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ころがって
【三】旦那様とぽかぽか
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朝、何時もよりも早くに目が覚めて、厠へ行こうと部屋を出たら、雪緒が縁側に腰掛けて、鋏を首筋にあてていた。
「ばっ! お前、何してる!?」
「あ。おはようございます、旦那様」
慌てて走り寄り、背後からそのひんやりとした細い腕を掴めば、雪緒はのんびりとした笑顔で朝の挨拶をして来た。
「鋏なぞ首にあててどうした!? 何があった!? 昨日、新しく来た学友に何かされたのか!?」
昨夜の夕餉の席で、雪緒から『星』の話を聞かされた。
それは確かに和やかに話していた筈だ。
身長が同じぐらいだったとか、でも、自分よりも腕が太かっただとか、物凄く食べるとか、髪が馬の尻尾みたいだとか、ちょっと吊り上がり気味の目が、笑うと垂れ下がるとか、そんな他愛も無い話だった筈だ。
それなのに。
一体、何が雪緒を追い詰めた!?
こんなにも身体を冷たくする程の事だ。
想像も出来ない何かが、あったのだ。
それに気付かずに、一晩も放置していただなんて!
何故、こうなる前に気付いてやれなかった!?
「あの、旦那様? 星様は僕に何もされてませんが?」
「嘘を付かなくても良い。こんなに身体を冷たくする程の衝撃を受けたのだろう? 自死をしたくなる程の。ああ、何も言わなくても良い。学び舎を辞めたいのなら、止めはしない」
そうだ。
これ程の思いをさせるのならば、学なぞ知った事か。
いや、鞠子は自宅に講師を招いて学んでいたと言っていた。
ならば、雪緒が望むのならば、そうしよう。
費用は学び舎に通うよりも掛かるが、その為の金ならば幾らでもあるからな。
「あの…身体が冷たいのは、水浴びをしまして…鋏は、伸びた髪を切ろうとしただけでして…この位の長さかなと、確認をしていただけなのですが…勘違いをさせてしまった様で、申し訳ございませんでした」
そう、考えていたら、何やら空耳が聞こえて来た。
「……………………………………………………………は?」
「あの、ですから…その…昨日、星様からぽかぽかだと言われまして…」
ぽかぽか?
ここでも、ぽかぽか?
いや、それ、本人に言うか?
「…………………………それで…?」
雪緒の腕を掴んだまま、俺は抜けそうになる腰を廊下に下ろした。
「それで…僕の体温はそれ程に高いのかと…ですから、水浴びをして身体を冷やせば良いかと思いまして…髪は星様のお馬さんの尻尾を見ていましたら、僕の髪も大分伸びたな、と、思いましたので…それで切ろうと思った次第でして…」
その言葉に、俺は雪緒の腕から手を離して、廊下に胡座を掻いて座り直した。
「……………………………はあぁ~…。いや…勘違いした俺も悪いが…朝から肝が冷えたぞ、俺は…」
そうして、長い息を吐いて両手で顔を押さえて呻けば、雪緒がもう一度『申し訳ございません』と、頭を下げて来た。
「…ああ、いや、謝らなくて良い。あのな、ぽかぽかってのは、揶揄だ。お前と居ると穏やかな気持ちになれるとか、そう云う事だろう。あと、髪か…確かに伸びたが、気になるのか? 気になるのなら、明日は互いに休みだし、俺が切ってやろうか?」
「本当ですか!? 旦那様が僕の髪に触って、切って下さるのですか!?」
ん?
何か、言い回しに引っ掛かったが、申し訳無さそうに項垂れていたのが一転して、目を輝かせて笑顔を浮かべて来たから、俺は頷いた。
「ああ。鞠子程、綺麗には行かないが…それでも、構わないか?」
「旦那様が触れて下さるのに、何の不満がありましょう!」
触れる? 切ると言いたかったのか?
「そうか。なら、期待に答えられる様にしないとな」
「はい、明日が楽しみです! …あ、あの、旦那様…?」
そろそろ厠へ行かないと、粗相をしてしまうかも知れないなと、腰を上げたら、先程までの勢いから一転して小さな声に引き留められた。
「ん? どうした?」
両膝に手を置いて、立ち上がろうとした中腰の姿勢で、雪緒を見る。
「…先程、穏やかな気持ちになれると仰って下さいましたが…その…旦那様は…そう思って下さっていると云う事でしょうか…?」
ん?
見上げて来る雪緒の丸い瞳が、潤んでいる様に見える。
「…そうだな…。お前は、しっかりしている様に見えて、何処か抜けているからな。まあ、ギスギスはしないな」
何だ?
穏やかだと言われて嬉しかったのか?
涙ぐみそうな程に?
それだけで?
