旦那様と僕

三冬月マヨ

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向日葵―奇跡の時間―

向日葵の想い【十二】

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『駄目です! 写真機は魂を吸い取るのです!』

 と、ゆき君が両手を使って顔を隠して、更には座布団の上で丸く蹲ってしまったので、お誕生日の写真は何とも言えない物になってしまいました。との文を叔父様に送りましたら『ははは!』と、便箋一枚を使った笑いを表す文字が綴られた返信を受け取りましたわ。そして、二枚目には『次からは隠し撮りだね!』との助言が書かれてありましたので、私は隙あらば、ゆき君を隠し撮りしています。ただ、隠し撮りですので、ゆき君の後ろ姿やピンぼけが多いのですけれど…。お庭のお掃除をするゆき君の後ろ姿。寒くなって来たので、お風呂場でお洗濯をするゆき君の小さな背中。廊下の雑巾がけをするゆき君のお尻。
 今は廊下から縁側に続く戸の硝子を拭くゆき君の横顔を…あら…? どうしたのかしら? 何だか怖い顔をしているわ? あらあら?

「ゆき君、どうしたの? お水で手を切ったりしたのかしら?」

 写真機をお部屋の箪笥の上に置いて、廊下へと出てそっとゆき君に声を掛けます。
 十二月に入り、寒さも厳しくなる一方の今日この頃です。お水も蛇口から出して直ぐの物は、本当に切れてしまう程の冷たさです。暫く出していれば、その冷たさも幾らかは和らぐのですけれど、ゆき君は勿体ないと言って洗い物も直ぐに始めてしまうのよね。お妙さんが傍に居れば『駄目』と、怒ってくれるのですけれど、今日はお妙さんは腰の具合が悪くて、お部屋で休んで貰っているのです。

「あ、いいえ。御心配をお掛けして申し訳ございません。僕の手は大丈夫です。指先が少し赤くなるだけで、お妙さんが直ぐに軟膏を塗って下さいますし」

 ほら、と、手にしていた雑巾を脇に置いてあった桶に入れてから、両手を広げて私に見せて来るゆき君は、眉を下げて少しだけ困った様に、けれど少しだけ嬉しそうに笑います。

「…ふふ…そうね、綺麗な指だわ」

 差し出されたゆき君の、それぞれの小さな指先をそっと摘まんで、私は小さく微笑みます。
 ここへ来た頃とは比べ物にならないぐらいに、何の引っ掛かりも無い、滑らかな指先です。この先も、ずっとこのままで。この小さな指が血を流す事の無い様に。それを願うのは、我儘でも何でも無くて当然の事よね?
 けど…。
 …でも、それなら何故、あんな顔をして外を見ていたのかしら? 怖い物を、嫌な物を見る様に、それはとても苦しそうに見えたのだけれど…。

「ああああの、雑巾を持っていました手ですので、奥様のお綺麗な手が汚れてしまいます」

「あらあら。毎日、ゆき君とお妙さんが綺麗にしてくれているのよ? 汚れなんて何処にも無いわ」

 ほんのりと頬を赤くするゆき君がとても可愛らしくて、私は摘まんだゆき君の指先を離す事が出来ません。口では断りを述べても、ゆき君の指は摘ままれたままで動きませんもの。どうして、人は腕が二本しかないのかしら? 蜘蛛の様に沢山あれば、今のこの瞬間を撮る事が出来るのに。でも、良いわよね? 私だけの思い出として残しても。私だけが知るゆき君の表情としても。
 そう思いながら頬を緩めた時、ぱさりとした音が耳に届きました。その時に、摘まんでいたゆき君の指先がぴくりと動いたのです。

「…あらあら、何時の間に…初雪ね」

 僅かに震えるゆき君の指先をそっと離してから、掌を使って包み直して、透明な硝子の向こうで舞う、割と粒の大きい白い雪を見ました。

「…はい。少し前から…粉雪だったのですけれど…粒が大きくなって来ました…」

 心なしか硬いゆき君の声。その表情は写真機を通して見た時と同じ様に、苦しく、辛そうで。掌の中のゆき君の指先は、僅かだけれど、それでも震えていました。

「…ゆき君は雪が嫌いなのかしら…?」

 …嫌いと云うよりは…怖がっているのかしら…?
 お願いだから、嫌ったり、怖がったりしないで? 雪はゆき君の名前にある物よ? 自分を嫌いにならないで? これまでも、ずっと雪の度にそんな顔をして来たのかしら? 

「…この様な事を口にするべきでは無いのですが…」

「口にしてはいけない事なんてないのよ? 溜め込む方が余程悪いから。どんな事でも、どんな些細な事でも、ゆき君が思った事を口に、言葉にして欲しいわ」

 これは、叔父様が私に言って下さった事と同じ事。
 どんな些細な事でも、積み重なって行けばとても大きな物になるのだから。
 どんな事でも良いの。ゆき君の思いを聞かせて? 誰もが『そんな事』と、鼻で笑う様な事だとしても、ここに居る皆が笑う事なんてないのだから。皆で考えて、少しでも良い方へ向かう様にしましょう?

「…雪は…嫌いです…冷たくて…寒くて…吹き込んで来た雪が布団に積もって…重くて…何時も…早く止む様にと思っていました…」

 きゅっと、私の手の中でゆき君の指先が丸められます。

 …ああ…。そうね…ゆき君にとって、雪はそう云う物なのね…。
 青空の下、積もった雪の真っ白な輝きはとても綺麗な物なのだけれど、それをゆき君は知らないのね…。…ただ、ただ、寒い冬が去る事を祈るだけだったの…。

「…それですのに…ここは…雪が降っていましても…とても暖かくて…。…こんなに戸の近くに居ますのに…隙間風も…吹き込んで来る雪も無くて…。…僕なんかが…この様に暖かな場所に居て良いのでしょうか…? …本当は…これは…僕が見ている夢なのでは無いのでしょうか…? だとしたら、僕は何て身の程知らずな夢を見ているのでしょうか…? 屋根のある場所を提供して戴いていますのに…目が醒めましたら…僕は…やはり、雪の吹き込む場所に居て…ああ、そうです…これは何時か溶けて消えてしまう雪と同じ夢なのです…。…僕は…きっと…この雪と同じ様に溶けて行くのです…だって…ここは僕が居てはいけない場所なのですから…」

「駄目よっ!!」

 段々と夢を見る様に細められ、伏せられて行くゆき君のその表情が、本当に雪の様に溶けて消えて行きそうに見えて、私は自分でも信じられないぐらいの強い声で叫んでいました。
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