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第九章〈正義の目覚め〉編
9.15 フス戦争
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モー包囲戦は、1421年10月6日から1422年5月10日まで。
7カ月超におよぶ戦闘期間中、フランスとイングランド双方の王家で慶事があった。
1421年12月6日、ロンドンのウィンザー城でヘンリー五世とキャサリン王妃(カトリーヌ王女)の第一子が生まれた。
「イングランドとフランス両王家の血を引く高貴な若君でございます」
「おめでとうございます!」
王家の慶事に、イングランド全土と北フランスは沸き立った。
フランス国王シャルル六世の後を継ぐものが、王太子シャルルだろうとヘンリー五世だろうと、これまではどちらも子がいなかった。英仏王家の血を引く待望の男児——のちのヘンリー六世の誕生である。
これで、イングランド王のフランス王位継承はさらに盤石となった。
「さっそく祝賀行事と帰国の手配をいたしましょう」
「祝賀はともかく、帰国するつもりはない」
「陛下、今なんと……?」
王太子誕生を祝うため、ヘンリー五世の側近たちは一時休戦して帰国するように促したが、ヘンリーはモー陥落を見届けるまで戦地に残ることを選んだ。
「オルレアンから三日で退却した上に、さらにモーから退けというのか?」
「ですが、陛下!」
「やかましい。貴公らは、イングランド王に恥をかかせるつもりか」
念願だったフランス王位と王妃を手に入れて、ヘンリー五世の運は尽きてしまったのだろうか。
いや、尽きたのは運だけではない。生命の危機がひたひたと忍び寄っていた。
「そう興奮してはお体に障ります……!」
「余を苛立たせているのは、兵たちが不甲斐ないせいではないか!」
「率直に申し上げると、軍隊内で疫病が広まっています。近ごろは陛下の顔色も優れないようですし一度休まれるべきかと!」
「はっ、軟弱者め。余は退かぬぞ。王の顔色をうかがう暇があるなら早くモーを征服するがいい。どんな手段を使っても構わん!」
もし、ヘンリーが目先の勝利にこだわらずに退却していたならば、英仏・百年戦争の最終結果は違っていたかもしれない。
***
モー包囲戦の少し前。
神聖ローマ帝国の一角、ボヘミア王国の首都プラハでフス戦争が勃発していた。
のちのプロテスタントの前身「フス派」と、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の十字軍による宗教戦争である。
この戦いは、百年戦争と直接関係ないがまったく関係ないわけでもない。
何より、のちにジャンヌ・ダルクはフス派に対して「とてもジャンヌらしい」内容の手紙を送っている。私もまた側近で詩人のアラン・シャルティエを使って、神聖ローマ皇帝ジギスムント宛てに「フス戦争に関する意見」を奉じた手紙をいくつか送っている。
過去をおさらいしながら、ごく簡単に触れておこう。
アジャンクールの戦いの後、皇帝ジギスムントは英仏の調停に乗り出した。
はじめはフランス王国の肩を持っていたが、イングランドで豪華なもてなしを受けると気が変わったようだ。百年戦争の初期、イングランドがフランスに対抗するために創設したガーター騎士団の一員となり、共闘する約束をしてしまった。
また、若かりしジギスムントは、ブルゴーニュ無怖公とともに十字軍遠征に参加した戦友でもある。
「戦友の敵討ち」という理由で、ジギスムント率いるドラゴン騎士団がイングランド・ブルゴーニュ連合軍に参戦する可能性が十分あり得た。実際、フランス王太子領ドーフィネに侵攻する計画を立ててもいた。
狡猾なヘンリー五世のことだ、ずいぶん前から神聖ローマ帝国を味方につけてフランス侵略計画に巻き込もうと考えていたのだろう。
だが、現実は計画通りに進むとは限らない。
