68 / 202
第五章〈王太子の宮廷生活〉編
5.5 王女たちのお茶会(2)
しおりを挟む
突然あらわれた母妃イザボー・ド・バヴィエールの非常識な振る舞いに、私も姉王女たちも取り巻きの侍女たちも呆気にとられた。
四姉妹最年少のカトリーヌ王女が、小さくつぶやいた。
「それは、ミシェル姉さまが手づからくださった苺なのに」
「あ、ごめん」
カトリーヌ王女は責めるつもりはなかったのだろうが、私は自分の不注意で粗相をしたような気がして、つい謝ってしまった。
「んふふ、残念だったわねぇ」
母がまたあの小悪魔のような笑みを浮かべた。
「王太子が謝る理由はありません!」
勝ち気なミシェル王女は、母を睨んだ。
「母子であることを差し引いても、非礼なのは母上の方ですわ!」
「あら、この母が悪いというの?」
「いつだってそうじゃないの!」
不謹慎だが、母と姉のにぎやかな口喧嘩は新鮮だった。
アンジュー家の公妃ヨランドと長女のマリーも、まれに言い争うことがあったが、ヨランドはいつも落ち着いて諭すように話をしていた。
四姉妹の最年長ジャンヌ王女は5歳でブルターニュ公へ嫁いだため、親子の縁が薄い。
マリー王女と最年少のカトリーヌ王女は修道院で暮らしているため、やはり宮廷生活とは縁遠い。私も似たようなものだろう。
「近ごろの王宮は危機管理がなってないご様子ね。王太子が慎重になるのは至極当然のことですわ。それを横取りするだなんて、母上は恥を知るべきです!」
「あら、わたくしは毒味をしてあげただけよ」
「まるごと召し上がっておきながら何を!」
見たところ、ミシェル王女がもっとも王女らしく勝ち気な姫君だった。
王妃である母に対しても、まったく遠慮がない。
「王太子が苺を口にしなかったのは、ミシェルのせいではなくて?」
母の問いかけに、ミシェル王女が眉をひそめた。
「どういう意味ですの?」
「ミシェル、あなたは無怖公ブルゴーニュ公の嫡男の妃でしょう?」
母は目を細めて私を見たが、その目は笑っているようには見えなかった。
嫌な予感がしたが、私には母の残酷な言葉を止める術はなかった。
母はゆっくりと、もったいぶった言い方をした。
「夫か義父に命じられて、弟に毒を盛るかもしれないと……」
母は、ふふっと笑うと「慎重な王太子が姉を疑うのも無理ないわね」と言った。
「何……ですって!」
「ねぇ、ミシェル。可愛い弟に疑われるのはどんな気持ち?」
母は晴れやかに言い放ち、ミシェル王女は真っ青な顔色で唇をわなわなと震わせていた。
「ひどいわ……!」
「本当に、ひどい弟ねぇ」
(姉上、母上、違う。私はそんなこと……)
これは、にぎやかな母子喧嘩ではない。
相手を貶め、辱め、そうやって人を踏みつけにしながら自分を高みに上げるかのような——
「違います!」
これ以上は見ていられなくて、私は声を上げた。
私は、親兄弟の人とナリを、どのような家族かを知らなかった。
アンジュー公の一家は穏やかだったが、物語や歴史を紐解けば穏やかではない親子兄弟はいくらでもいた。
「私は慎重ではなくて、のんきな愚か者だから。ミシェル姉様に言われるまで毒を盛られる可能性など考えてもみなかった」
私はきょうだいの末っ子で、王家の最年少。
だが、国王代理を務める王太子だ。
いずれは国難を収めなければならないが、今はこの母子喧嘩を収めよう。
いつもぼんやりしているのに、このときは強い思いに突き動かされていた。
「姉上。ミシェル姉さま」
出来るだけ明るい声で呼ぶと、ミシェル王女は気まずそうに顔を上げた。
