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化け物バックパッカー、ピアノを弾く。
しおりを挟む夜空に浮かぶ星々は、光を反射して輝いている。
それだけでも十分奇麗なのに、ある場所から見ると余計に輝いて見えてしまう。
その場所は、海だ。
足につける砂の感触、
夜の寒さと海の塩っ気が混じった風、
そして、浜辺に打ち付ける、波の音。
まるでピアノの伴奏のように、夜空を見上げる者の五感を振るわせ、
目に映る星々を、輝かせるのだ。
「ああ、なんて奇麗なんだろう。俺たちのいる星も、あの星のひとつから見たら、輝いているのかな」
砂浜で体育座りをしていたカップルの、男性の方が星空を眺めてつぶやいた。
「あの1番星のように、私たちの星は輝いているのかしら?」
その隣の女性は、星のひとつを指を指した。
「いや、もっと輝いているさ。君と俺が一緒にいることという、まぶしすぎる幸せでね」
男性の言葉に、女性は体をくねらせて男性の腰に手を回した。
その女性の肩を、男性は手を回す。
彼らの幸せが本当に光っているのかはわからないが、少なくとも海でみる星空を楽しんでいるのは確実だ。
海を見続けながら左に動いていくと、大きな崖が見える。
その麓には、小さな洞窟。入り口の前には、カップルとは違うふたつの人影があった。
足元には、墨汁のような黒い液体が数滴落ちている。
その液体に、スポンジが押し当てられる。
スポンジが地面から離れると、黒い液体は消えていた。
スポンジを手にした人影のひとつが立ち上がり、洞窟の入り口を見る。
洞窟の天井はその人影よりも天井が低く、しゃがまなければ入り口で頭をぶつけそうだ。
いや、もう既にぶつけている。黒い液体が、入り口の上部の縁に付いている。
「……“タビアゲハ”、痛かったんじゃないか?」
入り口に付いた黒い液体をスポンジで拭く人影の後ろから、もうひとりの人影が話しかける。
その人影は、老人だ。顔の怖い老人だ。
服装は派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドと、この時代にしてはある意味個性的。その背中には黒く大きなバックパックが背負っている。俗に言うバックパッカーである。
「平気。コノグライナラ、スグ治ルカラ」
“タビアゲハ”と呼ばれた、スポンジを持った人影は老人の方に顔を向けた。
その人影には、眼球と呼ばれる部位はなかった。
代わりにあるのは、青い触覚。本来ならば眼球があるべき場所から生えているその触覚は、まぶたを閉じると引っ込み、開けると出てくる。この世界では変異体と呼ばれる、化け物だ。
影のように黒い肌の上に、フードの付いた黒いローブ。その背中には、老人のものとよく似た黒いバックパックが背負われていた。
そのおでこには傷があり、黒い液体が血液のようにあふれ出ている。その傷が、今、塞がった。
「そうか。しかし、今度からはよそ見するんじゃないぞ」
坂春に注意をされたタビアゲハは、恥ずかしそうに足元の砂浜を見つめながら、ローブについているフードで顔を隠した。
「ネエ“坂春”サン、海岸デミル星ッテ、イツモヨリモ輝イテ見エルヨネ」
「まあ、波の音も聞こえるからな。街中や山で見る星よりも違って見えるだろう」
「ウン。砂ノ感触トカ、海ノ潮風トカ、他ノ場所トハ全然違ウ」
タビアゲハはその場で空を見上げながら、手に持つスポンジを背中のバックパックに仕舞った。
「それにしても、こんなところに洞窟があるなんてな」
“坂春”と呼ばれた老人はタビアゲハが頭をぶつけた洞窟をのぞき込んだ。
その洞窟の中は、当然真っ暗だ。坂春がバックパックから懐中電灯を取り出して照らすが、少し先で道は左に折れているため、奥になにがあるのかは見えない。
「奥ニハナニガアルノカナ?」
いつの間にか、タビアゲハも坂春の後ろから洞窟の中をのぞき込んでいる。
「さあ、見てみないとわからないな」
「ソレジャア、見テミル?」
フードの下にわずかにはみ出ているタビアゲハの口元を見て、坂春は鼻で笑った。
坂春とタビアゲハは身をかがめながら、洞窟の中を進んでいく。
懐中電灯は、ただ茶色い壁と地面しか照らしていない。
「……?」
坂春の眉が八の字になるまでは。
天井は通る途中で高くなっていたのか、ふたりが立ち上がってもぶつけなかった。
その空間の奥には、1台のグランドピアノが置かれていた。
懐中電灯で照らされたそのグランドピアノは、置かれている場所以外は一見おかしいところはない。
しかし、タビアゲハの長い爪を持つ指の腹で押してみると、まるで生き物の皮膚のように柔らかかった。
「コレッテ、ピアノ?」
「……としか見えないが。でもなんか妙だな。俺も触らせていいか?」
坂春が触ってみても、硬さは一切感じられないようだ。
「ネエ、コノピアノ、弾ケルノカナ?」
