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第二章 学校の異変
07 あなたは何者
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麗美は本来の目的通り、明かりが点いたままの図書室に入った。
一歩足を踏み入れた途端、外のジメジメとした不快な空気の代わりに、乾いてヒンヤリとした秋のような心地好い空気が体を包んだ。エアコンが効いているのかと思いそちらの方を見やったが、電源は入っていないようだ。
カウンターの真ん中辺りまで来ると、麗美は別の事実にも気付いた。
──もしかして、誰もいない……?
日時によって多少の差はあるが、少なくとも通常の放課後に生徒の気配が感じられないというのは、麗美の記憶ではほとんどなかった。
──でも、絵美子だけは奥にいるような気がする。
物音一つしない図書室内を足早に歩いて回ると、予想通り、友人が左端最奥にいた。
「絵美子」
声に反応して振り向いた絵美子は、いつも通りの美しい顔をしていた。
「今ね、廊下と三年生の教室の電気が急に消えちゃったの。でも図書室は無事。何でだろうね」
麗美は笑いかけたが、絵美子の表情は固かった。
「悪戯よ」
「悪戯?」
「そう、〝あいつ〟の子供じみた悪戯。人間に直接危害を加えないだけ、まだマシよ」
表情を変えず、静かにそう語る絵美子から麗美が感じ取ったのは──怒り、そして恐怖。
「〝あいつ〟はね、些細な悪戯から人間の命に関わるような酷い悪事まで、思い付いたら何でもやってしまうの。それが生き甲斐……むしろ、最初からそのためだけに生まれ落ちたのかもしれない」
絵美子の目はどこか虚ろで、麗美を見ているようで見ていなかった。
「絵美子?」麗美は絵美子の元に歩み寄った。「どうしたの絵美子……何の話?」
「……麗美……」
絵美子は、たった今麗美に気付いたと言わんばかりにハッと目を見開いた。
「ねえ、〝あいつ〟って? この学校に、そんな悪い奴がいるの?」麗美は絵美子に詰め寄った。「誰なの? 誰の事なの?」
「ごめんなさい……今のわたしには、くれぐれも気を付けてと注意を促す事くらいしか出来ないわ。〝あいつ〟に気付かれたら……あなたが標的にされるだろうから」
「ひょ、標的って!?」
絵美子は気まずそうに目を伏せた。友人の口から次々と語られた不穏な内容に、麗美はすっかり面食らっていたが、ふと思い出し、
「ねえ、まさか丸崎先生の事故も? 絵美子はそれを知ってて、この間わたしを励ましてくれたの?」
絵美子は答えなかったが、それが肯定以外の何を意味するのだろうか。
しばらくの沈黙の後、絵美子がゆっくりと顔を上げた。その目には今度こそしっかりと麗美を映していた。
「勿論、ずっと〝あいつ〟をこのまま好き勝手させておくつもりはないわ。理由があって、今のわたしはまだ自由に動けない。でも、〝あいつ〟は必ずこの手で何とかする。今度こそ確実にね」
「……絵美子、それって──」
「やだ、わたしったら。さっきから意味不明な事ばっかり喋っちゃって。ちょっと疲れているのかも」
「え──」
「ごめん、忘れて」
絵美子は今までの話は全て冗談だと言わんばかりに微笑んでみせたが、麗美は混乱するばかりだった。頭の中で様々な疑問が浮かんでぐるぐると渦巻き、軽い目眩すら覚える程だ。
──どうしよう。
直接問い質せばいいのだろうが、また笑顔ではぐらかされた場合、食い下がる自信はなかった。
麗美は幼少時から気弱で、ごく一部の身近な人間──例えば母だ──以外には強く出られなかった。今の状況のように、相手が無理矢理話を終わらせようとすればすぐに諦めるし、言い争いでは折れてしまい悔しい思いをする事ばかりだ。丸崎との一件は本当に例外的だったのだ。
──絵美子はこれ以上話したがってはいない。でもここで終わらせちゃって、本当にそれでいいの?
