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第六章
エミーの先生
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エミーとクライドとの婚約が破棄されたちょうどその頃、フルン家では一人の客を迎えていた。
「エミー。婚約を破棄されたからといって、何ら気に病むことはありませんよ。田舎男爵なんかにあなたはもったいないわ。私がもっとあなたにふさわしい、中央の貴族を紹介してあげますからね」
「ドリカ先生……」
「まぁまぁかわいそうに。田舎男爵のためにこんなにあなたが暗い顔をして」
「先生。私の何がいけなかったんでしょうか」
「何も。何もよ、エミー。あなたは何も悪くないわ。そんな田舎男爵のことなど、早く忘れておしまいなさい。そうだわ。これから市場へ出かけましょう。ここは田舎のわりにいいものが揃うと聞いたわ。あなたに何か見繕ってあげましょうね。ドレスがいいかしらね。今中央で流行っているドレスを教えてあげるわね」
さっきから田舎男爵とうるさい。うちもその田舎男爵家だ。
コーバスはエミーへ諭すその女の話を聞きながら、内心舌打ちをした。母は全幅の信頼を置いているが、コーバスはこの女が好きではなかった。何かというと中央中央とうるさく、北の辺境のモント領を田舎扱いして下に見る。
そもそもエミーが希少種のことを奴隷として下に見るのは、この女の教育のせいなのだ。
婚約破棄のタイミングで現れたのは、本当に偶然だったらしい。あごが尖り、眦のあがった厳しい目つきのその年配の女性は、フルン家の母方の遠い親戚らしい。
詳しい関係を母からは聞いていたが、ややこしくてあまりコーバスは覚えていない。とにかく、そのドリカと名乗る女性は、フルン家の遠い親戚で、エミーが幼い頃我が家にしばらく滞在し、エミーの教育にあたったこともある。エミーが先生と慕う女だった。
話では、普段は王宮で働いているそうだが、王宮で何の仕事をしているのか。コーバスは知らない。
けれど王宮関係者なら、ユリウスのところの希少種の顔を知っている可能性はある。
知らせてやるなら早いほうがいい。馬でひとっ走りして来るか。コーバスはそろりと立ち上がった。
***
その日ルカは、リサとはじめて市場に来ていた。モント領館へと真っ直ぐ伸びる大通りの左右に、所狭しと商店が並んでいる。生鮮食品から衣料品、雑貨まで。ありとあらゆるものが溢れている。
「ルカ。ちゃんと付いてきてね。はぐれては大変ですからね」
リサがルカに服を買いたいとルカを連れ出した。休みで屋敷にいたユリウスは一緒に行こうかと言ったが、休みとはいえ多忙なユリウスだ。書類の山を前にして言われ、ルカは笑って言った。
「リサが一緒だし大丈夫だよ」
「何でも欲しいものはリサに言って買ってもらえよ。髪が長くなってきたから、髪を結ぶリボンなんかもいいんじゃないか」
ルカの髪はだいぶ伸びた。今では背中にも少し髪がかかっている。
何着か衣類をリサに選んでもらい、何か見たいものはあるかと聞かれ、ルカは髪のリボンが欲しいとリサに言った。
「あら、いいわね。ルカの黒髪に合うものをいくつか買いましょう」
ヘアコームなど髪を飾る小物類の置かれた商店にリサはルカを連れて行った。
「まぁ、いいのがたくさんあるわね。こういうの、夢だったのよね。ほら、うちはボブだけでしょう? 男の子って飾りがいがなくって、買い物も楽しくないったら。あ、ルカ。こんなのはどうかしら?」
リサは次々と商品を手に取ってはルカの黒髪にあてがう。ルカは並んだリボンを見ていたが、一本のリボンに釘付けになった。
ユリウスの髪と同じ金色のリボンだ。少し太めのリボンで、光沢のある生地がユリウスの金糸の髪にそっくりだ。
「リサ。あれが欲しい」