皇帝ジギスムントは信仰心が厚く、14世紀後半から続く教会大分裂を解決するためにコンスタンツ公会議を開催した。ローマ教皇を名乗る聖職者が3人もいた時期で、キリスト教徒たちは各派閥に分かれて争っていたのだが、ジギスムントの尽力により教皇をマルティヌス五世に統一することで合意した。
ジギスムントの献身は、ローマ教会と教皇から高く評価された
その一方で、教会大分裂から再統一までの空騒ぎを批判する者も多かった。
プラハ大学の学長ヤン・フスはそんなひとりで、ジギスムントは「ぜひ、学長の意見を聞かせて欲しい」と言ってコンスタンツ公会議に招いたが、それは罠であった。
ヤン・フスの演説と論文は異端宣告を受けて焚書となり、73日間にわたる拷問の末、首を鎖で杭に巻きつけて火刑に処された。
フスの支持者たちは、もともと教会に批判的だったが、師のむごすぎる最期を知ると怒りの声を上げ、皇帝と教皇の卑劣さを糾弾した。
かくして、神聖ローマ皇帝ジギスムントとローマ教皇マルティヌス五世は、フス派を殲滅するために十字軍を編成し、フス戦争が勃発したのであった。
ジギスムントからすれば、イングランドの王位簒奪やフランス王位の継承問題よりも、皇帝と教皇にさからう異端者を討伐する方がはるかに優先度が高い。他国に介入する余裕はなくなった。
もし、イングランド王とブルゴーニュ公に加えて、さらに神聖ローマ皇帝までもが敵に回っていたとしたら、私は西海岸と北部と東部から攻められて三正面作戦を強いられていた。
フス戦争の勃発は、ヘンリー五世のフランス侵攻計画にとって誤算であっただろうし、私はこの戦いのおかげで命拾いをしたといえる。
***
もうひとつの慶事について書き忘れていた。
1422年4月22日、モーが陥落する直前。
王太子シャルルと婚約者マリー・ダンジューはついに婚姻の儀を執り行った。
婚約期間9年を経て、私たちはやっと正式な夫婦になったのだ。
私は19歳で、マリーは18歳の誕生日を迎える前だった。
私たちが一度別れてから結婚に至るまでのいきさつは、機会があったらお話しようと思う。
(※)ちなみに、デュノワ伯ジャンも1422年4月に結婚しています。いくら仲良し幼なじみだからって結婚する日程まで合わせなくても・笑
7カ月超におよぶ戦闘期間中、フランスとイングランド双方の王家で慶事があった。
1421年12月6日、ロンドンのウィンザー城でヘンリー五世とキャサリン王妃(カトリーヌ王女)の第一子が生まれた。
「イングランドとフランス両王家の血を引く高貴な若君でございます」
「おめでとうございます!」
王家の慶事に、イングランド全土と北フランスは沸き立った。
フランス国王シャルル六世の後を継ぐものが、王太子シャルルだろうとヘンリー五世だろうと、これまではどちらも子がいなかった。英仏王家の血を引く待望の男児——のちのヘンリー六世の誕生である。
これで、イングランド王のフランス王位継承はさらに盤石となった。
「さっそく祝賀行事と帰国の手配をいたしましょう」
「祝賀はともかく、帰国するつもりはない」
「陛下、今なんと……?」
王太子誕生を祝うため、ヘンリー五世の側近たちは一時休戦して帰国するように促したが、ヘンリーはモー陥落を見届けるまで戦地に残ることを選んだ。
「オルレアンから三日で退却した上に、さらにモーから退けというのか?」
「ですが、陛下!」
「やかましい。貴公らは、イングランド王に恥をかかせるつもりか」
念願だったフランス王位と王妃を手に入れて、ヘンリー五世の運は尽きてしまったのだろうか。
いや、尽きたのは運だけではない。生命の危機がひたひたと忍び寄っていた。
「そう興奮してはお体に障ります……!」
「余を苛立たせているのは、兵たちが不甲斐ないせいではないか!」
「率直に申し上げると、軍隊内で疫病が広まっています。近ごろは陛下の顔色も優れないようですし一度休まれるべきかと!」
「はっ、軟弱者め。余は退かぬぞ。王の顔色をうかがう暇があるなら早くモーを征服するがいい。どんな手段を使っても構わん!」
