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第九章〈正義の目覚め〉編
9.14 モー包囲戦
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アルテュール・ド・リッシュモンは、兄のブルターニュ公から預かったブルトン兵を率いて、イングランド王とブルゴーニュ公の連合軍に合流した。
連合軍は、はじめにロワール川中流の都市オルレアンを包囲したがわずか三日で退散。
補給しやすいパリ近郊にターゲットを絞り、ブリー平原にあるモーで包囲戦を繰り広げていた。
モーは、10世期ごろから牧畜とおいしいチーズ作りが盛んな地域だ。
都市ではないが、城砦を備えた大きな町と村がある。セーヌ川とマルヌ川に挟まれているため、戦時下では前線になることも多かった。
近い将来、王太子がパリを奪還するとしたら、ここが拠点のひとつになると予想されていた。
パリ防衛と合わせて、ヘンリー五世の弟クラレンス公とブルゴーニュ公の父・無怖公の報復をするにはうってつけだ。
「戦況はいかほどですか?」
今回、リッシュモンはブルターニュ公の名代としてブルトン兵を率いているため、軍議の序列は客将待遇である。
しかし、リッシュモンが問いかけても、連合軍の司令官たちの歯切れは悪かった。
代わりに、ヘンリーが含みのある皮肉を返した。
「まったく、つまらない戦いだ」
「それは何よりです」
「略奪も焼き討ちもない戦いは、塩も香辛料もないまずい料理と同じだな」
「……?」
このとき、ヘンリーの言う「つまらない」は、張り合いがないという意味ではなかった。
リッシュモンは臣従を誓ったが、ヘンリー五世をはじめイングランドの重臣たちから自分が信頼されているとは思っていなかったし、リッシュモン自身も彼らを信頼していなかった。
(そうは言っても、友軍として参戦するからには最善を尽くすべきだろう)
リッシュモンは収穫のない軍議から退席すると、前線を視察した。
モー中心部を守る城壁は、掘削と火砲で戦闘が始まってすぐに破壊している。攻囲戦の定石である。目立った失策は見当たらない。
リッシュモンは事態が飲み込めないまま、次に死体安置所へ向かった。
真新しい木製の棺の前で、イングランド軍の名将のひとりコーンウォール卿がすっかり戦意を喪失したたたずまいで茫然自失としていた。
コーンウォール卿は、ロンドン塔幽閉中のシャルル・ドルレアンの後見人を務めているため、リッシュモンも顔見知りである。若い頃からイングランド各地の馬上槍試合で無敵の強さを誇り、今回は一人息子の初陣の付き添いで参戦していた。
「お悔やみを申し上げます」
名将の嫡男となれば、家名を汚さないように、父と家臣団に守られながら楽な戦いで初陣を飾るものだ。だが、コーンウォール卿の息子はこのときすでに戦死していた。
「あぁ、貴公は確か……」
「今回は、兄の名代として参戦しています」
「ロンドン塔から解放されたのだね。ご家族も喜んでいるだろう」
コーンウォール卿は熟練の騎士である。
これまで何度も、戦友の死に立ち会ってきただろう。
彼自身も九死に一生を得た経験があるだろうし、時には敵の命を奪ってきたはずだ。
もちろん、父親として我が子の死はとりわけショックだったに違いないが、異様な雰囲気がただよっていた。
「つらいとは思いますが、話を聞かせてください」
棺の中には、傷のついていない白銀のプレートアーマーをまとった少年が横たわっている。
一族の紋章を染め抜いたサーコートもまだきれいだった。
(両手を祈りの形に組ませたのは父親だろうか)
リッシュモンは死者の冥福を祈りながら十字を切った。
「ありがとう」
「いえ」
遺体の状態をつぶさに調べることは憚られたが、異常さは一目でわかった。
リッシュモンは、父親の心境に配慮して遠回しに尋ねた。
「一体、何があったのですか」
「まさか!」
連合軍の兵力2万4000人に対して、モー守備隊は1000人足らず。
楽勝かと思われたが、戦況はひどいありさまだった。
「ありえない。何かの間違いでしょう?」
「誓って事実だ」
「たとえば、敵方の戦力。桁をひとつ間違っているのでは」
仮に、モー守備隊が1万だったとしても、連合軍は倍以上の戦力を有している。
圧倒的に有利な条件下にも関わらず、連合軍は攻めきれないでいた。
「この戦力差で持ちこたえるとは、モーの指揮官はただものではありません。誰です?」
「……わからない」