ルカは金色のリボンを指さした。今まで黙ってリサの薦めるものを見ていたルカは、初めて欲しいものを口にした。リサは「これね」とすぐさま反応した。金色のリボンを手に取るとルカの髪にあてがい、
「うん。いいわね。とっても似合うわ。これも買いましょうね」
「うん」
ルカはこそばゆいような気がしたが、素直に嬉しかった。あれをつけたら、ユリウスは何て言うだろう。自分の髪色と同じだと、だからルカが欲しかったのだと気づくだろうか。
支払いを済ませるリサを待っていると、声をかけられた。
「やぁ、ルカ」
フォリスだった。今日は珍しくディックが一緒ではない。髪を茶色に染めたディックは、手に大量の布地を抱えていた。
「ディックは? 一緒じゃないの?」
「今日は僕一人なんだ。ちょっとディックに内緒で欲しいものがあったんだ。さっきユリウス様の屋敷にも寄ってたんだけど、ルカが市場に来てるって聞いてさ。会えるかもしれないと思ってたんだ」
「ディックに内緒って。珍しいね」
二人はいつも一緒で隠し事なんてないのかと思っていた。ルカがそう言うと、フォリスは今回は特別だよと艶やかに笑う。
ちょうどそこへ支払いを済ませたリサが出てきた。フォリスの抱える大量の布地を目に留め、「あら、もしかして」と口元に手をやった。
「ええ。はい。さっきノルデンさんに診てもらってきました。僕は希少種特有の両性なので、町医者に頼るわけにはいきませんから。しばらくはノルデンさんにお世話になります。ユリウス様にも了承を頂いてきました」
「まぁまぁまぁ。それはおめでとう。フォリス。困ったことがあったら何でも聞いてちょうだいね。きっと力になれるわ」
「はい。ありがとうございます」
「えっと……」
ルカには二人の会話の意味が全くわからない。はてなを浮かべるとリサが「おめでたよ」と言う。
「おめでた?」
「赤ちゃんができたのよ。フォリスのお腹に。たくさんの布地は、生まれてくる赤ちゃんのためにおくるみやおむつなんかをたくさん作らないといけないからよ」
「あ、えっ? そうなの?」
ルカはびっくりした。両性は妊娠しにくいと聞いていたけれど、皆無ではない。当然ありえる話だった。
「赤ちゃん、生まれるの?」
「順調にいけばね。今のところ異常はないってノルデンさんには言われた。ディックにはちゃんとわかってから報告したかったからさ。内緒で出てきたんだ」
「ぬか喜びさせたらいけないと思ったのね。フォリスはディック思いなのね。これから準備が大変ね。私も手伝うわよ」とリサ。フォリスは、これから忙しくなるかなと言いながらも嬉しそうだ。
「ありがとうございます。早速帰ってディックに報告してきます」
フォリスは幸せそうに笑い、大量の白い布地を大事そうに抱えて路地の向こうへ消えた。
「さぁさ、ルカ。私達も帰りましょう。あんまり遅いとユリウス様が心配なさるわ」
「うん」
答えて何気に通りへと目をやったルカは、そこにありえない顔を見つけ、さっとリサの後ろに隠れた。
「あら、ルカ? どうかしたの?」
「お願い、リサ。そのまま動かないで」
ルカはリサの背の服をぎゅっと握りしめた。
ドリカだ。あのつり上がった眦。忘れようもない。王の夜伽を命じられ、準備と称してルカに湯浴みさせたあの王宮の年かさの侍女だ。
「どうして……」
どうしてこんなところにいるのだろうか。
「あら、エミーがいるわね。それで隠れたの? ほら、こっちに行きましょう、ルカ。店の裏から出させてもらいましょう」
なぜかドリカはエミーと一緒にいた。リサは、エミーから隠れたのだと勘違いしたが、とにかくドリカの目につかないならば、なんでもいい。リサはルカを通りから隠すように店の奥へと連れて行き、店主に声をかけると裏口から出た。
裏通りを抜け、待たせていたボブの馬車に乗り込むと、リサはきっちりと扉を閉めた。
「もう大丈夫よ。ルカ?」
馬車が走り出しても、ルカはリサの背にしがみついた手を離せなかった。ルカの怯え方が尋常ではないと思ったのだろう。リサは「大丈夫よ、ルカ」と何度もルカをなだめた。結局屋敷につくまでルカはリサの服を握りしめていた。
