オメガ公子とアルファ王子の初恋婚姻譚

須宮りんこ

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 世界最大のロンブリア大陸。その北にある最大の国がユーリアスの祖国であるノアメット公国で、南最大の国がシャムスバハル王国だ。

 大国間は環境や気候、文化や信仰する神は違っても、お互いの違いを認め合える良好で対等な関係を数百年に渡って保ってきた。

 だが、天秤に乗った両国の平行が傾き始めたのが十二年前のこと。その年の冬、千年に一度といわれるほどの大寒波がノアメットの大地を襲った。

 大寒波の影響は冬を越し、春や夏を跨いでも続いた。大寒波から二、三年が経つ頃には、豊潤だったノアメットの大地に生えていた草木は枯れ果て、人も動物もたくさん亡くなった。

 その頃からだった。それまで定期的に続いていたシャムスバハルとの友好外交は、ノアメット側に続ける余裕が無くなったことにより、消失した。同時にまだ幼かったユーリアスとアディムの関係も、ひっそりと幕を閉じたのだ。

 その後ノアメットはシャムスバハルや小国の援助を受け、少しずつ復興していくことに成功した。大寒波に襲われる前の豊かな大地を完全に取り戻すことはできなくても、南の大国との友好外交を再開できるまでになった。

 問題は、友好外交が再び行われるようになった頃に浮かび現れる。ノアメットがシャムスバハルに食糧や物資を援助してもらうようになったことで、両国の間に上下関係ができてしまったのだ。

 君主同士は久しぶりの再会に喜んだが、互いの国の従者や民の間に、いつの間にか目に見えない歪みができていた。数年ぶりにシャムスバハルへ渡航した十七歳の頃、ユーリアスはその隔たりを濃く感じた。昔はシャムスバハル王国に仕える従者たちに陽気なフランクさを感じ取っていたのだが、復興後に降り立ったシャムスバハルの地で自分たちを迎え入れてくれたのは、同情や憐憫の目だった。

『ノアメットの人間は、我々が手を貸さなければ生きてはいけない存在』

 下に見ているような言動は公族であるユーリアスこそされてはいないものの、ノアメットの公族に仕える従者たちに対しては顕著に表れていた。ユーリアスは友好外交でシャムスバハルに滞在中、自身の側近であるライナーが、相手の国の従者たちから「俺たちの残飯は口に合ったか?」とあざ笑われている場面に出くわしたこともある。

 さらに互いの王子――未来の国を担う王族のバース性診断では、シャムスバハル王子がアルファで、ノアメット公子はオメガという結果が下ったのだ。

 どの国でもオメガを下に見る人間は一定数存在する。自国の将来の君主がオメガと知ったノアメットの民は情けなさから自国に対して自虐的になり、未来の国王がアルファだと知ったシャムスバハルの民はますますノアメットを下に見る。その上下関係はさらに顕著になるだろう。

 両国間に上下関係が生まれていることにいち早く気づいたのは、シャムスバハルの国王とノアメットの君主――つまりアディムとユーリアスの父親たちだった。

 これ以上大国間に差をつけたくない。どちらの君主も同じ考えだったらしく、二人は長い年月をかけて話し合った。その結果導き出された解決案。それがアディムとユーリアスの結婚だった。

 正確には二つの国が家族になれば、互いの国民に対して対等な関係であると示すことができる。父親たちはそう考えたらしい。

 アディムの兄たちはみな妻をもち、まだ独り身なのは末っ子のアディムだけだった。アディムに嫁ぐのはセーラで話を進めていたが、アディム本人が待ったをかけたそうだ。

「まさかあのユーリアスがこんなクソ生意気になっているとは思わなかったがな」

 そう口にするのは、肩肘をついて寝そべる夫のアディムだ。昼食後の昼下がり。アディムはビリーの女性に大きな羽団扇で仰がれている。もう少し強く仰いでくれたら自分の方にも風がくるのだが……と思いながら、ユーリアスは汗ばんで痒くなった脇腹を、民族服の上から爪の先でひっそりと掻く。

「生意気で結構だ。それより椅子はないのか? ずっと床に座りっぱなしで、腰が痛くなりそうなんだが」

「そんなもの、他国の人間と会うときや外国に行ったときにしか座らねぇよ」

「シャムスバハルではそういうものなのか」

 アディムは鬱陶しいとばかりに「そういうもんですー」と語尾を伸ばした。

 シャムスバハルに到着し、アディムの父である国王に婚姻の挨拶を済ませてから三日が経った。その間ユーリアスが腰を下ろしたのは、人目を盗んで中庭にある噴水の縁石に座ったのが一回だけ。あとは寝るときも食事のときも、生活する上での定位置は常に絨毯を敷いた床の上だ。

