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◆第2話 干渉しない夫婦の条件
しおりを挟む式といっても簡素なものだった。
親族が並ぶこともなく、政治的な名士が集まることもなく、ただ必要な署名と立ち会いだけで婚姻は成立した。
――驚くほど静かな結婚。
だけど、その静けさが私の心には心地よかった。
儀式が終わると、ラディス様が私の前に手を差し出した。
「リオラ。少し話をしよう」
広間の隅に設えられたサロンへ案内される。
重苦しい空気はまったくない。むしろ、落ち着いた香りが漂って、私の強張った肩が自然とゆるむ。
「まず、結婚生活について確認しておこう」
「はい……」
「君には自由に過ごしてもらって構わない。朝起きる時間も、何を学ぶかも、領内でどこに出かけるかも、君の好きにしてくれ」
あまりに自由度が高くて、思わず聞き返してしまう。
「……本当に、よろしいのですか?」
「ああ。むしろ、そうしてほしい」
ラディス様は、少しだけ視線を逸らした。
感情を隠すように見えたが、それでも誠実さがにじみ出る。
「干渉されることを好まない。それは……私自身の経験から来ている」
経験――
その一言に、何か深い事情があるのだと直感した。
「君にも同じ思いをさせたくない。無理に笑わせたり、役割を押し付けたりはしない。
夫婦であっても、互いの心の距離には礼節が必要だからな」
なんて優しい言い方なのだろう。
私の心を先に慮り、選択肢を残してくれる。
侯爵家で生きてきた私は、誰かに“選ぶ自由”を許されたことなど一度もなかったのに。
「……ありがとうございます」
気づけば、胸がじんわりと温かかった。
「ただ、生活に必要なことは遠慮なく言ってほしい。食事の好みでも、必要な品でも」
「は、はい……」
「それと――」
ラディス様が言葉を切り、私の目をそっと見つめた。
「無理はしないこと。疲れているなら休む。嫌なことは嫌と言う。
白い結婚とはいえ、君が笑える環境であってほしい」
その瞬間、心の奥で“ぽとり”と何かが落ちた気がした。
無理をしないように、と言われたのは人生で初めてだ。
私はずっと、誰かの期待に応えるために無理をし続けてきたのに。
たった一言で、生きてきた景色が少しだけ色を変えて見えた。
「わたし……笑っていてもいいのですね」
「もちろんだ」
ラディス様の微笑は柔らかく、春風より静かで優しくて――
思わず視線を外した。胸がくすぐったい。
「君の生活を尊重するため、部屋も自由に使ってもらう。改装したい場所があれば言ってくれ」
「そんな……わたしのために……」
「夫婦なのだから当然だ」
さらりと“夫婦”と言われ、心臓が軽く跳ねた。
白い結婚。
干渉しない夫婦。
――それなのに、この人の言葉はどうしてこんなに優しいの?
どうして胸がこんなにざわつくの?
「今日から、ここが君の家だ。どうか、肩の力を抜いて過ごしてほしい」
そう言ったラディス様は、徹底して私の意思を尊重してくれる。
距離は適切で、触れようとはしない。
それなのに安心感だけがそっと寄り添ってきて――
初対面の人に向ける気持ちではないものが芽を出しそうで、慌てて心の奥に押し戻した。
白い結婚なのだから。
これは“自由のための関係”であって、恋でも愛でもない。
……そのはずなのに。
「リオラ。これから、よろしく頼む」
「……はい。よろしくお願いいたします」
彼の穏やかな声が、胸にほんの少し甘く残った。
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