「エミー。婚約を破棄されたからといって、何ら気に病むことはありませんよ。田舎男爵なんかにあなたはもったいないわ。私がもっとあなたにふさわしい、中央の貴族を紹介してあげますからね」
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「まぁまぁかわいそうに。田舎男爵のためにこんなにあなたが暗い顔をして」
「先生。私の何がいけなかったんでしょうか」
「何も。何もよ、エミー。あなたは何も悪くないわ。そんな田舎男爵のことなど、早く忘れておしまいなさい。そうだわ。これから市場へ出かけましょう。ここは田舎のわりにいいものが揃うと聞いたわ。あなたに何か見繕ってあげましょうね。ドレスがいいかしらね。今中央で流行っているドレスを教えてあげるわね」
さっきから田舎男爵とうるさい。うちもその田舎男爵家だ。
コーバスはエミーへ諭すその女の話を聞きながら、内心舌打ちをした。母は全幅の信頼を置いているが、コーバスはこの女が好きではなかった。何かというと中央中央とうるさく、北の辺境のモント領を田舎扱いして下に見る。
そもそもエミーが希少種のことを奴隷として下に見るのは、この女の教育のせいなのだ。
婚約破棄のタイミングで現れたのは、本当に偶然だったらしい。あごが尖り、眦のあがった厳しい目つきのその年配の女性は、フルン家の母方の遠い親戚らしい。
詳しい関係を母からは聞いていたが、ややこしくてあまりコーバスは覚えていない。とにかく、そのドリカと名乗る女性は、フルン家の遠い親戚で、エミーが幼い頃我が家にしばらく滞在し、エミーの教育にあたったこともある。エミーが先生と慕う女だった。
話では、普段は王宮で働いているそうだが、王宮で何の仕事をしているのか。コーバスは知らない。
けれど王宮関係者なら、ユリウスのところの希少種の顔を知っている可能性はある。
知らせてやるなら早いほうがいい。馬でひとっ走りして来るか。コーバスはそろりと立ち上がった。
***
その日ルカは、リサとはじめて市場に来ていた。モント領館へと真っ直ぐ伸びる大通りの左右に、所狭しと商店が並んでいる。生鮮食品から衣料品、雑貨まで。ありとあらゆるものが溢れている。
「ルカ。ちゃんと付いてきてね。はぐれては大変ですからね」
リサがルカに服を買いたいとルカを連れ出した。休みで屋敷にいたユリウスは一緒に行こうかと言ったが、休みとはいえ多忙なユリウスだ。書類の山を前にして言われ、ルカは笑って言った。
「リサが一緒だし大丈夫だよ」
「何でも欲しいものはリサに言って買ってもらえよ。髪が長くなってきたから、髪を結ぶリボンなんかもいいんじゃないか」
ルカの髪はだいぶ伸びた。今では背中にも少し髪がかかっている。
何着か衣類をリサに選んでもらい、何か見たいものはあるかと聞かれ、ルカは髪のリボンが欲しいとリサに言った。
「あら、いいわね。ルカの黒髪に合うものをいくつか買いましょう」
ヘアコームなど髪を飾る小物類の置かれた商店にリサはルカを連れて行った。
「まぁ、いいのがたくさんあるわね。こういうの、夢だったのよね。ほら、うちはボブだけでしょう? 男の子って飾りがいがなくって、買い物も楽しくないったら。あ、ルカ。こんなのはどうかしら?」
リサは次々と商品を手に取ってはルカの黒髪にあてがう。ルカは並んだリボンを見ていたが、一本のリボンに釘付けになった。
ユリウスの髪と同じ金色のリボンだ。少し太めのリボンで、光沢のある生地がユリウスの金糸の髪にそっくりだ。
「リサ。あれが欲しい」
ルカは金色のリボンを指さした。今まで黙ってリサの薦めるものを見ていたルカは、初めて欲しいものを口にした。リサは「これね」とすぐさま反応した。金色のリボンを手に取るとルカの髪にあてがい、
「うん。いいわね。とっても似合うわ。これも買いましょうね」
「うん」
