流れる星、どうかお願い

ハル

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母が星になった日

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 梅雨はあっという間に過ぎてまた暑さが少し戻った頃、母が入院しているホスピスから電話が入る。結弦は嫌な予感がしながらも電話に出ると母が危篤だと電波を通して言われ、一瞬頭が真っ白になったがすぐに買い物中のスーパーだったのですぐ近くの店員に事情を説明する。かごには少しだけ食材を入れており、返却する時間すら消費するのを惜しまれたからだ。すると、説明した店員は話が分かる人で彼はすぐにかごを受け取ってくれたので結弦は全速力で母の元に急いだ。駅ですぐに来た電車に乗り込み、いつも歩いている道を走っていく。

 ホスピスの中に入ると顔なじみの受付がすぐに気づいて母の病室に通してくれる。室内の部屋に足音が響いているのに何も反応しない母の姿が結弦に彼女とのお別れが近いことを実感させる。室内ではいつもついていない心音を知らせる機械がピッピッと間隔を開けて鳴っている。それがカウントされているように結弦には感じられてしまい、ギュッと拳に力が入る。ベッドの傍まで行き床に座り込んで母の顔を見る。
「母さん、話ぐらいさせて。」
 寝ている母に向かって無理な願いだろうことは分かっているが、結弦にはどうしても言わずにはいられない。何も話をせずにいなくなるなんてしないで欲しい。まだまだ話をしてほしいのに、彼女の顔はもう真っ白になっている。
 そんな彼女を見ていられなくなり顔を背けるように結弦はベッドの上に顔を埋めていると頭に優しい感触がする。ゆっくりと顔を上げると母の目はうっすらと開いて結弦の頭に手を伸ばしている。撫でる力もないのかそのままただ置いているだけだが、その手が今までと変わらない温かさすら感じられる。そして、彼女は力なく笑う。春の太陽のような笑顔。
「結弦、幸せになって。」
 それを最期に彼女は目を閉じ力なく結弦の頭から彼女の細い手が滑り落ちる。それは、母がいなくなったことを示している。ピーとずっと続く雑音なんて気にならない。唯一の家族で自分を本当に案じてくれている人がいなくなったことが何より寂しく空しく、自分の存在すらもこの世界から消えたようだ。いくら心の準備期間があったとはいえ、やはり受け入れがたい現実に心が欠けた。
 どれだけ泣いたかわからない。それからすぐに泣いている暇もなく葬儀のことを相談され、お墓があるので火葬だけして結弦の旧姓であり、父も眠っている本田家のお墓があるお寺に頼んだ。寺の住職はすぐに承諾してくれたので静かに母の葬儀が終わり彼女は父が眠るお墓に一緒に入れた。あまり記憶がない結弦に父親の話をよくしてくれた幸せそうな母親の顔が浮かんだ。初めて着たスーツでどう考えても着られている服装だったがお墓の前で両手を広げて体を回転させて彼女に見せる為に疲労する。
「こういうのは着慣れていないけど、今日は母さんに見せようと思って特別に着たんだ。母さん、父さんに会えたかな。あれだけ楽しそうに話していたんだからそっちで会った父さんと仲良くしているよね。こっちは大丈夫だから心配しないで。でも、母さんの言う通りには生きられないかもしれない。ごめんね、それでも、きっとそれは僕が選んだ幸せだから許して。」
 もう一度母に笑いかける。手に持っているのは彼女の遺品が詰まっている袋であり、それら全ては彼女が編んでいた編み物だ。どれだけ根を詰めたのか、彼女は一つの編み物に対して一月以上かけるのが通常なのに、帽子以外の靴下やマフラーをこの二カ月以内で仕上げていた。こんな物が母の命を縮めたのかもしれないと最初は悩んだが、それでも、これは彼女の選択だと受け入れた。彼女は結弦の為に病気が悪化するかもしれないのに無理をしてでも編み物を完成させたことや、入院中、結弦が会いに行くといつも彼女は結弦を気に掛けていた。そんな理想の母親に育てられて幸福でなかったはずがない。本当に幸せだったと心から言える。
「母さん、産んでくれて、僕を息子にしてくれてありがとう。またね。」
 それだけ言ってお墓を後にする。
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