旦那様と僕

三冬月マヨ

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はじまって

【十二】旦那様は心配性

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「…冷蔵庫に味噌の握り飯があるから焼いて食え、か…」

 あれから、夜明け近くまで呑み明かして、寝て気が付けば時計は午後を回っていた。
 因みに天野と相楽さがらは、まだ鮪の様に寝ていた。
 喉の渇きを覚えて、水を飲む前に茶の間の片付けを、と思えばそこは既に綺麗に片付けられていて、卓袱台の上には梅干しの入った小瓶と、雪緒ゆきおが書いた言付けが置いてあった。
 瓶の蓋を開けて梅干しを一つ口の中へ入れる。

「~~~~~しょっぺ…水、水」

 全く、あれだけ散らかっていた物を、学び舎へ行くまでの時間で良く片付けたな。
 どれだけ早くに起きたんだか。
 俺達の飯なんて気にしないで良いのに。
 本当に嫁か。

「ん?」

 水を飲んでから冷蔵庫を開けたら、握り飯の乗った皿の隣に焼いた鮭と卵焼きに、切られた大根や胡瓜のぬか漬けの乗った皿が置いてあり、その段の上にあるボウルには、胡瓜の冷や汁が入っていた。

「…本当に嫁か…」

「僕もお嫁さん欲しいなあ~」

「うおっ!?」

 雪緒の用意した物に気を取られていて、何時の間にか真後ろに居た相楽の存在に気付かずにいた俺は、その声にみっともなく驚いてしまった。

「おはよ~。メモ見たよ~。本当に雪緒君は凄いよねえ~。おにぎり焼いてよ~。あ、大葉が巻いてある~。大葉でさ味噌を包んで焼くと美味しいんだよねえ~。流石、雪緒君だねえ~」

 そんな俺の様子に相楽は目を細めると、軽く欠伸をして催促して来た。

「ったく。少しは遠慮して見せたらどうだ」

「ん~? せっかく雪緒君が用意してくれた物だよ~? 遠慮したら罰が当たるよ~。これ、運ぶねえ~」

 魚を焼く網を手にそう言えば、相楽は悪びれも無く笑いながら、冷蔵庫の中にある物を取り出して茶の間へと運んで行った。

「…全く…」

 何時でも自分の調子を崩さない奴だなと、改めて思った。
 昨夜だって、人の酌ばかりして、殆ど呑んでいないのではないか?
 まあ、その犠牲者は主に天野だが。
 注がれた傍から空けるから、相楽が調子に乗って勧めて来ると云う事をいい加減学べ。
 そんな学ばない天野は、未だ起きては来ないだろうな。

「ねえ、ゆかり君はさあ~、雪緒君に手を出そうとしてる子の事、気にならないの~?」

「ぶふっ!」

 冷や汁を飲んでる時にいきなり何を言い出すんだ、こいつは。
 そんなの、気になっているに決まっているだろう。
 雪緒に余計な事を吹き込む輩なぞ放置して置けるか。
 だが。

「…気にならないと言えば嘘になるが、子供の他愛無い悪戯かも知れん。そんなのにいちいち構っていられるか」

 そうだ。
 ただ、雪緒をからかってみただけかも知れない。
 そうであるのなら、わざわざ波風立てる必要もあるまい。

「…ふうん~? 僕が雪緒君をイかせてあげたって嘘を吐いた時は、あんなに目くじら立てていたのに、そんな事を言うんだ~?」

「ぶはっ!」

 人が握り飯を頬張った瞬間にっ!
 狙ってやっているだろう!

 全く何てネタを提供して行きやがったんだ、雪緒は。
 昨夜、今日"は"と口にしていた通りに、相楽は暫くこのネタで遊ぶつもりなのだろう。
 本当にこいつは底意地が悪い。
 人の良さそうな笑顔の下は真っ黒だ。
 こいつに気を寄せてる女共は、今のこいつを見て考えを改めた方が良い。
 雪緒は相楽の事を狸みたいだと口にしていたが、全くその通りだ。だが、雪緒の想像している狸とは正反対だ。