 シャムスバハルでは基本的に、位が高かったり目上の者だったりするほど、足を崩して好きな体勢で寝そべることができるらしい。

「婚姻関係にある以上、俺とおまえは同じ立場だ。俺と同じ体勢でゴロゴロしたっていいんだからな」

 初日にアディムからそう言われたが、二十三年間食事は椅子とテーブルで、就寝はベッドの上で生活してきた。いきなり床で寝たり食べたりするのはハードルが高い。ユーリアスは「そのうちな」と返すのみで、いまだに床の上で足を崩せていなかった。

 祖国とシャムスバハルは文化が違う。頭ではわかっていても、おいそれとは馴染めないのが人間だ。だが、馴染めないことで体を壊しては元も子もない。一刻も早くシャムスバハルの文化に慣れなくては。ユーリアスは祖国へ帰りたい気持ちをぐっと飲み込み、首の後ろを掻いた。

「あら、ユーリアス様、首のところが赤くなってるわ」

 アディムの後ろで羽団扇を仰いでいたビリーが、ユーリアスの首の後ろを覗いてきた。

「本当だ。痒いのか?」

 アディムも上体を起こし、首の後ろを覗く。口では可愛くないだの生意気だの言う割には、こういうところでは夫らしく心配してくれるのか。アディムの反応が意外だった。

「痒いというか、違和感がある」

「おまえは体を掻きすぎなんだ。ここの脇のところも赤くなってるじゃないか」

 アディムの手が脇腹を掠める。唐突に触れられた驚きとくすぐったさで、ユーリアスは体を捻って男の手から逃れた。

「あ、あたりまえだ。この国に来てからまだ一度も風呂に入っていないんだからな」

 シャムスバハルでは、慣わしとして入浴頻度は週に二回ほどらしい。熱を吸収する石で造られた城の中にいれば汗をほとんど掻くことがないそうで、また砂漠地帯ゆえ水が貴重なため風呂は王族でも制限しているという。

 対してノアメットでは風呂は毎日入る風習だ。ノアメットからやって来た初日の夜、風呂はどこかとビリーたちに尋ねたことで、シャムスバハルでの入浴頻度を知ることとなったのだ。

 気づかれないように男の手から逃げたつもりだが、アディムはユーリアスが避けたことに気づいていたようだ。少しムッとした表情になったが、それ以降、こちらの肌に触れてくることはなかった。

「わかったよ。おまえはノアメットで入ってた頻度で、風呂に入っていい」

 アディムはため息混じりに頭の後ろを掻きながら、「特別だからな」と渋々というような目をこちらに向けた。

「断る」

 ユーリアスは間髪入れずに口にした。

「はあっ? なんでだよっ!」

「毎日入る必要がないと判断したからだ」

「俺がせっかく毎日入っていいって言ってんだぞ。入れよ!」

「俺たちは同じ立場なんだろう? 命令なら聞かない」

 ぐっと歯を食いしばった男が、憎たらしそうにこちらを見ている。だが、こちらも譲るわけにはいかなかった。

「配慮はありがたいが、俺はこの国に嫁いだ身だ。祖国に迷惑をかけたくないのはもちろんだが、同じようにこの国にも迷惑をかけたくない」

 途端、アディムが意外そうな顔をする。

「この国に迷惑をかけたって……おまえにはなんの害もないだろ」

「害はなくても心は痛むさ。おまえと結婚した限り、この国は俺の故郷でもある」

「……っ」

「それに国の風習というものは、その国の土地柄や環境を考慮して形作られてきたものだ。この国の風習に俺は従うと決めている」

 きっぱりそう告げると、アディムは何か言いたそうに口を開け、再び閉じた。急に静かになった男を不思議に思い、ユーリアスは「どうした?」とこの日、初めてアディムに視線を送った。

 アディムは顔を隠すように口元に手を当て、下を向いていた。こちらにギロッと睨みを利かせて、「なんでもねえ」と立ち上がった。

「なんでもないという顔ではないだろ。俺に不満があるなら早く言ってくれ。互いに不満をため込むと、後々になって夫婦関係がこじれると聞く」

「不満は……ないけどあるっていうか、あるけどないっていうか」

 アディムは何を言いたいのか自分の中でまとまっていないようだ。「あーもう! くそっ」と言い残し、大雑把な挙動で立ち上がると部屋を出て行った。

 こういうとき、妻だったら追いかけるのだろうか。少し考えたが、結局その場に留まった。ビリーが羽団扇を再び仰ぎ始めると、アディムに触れられた脇腹がまた痒くなったような気がした。




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