67 / 202
第五章〈王太子の宮廷生活〉編
5.4 王女たちのお茶会(1)
しおりを挟む
私が宮廷入りしたとき、父・狂人王シャルル六世の子は10人中5人が生きていた。
ジャンヌ、マリー、ミシェル、カトリーヌの四姉妹と、末弟のシャルルだ。
王太子就任を祝う口実で、生き別れだった姉弟がパリの王宮に勢揃いした。
誰の発案か知らないが、私たちが水入らずで語り合う「ちょっとした宴席」が用意された。いわば、非公式の茶会だ。
この物語を読んでいる読者諸氏の中にはお気づきの方もいると思うが、15世紀当時のフランスには茶も珈琲もショコラも伝わっていない。
とはいえ、薬草を煮出した茶ならある。
そのままでは薬くさいが、蜂蜜や果汁、ミルクやスパイスを混ぜれば、それなりに甘い飲み物ができる。
一般的には、麦芽とホップで作ったエールがよく飲まれる。
その他、地域ごとにさまざまな果実酒がある。
例えば、フランス北西部のブルターニュ公の妃・ジャンヌ王女は、ブルターニュでよく取れるリンゴを使った林檎酒を。
フランス東部のブルゴーニュ公の嫡男の妃になったミシェル王女は、ブドウを使った葡萄酒をたしなむ。
王宮の貯蔵庫には、各地から選りすぐりの献上品が揃っていた。
王女たちは、日常的には滅多に口に入らないモノをそれぞれ選び、私は飲み物自体を断った。
「まぁ、よろしいのですか?」
最年長のジャンヌ王女が、私を気遣った。
「はい。10歳まで修道院で育ったせいか、あまり飲食をしたいと思わなくて」
飲み物とは別に、果物の盛り合わせが用意されている。
いくつか摘めば充分だと思った。
「いやだわ。わたくしは24年も修道女をしているのに甘いものが大好きだわ」
バターをたっぷり溶かした甘いエールを飲みながら、「きっと修行が足りないのだわ」と言っているのは、ポワシーで女子修道院の院長を務めているマリー王女だ。
「マリー姉さま、そのくらいにしましょう。王太子がいるのに、わたくしたちだけがいただくのは申し訳ない……」
四姉妹の末妹にあたるカトリーヌ王女が、小声でマリー王女をたしなめた。
姉弟の居住地はみなバラバラだったが、マリー王女とカトリーヌ王女はポワシー修道院で生活している。
もし、私が女児であったなら、姉たちと同じくポワシーで養育されたのかもしれない。
「さすが王太子殿下、賢明なご判断ですわ!」
強い口調でそう言ったのは、ミシェル王女だった。
先だって謁見した、ブルゴーニュ公の嫡男シャロレー伯フィリップの妃だ。
私と、ミシェル王女以外の姉王女たちが「賢明な判断とは?」と聞き返した。
「わたくしたちの可愛い弟は、フランス王国唯一の王位継承者ですもの。召し上がるものに細心の注意を払うのは当然のことです!」
ミシェル王女は、果物の盛り合わせから一番大きな苺を一粒取り上げると、両手ですくいあげるように私に捧げた。
「混ぜ物の多い加工品よりも、とれたての果物を」
ミシェル王女はきっぱりした口調よりさらに強いまなざしで私を見つめて、「さぁ、召し上がれ」と言った。
「ありがとう」
私は苺を受け取ると、手に持ったまま真っ赤な果実を見つめた。
生の果物なら、どこかが傷んでいれば一目で分かる。
(飲み物を断ったのは、深い考えがあったわけじゃない)
兄たちの相次ぐ不審死の噂は、姉王女たちの耳にも届いていた。
加工した料理や飲み物は、毒物を混ぜても簡単には分からない。
だが、毒を飲まされたと気づいたときにはもう遅い。
(兄上たちは、やはり……)
王太子は毒殺されたと、もっぱら噂になっていた。
イングランドの内通者か、それともブルゴーニュ公かアルマニャック伯か。
広い王宮、宮廷の中枢にいる誰かが——
「まぁ、姉弟水入らずのお茶会はとっても楽しそうね」
背後から、背筋が凍るような柔らかい声が聞こえた。
姉王女たちの間に緊張が走り、私の背後から衣擦れの音が近づいて来た。
「可愛い子供たちのために差し入れを持って来たわ。ぜひ、召し上がってちょうだいな」
声の主は、侍女に命じて血なまぐさい湯気の立つ皿を置かせた。
私の真横に並び立つと腰をかがめて、ふいに手を握られた。
「その代わり、わたくしはコレをいただくわね」
「あっ……」
母は、私の手から苺を取り上げると、ぱくりと食べてしまった。
柔らかい声、柔らかい手。
けだものから抽出した香水のにおいが鼻につく。
心地よいのに、なぜか無性に気持ちが悪かった。
ジャンヌ、マリー、ミシェル、カトリーヌの四姉妹と、末弟のシャルルだ。
王太子就任を祝う口実で、生き別れだった姉弟がパリの王宮に勢揃いした。
誰の発案か知らないが、私たちが水入らずで語り合う「ちょっとした宴席」が用意された。いわば、非公式の茶会だ。
