158 / 202
第九章〈正義の目覚め〉編
9.15 フス戦争
しおりを挟む
モー包囲戦は、1421年10月6日から1422年5月10日まで。
7カ月超におよぶ戦闘期間中、フランスとイングランド双方の王家で慶事があった。
1421年12月6日、ロンドンのウィンザー城でヘンリー五世とキャサリン王妃(カトリーヌ王女)の第一子が生まれた。
「イングランドとフランス両王家の血を引く高貴な若君でございます」
「おめでとうございます!」
王家の慶事に、イングランド全土と北フランスは沸き立った。
フランス国王シャルル六世の後を継ぐものが、王太子シャルルだろうとヘンリー五世だろうと、これまではどちらも子がいなかった。英仏王家の血を引く待望の男児——のちのヘンリー六世の誕生である。
これで、イングランド王のフランス王位継承はさらに盤石となった。
「さっそく祝賀行事と帰国の手配をいたしましょう」
「祝賀はともかく、帰国するつもりはない」
「陛下、今なんと……?」
王太子誕生を祝うため、ヘンリー五世の側近たちは一時休戦して帰国するように促したが、ヘンリーはモー陥落を見届けるまで戦地に残ることを選んだ。
「オルレアンから三日で退却した上に、さらにモーから退けというのか?」
「ですが、陛下!」
「やかましい。貴公らは、イングランド王に恥をかかせるつもりか」
念願だったフランス王位と王妃を手に入れて、ヘンリー五世の運は尽きてしまったのだろうか。
いや、尽きたのは運だけではない。生命の危機がひたひたと忍び寄っていた。
「そう興奮してはお体に障ります……!」
「余を苛立たせているのは、兵たちが不甲斐ないせいではないか!」
「率直に申し上げると、軍隊内で疫病が広まっています。近ごろは陛下の顔色も優れないようですし一度休まれるべきかと!」
「はっ、軟弱者め。余は退かぬぞ。王の顔色をうかがう暇があるなら早くモーを征服するがいい。どんな手段を使っても構わん!」
もし、ヘンリーが目先の勝利にこだわらずに退却していたならば、英仏・百年戦争の最終結果は違っていたかもしれない。
***
モー包囲戦の少し前。
神聖ローマ帝国の一角、ボヘミア王国の首都プラハでフス戦争が勃発していた。
のちのプロテスタントの前身「フス派」と、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の十字軍による宗教戦争である。
この戦いは、百年戦争と直接関係ないがまったく関係ないわけでもない。
何より、のちにジャンヌ・ダルクはフス派に対して「とてもジャンヌらしい」内容の手紙を送っている。私もまた側近で詩人のアラン・シャルティエを使って、神聖ローマ皇帝ジギスムント宛てに「フス戦争に関する意見」を奉じた手紙をいくつか送っている。
過去をおさらいしながら、ごく簡単に触れておこう。
アジャンクールの戦いの後、皇帝ジギスムントは英仏の調停に乗り出した。
はじめはフランス王国の肩を持っていたが、イングランドで豪華なもてなしを受けると気が変わったようだ。百年戦争の初期、イングランドがフランスに対抗するために創設したガーター騎士団の一員となり、共闘する約束をしてしまった。
また、若かりしジギスムントは、ブルゴーニュ無怖公とともに十字軍遠征に参加した戦友でもある。
「戦友の敵討ち」という理由で、ジギスムント率いるドラゴン騎士団がイングランド・ブルゴーニュ連合軍に参戦する可能性が十分あり得た。実際、フランス王太子領ドーフィネに侵攻する計画を立ててもいた。
狡猾なヘンリー五世のことだ、ずいぶん前から神聖ローマ帝国を味方につけてフランス侵略計画に巻き込もうと考えていたのだろう。
だが、現実は計画通りに進むとは限らない。
皇帝ジギスムントは信仰心が厚く、14世紀後半から続く教会大分裂を解決するためにコンスタンツ公会議を開催した。ローマ教皇を名乗る聖職者が3人もいた時期で、キリスト教徒たちは各派閥に分かれて争っていたのだが、ジギスムントの尽力により教皇をマルティヌス五世に統一することで合意した。
ジギスムントの献身は、ローマ教会と教皇から高く評価された
その一方で、教会大分裂から再統一までの空騒ぎを批判する者も多かった。