ルカはこそばゆいような気がしたが、素直に嬉しかった。あれをつけたら、ユリウスは何て言うだろう。自分の髪色と同じだと、だからルカが欲しかったのだと気づくだろうか。
支払いを済ませるリサを待っていると、声をかけられた。
「やぁ、ルカ」
フォリスだった。今日は珍しくディックが一緒ではない。髪を茶色に染めたディックは、手に大量の布地を抱えていた。
「ディックは? 一緒じゃないの?」
「今日は僕一人なんだ。ちょっとディックに内緒で欲しいものがあったんだ。さっきユリウス様の屋敷にも寄ってたんだけど、ルカが市場に来てるって聞いてさ。会えるかもしれないと思ってたんだ」
「ディックに内緒って。珍しいね」
二人はいつも一緒で隠し事なんてないのかと思っていた。ルカがそう言うと、フォリスは今回は特別だよと艶やかに笑う。
ちょうどそこへ支払いを済ませたリサが出てきた。フォリスの抱える大量の布地を目に留め、「あら、もしかして」と口元に手をやった。
「ええ。はい。さっきノルデンさんに診てもらってきました。僕は希少種特有の両性なので、町医者に頼るわけにはいきませんから。しばらくはノルデンさんにお世話になります。ユリウス様にも了承を頂いてきました」
「まぁまぁまぁ。それはおめでとう。フォリス。困ったことがあったら何でも聞いてちょうだいね。きっと力になれるわ」
「はい。ありがとうございます」
「えっと……」
ルカには二人の会話の意味が全くわからない。はてなを浮かべるとリサが「おめでたよ」と言う。
「おめでた?」
「赤ちゃんができたのよ。フォリスのお腹に。たくさんの布地は、生まれてくる赤ちゃんのためにおくるみやおむつなんかをたくさん作らないといけないからよ」
「あ、えっ? そうなの?」
ルカはびっくりした。両性は妊娠しにくいと聞いていたけれど、皆無ではない。当然ありえる話だった。
「赤ちゃん、生まれるの?」
「順調にいけばね。今のところ異常はないってノルデンさんには言われた。ディックにはちゃんとわかってから報告したかったからさ。内緒で出てきたんだ」
「ぬか喜びさせたらいけないと思ったのね。フォリスはディック思いなのね。これから準備が大変ね。私も手伝うわよ」とリサ。フォリスは、これから忙しくなるかなと言いながらも嬉しそうだ。
「ありがとうございます。早速帰ってディックに報告してきます」
フォリスは幸せそうに笑い、大量の白い布地を大事そうに抱えて路地の向こうへ消えた。
「さぁさ、ルカ。私達も帰りましょう。あんまり遅いとユリウス様が心配なさるわ」
「うん」
答えて何気に通りへと目をやったルカは、そこにありえない顔を見つけ、さっとリサの後ろに隠れた。
「あら、ルカ? どうかしたの?」
「お願い、リサ。そのまま動かないで」
ルカはリサの背の服をぎゅっと握りしめた。
ドリカだ。あのつり上がった眦。忘れようもない。王の夜伽を命じられ、準備と称してルカに湯浴みさせたあの王宮の年かさの侍女だ。
「どうして……」
どうしてこんなところにいるのだろうか。
「あら、エミーがいるわね。それで隠れたの? ほら、こっちに行きましょう、ルカ。店の裏から出させてもらいましょう」
なぜかドリカはエミーと一緒にいた。リサは、エミーから隠れたのだと勘違いしたが、とにかくドリカの目につかないならば、なんでもいい。リサはルカを通りから隠すように店の奥へと連れて行き、店主に声をかけると裏口から出た。
裏通りを抜け、待たせていたボブの馬車に乗り込むと、リサはきっちりと扉を閉めた。
「もう大丈夫よ。ルカ?」
馬車が走り出しても、ルカはリサの背にしがみついた手を離せなかった。ルカの怯え方が尋常ではないと思ったのだろう。リサは「大丈夫よ、ルカ」と何度もルカをなだめた。結局屋敷につくまでルカはリサの服を握りしめていた。
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