紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第2章 望まない繋がり

第12話 思い出の琵琶

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 琵琶びわを調べようと早速曄琳イェリンは棚から降ろそうとするが、棚が高く手が届かなかった。曄琳は小柄だ。人より少々短い腕を恨む。

「くそ、届かない……」

 なんとか取ろうとしていると、横から手が伸びてきた。影が落ちる。曄琳より頭ひとつ上背のある暁明シャオメイが琵琶を持ち上げた。
 
「くそなんて言葉を使わない。はい、どうぞ」

 呆れ顔の暁明が曄琳を見下ろす。
 女官姿なのに声は男性。身長も高い。なのに、美女。
 彼を見ていると視覚と聴覚が一致しなくて頭がおかしくなりそうだ。
 曄琳は琵琶を受け取ると、そそくさと暁明から離れる。もとの彼と会話したことがあるせいで、違和感が拭えない。主上はこんな女装した側近で本当に人見知りが緩和されるのだろうか。
 今はそんなことはどうでもいいか。
 曄琳は手元の琵琶に視線を落とす。
 
「この琵琶も一通りは調べてるんですよね」
「ええ、私が見た限りでは遺書が隠されているようには思えず。見ていただいてもよろしいですか」

 琵琶をまんべんなく観察する。
 教坊でも馴染みのある重さが掌に掛かる。文字通り琵琶の実のような曲線を描く胴に、艶やかな暗褐色が美しい。
 曄琳はコンコンと琵琶を指で叩いてみた。中に何か入っていそうな音はしない。

(素材は紫檀したん琴頭きんとうの装飾は……麒麟きりんか。素材は翡翠っぽいな)

 琴頭は調弦する際に動かす琴軸の更に上、琵琶の頭部にあたる部分だ。そこに親指と人差し指で丸を作った程度の大きさの、円形の板を装飾品として嵌め込む。持ち主の趣味嗜好に合わせて意匠を凝らすので、個性が出る部分でもある。楽工房で職人が削り出しているところを、曄琳は何度か見かけたことがあった。貴妃は天翔ける麒麟を選んだようだ。

「どうですか?」

 暁明が曄琳の表情を読み取ろうとじっと見てくる。
 曄琳は琵琶を何箇所か弾いて確認するが、中から紙の音らしきものは聞こえなかった。
 曄琳が首を横に振ると、暁明があからさまに落胆した。

「そうですか。妃の思い出の品なので、もしやと思ったのですが」

 そこまで言われると、やはり琵琶に遺書があるのではと思えてくる。曄琳はもっと徹底的に調べようと袖を捲った。
 暁明はそんな曄琳の様子に長くなると感じたのか、ふむと顎を撫でていた。
 
「二手に分かれた方が効率がいい。私は隣の房室を見てきますので、何かあったら声をかけてください」
「わかりました。何か見つけたら呼びます」
 
 暁明の後ろ姿を見送る。
 こちらを完全に信用しているわけではないだろうが、一人にさせるということは今の曄琳にどうこうする力がないと踏んでいるのだろう。または何かあっても対処できるだけの腕があるか。

(まあ、科挙を通ったなら、文官であっても一通りの武芸はできるものか)
 
 しかし、だ。
 やはりその足音はわずかに引きずっているように聞こえた。

(普通の人には多分何の違和感もなく聞こえるんだろうけど)

 曄琳は息を吐き出すと、手元の琵琶を調べようと意識を集中した。

 琵琶は四本の弦がある。調弦の基本は一弦から四弦までを六、三、二、六と合わせることが多い。曄琳が爪で一弦を弾くとやや低めの六音が鳴った。

(夏だし今は手入れもされてないから、湿気で弦が緩んだのか。それより――)

 もう一度鳴らす。

(微妙に聞いたことのない雑音が交じっているように聞こえるんだけど、なんだろう? どこが原因?)

 何度鳴らしても雑音は消えない。曄琳は琵琶を表に返し裏に返しと探ってみる。見た目は普通の琵琶だ。違和感の原因になりそうな場所をくまなく見てみるが、よくわからない。

「何か隙間が開いたような音というか、木の軋みというか…………あれ?」

 曄琳は琵琶の横の継ぎ目を指で辿って、はたと気づいた。継ぎ目が微妙に合っていない。紙一枚にも満たない、ごく僅かな隙間だ。
 琵琶の胴体は、表の面板と裏の背板を合わせて作られる。壊れるなどしない限りこの継ぎ目が開くことはないのだが、安妃の琵琶はこの部分が一部、本当に少しだけ浮いていた。
 もう一度弦を弾いて納得した。

(なるほど、ここの隙間が音を立てていたのか)
 
 目視しても絶妙にわかりにくい場所だ。継ぎ目はにかわで接着しているはずで、だとするとこの暑さで緩んだのかもしれない。

(でも……うーん、そんなことある? 緩んだにしてもちょっと妙)

 曄琳は琴頭の装飾を撫でる。
 天翔ける麒麟――女性の琵琶につけるにはいかめしい意匠だ。

「麒麟。麒麟か……確か主上のお名前は確か――」

 ――旺 遊聖ワン ヨウシォン
  
(ああ、麒麟ってそういうこと)

 麒麟の鳴き声は音階と一致していると言われ、雄の鳴き声は遊聖ヨウシォンという。麒麟は賢君の象徴、次代皇帝に名乗りを上げるであろう我が子に、名付けであやかろうとしたのかもしれない。楽人らしい発想だ。
 
 そこに確信に満ちた何かが降りてきた。
 固定観念に囚われていた。
 そうだ、遺書はのだ。

 曄琳が呼ぶと、暁明が隣の部屋から顔を出した。

ソン少監、簪を貸してもらえますか?」

 曄琳が手を差し出すと、暁明が不審そうに近づいてくる。目は曄琳の手元の琵琶に釘付けだ。

「何をするんですか」
「琵琶の解体です」
「解体……まさか」

 暁明がすっ飛んでくる。

「遺書を見つけたんですか?」
「見つけたといいますか、推定といいますか」

 煮え切らない曄琳に、暁明は結い上げた髪から簪を抜く手を止める。

「話を聞いてからにしましょう。もし違っていた場合、安妃と主上の思い出の品を潰してしまうことになりかねません」

 曄琳もうなずくと、手元の琵琶をおろした。
  
 


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