勝ち気な姉王女は傷ついているように見えた。本当は繊細な人なのかもしれない。
「少しノドが渇いたから苺が食べたい。手ごろな一粒を選んで欲しいな」
ミシェル王女は潤んだ瞳を揺らして「仰せのままに」と答えた。
そして果物の盛り合わせの中から、もっとも熟れて色づいた苺を選んでくれた。
私は「ありがとう」と言って受け取ると、すぐに口に入れた。
これは、姉ミシェル王女を疑っていないという意思表示だ。
「うん、甘くてとても美味しい!」
私とミシェル王女は目を合わせて微笑み、最年長のジャンヌ王女が「王太子、お見事ですわ」と言ってぱちぱちと拍手してくれた。
剣呑な雰囲気だったお茶会が、少し和らいだと思ったのも束の間。
「わたくし、それが欲しいわ」
「え……」
言うが早いか、母の左手が私の首を締め上げた。
喉の奥で嫌な音が鳴り、母の長い指が私の口をこじ開けた。
誰かが悲鳴を上げたが、私はそれどころではなかった。
母の赤く尖った舌が、私の口内に残っていた苺の残骸を吸い上げ、舐めとった。
「ああ、やっぱりこっちの方がおいしい」
最後に見えたのは、母の満足そうな赤い笑み。
膝からくずおれて、激しく咳き込む私を尻目に、母は少女のようにはしゃいでいた。
「誰ぞ! 医者と気付けの飲み物を!」
ジャンヌ王女が私に駆け寄り、声を上げた。
果実と血が混じった赤い唾液が、私の口からこぼれた。
泣き出したカトリーヌ王女と、なだめているマリー王女の姿が横目に映った。
「悪魔だわ……!」
ミシェル王女の姿は見えなかったが、怒りのこもった声が聞こえた。
「だって、ズルイんですもの。わたくしは何でも一番が欲しいの。一番大きなもの、一番おいしいもの、一番チカラのあるもの。すべて、わたくしのものよ。誰にも渡さないわ」
母が何を言っているのか分からなかった。
私が何をしたというのだろう。
その後の記憶はない。
四姉妹最年少のカトリーヌ王女が、小さくつぶやいた。
「それは、ミシェル姉さまが手づからくださった苺なのに」
「あ、ごめん」
カトリーヌ王女は責めるつもりはなかったのだろうが、私は自分の不注意で粗相をしたような気がして、つい謝ってしまった。
「んふふ、残念だったわねぇ」
母がまたあの小悪魔のような笑みを浮かべた。
「王太子が謝る理由はありません!」
勝ち気なミシェル王女は、母を睨んだ。
「母子であることを差し引いても、非礼なのは母上の方ですわ!」
「あら、この母が悪いというの?」
「いつだってそうじゃないの!」
不謹慎だが、母と姉のにぎやかな口喧嘩は新鮮だった。
アンジュー家の公妃ヨランドと長女のマリーも、まれに言い争うことがあったが、ヨランドはいつも落ち着いて諭すように話をしていた。
四姉妹の最年長ジャンヌ王女は5歳でブルターニュ公へ嫁いだため、親子の縁が薄い。
マリー王女と最年少のカトリーヌ王女は修道院で暮らしているため、やはり宮廷生活とは縁遠い。私も似たようなものだろう。
「近ごろの王宮は危機管理がなってないご様子ね。王太子が慎重になるのは至極当然のことですわ。それを横取りするだなんて、母上は恥を知るべきです!」
「あら、わたくしは毒味をしてあげただけよ」
「まるごと召し上がっておきながら何を!」
見たところ、ミシェル王女がもっとも王女らしく勝ち気な姫君だった。
王妃である母に対しても、まったく遠慮がない。
「王太子が苺を口にしなかったのは、ミシェルのせいではなくて?」
母の問いかけに、ミシェル王女が眉をひそめた。
「どういう意味ですの?」
「ミシェル、あなたは無怖公ブルゴーニュ公の嫡男の妃でしょう?」
