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第一話 婚約破棄前夜
しおりを挟むアストレイア神聖王国の第一王子であり、αのジスランは、同盟国であるレクイエス王国の王子であり、Ωのルシエルと婚約関係にある。
幼い頃に決められた許嫁で、年に一、二回会う程度の相手だった。
ルシエルは会うたびにジスランに甘く擦り寄ってきた。
理由は明白だ。
小国であるレクイエス王国は、国の防衛をアストレイア神聖王国に依存している。周辺諸国に攻める力もなければ、守る力もないこの国を守るためだ。
ルシエルは会うたびに白い頸を晒すような服で、ジスランの前に現れた。
甘くすり寄るルシエルとは対照的に、ジスランはルシエルのことはどうでも良かった。
所詮は国同士で決めた婚約者だ。
政略結婚以外の何物でもない。
「ジスラン様、明日は社交会ですね、皆の前で正式に婚約を発表できるなんて、僕はとても幸せです」
ルシエルの背後にレクイエス王国の貴族が控える中、ルシエルは蠱惑的な笑みでジスランに笑いかける。
ルシエルはいつもそうだ。いつも男を誘うような笑みを浮かべてジスランに媚びる。
「そうだな」
ルシエルがジスランの腕にしなだれる。
オメガ特有の甘い匂いがジスランを包み、艶やかな金色の髪が揺れ、宝石と見紛うような青い瞳が細められる。
不思議と不快に思ったことはない。
ただ、これは自分がαだからそう感じるだけなのだと思っていた。
ルシエルはジスランの耳元に口を寄せると、誰にも聞こえないようにそっと囁いた。
「今夜、ジスランの部屋に行ってもいいですか?」
ジスランはその申し出に眉を顰める。
咎めるようにルシエルに視線を向けると、その目は意外にも真剣だった。
そのまっすぐな瞳に見つめられ、思わず見惚れる。
「ジスラン様?」
再び媚びるような表情をするルシエルに、ジスランは動揺しつつも、小さく頷くのだった。
――――――――――――――
夜も更け、静まり返った私室でジスランは本を読みながらルシエルが来るのを待っていた。
(何が目的だ……婚前交渉などではないよな)
そんな懸念をしていると、扉をノックする音が聞こえる。
「誰だ」
「ルシエルです」
「……入れ」
短く返事をすると、ルシエルが控えめにドアノブを捻り入室する。
どんな格好でくるかと心配していたが、意外にも大人しい格好をしており、ジスランは己の思考を恥じる。
「夜遅くに申し訳ありません」
「構わん、それで何の用だ」
ルシエルはジスランを通り過ぎ、窓の外に広がる城下を見つめる。
城下には人の営みを感じさせる温かい光が灯っている。
「アストレイアは本当に立派な国ですね。街が賑やかで、とても明るい」
「そうだな、民達がよく働いてくれるおかげだ」
街を見下ろすルシエルの表情がふっと暗くなる。
「……そうですね」
ルシエルは窓から視線を外すと、ジスランをじっと見据える。
「明日、社交会にて婚約破棄を申し込みます。どうか受けていただきたい」
「何を、言ってる?そんなことをすれば、戦争の火種になるぞ」
「理解しています」
「だったら、なぜ」
「貴方はとても優しくて強い人だ、だから……」
ルシエルは一度視線を外すと、意を決したようにジスランを見る。
「必ず僕の国を滅ぼして」
ルシエルの目には強い覚悟が宿っていた。
こんなに強い目をしたことなど、今まで一度もない。
「約束してね、ジスラン」
「おい、待て!」
ルシエルはいつもの媚びたような笑顔を貼り付けると、ジスランの制止も聞かず足早に部屋を出ていった。
「一体、何をするつもりだ」
ジスランは疑問の中、ルシエルが去って行った扉を見つめていた。
――――――――――――
社交会当日。
会場となっているホールにはアストレイア神聖王国の貴族と、レクイエス王国の貴族が大勢訪れていた。
談笑と、微かな陰口。
それが大きな音の渦となってホールに響き渡っている。
グラスに口をつけながら、ジスランはルシエルを探す。
今回のパーティーの主役なのだ。
そう簡単に婚約破棄などさせるわけにはいかない。
そんなことをすれば、ルシエルがどんな目に遭うか、想像にたやすかった。
「どこにいる」
ジスランが会場を見渡していると、扉が音を立てて開かれる。
そこには下品なほど華美な装飾をつけたルシエルが微笑みながら立っていた。
「オメガはやはり恥知らずですわ、あんなに過度に装飾を付けるなど」
「まあ、ジスラン様の耳に入りますわよ」
貴族たちが扇子で口を隠しながら口々に言葉を発する。
そんな言葉に臆することなく、ルシエルは堂々とした足取りでホール全体が見渡せるステージに向かう。
「皆様、良い夜ですね」
ルシエルは恭しく礼をすると、装飾を見せつけるように両手を広げて笑顔で宣言する。
「今宵限りで、ジスランとの婚約を破棄いたします!」
その一言で会場は騒然とする。
ルシエルはそんなことは気にしもせず、高らかに笑っている。
大慌てでルシエルのそばに訪れたのは、レイクイエス王国のエルガルド宰相だった。
「王子、お気を確かに!正気に戻ってください!」
ルシエルは瞳を怒りを燃やし、怒鳴りつける。
「僕は……!僕はレクイエス王国の王子だ!お前達に指図される謂れは無い!!」
「王子をお連れしろ!」
ルシエルの周りに兵士と貴族が集まる。
オメガ特有の細い腕では、太刀打ちできるわけがない。
ルシエルは引きずられるように、会場から連れ出されていった。
「婚約破棄だなんて、レクイエス王国との同盟はおしまいかしら?」
「どうかしら、ジスラン様は聡明ですからオメガ相手でも慈悲をくださるかもしれませんよ?」
皆、口々に好き勝手を言っている。
ジスランはルシエルの後を追うとしたが、従者に腕を掴まれる。
「安易に追ってはいけません。これは、宣戦布告に近いのですよ」
「分かっている……」
ジスランはルシエルの後を追いたい気持ちを抑えて、混乱する会場を後にするのだった。
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