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母のお見舞い
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最近は異常気象で最高気温は四十度を超える地域もあり、都内でもそれに迫る猛暑になっている。そんな中、駅から徒歩十五分も歩くのは涼しい環境の中で歩くよりも削られる体力は段違いだ。目深に野球帽のような白い帽子を被っているから、かろうじて頭に感じる暑さは凌いでいる。
「暑かった。」
たどり着いた病院の屋内で防止を脱ぎ、いつものように受付に挨拶でけしてから迷いなく病室に入る。中で編み物をしていた女性と目が合うと一瞬にして彼女はにっこりとほほ笑み両手を広げてくれる。それは安心していられる場所だから、結弦はすぐにその手の中に体を寄せて彼女の背中に両手を回す。
「久しぶりね、結弦。」
「久しぶり、母さん。体調はどう?」
大病で高校入学してすぐの頃からずっと入院している母はそんなことを顔に出すことはない。すでに、匙を投げられ緩和治療を受ける段階に入っている。最初に聞かされた時は受け入れがたくて彼女の見えないところで周囲など関係なく大声をあげて泣いていたが、その時に彼女が最後まで笑っていられるようにしようと心に誓った。都内だが緑が多いこのホスピスに移ったのは医師にいくつかの候補をあげられ、母の希望を叶える結果だった。結弦が元々住んでいた場所からも今住んでいる場所からも通うには時間がかかるが、世間から切り離されている場所が彼女にとって良い影響を与えているようで、先が長くないことが嘘のように母の顔色は良い。
「母さんは何をしていたの?」
「これはあなたに子供が生まれた時の為に靴下を編んでいるの。それとお揃いの柄のマフラーも編むのよ。帽子はもうできたわ。ほら、デザイン画はこれよ。」
デザイン画まで描いてその通りに手編みをする母は器用な人だ。プロ級で結弦が幼い頃からスーパーのパートの合間に編み物を売って収入を増やしていた。
デザイン画は全て星の絵柄で統一されており、完成した帽子は黒の中に星が輝いている。
「可愛いでしょ。流れ星が好きな結弦にも生まれてくるだろうそれを強く受け継ぐだろうあなたの子供にもピッタリだと思うのよ。」
「ありがとう。」
そんな予定は全くない。確かにそういう行為はしているが、要は絶対に避妊を忘れないし結弦もピルを飲んでいる。絶対に避けられるわけでもないが、どちらも対策していれば妊娠することはほぼないことは実証されている。しかし、そんなことを彼女に伝えることはできない。彼女にとって編み物や将来を想像することは楽しみであり生きる糧だから。
「あなたが旦那さんを連れてくる日を楽しみにしているの。まあ、無理にとは言わないわ。悪い人に引っ掛かるよりもあなたが本当に幸せになりたいと思える人と、色んな顔を見せてもあなたを受け入れてくれる人がいればいいなと思っているの。」
母が優しく結弦の頬を撫でる。彼女の目尻が下がり優しさが滲み出ている。
そう、彼女に番ができたことも高校を中退したことも、結婚したことさえ結弦は話していない。彼女の元を訪れるのは月に一回で要の予定が確実に詰まっている休日の昼間だ。すでに、働いていることになっているので平日に来たら辻褄が合わなくなり彼女に違和感を抱かせて体に良くない。要が不在であることが条件なのは、一度彼の方が早く帰っていた時に見たことがない怒った様子で
『番が家にいないのは気分が悪い』
と言われたからだ。亭主関白の発言であるが、それを考慮するのは現状、彼に養われている結弦としては当然だったし、それも結弦を心配しての言葉だったのだろう。彼はいつも優しいから。
それからしばらく、母と話した後に後ろ髪を引かれつつ別れる。
「また来月に来るよ。」
「無理しないでね。ちゃんと休息を取ってごはんもちゃんと食べるのよ。」
「母さんもね。」
バイバイと母に手を振って部屋を出る。
都内とは思えない緑の庭園と呼ばれる公園をガラス越しに眺めながら歩いているとガタッと音を立てて転がる背丈が同じくらいの男が車いすから落ちるのを見る。それを放っておけるほど冷たくできず結弦が駆け寄るとその人と目が合う。その瞬間、周囲の誰かが叫ぶ。
「発情期だっ!」
そこで初めて結弦は彼が自分と同じ性であることを知る。同じ性であると発情期による効果がないのでほとんど気づかないが、彼の場合はさらに発情期特有の息切れや発汗や発熱などが見られない。
「大丈夫ですか?抑制剤を。」
「っそんなの意味ないよ!放っておいて!」
彼に向けた手は彼によって叩き落された。その手は熱くも冷たくもないので熱は本当になさそうだ。顔が少し火照るだけで周囲に興奮状態に陥っている様子もないのに、周囲の先ほど叫んだ誰かはどうやって彼が発情期だと知ったのか疑問だ。その間に医師がやって来て彼を車いすに乗せるとさっさとどこかに消えてしまう。それから、何事もなかったように周囲はばらける。しかし、結弦は去る前に見えた男の首にある痕に少しの間動くことができなかった。確かにあった番の痕の上にバツ印が刻まれているのが見えた。