話しながら思い出したのだろう。
コーンウォール卿は、歴戦の騎士として見る影もなく嗚咽していた。
彼自身は無傷だったが、その心はもう二度と立ち直れないほどに折れていた。
(無理もない)
すすり泣く父親の前には、頭が半分吹き飛ばされた遺体が横たわっていた。
槍や剣の打ち合いではなく、長弓でもクロスボウでもない。父の目前で、死角から飛んできた高速の弾丸に撃ち抜かれて即死したと伝わっている。享年17歳であった。
この戦いが終わると、コーンウォール卿は騎士を引退し、王から授かった領地も財産も返上してしまった。一人息子のむごい死に様はそれほどショッキングだったようだ。
***
「モーの指揮官は誰か、だと?」
ヘンリー五世は苛立っていた。
「わからん」
「ヴァウルス、あるいはヴァロワの私生児と呼ばれているとか」
「そのような者は知らん。だが、神出鬼没で邪悪なやつであることは間違いない」
「ボージェ戦のときのスコットランド兵の可能性は?」
ヘンリーは、スコットランド兵参戦に備えて、彼らの主君であるジェームズ一世を連れてきていた。主君に刃を向けることはできない。スコットランド兵の戦意を削ぐためである。
しかし、モーに籠城しているのは住民と守備隊、王太子が派遣した少人数の傭兵部隊、そして正体不明の指揮官。スコットランド兵はいなかった。
「指揮官が誰か。そんなことはどうでもいい」
連合軍は24倍の戦力を有しながら、苦戦を強いられていた。
「リッシュモン伯よ、貴公の助言を聞いたのが間違いだった」
「陛下、何を……」
「よく聞け、略奪のない戦いなど不可能だ。揺るぎない勝利をつかみとるまでは、戦後の安定統治など夢物語に過ぎない!」
モー包囲戦は、ヘンリー五世の治世において最大の屈辱だったかもしれない。
ついに連合軍はアルフルールやアジャンクールで見せた容赦のない残忍な戦闘を解禁し、リッシュモン指揮下のブルトン兵の支援もあって、ようやく体制を立て直した。
ヘンリー五世もリッシュモンも勇名を馳せているが、精神面——いわゆる騎士道精神の乖離が大きすぎた。もしヘンリーが長生きしたとしても臣従関係はいつか破綻していただろう。
結局、モーと周辺地域が降伏するまで7カ月以上かかった。
連合軍は勝者となったが、戦死者は6000人におよび、その上、軍隊内で天然痘と赤痢が広がっていた。
(※)フランス・パリ北東部にあるモーはブリーチーズの生産地です。ウィーン会議で各国のチーズ食べ比べがおこなわれたときに優勝したため、「チーズの王」と呼ばれています。
連合軍は、はじめにロワール川中流の都市オルレアンを包囲したがわずか三日で退散。
補給しやすいパリ近郊にターゲットを絞り、ブリー平原にあるモーで包囲戦を繰り広げていた。
モーは、10世期ごろから牧畜とおいしいチーズ作りが盛んな地域だ。
都市ではないが、城砦を備えた大きな町と村がある。セーヌ川とマルヌ川に挟まれているため、戦時下では前線になることも多かった。
近い将来、王太子がパリを奪還するとしたら、ここが拠点のひとつになると予想されていた。
パリ防衛と合わせて、ヘンリー五世の弟クラレンス公とブルゴーニュ公の父・無怖公の報復をするにはうってつけだ。
「戦況はいかほどですか?」
今回、リッシュモンはブルターニュ公の名代としてブルトン兵を率いているため、軍議の序列は客将待遇である。
しかし、リッシュモンが問いかけても、連合軍の司令官たちの歯切れは悪かった。
代わりに、ヘンリーが含みのある皮肉を返した。
「まったく、つまらない戦いだ」
「それは何よりです」
「略奪も焼き討ちもない戦いは、塩も香辛料もないまずい料理と同じだな」
「……?」
このとき、ヘンリーの言う「つまらない」は、張り合いがないという意味ではなかった。
リッシュモンは臣従を誓ったが、ヘンリー五世をはじめイングランドの重臣たちから自分が信頼されているとは思っていなかったし、リッシュモン自身も彼らを信頼していなかった。
(そうは言っても、友軍として参戦するからには最善を尽くすべきだろう)
リッシュモンは収穫のない軍議から退席すると、前線を視察した。
モー中心部を守る城壁は、掘削と火砲で戦闘が始まってすぐに破壊している。攻囲戦の定石である。目立った失策は見当たらない。
リッシュモンは事態が飲み込めないまま、次に死体安置所へ向かった。
真新しい木製の棺の前で、イングランド軍の名将のひとりコーンウォール卿がすっかり戦意を喪失したたたずまいで茫然自失としていた。