タビアゲハはピアノの前方に移動すると、鍵盤ふたを開けてみた。
歯のように白い鍵盤が、並んでいた。
横から坂春がその鍵盤のひとつに触れると、“ラ”の音が洞窟の中を響き渡った。
「……奇麗ナ音」
「ああ、音は問題無く出せるようだな」
タビアゲハは、その音を味わうように触覚を引っ込めた。
砂浜では、一組のカップルが雰囲気を味わうように互いに肩を寄せていた。
「ねえ、聞こえるわ。あなたの鼓動が」
「ああ、俺も君の鼓動が聞こえてくる。波の音はすべて伴奏、君と俺の鼓動のデュオが海辺のステージを響かせるのさ」
海が一瞬だけ、大きな波紋を作った光景を、ふたりは確かに見ていた。
ただ、それすらも伴奏のように感じるのか、驚くようすは見せなかった。
「コンドハ、ワタシガ引イテミテモイイカナ?」
洞窟の中では、タビアゲハが鍵盤に指を指していた。
「ああ、別にいいぞ」
坂春が鍵盤の前から1歩後ろに引くと、代わりにタビアゲハが鍵盤に10本の指を置いた。
「……“ド”ッテドコダッケ?」
「黒鍵……黒い鍵盤がふたつと3つに別れているだろう? ふたつのほうの黒鍵の1番左だな」
タビアゲハは首をひねりながらも、鍵盤のひとつを押した。
“ド”の音色が、膨らんだ音で始まり細く消えていった。
納得したようにうなずくタビアゲハは、その鍵盤を左手の小指を乗せ、その隣の鍵盤に他の指を置いていく。
深く息を吐き出すと、小指から順番に弾き始めた。
“ド”“レ”“ミ”“ファ”“ソ”“ラ”“シ”“ド”
ぎごちないその指の動かし方でも、音は確かに洞窟の中を響かせていた。
砂浜のカップルは、もう星空を見ていなかった。
「見て、すごい動きをしているわ」
「ああ、波の音が、ピアノの音源のように聞こえる。不思議だが、君といると全然怖くないさ」
海の一部が、10mほど盛り上がっていた。
すぐに元に戻ったかと思うと、その右側がすぐに盛り上がった。
リズムに合わせて、左から右へ向かう様子は、まるで鍵盤のよう。
奇妙な現象は、8回で終わった。
「ウマク弾ケタカナ?」
鍵盤から指を離して、タビアゲハは振り返ってほほえんだ。
「プロみたいだとはお世辞でも言えないが、初めてだったら上出来だな。ピアノは弾いたことがあるのか?」
坂春の問いに対して、タビアゲハは思い出すようにアゴに手を当てて天井を見上げた。
「……マッタクワカラナイ。ダケド、ナントナク“ド”ガ最初ノ音ッテ覚エテイタ」
「そうか。そういえば、タビアゲハとは長いこと旅を続けたように感じているが、確か人間のころの記憶がないって言っていたな」
「ウン。デモ記憶ガナクテモ問題無イ。コウシテ旅ガ続ケラレルカラ」
タビアゲハがその場で伸びをしながら鍵盤から離れると、入れ替わるように坂春が鍵盤の前に立った。
「坂春サンハ弾ケルノ?」
「弾けるといっても、若いころにちょっと触ったくらいだけどな」
鍵盤に指を置きながら、坂春は静かに息を吐き出した。
「曲ハ弾ケル?」
「ちょっと待ってくれ……今思い出しているからな」
坂春はしばらくの間だまり、ゆっくりと鍵盤を押した。
洞窟に響いたのは、きらきら星だ。
一音一音が、小さな星のように整えられ、空間を響かせる。
横で聞いていたタビアゲハは体を横に揺らし、
やがて、その場でくるくると回転し始めた。
ゆったりとしたリズムの中で、
1番星のように、今にも光り輝きそうな美しい舞いだった。
「ああ、今、胸の鼓動が聞こえる」
「俺もさ。こんな素晴らしい経験は、君と一緒にいるからこそ美しいと思えるんだ」
カップルは立ち上がっており、互いに両手を合わせていた。
ふたりはともに踊り出す。自分たちが光の中心だと主張するように。
そんなふたりを、10mほど盛り上がった海の壁が円にして囲んでいた。
海面には反射した星の光が輝いている。
海の壁はふたりに迫っていき、
ついに、ふたりは飲み込まれた。
「なかなかの踊りだったぞ」
穏やかな波をうつ海岸を歩く坂春とタビアゲハ。
尊敬のまなざしで見つめる坂春に、タビアゲハは戸惑い首をかしげた。
「私……踊ッテタ?」
「ああ、俺の曲に合わせてくるくる踊っていただろう。覚えてないのか?」
「ナントナク、リズムニ乗ッテイタダケナンダケド……踊ッタツモリハ……」
タビアゲハは、前方にあるものが見えて立ち止まった。
「坂春サン……アソコ……」
指を指した先に見えるあるものに、坂春も顔色を変えた。
坂春とタビアゲハは、砂浜に倒れているカップルの側まで駆けていった。
「……なんだ、寝てるだけじゃないか」
互いに抱き合い、寝息を立てているカップルを見て、坂春は安心の息を吐いた。
「ヨカッタ……ソレニシテモ、気持チヨサソウニ眠ッテイルネ。マルデ、夢ヲ見テイルミタイニ」
坂春とタビアゲハは、砂浜から立ち去った。
海が通った後の泥を、何度も、何度も、踏みながら。
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