「番解消の痕。」
小さく呟く結弦の声を誰も拾うことはない。
「暑かった。」
たどり着いた病院の屋内で防止を脱ぎ、いつものように受付に挨拶でけしてから迷いなく病室に入る。中で編み物をしていた女性と目が合うと一瞬にして彼女はにっこりとほほ笑み両手を広げてくれる。それは安心していられる場所だから、結弦はすぐにその手の中に体を寄せて彼女の背中に両手を回す。
「久しぶりね、結弦。」
「久しぶり、母さん。体調はどう?」
大病で高校入学してすぐの頃からずっと入院している母はそんなことを顔に出すことはない。すでに、匙を投げられ緩和治療を受ける段階に入っている。最初に聞かされた時は受け入れがたくて彼女の見えないところで周囲など関係なく大声をあげて泣いていたが、その時に彼女が最後まで笑っていられるようにしようと心に誓った。都内だが緑が多いこのホスピスに移ったのは医師にいくつかの候補をあげられ、母の希望を叶える結果だった。結弦が元々住んでいた場所からも今住んでいる場所からも通うには時間がかかるが、世間から切り離されている場所が彼女にとって良い影響を与えているようで、先が長くないことが嘘のように母の顔色は良い。
「母さんは何をしていたの?」
「これはあなたに子供が生まれた時の為に靴下を編んでいるの。それとお揃いの柄のマフラーも編むのよ。帽子はもうできたわ。ほら、デザイン画はこれよ。」
デザイン画まで描いてその通りに手編みをする母は器用な人だ。プロ級で結弦が幼い頃からスーパーのパートの合間に編み物を売って収入を増やしていた。
デザイン画は全て星の絵柄で統一されており、完成した帽子は黒の中に星が輝いている。
「可愛いでしょ。流れ星が好きな結弦にも生まれてくるだろうそれを強く受け継ぐだろうあなたの子供にもピッタリだと思うのよ。」
「ありがとう。」
そんな予定は全くない。確かにそういう行為はしているが、要は絶対に避妊を忘れないし結弦もピルを飲んでいる。絶対に避けられるわけでもないが、どちらも対策していれば妊娠することはほぼないことは実証されている。しかし、そんなことを彼女に伝えることはできない。彼女にとって編み物や将来を想像することは楽しみであり生きる糧だから。
「あなたが旦那さんを連れてくる日を楽しみにしているの。まあ、無理にとは言わないわ。悪い人に引っ掛かるよりもあなたが本当に幸せになりたいと思える人と、色んな顔を見せてもあなたを受け入れてくれる人がいればいいなと思っているの。」
母が優しく結弦の頬を撫でる。彼女の目尻が下がり優しさが滲み出ている。
そう、彼女に番ができたことも高校を中退したことも、結婚したことさえ結弦は話していない。彼女の元を訪れるのは月に一回で要の予定が確実に詰まっている休日の昼間だ。すでに、働いていることになっているので平日に来たら辻褄が合わなくなり彼女に違和感を抱かせて体に良くない。要が不在であることが条件なのは、一度彼の方が早く帰っていた時に見たことがない怒った様子で
『番が家にいないのは気分が悪い』
と言われたからだ。亭主関白の発言であるが、それを考慮するのは現状、彼に養われている結弦としては当然だったし、それも結弦を心配しての言葉だったのだろう。彼はいつも優しいから。
それからしばらく、母と話した後に後ろ髪を引かれつつ別れる。
「また来月に来るよ。」
「無理しないでね。ちゃんと休息を取ってごはんもちゃんと食べるのよ。」
「母さんもね。」
バイバイと母に手を振って部屋を出る。
都内とは思えない緑の庭園と呼ばれる公園をガラス越しに眺めながら歩いているとガタッと音を立てて転がる背丈が同じくらいの男が車いすから落ちるのを見る。それを放っておけるほど冷たくできず結弦が駆け寄るとその人と目が合う。その瞬間、周囲の誰かが叫ぶ。
「発情期だっ!」
そこで初めて結弦は彼が自分と同じ性であることを知る。同じ性であると発情期による効果がないのでほとんど気づかないが、彼の場合はさらに発情期特有の息切れや発汗や発熱などが見られない。
「大丈夫ですか?抑制剤を。」
「っそんなの意味ないよ!放っておいて!」
彼に向けた手は彼によって叩き落された。その手は熱くも冷たくもないので熱は本当になさそうだ。顔が少し火照るだけで周囲に興奮状態に陥っている様子もないのに、周囲の先ほど叫んだ誰かはどうやって彼が発情期だと知ったのか疑問だ。その間に医師がやって来て彼を車いすに乗せるとさっさとどこかに消えてしまう。それから、何事もなかったように周囲はばらける。しかし、結弦は去る前に見えた男の首にある痕に少しの間動くことができなかった。確かにあった番の痕の上にバツ印が刻まれているのが見えた。
「番解消の痕。」
小さく呟く結弦の声を誰も拾うことはない。
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