プラハ大学の学長ヤン・フスはそんなひとりで、ジギスムントは「ぜひ、学長の意見を聞かせて欲しい」と言ってコンスタンツ公会議に招いたが、それは罠であった。
ヤン・フスの演説と論文は異端宣告を受けて焚書となり、73日間にわたる拷問の末、首を鎖で杭に巻きつけて火刑に処された。
フスの支持者たちは、もともと教会に批判的だったが、師のむごすぎる最期を知ると怒りの声を上げ、皇帝と教皇の卑劣さを糾弾した。
かくして、神聖ローマ皇帝ジギスムントとローマ教皇マルティヌス五世は、フス派を殲滅するために十字軍を編成し、フス戦争が勃発したのであった。
ジギスムントからすれば、イングランドの王位簒奪やフランス王位の継承問題よりも、皇帝と教皇にさからう異端者を討伐する方がはるかに優先度が高い。他国に介入する余裕はなくなった。
もし、イングランド王とブルゴーニュ公に加えて、さらに神聖ローマ皇帝までもが敵に回っていたとしたら、私は西海岸と北部と東部から攻められて三正面作戦を強いられていた。
フス戦争の勃発は、ヘンリー五世のフランス侵攻計画にとって誤算であっただろうし、私はこの戦いのおかげで命拾いをしたといえる。
***
もうひとつの慶事について書き忘れていた。
1422年4月22日、モーが陥落する直前。
王太子シャルルと婚約者マリー・ダンジューはついに婚姻の儀を執り行った。
婚約期間9年を経て、私たちはやっと正式な夫婦になったのだ。
私は19歳で、マリーは18歳の誕生日を迎える前だった。
私たちが一度別れてから結婚に至るまでのいきさつは、機会があったらお話しようと思う。
(※)ちなみに、デュノワ伯ジャンも1422年4月に結婚しています。いくら仲良し幼なじみだからって結婚する日程まで合わせなくても・笑
7カ月超におよぶ戦闘期間中、フランスとイングランド双方の王家で慶事があった。
1421年12月6日、ロンドンのウィンザー城でヘンリー五世とキャサリン王妃(カトリーヌ王女)の第一子が生まれた。
「イングランドとフランス両王家の血を引く高貴な若君でございます」
「おめでとうございます!」
王家の慶事に、イングランド全土と北フランスは沸き立った。
フランス国王シャルル六世の後を継ぐものが、王太子シャルルだろうとヘンリー五世だろうと、これまではどちらも子がいなかった。英仏王家の血を引く待望の男児——のちのヘンリー六世の誕生である。
これで、イングランド王のフランス王位継承はさらに盤石となった。
「さっそく祝賀行事と帰国の手配をいたしましょう」
「祝賀はともかく、帰国するつもりはない」
「陛下、今なんと……?」
王太子誕生を祝うため、ヘンリー五世の側近たちは一時休戦して帰国するように促したが、ヘンリーはモー陥落を見届けるまで戦地に残ることを選んだ。
「オルレアンから三日で退却した上に、さらにモーから退けというのか?」
「ですが、陛下!」
「やかましい。貴公らは、イングランド王に恥をかかせるつもりか」
念願だったフランス王位と王妃を手に入れて、ヘンリー五世の運は尽きてしまったのだろうか。
いや、尽きたのは運だけではない。生命の危機がひたひたと忍び寄っていた。
「そう興奮してはお体に障ります……!」
「余を苛立たせているのは、兵たちが不甲斐ないせいではないか!」
「率直に申し上げると、軍隊内で疫病が広まっています。近ごろは陛下の顔色も優れないようですし一度休まれるべきかと!」
「はっ、軟弱者め。余は退かぬぞ。王の顔色をうかがう暇があるなら早くモーを征服するがいい。どんな手段を使っても構わん!」
もし、ヘンリーが目先の勝利にこだわらずに退却していたならば、英仏・百年戦争の最終結果は違っていたかもしれない。
***
モー包囲戦の少し前。
神聖ローマ帝国の一角、ボヘミア王国の首都プラハでフス戦争が勃発していた。
のちのプロテスタントの前身「フス派」と、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の十字軍による宗教戦争である。
この戦いは、百年戦争と直接関係ないがまったく関係ないわけでもない。
