見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお

文字の大きさ
5 / 108

1-4 別れの対話――幼き才女と若き王子

しおりを挟む
第1章 1-4 別れの対話――幼き才女と若き王子

 リュミエール王国の春の空は澄みわたり、柔らかな風が白い城壁を撫でていた。
 その穏やかな日差しの中で、アコード王子は深く息を吐いた。

 ――今日で終わりだ。

 そう決意してからも、胸の奥が重く沈む。
 ディオール公爵家との婚約。それは政治的な結びつきであり、王家と貴族との信頼の象徴でもあった。
 だが、幼きセリカ・ディオールを見つめるたびに、アコードはその“象徴”が一人の少女の未来を縛っていることに気づかずにはいられなかった。

 “彼女には、自由に生きてほしい。”
 それが、彼のわがままでもあり、祈りでもあった。


---

 公爵家の客間に通されると、ほどなくして小さな足音が響いた。
 リボンを揺らしながら現れたセリカは、相変わらず完璧な礼儀を身につけていた。
 まだ四歳とは思えないほどの落ち着きと気品を漂わせている。

 「お待たせいたしました、アコード殿下。」
 彼女は小さな手でスカートを摘み、完璧な淑女の礼を取った。

 アコードは思わず笑みを浮かべたが、すぐにそれを押し殺した。
 ――今日、彼女に伝えなければならない。

 「セリカ、今日は少し……大切な話をしたい。」

 その声に、セリカは小さく瞬きをした。
 わずかな緊張を見せながらも、怯えることなく椅子に腰を下ろす。
 その落ち着いた態度に、アコードの胸が少し痛んだ。


---

 「君との婚約のことだ。」
 アコードは、静かに言葉を続けた。
 「私は長い間、考えてきた。君はまだ幼い。これから多くのことを学び、出会い、未来を選ぶ権利がある。……その未来を、私が縛ってしまっているのではないかと思うんだ。」

 セリカは一瞬、黙り込んだ。
 その小さな肩がかすかに震えたように見えたが、すぐに顔を上げ、静かに問いかけた。

 「……私が子どもだから、ですか?」

 その声は澄んでいて、涙の気配など微塵もない。
 アコードは少し驚きながらも、誠実に答えた。

 「そうだ。君はまだ四歳だ。私が成人し、君が成長するまでには長い年月がある。その間に、君が本当に望むものを見つけるかもしれない。……君には、君自身の道を選んでほしい。」

 セリカは両手を膝の上で組み、少し首をかしげた。
 「……では、すぐに結婚というわけではありませんし、とりあえず“キープ”でもよろしかったのでは?」

 「……え?」
 アコードの思考が一瞬止まった。

 セリカは真顔のまま、続けた。
 「大人になって、私が期待にそぐわない成長をしたときに捨てる、という発想でもよかったのではありませんか? それなら、王家も公爵家も損をしませんわ。」

 ――この子は、本当に四歳なのか。

 アコードは内心で呟きながらも、すぐに苦笑した。
 「セリカ……君の言うことは理にかなっている。でも、それでは君が“道具”になってしまう。私は、君をそんなふうに扱いたくないんだ。」

 セリカのまっすぐな瞳が、アコードを射抜く。
 その純粋さと知性の輝きに、彼は一瞬、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 この少女は、いつか必ず偉大な女性になる。
 そう確信した瞬間――“今ここで手放したくない”という未練が、胸を締めつけた。


---

 だが、アコードは静かに息を吐き、心を落ち着かせた。
 「セリカ。私は、君の未来に干渉すべきではない。君には、もっと広い世界を見て、自分で選んでほしい。私が君を“守る”という名目で縛るのは、違うと思うんだ。」

 セリカはわずかに目を伏せ、そしてまた顔を上げた。
 「……アコード殿下のお考えは、よく分かりました。私はまだ子供ですし、殿下がそうお考えになるのも理解できます。」
 少しだけ、唇の端を上げて微笑む。
 「でも、わたくし……殿下の決断を、いつか後悔なさるような気がしますの。」

 その一言に、アコードの心臓が止まったような気がした。

 「後悔……?」

 「はい。人は、今の自分が正しいと思って選んだことを、未来の自分が正しいと思うとは限りませんわ。」
 セリカは無邪気に笑った。
 「でも、それが人間らしいところなのでしょう? 大人はいつも、あとになって“もしも”を考えるものですわね?」

 アコードは言葉を失い、ただ見つめるしかなかった。
 ――この少女は、本当に天才だ。
 いや、それ以上に“人の心”を知っている。


---

 「セリカ……」
 アコードは小さく息を吐き、そっとその頭に手を伸ばした。
 「君が、そう言ってくれて嬉しい。私は、君の成長をずっと見守るよ。どんな道を選んでも、君の幸せを祈っている。」

 セリカは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
 「ありがとうございます、アコード殿下。わたくしも、殿下のご活躍をお祈りしておりますわ。」

 その声音は、まるで成熟した淑女のように穏やかだった。
 四歳の少女に、別れの挨拶を受ける――そんな不思議な現実を前にして、アコードはただ頷くしかなかった。

 やがて、扉が閉まり、静寂が訪れた。
 アコードは廊下を歩きながら、何度も何度もあの言葉を思い出していた。

 ――「キープでもよろしかったのでは?」

 それは冗談のようでいて、真理でもあった。
 後に彼がその言葉を何度も思い返し、胸を痛めることになるとは、このときのセリカもアコードも、まだ知らなかった。

 春風が吹き抜ける。
 少年と少女の別れは、静かで、そして永遠の約束のように優しかった。


---
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄され追放されましたが、隣国の氷の公爵様に“白い結婚”を提案されましたので、心穏やかに幸せになりますわ