母は目を細めて私を見たが、その目は笑っているようには見えなかった。
嫌な予感がしたが、私には母の残酷な言葉を止める術はなかった。
母はゆっくりと、もったいぶった言い方をした。
「夫か義父に命じられて、弟に毒を盛るかもしれないと……」
母は、ふふっと笑うと「慎重な王太子が姉を疑うのも無理ないわね」と言った。
「何……ですって!」
「ねぇ、ミシェル。可愛い弟に疑われるのはどんな気持ち?」
母は晴れやかに言い放ち、ミシェル王女は真っ青な顔色で唇をわなわなと震わせていた。
「ひどいわ……!」
「本当に、ひどい弟ねぇ」
(姉上、母上、違う。私はそんなこと……)
これは、にぎやかな母子喧嘩ではない。
相手を貶め、辱め、そうやって人を踏みつけにしながら自分を高みに上げるかのような——
「違います!」
これ以上は見ていられなくて、私は声を上げた。
私は、親兄弟の人とナリを、どのような家族かを知らなかった。
アンジュー公の一家は穏やかだったが、物語や歴史を紐解けば穏やかではない親子兄弟はいくらでもいた。
「私は慎重ではなくて、のんきな愚か者だから。ミシェル姉様に言われるまで毒を盛られる可能性など考えてもみなかった」
私はきょうだいの末っ子で、王家の最年少。
だが、国王代理を務める王太子だ。
いずれは国難を収めなければならないが、今はこの母子喧嘩を収めよう。
いつもぼんやりしているのに、このときは強い思いに突き動かされていた。
「姉上。ミシェル姉さま」
出来るだけ明るい声で呼ぶと、ミシェル王女は気まずそうに顔を上げた。
勝ち気な姉王女は傷ついているように見えた。本当は繊細な人なのかもしれない。
「少しノドが渇いたから苺が食べたい。手ごろな一粒を選んで欲しいな」
ミシェル王女は潤んだ瞳を揺らして「仰せのままに」と答えた。
そして果物の盛り合わせの中から、もっとも熟れて色づいた苺を選んでくれた。
私は「ありがとう」と言って受け取ると、すぐに口に入れた。
これは、姉ミシェル王女を疑っていないという意思表示だ。
「うん、甘くてとても美味しい!」
私とミシェル王女は目を合わせて微笑み、最年長のジャンヌ王女が「王太子、お見事ですわ」と言ってぱちぱちと拍手してくれた。
剣呑な雰囲気だったお茶会が、少し和らいだと思ったのも束の間。
「わたくし、それが欲しいわ」
「え……」
言うが早いか、母の左手が私の首を締め上げた。
喉の奥で嫌な音が鳴り、母の長い指が私の口をこじ開けた。
誰かが悲鳴を上げたが、私はそれどころではなかった。
母の赤く尖った舌が、私の口内に残っていた苺の残骸を吸い上げ、舐めとった。
「ああ、やっぱりこっちの方がおいしい」
最後に見えたのは、母の満足そうな赤い笑み。
膝からくずおれて、激しく咳き込む私を尻目に、母は少女のようにはしゃいでいた。
「誰ぞ! 医者と気付けの飲み物を!」
ジャンヌ王女が私に駆け寄り、声を上げた。
果実と血が混じった赤い唾液が、私の口からこぼれた。
泣き出したカトリーヌ王女と、なだめているマリー王女の姿が横目に映った。
「悪魔だわ……!」
ミシェル王女の姿は見えなかったが、怒りのこもった声が聞こえた。
「だって、ズルイんですもの。わたくしは何でも一番が欲しいの。一番大きなもの、一番おいしいもの、一番チカラのあるもの。すべて、わたくしのものよ。誰にも渡さないわ」
母が何を言っているのか分からなかった。
私が何をしたというのだろう。
その後の記憶はない。
20
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる