冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 少年の進路編

(57)お兄ちゃん

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 フィンは目の前の光景に言葉を失っていた。
 あの後、ムイロ殿下への案内を請うたところ、召使の一人が「今日のこの時間は互助会への慰問をしてるんじゃなかったかな」と教えてくれた。同氏の案内を受けてほど近い建物を訪なうてみると中からは明るいはしゃぎ声が聞こえてきた。

「ムイロ君ったらいいお嬢さんを奥さんにいただいて幸せ者じゃない!」
「あはは、僕には勿体ない方です」
「あら、ムイロ君にはうちの娘を娶ってもらうつもりだったのに!」
「娘さんはまだ七つでしょう。これからもっと良い御仁があるでしょうから!」
「まだ十五だってのにムイロ君は口が上手いんだから!」
「ムイロさま~、つぎは次はムイロさまがオニやって~」

 あまり立派とも言えない公民館は大通り沿いにあり、中には幾人かのご婦人と子供たちがおり、実に賑やいでいた。その喧騒の只中にいる少年がムイロであった。傍らにいる女性が恐らくは婚約者であろうと察せられた。

 フィンがしばしその輪の中に入れないでいたのはなにも勢いに気おされた訳ばかりではない。およそ平民と思しき人々が領主の息子の肩をはたいたりからかったり、子供がマントを引っ張ってじゃれつくのを止めに入ったりしないその様子が俄かに信じがたかったからである。
 この空間にあって、自分はどのように振舞うべきか皆目見当がつかず、フィンは呆気に取られていた。それはどうやらドロシーも同じらしかった。

 やがて、渦中にあった少女――事前に聞いた名前を必死に思い出した――イレーナ嬢がこちらに気が付いた。朗らかに微笑んで見せて小さく首を倒して見せる。

 慌てて「こんにちは」と二人でお辞儀をすると一同の視線をフィンとドロシーに向けた。

「ムイロ様におかれましてはご機嫌麗しゅう。この程ご婚約の祝いの品をロンゴミニアド王より預かり、これをお渡しすべくまかり越しました」

 先生が胸に手を当ててお辞儀する。フィンもそれを真似てお辞儀をする。隣に先生がおり、こうして見本を示してくれることに心から感謝した。先生がいればなにもかも大丈夫だと思った。

「あら~! こんなに小さい子がお使いだなんて立派なのね!」
「あなたはお兄ちゃんかしら! 妹さんがこんなに立派で幸せものね!」
「ねぇ、みんなでオニゴッコしようよ」

 ご婦人並びに方にお子様方にあっという間に囲まれてしまう。特に先生が頭を撫でられたり飴を握らされたりと大変だった。ダメかも知れなかった。

「フィン……っ!」

 先生が鋭く眉間に皺を寄せてこちらを見てきた。そこでようやくフィンは体が動いた。

「申し訳ありません、ご婦人方! こちらの方はロンゴミニアド大学で奉職し教鞭を取られておりますドロシー教授でして僕の師匠なんです!」

 ドロシーの前に割って入ってそう声を張った。師への無体を止めようとしたが、しかしてすぐにムイロという貴族の地位にあるものが善しとしている領民の振る舞いを否やと外部の者が指摘することは翻って、ムイロ殿下への無礼になるまいかとフィンの脳裏を過り、二の句を継げられない。
 どうすればよいかと師の方に視線を投げ、どうしたらよいかと助言を求めるが師の目は相変わらず不機嫌そうに細いばかりだ。とはいえ恥じらいや屈辱などではなく心の底からの困惑による表情であることはフィンには理解できた。
 フィンは思う。初動何か間違ったかもしれない。


「こんなに小さい娘さんが教授だなんて王都は凄いのねぇ……」

 飴を握らせてきていたご婦人がドロシーの頭を帽子の上からぼふぼふと撫でる。
 凄いのねぇ、と口にしつつさして気がかりでもなさそうな具合のご婦人の言葉にフィンは唐突に自覚させられた。ドロシーの元に来てから二年近く。背丈はすっかり師を超してしまい、再来年には自分も成人である。傍から見れば自分の方が年かさに見えるのだ。

――先生のお兄ちゃんに見えるのか……。

 王都の、特に王城近辺ではよくも悪くも小さな教授が小さな弟子を取ったとて知名度が高く、ロンゴミニアド大学の制服を着たドロシーとフィンを見る人の多くは一目で「あの噂の……」と理解するが、ところ変われば、である。フィンは今までとは全く同じでありながら異なるベクトルで「僕が先生を守らなきゃ」と誓いを新たにした。
 師の、こちらを見る目つきが少し、鋭くなった方な気がした。

 視線の端で慌てて駆け寄ろうとするムイロとイレーナの姿を捉えた。年は十五だと言ったか。自分より年が一つ上ということになる。
 その後ろを追うイレーナ嬢と婚約と相成り、これからオルティアの領主となっていく御仁。自分とは一年ばかりの差しかないというのに、彼との間には深く広い隔たりがあるようにフィンには感じられた。

 師ドロシーへの攻勢が止んだのは、慌てたムイロとイレーナの仲裁が入ってからだった。
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