この物語を読んでいる読者諸氏の中にはお気づきの方もいると思うが、15世紀当時のフランスには茶も珈琲もショコラも伝わっていない。
とはいえ、薬草を煮出した茶ならある。
そのままでは薬くさいが、蜂蜜や果汁、ミルクやスパイスを混ぜれば、それなりに甘い飲み物ができる。
一般的には、麦芽とホップで作ったエールがよく飲まれる。
その他、地域ごとにさまざまな果実酒がある。
例えば、フランス北西部のブルターニュ公の妃・ジャンヌ王女は、ブルターニュでよく取れるリンゴを使った林檎酒を。
フランス東部のブルゴーニュ公の嫡男の妃になったミシェル王女は、ブドウを使った葡萄酒をたしなむ。
王宮の貯蔵庫には、各地から選りすぐりの献上品が揃っていた。
王女たちは、日常的には滅多に口に入らないモノをそれぞれ選び、私は飲み物自体を断った。
「まぁ、よろしいのですか?」
最年長のジャンヌ王女が、私を気遣った。
「はい。10歳まで修道院で育ったせいか、あまり飲食をしたいと思わなくて」
飲み物とは別に、果物の盛り合わせが用意されている。
いくつか摘めば充分だと思った。
「いやだわ。わたくしは24年も修道女をしているのに甘いものが大好きだわ」
バターをたっぷり溶かした甘いエールを飲みながら、「きっと修行が足りないのだわ」と言っているのは、ポワシーで女子修道院の院長を務めているマリー王女だ。
「マリー姉さま、そのくらいにしましょう。王太子がいるのに、わたくしたちだけがいただくのは申し訳ない……」
四姉妹の末妹にあたるカトリーヌ王女が、小声でマリー王女をたしなめた。
姉弟の居住地はみなバラバラだったが、マリー王女とカトリーヌ王女はポワシー修道院で生活している。
もし、私が女児であったなら、姉たちと同じくポワシーで養育されたのかもしれない。
「さすが王太子殿下、賢明なご判断ですわ!」
強い口調でそう言ったのは、ミシェル王女だった。
先だって謁見した、ブルゴーニュ公の嫡男シャロレー伯フィリップの妃だ。
私と、ミシェル王女以外の姉王女たちが「賢明な判断とは?」と聞き返した。
「わたくしたちの可愛い弟は、フランス王国唯一の王位継承者ですもの。召し上がるものに細心の注意を払うのは当然のことです!」
ミシェル王女は、果物の盛り合わせから一番大きな苺を一粒取り上げると、両手ですくいあげるように私に捧げた。
「混ぜ物の多い加工品よりも、とれたての果物を」
ミシェル王女はきっぱりした口調よりさらに強いまなざしで私を見つめて、「さぁ、召し上がれ」と言った。
「ありがとう」
私は苺を受け取ると、手に持ったまま真っ赤な果実を見つめた。
生の果物なら、どこかが傷んでいれば一目で分かる。
(飲み物を断ったのは、深い考えがあったわけじゃない)
兄たちの相次ぐ不審死の噂は、姉王女たちの耳にも届いていた。
加工した料理や飲み物は、毒物を混ぜても簡単には分からない。
だが、毒を飲まされたと気づいたときにはもう遅い。
(兄上たちは、やはり……)
王太子は毒殺されたと、もっぱら噂になっていた。
イングランドの内通者か、それともブルゴーニュ公かアルマニャック伯か。
広い王宮、宮廷の中枢にいる誰かが——
「まぁ、姉弟水入らずのお茶会はとっても楽しそうね」
背後から、背筋が凍るような柔らかい声が聞こえた。
姉王女たちの間に緊張が走り、私の背後から衣擦れの音が近づいて来た。
「可愛い子供たちのために差し入れを持って来たわ。ぜひ、召し上がってちょうだいな」
声の主は、侍女に命じて血なまぐさい湯気の立つ皿を置かせた。
私の真横に並び立つと腰をかがめて、ふいに手を握られた。
「その代わり、わたくしはコレをいただくわね」
「あっ……」
母は、私の手から苺を取り上げると、ぱくりと食べてしまった。
柔らかい声、柔らかい手。
けだものから抽出した香水のにおいが鼻につく。
心地よいのに、なぜか無性に気持ちが悪かった。
20
あなたにおすすめの小説
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
征空決戦艦隊 ~多載空母打撃群 出撃!~
蒼 飛雲
歴史・時代
ワシントン軍縮条約、さらにそれに続くロンドン軍縮条約によって帝国海軍は米英に対して砲戦力ならびに水雷戦力において、決定的とも言える劣勢に立たされてしまう。
その差を補うため、帝国海軍は航空戦力にその活路を見出す。
そして、昭和一六年一二月八日。
日本は米英蘭に対して宣戦を布告。
未曾有の国難を救うべく、帝国海軍の艨艟たちは抜錨。
多数の艦上機を搭載した新鋭空母群もまた、強大な敵に立ち向かっていく。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる