見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお

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18-3 影の導き

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第18章 ランディ編

18-3 影の導き

 ランディ王子がディオール領を去って数日――執務卓には、また新しい束の報告書が積み上がっていた。
 セリカは椅子に足をぶら下げ(まだ床に届かない)、羽ペンを器用に転がしながら、頁を繰る。

「セリカ様。先日の農政の件、数値が上がっています」

 顧問ガブリエルが差し出した集計書には、収量曲線がなだらかに持ち上がる線で描かれていた。輪作の見直し、乾燥対策の共有倉、種子選別の基準化――いずれも“匿名の助言”から始まった改良だ。

「……効果は本物、というわけね」

 口元は緩む。だが胸の奥には、冷たい角砂糖のような違和感が残っていた。
 ――影から支える、か。
 あの人は嘘をつかない。けれど、真実もすべては語らない。

 セリカは羽ペンを止め、窓の外に目をやる。風が麦の穂を撫で、金色の波紋を作っては消した。

「彼は、私に“必要だと思わせたい”と言った。……それは、支えであり、同時に、手綱よ」

 小さく、独り言のように。


---

 翌朝。凶報が飛び込んだ。
 南境の小領バリオと、ディオール領の村々が水利で争っている。渇水気味の支流をはさんで罵声が飛び、用水門の開閉をめぐって小競り合いが発生――このままでは収穫前に実害が出る。

「交渉の席を設けます。煽りに乗らず、数字で話しましょう」

 セリカは即答し、議場の準備を命じる。
 ――だが、初めての規模だ。感情が先に燃え上がれば、理は呑まれる。
 ガブリエルが控えめに咳払いした。

「ランディ殿下は、こうした折衝に明るいお方です。……お便りを?」

 セリカは一瞬だけ迷い、頷いた。

「助言は、借りる価値があるわ。借り方は、私が選ぶ」


---

 返信は、日没を待たずに届いた。
 封蝋を割ると、細やかな筆致で“手順”が並ぶ。簡素で、無駄がない。

> 一、議題は三段に分ける――“事実の共有”“利害の分解”“選択肢の提示”。
二、先に“計測”を置く。感情の前に、水量と配分の算式を示すこと。
三、選択肢は三案。①時間帯交互制 ②週次ローテ ③収量比例の按分。
四、合意点に“見える監視”を必ず添える。水門番の輪番・帳簿・印。
五、結びに“共同の恩恵”を置く――治水のための共用堤を提案し、費用を折半。



 最後に、短い追伸。

> 交渉は勝ち負けではなく、繋ぎです。
 ――“必要だと思ううちは、私を使いなさい”。R.



 セリカは唇の端を上げ、ペンを置いた。

「いいえ、殿下。使うのは“知恵”だけ。結果の主語は、私」


---

 会議室。重ねられた水利図と、青い糸で引かれた支流の線。
 入室したバリオ側は険しい表情で、先に拳を握りしめた。

「先月から貴領が余計に抜いている! 下流の畑が干上がる寸前だ!」

「違います。うちは去年から堰を直しただけで――」

 声がぶつかる。温度が上がる。
 セリカは椅子の上で背筋を伸ばし、卓上の砂時計をくるりと回した。

「最初の十分は、事実の共有だけにしましょう。推測と責めは、砂が落ちてから」

 その声音は柔らかいが、刃物のように澄んでいる。
 セリカは測量係に目配せし、用水門ごとの流量記録、週間の降雨量、畝ごとの需要見込みを次々と並べさせた。数字、図、印影。
 言葉より先に“見えるもの”を置く。ランディの書簡、第二項。

「ご覧の通り、五月第三週は上流・下流ともに不足です。では、不足の配り方を先に決めましょう」

 議題の軸を、“誰が悪い”から“どう配るか”へ。
 セリカは白紙の表に三つの丸を描いた。

「三案を提示します。
 一つ、時間帯交互制。夜間は下流、昼間は上流。
 二つ、週次ローテ。一週交互に主導権を入れ替える。
 三つ、収量比例按分。畝の数と作付けで配分する。――選ぶのは、皆様」