自問の末、麗美は少々異なる形で結論を下した。
「ねえ絵美子、聞いてもいい?」
「……なあに?」
「あなたは……何者?」
口にすると何だか馬鹿馬鹿しいように聞こえなくもなかったが、麗美はあくまでも真剣だった。
「本当に……ただの夕凪高の二年生なの?」
絵美子の微笑みは崩れなかった。麗美は初めて、この美しい友人に対し苛立ちを覚えた。
「……答えられないなら、別の質問するね。今さっき言ってた〝あいつ〟って奴の事だけど……もしかして、昔この辺りにあった森と関係してるの?」
絵美子の目が驚愕に見開かれた。「どうして……それを?」
「関係……してるんだね?」
突然、絵美子が麗美の両肩を掴んだ。しなやかな手は意外にも力強く、麗美は少々痛みを覚えたものの、それ以上に何とも説明し難い奇妙な感覚の方が上回っていた。例えるならば、人間に似て非なる無機質な何かが、体の中にじわじわと入り込むような。
「麗美、逆にわたしが教えてほしいわ。どうしてあなたがそれを知っているのかを。お願い」
「う、うん、勿論いいよ」麗美はぎこちなく笑いかけた。「でもその前に、手を離してほしいな」
「ごめんなさい」絵美子は慌てて言われた通りにした。「痛かった?」
「ううん、気にしないで」
麗美は昨日体育館で千鶴と経験した奇妙な出来事を、時々つっかえながらも出来る限り詳しく説明した。
「その声、本当に思い出せないの?」
麗美が話している間、絵美子は真剣な表情を崩さず一言も口を挟んでこなかったが、話が終わったとわかるや否や、もどかしそうに問われた。
「知り合いだったってのは間違いなさそうなんでしょう? 日常的によく耳にしているんじゃない?」
「え、えと……多分。でもはっきりそうだとは……ていうか、絵美子は〝あいつ〟の事を知ってるんじゃないの?」
「〝あいつ〟はね、自在に姿を変えられるの。麗美の前に現れた時も、本来の姿じゃなかったのよ」
「そっか……」
「それだけじゃない」絵美子の声が沈んだ。「〝あいつ〟はね、一度に多くの人間の記憶に干渉出来るの」
「記憶に……干渉?」
「そうして、あたかも以前からの友達や知り合いだったかのように振る舞いつつ、その裏で良からぬ事を企み、実行する」
「……えーと……」
麗美は絵美子の言葉を頭の中で反芻させていたが、何度目かでようやく事の重大さと恐ろしさに気付いた。
「そ、それって……それじゃあ……!」
「そう」絵美子は頷いた。「あなたと仲のいい友達や同じクラスの誰かが〝あいつ〟かもしれないの」
一歩足を踏み入れた途端、外のジメジメとした不快な空気の代わりに、乾いてヒンヤリとした秋のような心地好い空気が体を包んだ。エアコンが効いているのかと思いそちらの方を見やったが、電源は入っていないようだ。
カウンターの真ん中辺りまで来ると、麗美は別の事実にも気付いた。
──もしかして、誰もいない……?
日時によって多少の差はあるが、少なくとも通常の放課後に生徒の気配が感じられないというのは、麗美の記憶ではほとんどなかった。
──でも、絵美子だけは奥にいるような気がする。
物音一つしない図書室内を足早に歩いて回ると、予想通り、友人が左端最奥にいた。
「絵美子」
声に反応して振り向いた絵美子は、いつも通りの美しい顔をしていた。
「今ね、廊下と三年生の教室の電気が急に消えちゃったの。でも図書室は無事。何でだろうね」
麗美は笑いかけたが、絵美子の表情は固かった。
「悪戯よ」
「悪戯?」
「そう、〝あいつ〟の子供じみた悪戯。人間に直接危害を加えないだけ、まだマシよ」
表情を変えず、静かにそう語る絵美子から麗美が感じ取ったのは──怒り、そして恐怖。
「〝あいつ〟はね、些細な悪戯から人間の命に関わるような酷い悪事まで、思い付いたら何でもやってしまうの。それが生き甲斐……むしろ、最初からそのためだけに生まれ落ちたのかもしれない」
絵美子の目はどこか虚ろで、麗美を見ているようで見ていなかった。
「絵美子?」麗美は絵美子の元に歩み寄った。「どうしたの絵美子……何の話?」
「……麗美……」
絵美子は、たった今麗美に気付いたと言わんばかりにハッと目を見開いた。
「ねえ、〝あいつ〟って? この学校に、そんな悪い奴がいるの?」麗美は絵美子に詰め寄った。「誰なの? 誰の事なの?」