「その悪戯が悪戯じゃなかったら~? 雪緒君に気持ちが在るのなら、良いと思うけど~、そうじゃなかったら~?」

「…何が言いたいんだ、お前は」

「僕は、傷付く雪緒君を見たくないだけだよ」

 笑みを消して、相楽は目を細めて俺を見て来た。

「可愛い弟の笑顔が無くなるのは嫌だからね? それはたける君も同じ。紫君もそうでしょ? だから、ほら、今から行けば、雪緒君のお友達が見られるかも知れないよ? どうせ猛君は未だ動けないし。僕達留守番しててあげるよ。さあ、行った行った~」

 俺や天野と違い、外での仕事では無いから、陽に晒される事の無い肌は白い。
 そんな相楽の笑みを消した顔は、陶磁器の人形の様ではっきり言って不気味だ。
 黒い丸い眼鏡の奥の瞳は真っ黒で底が知れない。

 そうして。
 逃げる様に茶の間を出て、着替えて、学び舎の前までやって来た訳だが。

「…何をしているんだ、俺は…」

 そもそも、それ程気になるのなら、相楽自身が様子を伺いに来るべきだろう。
 何故、俺が。
 俺が来て余計な茶々を入れて、雪緒が友人と気まずくなったりしたらどうする?
 そんな人の気も知らずに追い出すとは。
 しかし、ここまで来て何の収穫も無しに帰るのもどうだろうか?
 雪緒から聞かされる学び舎での話は、何の問題も無い様に聞こえる。
 いや、問題はあるが。
 実際にどうなのか、この目で確認してみるのも良いかも知れない。
 しかし、それを馬鹿正直に口にするのはどうだ?
 自分の話が信用ならないのかと、雪緒に怒られたりはしないか?
 果たしてどうしたものかと、石造りの門柱に背中を預けて考えていたら。

「だ…父上様?」

 雪緒の声が聞こえて来て、そちらへと顔を向ければ、友人と見られる少年と少女と並んで歩く姿が見られた。
 外で人目のある処では、父と呼べと言ったが…改めて、そう呼ばれると何ともくすぐったい物だな。
 しかし、こうして他の子供と並んで居るのを見れば、雪緒はやはり小柄で細い。隣に並ぶ少女と変わらない。少年の方は、俺の肩の高さから頭が少し出るぐらいか。因みに雪緒の頭は俺の胸に届くぐらいだ。まあ、雪緒はまだまだ成長期だから、これからの伸びしろに期待だな。

「あ、ああ。酔い醒ましがてら散歩ついでに来てみた。二人は友人か?」

 近付いて来た雪緒に、俺はそう声を掛けた。
 もう少し上手い言い様があると思うが、仕方が無い。不審に思われたりしなければ良いのだが。
 雪緒は小さく『酔い覚まし?』と呟いた後に、二人を紹介して来た。
 そこに引っ掛かるのか。どれだけの呑んだくれだと思っているんだ、こいつは。
 まあ、しかし普通の少年少女だな。この、倫太郎と呼ばれた少年が、雪緒にちょっかいを掛けているのかは解らないが。だが、変な気を起こさない様に牽制をして置いても損は無いだろう。

「そんな畏まらなくて良い。雪緒は迷惑を掛けては居ないか?」

 そう目を細めて笑えば、二人は目に見えて怯え出した。
 少々可哀想かとも思うが。
 だが、雪緒の幸せを思う為だ、悪く思ってくれるなよ。

「これからも雪緒を宜しくな。帰るぞ、雪緒」

 二人の言葉に、雪緒は外でも雪緒のままなのだと、何処かおかしくもあり、何故だか安堵もして、その頭に手を置けば、また雪緒の身体が強張った。そして、まるで俺の手から逃げる様に、雪緒は二人に向かって深々と頭を下げて見せた。
 その様に、何故か勝手に眉が跳ね上がるのを感じた俺は、慌てて雪緒に背を向けて足を動かした。

 ――――――――何だ、今のは…。

 雪緒は逃げた訳では無いだろう?
 友人に別れの挨拶をする為に、頭を下げただけだ。
 ただ、それだけだ。
 ただ、それだけの筈なのに。
 何故、胸がざわつく?
 何故、それが気に入らないと思った?
 何故、それを寂しいと思った?
 何故だ?

 それの答えを見出せずに、俺は片手で口を押さえて未だ青い空を見上げた。
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