コーンウォール卿は、ロンドン塔幽閉中のシャルル・ドルレアンの後見人を務めているため、リッシュモンも顔見知りである。若い頃からイングランド各地の馬上槍試合で無敵の強さを誇り、今回は一人息子の初陣の付き添いで参戦していた。
「お悔やみを申し上げます」
名将の嫡男となれば、家名を汚さないように、父と家臣団に守られながら楽な戦いで初陣を飾るものだ。だが、コーンウォール卿の息子はこのときすでに戦死していた。
「あぁ、貴公は確か……」
「今回は、兄の名代として参戦しています」
「ロンドン塔から解放されたのだね。ご家族も喜んでいるだろう」
コーンウォール卿は熟練の騎士である。
これまで何度も、戦友の死に立ち会ってきただろう。
彼自身も九死に一生を得た経験があるだろうし、時には敵の命を奪ってきたはずだ。
もちろん、父親として我が子の死はとりわけショックだったに違いないが、異様な雰囲気がただよっていた。
「つらいとは思いますが、話を聞かせてください」
棺の中には、傷のついていない白銀のプレートアーマーをまとった少年が横たわっている。
一族の紋章を染め抜いたサーコートもまだきれいだった。
(両手を祈りの形に組ませたのは父親だろうか)
リッシュモンは死者の冥福を祈りながら十字を切った。
「ありがとう」
「いえ」
遺体の状態をつぶさに調べることは憚られたが、異常さは一目でわかった。
リッシュモンは、父親の心境に配慮して遠回しに尋ねた。
「一体、何があったのですか」
「まさか!」
連合軍の兵力2万4000人に対して、モー守備隊は1000人足らず。
楽勝かと思われたが、戦況はひどいありさまだった。
「ありえない。何かの間違いでしょう?」
「誓って事実だ」
「たとえば、敵方の戦力。桁をひとつ間違っているのでは」
仮に、モー守備隊が1万だったとしても、連合軍は倍以上の戦力を有している。
圧倒的に有利な条件下にも関わらず、連合軍は攻めきれないでいた。
「この戦力差で持ちこたえるとは、モーの指揮官はただものではありません。誰です?」
「……わからない」
話しながら思い出したのだろう。
コーンウォール卿は、歴戦の騎士として見る影もなく嗚咽していた。
彼自身は無傷だったが、その心はもう二度と立ち直れないほどに折れていた。
(無理もない)
すすり泣く父親の前には、頭が半分吹き飛ばされた遺体が横たわっていた。
槍や剣の打ち合いではなく、長弓でもクロスボウでもない。父の目前で、死角から飛んできた高速の弾丸に撃ち抜かれて即死したと伝わっている。享年17歳であった。
この戦いが終わると、コーンウォール卿は騎士を引退し、王から授かった領地も財産も返上してしまった。一人息子のむごい死に様はそれほどショッキングだったようだ。
***
「モーの指揮官は誰か、だと?」
ヘンリー五世は苛立っていた。
「わからん」
「ヴァウルス、あるいはヴァロワの私生児と呼ばれているとか」
「そのような者は知らん。だが、神出鬼没で邪悪なやつであることは間違いない」
「ボージェ戦のときのスコットランド兵の可能性は?」
ヘンリーは、スコットランド兵参戦に備えて、彼らの主君であるジェームズ一世を連れてきていた。主君に刃を向けることはできない。スコットランド兵の戦意を削ぐためである。
しかし、モーに籠城しているのは住民と守備隊、王太子が派遣した少人数の傭兵部隊、そして正体不明の指揮官。スコットランド兵はいなかった。
「指揮官が誰か。そんなことはどうでもいい」
連合軍は24倍の戦力を有しながら、苦戦を強いられていた。
「リッシュモン伯よ、貴公の助言を聞いたのが間違いだった」
「陛下、何を……」
「よく聞け、略奪のない戦いなど不可能だ。揺るぎない勝利をつかみとるまでは、戦後の安定統治など夢物語に過ぎない!」
モー包囲戦は、ヘンリー五世の治世において最大の屈辱だったかもしれない。
ついに連合軍はアルフルールやアジャンクールで見せた容赦のない残忍な戦闘を解禁し、リッシュモン指揮下のブルトン兵の支援もあって、ようやく体制を立て直した。
ヘンリー五世もリッシュモンも勇名を馳せているが、精神面——いわゆる騎士道精神の乖離が大きすぎた。もしヘンリーが長生きしたとしても臣従関係はいつか破綻していただろう。
結局、モーと周辺地域が降伏するまで7カ月以上かかった。
連合軍は勝者となったが、戦死者は6000人におよび、その上、軍隊内で天然痘と赤痢が広がっていた。
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