 反発の矢先に、選択肢。人は自分で選んだ案を擁護する。
 先に食いついたのは、意外にも相手方の壮年だった。

「夜間の見回りが増える。……が、真昼の蒸散を抑えられるなら、悪くない」

「週次は市日の関係で不便だが、交互制と合わせれば回るかもな」

 声の温度が、一度下がる。
 セリカは頷き、凛と宣言した。

「では、一ヶ月限定の試行にしましょう。
 水門番は輪番。帳簿は双方で同じものに印を。――“見える監視”を置きます」

 机の向こう側で、数人が目配せし合う。
 砂時計の砂が落ち切る頃には、罵声は“段取り”へ、怒気は“押印”へと形を変えていた。

 最後に、セリカは紙端に小さな図を描き加えた。

「それと――共用の低堰をここに。小さい堤で良いのです。
 費用は折半、工期は収穫後。増水時の逃げ場を作れば、来年の議題は“分け前の増分”に変わります」

 静寂。
 やがて、誰かの喉が鳴り、別の誰かが肩で笑った。

「お嬢さん、やるな……!」

 印璽が紙に降りる音が、次々と続いた。


---

 会議がはねた後、誰もいない廊下でセリカは壁にもたれ、短く息を吐いた。
 小さな肩が、ひと呼吸ぶんだけ緩む。

「……“繋ぎ”、ね。たしかに」

 窓の外では、夕陽が水面を薄金に染めている。
 セリカは懐から書簡を取り出し、最後の一行をもう一度だけ眺めた。

> 必要だと思ううちは、私を使いなさい。



 そっと、折り畳む。
 ――甘い。けれど、鋭い。
 彼の言葉は、蜂蜜をまぶした針のようだ。

「借りるのは知恵。決めるのは私。……だから、依存はしない」

 言葉に出すと、胸の奥の冷たい角砂糖が少しだけ溶けた。


---

 その夜。窓辺の小卓に、蝋燭が一本。
 硝子越しに星が散り、インクの匂いが静かな部屋に満ちる。

「セリカ様、書簡の返礼を?」

 ガブリエルの問いに、セリカは頷いた。

「はい。“助言に感謝。試行は一ヶ月、監視は共同。次は治水工事の技術資料を”――簡潔に」

「畏まりました」

 ガブリエルが下がると、部屋に再び静けさが戻る。
 セリカは椅子から立ち、背伸びをして窓の錠を外した。夜の空気がひやりと頬を撫でる。

「ランディ王子。……あなたは何を望むの?」

 問いは星の海へ溶ける。答えは、まだ落ちてこない。
 けれど、彼女はもう知っている――“影の導き”は、頼れば頼るほど形を変える。支えにも、枷にも。

「ならば、導かれるふりをして、こちらが導く。それが、ディオールのやり方」

 幼い主は微笑み、蝋燭の火を指先で覆った。
 ぱち、と小さな音――夜が一層、濃くなる。


---

 翌朝。麦畑の上を渡る風は、昨日よりも澄んでいた。
 用水門の帳簿には二つの領の印影が並び、番小屋の壁には新しい砂時計が掛けられている。
 “見える監視”は、見える安心に変わりつつあった。

 セリカは執務室で次の書類を捌きながら、膝の上で足先を小さく揺らす。
 窓枠に射す光が、羽ペンの先できらりと跳ねた。

「――次は、治水。共同堤と、雨量計の標準化。……それと」

 彼女は新しい頁を開き、見慣れた三つの丸を描く。
 議題、利害、選択肢。
 影の書簡から学んだ“型”は、すでに自分の手の内にある。

「私に必要なのは、導きじゃない。使いこなすための、静かな自信」

 小さく呟いた声は、書架の間でほどけて消えた。
 その日の空は高く、遠く、どこまでも青かった。


---
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