「ふあ?」
そう思ったら、雪緒の鼻を摘まんでいた。
腕は冷たかったが、鼻は熱いんだな。
「…厠へ行って来る。今朝の品は何だ?」
「は、はひ。鮭に、油揚げと大根葉のお味噌汁に…」
「そうか、楽しみにしてる」
そう言って、俺は雪緒の鼻から手を離して厠へと急いだ。
「へふっ!」
小さく、そんな間の抜けたくしゃみが聞こえて来て、それも雪緒らしいなと、口元を緩めながら。
「ばっ! お前、何してる!?」
「あ。おはようございます、旦那様」
慌てて走り寄り、背後からそのひんやりとした細い腕を掴めば、雪緒はのんびりとした笑顔で朝の挨拶をして来た。
「鋏なぞ首にあててどうした!? 何があった!? 昨日、新しく来た学友に何かされたのか!?」
昨夜の夕餉の席で、雪緒から『星』の話を聞かされた。
それは確かに和やかに話していた筈だ。
身長が同じぐらいだったとか、でも、自分よりも腕が太かっただとか、物凄く食べるとか、髪が馬の尻尾みたいだとか、ちょっと吊り上がり気味の目が、笑うと垂れ下がるとか、そんな他愛も無い話だった筈だ。
それなのに。
一体、何が雪緒を追い詰めた!?
こんなにも身体を冷たくする程の事だ。
想像も出来ない何かが、あったのだ。
それに気付かずに、一晩も放置していただなんて!
何故、こうなる前に気付いてやれなかった!?
「あの、旦那様? 星様は僕に何もされてませんが?」
「嘘を付かなくても良い。こんなに身体を冷たくする程の衝撃を受けたのだろう? 自死をしたくなる程の。ああ、何も言わなくても良い。学び舎を辞めたいのなら、止めはしない」
そうだ。
これ程の思いをさせるのならば、学なぞ知った事か。
いや、鞠子は自宅に講師を招いて学んでいたと言っていた。
ならば、雪緒が望むのならば、そうしよう。
費用は学び舎に通うよりも掛かるが、その為の金ならば幾らでもあるからな。
「あの…身体が冷たいのは、水浴びをしまして…鋏は、伸びた髪を切ろうとしただけでして…この位の長さかなと、確認をしていただけなのですが…勘違いをさせてしまった様で、申し訳ございませんでした」
そう、考えていたら、何やら空耳が聞こえて来た。
「……………………………………………………………は?」
「あの、ですから…その…昨日、星様からぽかぽかだと言われまして…」
ぽかぽか?
ここでも、ぽかぽか?
いや、それ、本人に言うか?
「…………………………それで…?」
雪緒の腕を掴んだまま、俺は抜けそうになる腰を廊下に下ろした。
「それで…僕の体温はそれ程に高いのかと…ですから、水浴びをして身体を冷やせば良いかと思いまして…髪は星様のお馬さんの尻尾を見ていましたら、僕の髪も大分伸びたな、と、思いましたので…それで切ろうと思った次第でして…」
その言葉に、俺は雪緒の腕から手を離して、廊下に胡座を掻いて座り直した。
「……………………………はあぁ~…。いや…勘違いした俺も悪いが…朝から肝が冷えたぞ、俺は…」
そうして、長い息を吐いて両手で顔を押さえて呻けば、雪緒がもう一度『申し訳ございません』と、頭を下げて来た。
「…ああ、いや、謝らなくて良い。あのな、ぽかぽかってのは、揶揄だ。お前と居ると穏やかな気持ちになれるとか、そう云う事だろう。あと、髪か…確かに伸びたが、気になるのか? 気になるのなら、明日は互いに休みだし、俺が切ってやろうか?」
「本当ですか!? 旦那様が僕の髪に触って、切って下さるのですか!?」
ん?
何か、言い回しに引っ掛かったが、申し訳無さそうに項垂れていたのが一転して、目を輝かせて笑顔を浮かべて来たから、俺は頷いた。
「ああ。鞠子程、綺麗には行かないが…それでも、構わないか?」
「旦那様が触れて下さるのに、何の不満がありましょう!」
触れる? 切ると言いたかったのか?
「そうか。なら、期待に答えられる様にしないとな」
「はい、明日が楽しみです! …あ、あの、旦那様…?」
そろそろ厠へ行かないと、粗相をしてしまうかも知れないなと、腰を上げたら、先程までの勢いから一転して小さな声に引き留められた。
「ん? どうした?」
両膝に手を置いて、立ち上がろうとした中腰の姿勢で、雪緒を見る。
「…先程、穏やかな気持ちになれると仰って下さいましたが…その…旦那様は…そう思って下さっていると云う事でしょうか…?」
ん?
見上げて来る雪緒の丸い瞳が、潤んでいる様に見える。
「…そうだな…。お前は、しっかりしている様に見えて、何処か抜けているからな。まあ、ギスギスはしないな」
何だ?
穏やかだと言われて嬉しかったのか?
涙ぐみそうな程に?
それだけで?
「ふあ?」
そう思ったら、雪緒の鼻を摘まんでいた。
腕は冷たかったが、鼻は熱いんだな。
「…厠へ行って来る。今朝の品は何だ?」
「は、はひ。鮭に、油揚げと大根葉のお味噌汁に…」
「そうか、楽しみにしてる」
そう言って、俺は雪緒の鼻から手を離して厠へと急いだ。
「へふっ!」
小さく、そんな間の抜けたくしゃみが聞こえて来て、それも雪緒らしいなと、口元を緩めながら。
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