「ごめんなさい……今のわたしには、くれぐれも気を付けてと注意を促す事くらいしか出来ないわ。〝あいつ〟に気付かれたら……あなたが標的にされるだろうから」
「ひょ、標的って!?」
絵美子は気まずそうに目を伏せた。友人の口から次々と語られた不穏な内容に、麗美はすっかり面食らっていたが、ふと思い出し、
「ねえ、まさか丸崎先生の事故も? 絵美子はそれを知ってて、この間わたしを励ましてくれたの?」
絵美子は答えなかったが、それが肯定以外の何を意味するのだろうか。
しばらくの沈黙の後、絵美子がゆっくりと顔を上げた。その目には今度こそしっかりと麗美を映していた。
「勿論、ずっと〝あいつ〟をこのまま好き勝手させておくつもりはないわ。理由があって、今のわたしはまだ自由に動けない。でも、〝あいつ〟は必ずこの手で何とかする。今度こそ確実にね」
「……絵美子、それって──」
「やだ、わたしったら。さっきから意味不明な事ばっかり喋っちゃって。ちょっと疲れているのかも」
「え──」
「ごめん、忘れて」
絵美子は今までの話は全て冗談だと言わんばかりに微笑んでみせたが、麗美は混乱するばかりだった。頭の中で様々な疑問が浮かんでぐるぐると渦巻き、軽い目眩すら覚える程だ。
──どうしよう。
直接問い質せばいいのだろうが、また笑顔ではぐらかされた場合、食い下がる自信はなかった。
麗美は幼少時から気弱で、ごく一部の身近な人間──例えば母だ──以外には強く出られなかった。今の状況のように、相手が無理矢理話を終わらせようとすればすぐに諦めるし、言い争いでは折れてしまい悔しい思いをする事ばかりだ。丸崎との一件は本当に例外的だったのだ。
──絵美子はこれ以上話したがってはいない。でもここで終わらせちゃって、本当にそれでいいの?
自問の末、麗美は少々異なる形で結論を下した。
「ねえ絵美子、聞いてもいい?」
「……なあに?」
「あなたは……何者?」
口にすると何だか馬鹿馬鹿しいように聞こえなくもなかったが、麗美はあくまでも真剣だった。
「本当に……ただの夕凪高の二年生なの?」
絵美子の微笑みは崩れなかった。麗美は初めて、この美しい友人に対し苛立ちを覚えた。
「……答えられないなら、別の質問するね。今さっき言ってた〝あいつ〟って奴の事だけど……もしかして、昔この辺りにあった森と関係してるの?」
絵美子の目が驚愕に見開かれた。「どうして……それを?」
「関係……してるんだね?」
突然、絵美子が麗美の両肩を掴んだ。しなやかな手は意外にも力強く、麗美は少々痛みを覚えたものの、それ以上に何とも説明し難い奇妙な感覚の方が上回っていた。例えるならば、人間に似て非なる無機質な何かが、体の中にじわじわと入り込むような。
「麗美、逆にわたしが教えてほしいわ。どうしてあなたがそれを知っているのかを。お願い」
「う、うん、勿論いいよ」麗美はぎこちなく笑いかけた。「でもその前に、手を離してほしいな」
「ごめんなさい」絵美子は慌てて言われた通りにした。「痛かった?」
「ううん、気にしないで」
麗美は昨日体育館で千鶴と経験した奇妙な出来事を、時々つっかえながらも出来る限り詳しく説明した。
「その声、本当に思い出せないの?」
麗美が話している間、絵美子は真剣な表情を崩さず一言も口を挟んでこなかったが、話が終わったとわかるや否や、もどかしそうに問われた。
「知り合いだったってのは間違いなさそうなんでしょう? 日常的によく耳にしているんじゃない?」
「え、えと……多分。でもはっきりそうだとは……ていうか、絵美子は〝あいつ〟の事を知ってるんじゃないの?」
「〝あいつ〟はね、自在に姿を変えられるの。麗美の前に現れた時も、本来の姿じゃなかったのよ」
「そっか……」
「それだけじゃない」絵美子の声が沈んだ。「〝あいつ〟はね、一度に多くの人間の記憶に干渉出来るの」
「記憶に……干渉?」
「そうして、あたかも以前からの友達や知り合いだったかのように振る舞いつつ、その裏で良からぬ事を企み、実行する」
「……えーと……」
麗美は絵美子の言葉を頭の中で反芻させていたが、何度目かでようやく事の重大さと恐ろしさに気付いた。
「そ、それって……それじゃあ……!」
「そう」絵美子は頷いた。「あなたと仲のいい友達や同じクラスの誰かが〝あいつ〟かもしれないの」
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