何より、のちにジャンヌ・ダルクはフス派に対して「とてもジャンヌらしい」内容の手紙を送っている。私もまた側近で詩人のアラン・シャルティエを使って、神聖ローマ皇帝ジギスムント宛てに「フス戦争に関する意見」を奉じた手紙をいくつか送っている。
過去をおさらいしながら、ごく簡単に触れておこう。
アジャンクールの戦いの後、皇帝ジギスムントは英仏の調停に乗り出した。
はじめはフランス王国の肩を持っていたが、イングランドで豪華なもてなしを受けると気が変わったようだ。百年戦争の初期、イングランドがフランスに対抗するために創設したガーター騎士団の一員となり、共闘する約束をしてしまった。
また、若かりしジギスムントは、ブルゴーニュ無怖公とともに十字軍遠征に参加した戦友でもある。
「戦友の敵討ち」という理由で、ジギスムント率いるドラゴン騎士団がイングランド・ブルゴーニュ連合軍に参戦する可能性が十分あり得た。実際、フランス王太子領ドーフィネに侵攻する計画を立ててもいた。
狡猾なヘンリー五世のことだ、ずいぶん前から神聖ローマ帝国を味方につけてフランス侵略計画に巻き込もうと考えていたのだろう。
だが、現実は計画通りに進むとは限らない。
皇帝ジギスムントは信仰心が厚く、14世紀後半から続く教会大分裂を解決するためにコンスタンツ公会議を開催した。ローマ教皇を名乗る聖職者が3人もいた時期で、キリスト教徒たちは各派閥に分かれて争っていたのだが、ジギスムントの尽力により教皇をマルティヌス五世に統一することで合意した。
ジギスムントの献身は、ローマ教会と教皇から高く評価された
その一方で、教会大分裂から再統一までの空騒ぎを批判する者も多かった。
プラハ大学の学長ヤン・フスはそんなひとりで、ジギスムントは「ぜひ、学長の意見を聞かせて欲しい」と言ってコンスタンツ公会議に招いたが、それは罠であった。
ヤン・フスの演説と論文は異端宣告を受けて焚書となり、73日間にわたる拷問の末、首を鎖で杭に巻きつけて火刑に処された。
フスの支持者たちは、もともと教会に批判的だったが、師のむごすぎる最期を知ると怒りの声を上げ、皇帝と教皇の卑劣さを糾弾した。
かくして、神聖ローマ皇帝ジギスムントとローマ教皇マルティヌス五世は、フス派を殲滅するために十字軍を編成し、フス戦争が勃発したのであった。
ジギスムントからすれば、イングランドの王位簒奪やフランス王位の継承問題よりも、皇帝と教皇にさからう異端者を討伐する方がはるかに優先度が高い。他国に介入する余裕はなくなった。
もし、イングランド王とブルゴーニュ公に加えて、さらに神聖ローマ皇帝までもが敵に回っていたとしたら、私は西海岸と北部と東部から攻められて三正面作戦を強いられていた。
フス戦争の勃発は、ヘンリー五世のフランス侵攻計画にとって誤算であっただろうし、私はこの戦いのおかげで命拾いをしたといえる。
***
もうひとつの慶事について書き忘れていた。
1422年4月22日、モーが陥落する直前。
王太子シャルルと婚約者マリー・ダンジューはついに婚姻の儀を執り行った。
婚約期間9年を経て、私たちはやっと正式な夫婦になったのだ。
私は19歳で、マリーは18歳の誕生日を迎える前だった。
私たちが一度別れてから結婚に至るまでのいきさつは、機会があったらお話しようと思う。
(※)ちなみに、デュノワ伯ジャンも1422年4月に結婚しています。いくら仲良し幼なじみだからって結婚する日程まで合わせなくても・笑
10
あなたにおすすめの小説
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
征空決戦艦隊 ~多載空母打撃群 出撃!~
蒼 飛雲
歴史・時代
ワシントン軍縮条約、さらにそれに続くロンドン軍縮条約によって帝国海軍は米英に対して砲戦力ならびに水雷戦力において、決定的とも言える劣勢に立たされてしまう。
その差を補うため、帝国海軍は航空戦力にその活路を見出す。
そして、昭和一六年一二月八日。
日本は米英蘭に対して宣戦を布告。
未曾有の国難を救うべく、帝国海軍の艨艟たちは抜錨。
多数の艦上機を搭載した新鋭空母群もまた、強大な敵に立ち向かっていく。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる