オメガ公子とアルファ王子の初恋婚姻譚

須宮りんこ

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 仮にも夫婦なので、公務などの用事がない限り、二人一緒にいた方が自然だろう。そう考えたユーリアスは、なるべくアディムと一緒にいることを自ら望んだ。

 寝室も然りだ。同じ部屋にて、アディムとの間に仕切りとして屏風を一枚挟み、就寝用の分厚い絨毯の上にユーリアスは寝ている。

 同じ寝室で寝た方がいいんじゃないか、とユーリアスが提案したとき、アディムは目を点にした。

「俺はアルファでおまえはオメガなんだぞ。おまえが発情期になって俺が襲い掛かったらどうするんだよ」

 そう慌てる夫に、ユーリアスは冷静に答えた。

「俺はヒートになったことがないと前に言っただろう。同じ部屋でも問題ない。それより夫婦が同じ部屋で寝ないなんて、周りから根も葉もない噂を立てられるぞ」

 それこそ仮面夫婦だの、新婚早々別れるだの噂が立ったら面倒だ。シャムスバハルの国民性の一つに噂好きというものがある。ノアメットでも噂好きの従者はいたのだから、人間はそもそも噂話が好きなのかもしれない。

 特に自分たちは大国間で初めて婚姻関係を結んだ王族なのだ。互いの国民から関心を抱かれていることは想像に容易くない。用心しておいて損はないだろうと思った。

 アディムは嫌そうな顔をしていたが、「わかったよ……」と折れた。やはり夜の生活を期待できないオメガというのは、アルファからしてみれば面倒な存在なのだろう。

 就寝時、屛風を隔てた向こう側にいるアディムのため息をよく耳にする。だが、夜の営みに応じることができないのは申し訳ないと思いつつ、アディムの方から求めてくることもない。ユーリアスはアディムの口から聞こえるため息の理由がなんなのか、わからなかった。

 その夜、ユーリアスはなかなか寝付くことができなかった。風呂の頻度はシャムスバハルの風習に合わせる、と豪語したものの、体は環境の変化に追いついていないようだ。夕飯を終えたあたりから、二日前から覚えていた脇腹の違和感に、痛みが伴うようになった。

 掻いたらもっと悪化する。頭では理解していても、強烈な痛痒さのせいで患部に手が勝手に伸びてしまう。額やこめかみに滲んだ脂汗を拭うことさえできなかった。

「……っ」

 痛みと痒みを堪える声が漏れる。このままでは到底寝ることなんてできないし、アディムを起こしてしまうかもしれない。少し夜風に当たろう。今夜さえ乗り越えることができれば、明日はようやく風呂の日だ。

 暗闇に慣れた目で扉の位置を確認し、ユーリアスは敷物の上から脱した。足音を立てないよう立ち上がろうとした、そのときだった。

「どこへ行く?」

 急いで振り返ると、アディムが屛風の陰からこちらを覗いていた。疑いを孕んだ視線が、暗闇の中で光る。やましいことはないのに、悪いことをしているみたいな気持ちになった。

 ユーリアスは咄嗟に「ちょっと手洗いに……」と誤魔化した。

「そんなにコソコソして便所かよ。まったく、俺はてっきりおまえがこの城から抜け出すのかと――……って、その手はどうしたっ!?」

 こちらの右手に目をやった瞬間、アディムの形相が一変した。

「手? 手はなんともないが――」

「血まみれじゃねえか!」

 屛風の裏から急いでこちらへとやってきたアディムが、ユーリアスの前で膝をつく。右手をぐいっと持ち上げられると、否が応でも自身の右手が視界に入った。

「なっ……!」

 今の今まで気づかなかったが、右手の爪先は血溜まりに指を突っ込んだかのように赤い血が付着していた。驚いてアディムの質問に答えることも忘れていたが、先に右手の血の正体に気づいたのはアディムだった。

「この脇腹……掻き崩しちまったんだな。酷くなってやがる」

 こちらの服をめくったアディムが、脇腹に目を落とす。脇腹は自分でもうっと顔をしかめるぐらい爛れていた。傷とその周辺にアディムの息がかかり、「ンっ」と肌が粟立ってしまう。

「……平気だ。夜風に当たってくれば痛みも治まる」

「なに言ってんだよ。ここまで酷くなってるんだぞ。風に当たっただけで治るわけねえだろ」

「いいんだ、本当に。俺一人でなんとかするから、おまえは寝てていい」

 ノアメットとシャムスバハルの友好関係のために、自分はこの地にやってきたのだ。自分が体調を悪くすれば、城内にいる従者たちが何十人何百人とこんな夜更けから動かなければならなくなる。

 さすがに申し訳ないし、祖国にいる家族やノアメット国民、温かく迎え入れてくれたシャムスバハルの王や民に申し訳が立たない。

 情けない気持ちに焦りが加わり、なんだか泣きたくなる。ユーリアスは「大丈夫だから」とアディムの手から、自身の右手を引き抜こうとした。だが相手の力が強いのだろう。がっしりと掴まれた手首は、男の浅黒い手の中でもがくことしかできない。

「お願いだ、離し――」

 次の瞬間、ぐいっと相手側に引っ張られた。力強かったが、不思議と痛くはない。怒ったような目に射抜かれて、舌の上にまでせり上がっていた焦りが凍る。

「あのな。俺ら王族は一人でなんとかしようとすると、逆に迷惑がかかんの。そこんところ、ユーリアスだってわかってるだろ」

 迷惑をかけたくない、と頭の中でぐるぐると考えていただけに、アディムの声で事実を指摘されて、ふと我に返った。

「ほら行くぞ」

「い、行くってどこにっ?」

「ビリーたちに風呂に入れてもらうんだ。そのあとは医者に診てもらう」

 想像していた通りの流れになり、ユーリアスは首を横に振って断固拒否した。

「こんな夜中に迷惑じゃないか! あと数時間待てば朝になるのに」

「待ってられるかよ。どうしても行かないっていうなら、無理やり連れて行くまでだ」

 そう言うと、アディムはこちらの脇と膝裏に手を入れてきた。拒否する間もなく、ふわりと体が宙に浮かぶ。横向きに抱きかかえられ、初めての体勢にどこに力を入れていいのかわからない。混乱しながら相手の太い首に両腕を巻き付けると、アディムの匂いがダイレクトに鼻をついた。

 ドキドキした。昔絵本で読んだ童話で見た、王子様に抱っこされるお姫様の絵が頭に浮かんで恥ずかしくなった。

 ユーリアスは「お、下ろしてくれ」と脚をバタつかせたが、アディムからは「却下する」と低い声で断られた。

 イライラしたような男の表情が怖い。自分の身に起きていることを黙っていたせいで、結果的にこれから多くの人に迷惑をかけてしまうのか。そう思ったら、憂鬱な気分で胸が押しつぶされそうだった。

 真夜中にも関わらず、アディムはビリーたちの寝所に向かった。寝所はビリーたちの身が安全に守られるよう、城内の地下にあるらしい。

 この城で、赤ん坊の頃から裸も同然の服を着たビリーたちと、距離感の近い生活を送ってきた男だ。アディムは相手が女性ということをまったく意識していないようで、地下へと続く階段を降りるとノックもせず扉を容赦なく開けた。

「なぁに、こんな夜にびっくりするじゃない」

「アディム様から私たちの楽園まで来てくれるなんて嬉しいわ」

 各々談笑していたり、髪を梳かしていたりするビリーたちがアディムを見るや否や、寝所のあちこちから黄色い声が湧き立つ。いつもはビリーたちに優しく、リップサービスも欠かさないアディムだが、ユーリアスのせいで苛立ちを隠せていないようだった。

「夜遅くにすまない。余力のある子猫たちは今すぐ手を貸してくれないか」

 険しい表情と声とは反対に、メイドが相手とは思えないほど頼み込む言葉は優しい。

「いいけどなにをすればいいの~? あら、ユーリアス様もいるじゃない」

 近くにいたビリーの一人がひらひらと手を振ってきて、ユーリアスは所在なさげにペコッと頭を下げた。

「湯を沸かし、ユーリアスを風呂に入れてあげてくれ。あと医者も呼んでくれ。ユーリアスを診てもらいたいんだ」

 いつもは軟派な態度のアディムだが、ビリーたちもさすがに王子の切羽詰まった声に事態を把握したようだ。余力のある者だけ、とアディムは言ったが、ほとんどのビリーたちが腰を上げてくれた。

 マイペースながらも、ビリーたちはユーリアスによくしてくれた。沸かした風呂では掻き崩した患部を避けながら髪や体を洗ってくれた。

 自分でやる、と言っても、「怪我人は静かにするものよ」とまるで赤ん坊をあやすように言われてしまう。こんな時間から風呂の用意や自分の世話、医者の手配をさせてしまって申し訳ないと思った。だがあちこちから聞こえてくるビリーたちの鼻歌や笑い声は耳に心地よかった。

 何よりも、先ほど言われたアディムの「一人でなんとかしようとするな」という声に助けられて、ユーリアスは泡立つ浴室の中、久しぶりの風呂に体と心を預けたのだった。





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