紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第2章 望まない繋がり

第11話 方便

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 暁明シャオメイと共に潜った門扉の先は広大な園林にわが広がっていた。
 
 見上げるほどに巨大な太湖石たいこせきが夏空を突き、新緑が競うように枝葉を繁らせている。鉄錆色のあずまやが鎮座する池は、蓮の葉でびっしりと覆われ、葉の隙間から窮屈そうに錦鯉が泳いでいるのが見える。庭の奥、木々の隙間からひっそりと白壁の舎殿がこちらを覗く。当然人気はなく、房室へやの入口は全て閉ざされ、雨戸が引かれていた。

 曄琳イェリンはほうと見渡す。

「すごく……趣深い仕上がりになっていますね」
「ここも閉めて一年が経ちますからね」
 
 しみじみと零す暁明の横で、曄琳は足に纏わりつく下草を踏みしめる。かろうじて園林の体裁は保っているが、あちこちで草木が自然に還ろうとしているのを感じる。雑草の生命力は凄い。
 曄琳は暁明の横顔を盗み見る。この蒸し暑い中で汗一つ流していないのだ。彼よりも軽装の曄琳が袖で汗を拭っているというのに、おかしな話である。

(水袋でも背中に仕込んでるんじゃ?)

 そんな失礼なことを考えていた曄琳の視線に気づいたのか、暁明の目がこちらを向く。

「何か?」
「い、いえ」
「あなたのことは、ここへ来る前にざっと調べました。貧民街から宮妓に引き抜かれたそうで。子女上がりの宮妓とは威勢のよさが違いますね」

 威勢なんて良いように言葉を使われているが、ようは雑な女と言われてるのだ。曄琳は手拭いくらい持ってくればよかったと、顔を拭いかけていた手をおろす。
 
「私は引き抜きじゃなく、人攫いに連れてこられただけなので」
「ああ、人攫い。噂には聞いていましたが、まだそんなやり方で人員補充しているんですか」

 やはり彼も、例に漏れず良家のご子息様だ。 
 呆れたように首を振る暁明を横目に、曄琳はひとりごちる。
 名家出身の官人連中は、意外と下っ端の事情など知らないものだ。

 暁明の実家ソン家も昌州チャンヂョウでみなが知る名家だ。武官を多く排出する家であり、代々宋家当主が左羽林軍さうりんぐん大将軍を拝命していると聞く。文官の暁明が宋家から出てきたことが不思議である。宋家は武の家なのだ。
 そんな宋家の異端児・暁明は、曄琳の顔を控えめに覗き込んできた。
 
「その眼帯は?」

 暁明の下調べをもってしても曄琳の素性は深く探れなかったらしい。母と子二人で長年隠れ続けていた隠遁いんとん力は伊達ではない。
 
「えと……左目は失明して見た目が酷くて、見るに堪えないので隠しています」

 笑って誤魔化すと、何を勘違いさせたのか暁明の顔が歪む。
 
「貧民街からこちらへは一人で?」
「も、もちろんそうですね。両親も既に他界しているので、一人なのはあまり気になりません」

 両親は前皇帝陛下と逃亡した櫻花インファ妃なのだが。
  
 決して間違ったことは言っていない。が、語弊があるのも確かだ。彼の中では天涯孤独で憐れな隻眼の女像が完成してしまったようで、途端表情が暗くなった。曄琳は慌てて言い繕う。
 
「人生色々、山あり谷ありですからね。私は私の見た目を受け入れてますし、どうぞお気になさらず」

 これ以上踏み込んでくるなと暗に一線を引いたつもりだった。しかし、暁明はそれを無視して踏み込んでくる。

「受け入れている?」
「え? ええ、まあ、苦労も多いですけど。親が生んでくれた身体ですから、私は好きですよ」
「好きと言い切れるとは、お強いですね」
 
 彼はもっと他人に興味を持たぬ人間だと勝手に思っていたこともあり、想像以上の反応を引き出してしまったことで曄琳は戸惑った。
 
(何か引っかかることでも…………ああ、足か)

 曄琳が暁明の足に視線を落とす。一瞬のことであったが、暁明はそれに気づいたようで、薄く笑う。

「黙っていていただけると嬉しいのですが」
「そのつもりですけど……何か事情が?」
「家との折り合いが悪く、あまり吹聴してほしくないんですよ」

 詳細は分からないが聞いてはいけないことだったか。
 曄琳は無言でうなずくと、暁明より一歩前を歩いて先を行く。
 こみいった話をするほど、人とのしがらみは増える。いずれ脱走する身である以上、不要な馴れ合いは避けたい。
 
 この話は終いだという曄琳の雰囲気を察して、暁明もそれ以上話をすることはなかった。
 
 さくらの木の下を通り、二人は舎殿へと入った。中は真っ暗であったが、雨戸を開けていくと徐々に室内の様子がわかるようになった。
 曄琳は室内を見渡す。
 貴妃の遺品の大半は、今曄琳達がいる房室にまとめられているようだった。床に敷かれた布にところ狭しと並べられている。大型の家具は生前のまま各室内に残されているらしかった。
 曄琳は空っぽの飾り棚や書架に目を向ける。
 ここにある物達は全て、女主人が亡くなると同時に時を止めたのだ。埃が薄い膜のように積もっているのがなんともうら寂しい。
 暁明が埃に顔をしかめながら曄琳を振り返る。
 
「ここは客庁おおせつまです。妃が主に過ごしていた房室は三つ。女官らの控えの間や納戸を含むと、安礼宮あんれいきゅうに居室は十あります」
「さすが貴妃、広い住まいですね」
「安妃が主に過ごしていたのは客庁横の房と、その奥の卧室しんしつです。私物が多いのもその二箇所でした」

 曄琳は隅に置かれた遺品類のそばに膝をついた。
 香炉に筆、文鎮。女性らしい持ち物がずらりと並ぶが、どれも遺書を隠せるような大きさではない。 

「他に遺品は?」
「卧室に少しありますね」

 暁明の視線の先をたどり、曄琳は奥へ向かう。
 ひょいと頭だけ出して確認した卧室は、他よりも一層簡素な内装をしていた。奥に豪奢な牀榻しんだいが鎮座している以外は、手前に卓と棚がある程度のがらんとした空間だ。

 私物らしきものは大型の壷くらいか。
 頭を引っ込めようとした曄琳だったが、牀榻横の棚に置かれた琵琶に目が留まった。

「あ、琵琶があるじゃないですか」

 楽器である琵琶を他の遺品のように床に置くのは気が引けたのかもしれない。曄琳が室内に入ると、遅れて暁明もついてきた。

「安妃は琵琶を演奏されていたんですか?」 
「ええ、とてもお上手でしたよ。生前はよく主上にご指導なさっていました」
「へえ、楽人だったんですね」

 赤ん坊と美しい妃が寄り添うようにして、同じ琵琶に手を掛けている。琵琶の音に喜ぶ子に貴妃も喜んで弦を弾く――そんな姿が想像できてしまう。
 母と仲が良かったらしいというのも納得だ。母も後宮では毎日音楽に勤しんでいたと言っていたから。

(安妃が遺された人達に何か伝えたいことがあったなら、見つけてあげたい)

 母と繋がる人である安妃に、曄琳は少なからず親近感を抱き始めていた。乗りかかった船だ。ここまできたらさっと見つけて、さっと退散しようとひとり頷く曄琳であった。



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