鷹 綾
恋愛
婚約破棄されたその日、私は“追放令”も同時に宣告された。 王太子エドモンド殿下曰く、 「君のように冷たい女はいらない。真実の愛は聖女ローザだ」──と。 ……それなら結構ですわ。 捨ててくださって、ありがとうございます。 行く宛もなく王都を去った私を拾ったのは、 冷徹と噂される若き宰相代理アレクシス様。 「俺と“白い結婚”をしないか。  互いの自由を侵さない、契約だけの結婚だ」 恋愛感情は一切なし。 ――そんなはずだったのに。 料理を褒めてくれる優しい声。 仕事帰りにかけてくれる「ただいま」。 私の手をそっと包む温もり。 気づけば、契約のはずの彼との距離が、少しずつ近づいていく。 そんな折──王太子と偽聖女ローザが私を“罪人”に仕立て上げ、 祝福の儀の場で公開断罪しようと企む。 「セレナに触れるな。……彼女は、俺の妻だ」 アレクシス様が壇上で剣を抜いた瞬間、 私の世界は大きく動き出した。 偽りの聖女は暴かれ、王太子は没落。 追放された令嬢の“ざまぁ”が王都を駆け巡る中、 契約で始まった白い結婚は――本物の夫婦の誓いへと変わっていく。 これは、 捨てられた令嬢が“本当の幸せ”をつかみ取る、 大逆転のラブストーリー。 ---

婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。 荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。 「この猫に構うな。人間嫌いだから」 冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。 猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。

転生令嬢はのんびりしたい!〜その愛はお断りします〜

咲宮
恋愛
私はオルティアナ公爵家に生まれた長女、アイシアと申します。 実は前世持ちでいわゆる転生令嬢なんです。前世でもかなりいいところのお嬢様でした。今回でもお嬢様、これまたいいところの!前世はなんだかんだ忙しかったので、今回はのんびりライフを楽しもう!…そう思っていたのに。 どうして貴方まで同じ世界に転生してるの? しかも王子ってどういうこと!? お願いだから私ののんびりライフを邪魔しないで! その愛はお断りしますから! ※更新が不定期です。 ※誤字脱字の指摘や感想、よろしければお願いします。 ※完結から結構経ちましたが、番外編を始めます!

悪役だから仕方がないなんて言わせない!

音無砂月
恋愛
マリア・フォン・オレスト オレスト国の第一王女として生まれた。 王女として政略結婚の為嫁いだのは隣国、シスタミナ帝国 政略結婚でも多少の期待をして嫁いだが夫には既に思い合う人が居た。 見下され、邪険にされ続けるマリアの運命は・・・・・。

婚約破棄された令嬢は“図書館勤務”を満喫中

かしおり
恋愛
「君は退屈だ」と婚約を破棄された令嬢クラリス。社交界にも、実家にも居場所を失った彼女がたどり着いたのは、静かな田舎町アシュベリーの図書館でした。 本の声が聞こえるような不思議な感覚と、真面目で控えめな彼女の魅力は、少しずつ周囲の人々の心を癒していきます。 そんな中、図書館に通う謎めいた青年・リュカとの出会いが、クラリスの世界を大きく変えていく―― 身分も立場も異なるふたりの静かで知的な恋は、やがて王都をも巻き込む運命へ。 癒しと知性が紡ぐ、身分差ロマンス。図書館の窓辺から始まる、幸せな未来の物語。

ゲームには参加しません! ―悪役を回避して無事逃れたと思ったのに―

冬野月子
恋愛
侯爵令嬢クリスティナは、ここが前世で遊んだ学園ゲームの世界だと気づいた。そして自分がヒロインのライバルで悪役となる立場だと。 のんびり暮らしたいクリスティナはゲームとは関わらないことに決めた。設定通りに王太子の婚約者にはなってしまったけれど、ゲームを回避して婚約も解消。平穏な生活を手に入れたと思っていた。 けれど何故か義弟から求婚され、元婚約者もアプローチしてきて、さらに……。 ※小説家になろう・カクヨムにも投稿しています。

逆行したので運命を変えようとしたら、全ておばあさまの掌の上でした

ひとみん
恋愛
夫に殺されたはずなのに、目覚めれば五才に戻っていた。同じ運命は嫌だと、足掻きはじめるクロエ。 なんとか前に死んだ年齢を超えられたけど、実は何やら祖母が裏で色々動いていたらしい。 ザル設定のご都合主義です。 最初はほぼ状況説明的文章です・・・

【完結】公爵令嬢の育て方~平民の私が殿下から溺愛されるいわれはないので、ポーション開発に励みます。

buchi
恋愛
ポーシャは、平民の特待生として貴族の学園に入学したが、容貌もパッとしなければ魔力もなさそうと蔑視の対象に。それなのに、入学早々、第二王子のルーカス殿下はポーシャのことを婚約者と呼んで付きまとう。デロ甘・辛辣・溺愛・鈍感コメディ(?)。殿下の一方通行がかわいそう。ポジティブで金儲けに熱心なポーシャは、殿下を無視して自分の道を突き進む。がんばれ、殿下! がんばれ、ポーシャ? 

処理中です...