置きし、エミーのせいでルカが怪我をしたというのは本当だと答えた。ルカは何も言わないが、応接間からユリウスに抱かれて出てきたルカの胸元が泥で汚れていたこと、頬にガーゼがあてがわれていたのを見たことをディックは話した。
そのあと、血相変えたコーバスがエミーを迎えに来て、平身低頭謝って帰っていったと。
それを聞いて、クライドはやはりあの男の話は本当なのだと思った。第一、クライドにうそをついて告げ口しても、あの男には一文の得にもならない。ただの親切心でエミーの真実をクライドに教えてくれたのだと。
ディックにその男のことを聞くと、それはラウだろうと言った。
「ユリウス様は、私に以前おっしゃいました。ルカ殿は奴隷ではない、ユリウス様の大事な家族だと。私は、王都に憧れを抱く青二才な男です。誰かのことをそんなふうに想ったことはありませんでしたし、希少種というと奴隷であり、卑しい存在なのだと決めつけておりました。今思えば、王宮騎士団の手先となって、逃げ出したという希少種をとらえようとしていたことも、その希少種の立場を思いやれない、未熟な考えがもたらした恥ずべき行為でした。私は、事の真相を直接聞こうとエミー殿に尋ねました。うろたえていました。ああ、これは本当なのだなと思いました。そして事もあろうに、エミー殿は言ったんです。相手は奴隷なのだからと。私はでも、ルカ殿はユリウス様の大事なお方だと言い返しました。するとそのことと、ルカ殿が奴隷であることと何か関係があるのかと返されました。それを聞いて、エミー殿との間には、決定的に考えの相違があり、その溝は埋められないものだと思い知りました」
それに、とクライドは続けた。
「誰かが大事に思っている方を、簡単に傷つけられるエミー殿に失望もしました。さきほどはユリウス様に、エミー殿とルカ殿との間にあった本当のことをお聞きしようとしましたが、それももういいです。今ユリウス様に順を追って話していて確信を持ちました。私は、エミー殿と一生を共にすることはできません」
ルカがユリウスにとってどんな存在なのか。正直に答えたあの答えが、クライドの心に落としたものの大きさを、この時ユリウスははじめて知った。
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