もし、ヘンリーが目先の勝利にこだわらずに退却していたならば、英仏・百年戦争の最終結果は違っていたかもしれない。
***
モー包囲戦の少し前。
神聖ローマ帝国の一角、ボヘミア王国の首都プラハでフス戦争が勃発していた。
のちのプロテスタントの前身「フス派」と、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の十字軍による宗教戦争である。
この戦いは、百年戦争と直接関係ないがまったく関係ないわけでもない。
何より、のちにジャンヌ・ダルクはフス派に対して「とてもジャンヌらしい」内容の手紙を送っている。私もまた側近で詩人のアラン・シャルティエを使って、神聖ローマ皇帝ジギスムント宛てに「フス戦争に関する意見」を奉じた手紙をいくつか送っている。
過去をおさらいしながら、ごく簡単に触れておこう。
アジャンクールの戦いの後、皇帝ジギスムントは英仏の調停に乗り出した。
はじめはフランス王国の肩を持っていたが、イングランドで豪華なもてなしを受けると気が変わったようだ。百年戦争の初期、イングランドがフランスに対抗するために創設したガーター騎士団の一員となり、共闘する約束をしてしまった。
また、若かりしジギスムントは、ブルゴーニュ無怖公とともに十字軍遠征に参加した戦友でもある。
「戦友の敵討ち」という理由で、ジギスムント率いるドラゴン騎士団がイングランド・ブルゴーニュ連合軍に参戦する可能性が十分あり得た。実際、フランス王太子領ドーフィネに侵攻する計画を立ててもいた。
狡猾なヘンリー五世のことだ、ずいぶん前から神聖ローマ帝国を味方につけてフランス侵略計画に巻き込もうと考えていたのだろう。
だが、現実は計画通りに進むとは限らない。
皇帝ジギスムントは信仰心が厚く、14世紀後半から続く教会大分裂を解決するためにコンスタンツ公会議を開催した。ローマ教皇を名乗る聖職者が3人もいた時期で、キリスト教徒たちは各派閥に分かれて争っていたのだが、ジギスムントの尽力により教皇をマルティヌス五世に統一することで合意した。
ジギスムントの献身は、ローマ教会と教皇から高く評価された
その一方で、教会大分裂から再統一までの空騒ぎを批判する者も多かった。
プラハ大学の学長ヤン・フスはそんなひとりで、ジギスムントは「ぜひ、学長の意見を聞かせて欲しい」と言ってコンスタンツ公会議に招いたが、それは罠であった。
ヤン・フスの演説と論文は異端宣告を受けて焚書となり、73日間にわたる拷問の末、首を鎖で杭に巻きつけて火刑に処された。
フスの支持者たちは、もともと教会に批判的だったが、師のむごすぎる最期を知ると怒りの声を上げ、皇帝と教皇の卑劣さを糾弾した。
かくして、神聖ローマ皇帝ジギスムントとローマ教皇マルティヌス五世は、フス派を殲滅するために十字軍を編成し、フス戦争が勃発したのであった。
ジギスムントからすれば、イングランドの王位簒奪やフランス王位の継承問題よりも、皇帝と教皇にさからう異端者を討伐する方がはるかに優先度が高い。他国に介入する余裕はなくなった。
もし、イングランド王とブルゴーニュ公に加えて、さらに神聖ローマ皇帝までもが敵に回っていたとしたら、私は西海岸と北部と東部から攻められて三正面作戦を強いられていた。
フス戦争の勃発は、ヘンリー五世のフランス侵攻計画にとって誤算であっただろうし、私はこの戦いのおかげで命拾いをしたといえる。
***
もうひとつの慶事について書き忘れていた。
1422年4月22日、モーが陥落する直前。
王太子シャルルと婚約者マリー・ダンジューはついに婚姻の儀を執り行った。
婚約期間9年を経て、私たちはやっと正式な夫婦になったのだ。
私は19歳で、マリーは18歳の誕生日を迎える前だった。
私たちが一度別れてから結婚に至るまでのいきさつは、機会があったらお話しようと思う。
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