紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

文字の大きさ
10 / 37
第2章 望まない繋がり

第10話 亡き安妃

しおりを挟む


 
 まさかまたここに戻ってくることになるとは思っていなかった。
 
 曄琳イェリンかんぬきの掛かる大きな門扉を見上げる。

「開けるので下がってください」

 曄琳の前には鍵を手にした暁明シャオメイ、もとい女装姿の暁明がいた。

「こんな昼日中に後宮へ来て大丈夫ですか?その……見破られたりとか」
「平気です。何度私がこの格好でここに来ていると思っているんです」

 不敵に断言する暁明は、その自信に違わずどこからどう見ても楚々とした女人であった。細い腰に白い項、化粧を施した陶器のような肌。女にしては長身だが、すらりとした体躯に緋色の裾子スカートがよく映える。

(女の私よりも女らしいってどういうこと?)

 曄琳は複雑な気持ちで閂を外す暁明を見る。鎖骨から胸元を出す今風の女官の着こなしと違い、交領でしっかりと胸元を隠しているあたりが少し目立つが、貞淑な女官だと思えば言及されることはないだろう。しっかりと胸に詰め物までして挑んだ徹底的な造り込みに、半ば感心すらする。

「そんなに見ても何も出ませんよ」

 曄琳の不躾な視線に暁明が冷ややかな目をする。
 別に変態なわけではない。単純に気になっただけなのだ。
 先を行く暁明の後に続き、曄琳も門を潜る。この門の先には、亡きアン妃の住まい――安礼宮あんれいきゅうがある。

 目的はひとつ、安妃の遺書探しだ。



 ◇◇◇


 
「これより先は他言無用。いいですね」

 そう前置きをして、暁明は切り出した。先立って人払いも済んでいるのか、外に人の気配はなく物音もなかった。

「探して欲しいのは、亡き安貴妃の遺書です」 

 暁明は桂花糕グェイファガオの壺に蓋をすると、重く息を吐き出した。

「安妃のことはどこまでご存知ですか?」
「あまり詳しくはありません」

 お偉方の動向は宮中のいい酒の肴だ。どこで知ったと言いたくなるような内容も赤裸々に流れてくる。曄琳は極力後宮に近づかないようにしていたこともあり、そのあたりの情報には疎かった。
 暁明は清廉な双眸が一度閉じられ、ゆっくりと開いた。

「妃はある日突然、胸が痛いとお倒れになり、そのまま回復することなく亡くなられました。妃に持病もなく原因不明とのことで先帝も大層気を揉まれ、病床の折には太医署たいいしょから侍医を後宮へ派遣させてまで治療したのですが、その甲斐なく……」

 暁明は過去を思い出すように遠い目をする。
 
「安貴妃は大変穏やかな方でした。見舞いで枕辺に寄る主上をご覧になるたび、動けず床に伏せたままでいることによく涙しているほど」

 幽鬼と噂された貴妃とは異なる姿が語られる。
 ようやく喋り、駆け回るようになった可愛い我が子を前に床に伏せたままというのは、母としてどんなに辛かったろう。その様子が克明に想像できて、曄琳は唇を噛んだ。
 
「そして……これからが問題なのです」

 暁明がため息をついた。
 
「半月ほど前、ようやく遺品整理も終わるとなったときに主上がこうおっしゃりだしたのです。『母の遺書がある』と」
「遺書?」
「ええ。なんでも、貴妃が伏せっていらしたときに『遺書があるから探してほしい』と言われたというんです。しかし、遺品整理の際にそれらしきものはありませんでした」
「それは……」
「どこまで本当の話なのかはわかりませんが、あの方があるとおっしゃるのならば、探す他になく」

 皇帝陛下の言葉は何よりも重い。
 それが例え五歳児の言うことであってもだ。
 複雑な面持ちの暁明に対し、曄琳も言葉を選ぶ。

「主上は当時四歳、ですよね。信憑性は低いのではないでしょうか」
「普通ならそうでしょう。しかし、主上はとても聡くていらっしゃる。幼子らしく人見知りもしますが、全て嘘だとは言い切れないのです」

 なんてややこしい。
 なら可能性はもうひとつ。
 
「探しても見つからないということは、誰かに持ち去られた可能性はありませんか?」
「ありません。安礼宮は貴妃が亡くなると同時に閉鎖し、遺品の整理も当時私の信頼のおける部下数名だけで片づけました。鍵も、特例でこうして私の手に」
 
 暁明が懐から鍵束を出す。
 本来、後宮女官が管理せねばならない鍵をこうして暁明が直接管理している。

(貴妃の遺書の探し方といい、何か仄暗い事情を感じるんだけど)

 暁明の女装理由の二つ目。女装した日――主上とともに後宮へ入った日は、ついでに夜、安礼宮で密かに遺書探しをしていたということだ。

 事情を深く聞いてはいけない。
 曄琳は好奇心に蓋をし、なんとか捜索参加を拒否できないかを模索することにした。 
 
「事情はわかりましたけど、そんな幻の遺書探しに私が協力できるとは思えません。私は物探しの達人ではありません。ただ人より耳が良いだけです」

 曄琳の耳は普通の人と同じ。音を聞く耳であって、全てを見通す力を持つ耳ではない。そこを勘違いしてもらっては困る。曄琳の真っ当な反論に、暁明も食い下がる。

「安礼宮内の遺品の数は、点数だけ見ると非常に多い。いちいちひっくり返し、解体して探していては日が暮れる。できる限り早く見つけるには、あなたの耳が適任だと思ったのです」
「私の耳は便利道具でもないのですが」

 人手と時間削減のために駆り出された最終兵器といったところか。

「便利道具などと思ってはいませんよ。今回捜索に参加していただければ、次回も呼ぶなどということはしません。見つかっても見つからなくても、今回のみです。お時間をいただけませんか?」
「そこまでして――」

 そこまでして手に入れたい安妃の遺書に、何が書かれているのか。暁明の必死さからして、内容に思い当たる節があるのだろうと曄琳は推測する。
 そもそも、遺書は隠すものではない。読んでもらわなければ書いた意味がないからだ。それなのに隠したということは、安妃に遺書の内容を公にしたくない理由があったのだ。

(あああ……厄介なことに巻き込まれてしまった……)

 転げ回りたい気分だ。
 自身の秘密もあるのに、他人の秘密を探る余裕などあろうはずもない。

「遺書探しは明日行う予定です。掖庭宮で人と出会したのは予定外でしたが、相手があなただったのは僥倖です。穏便に、人目を忍んで遺書を回収したいのです。協力をお願いできますか」

 お願いできますか、なんて丁寧な言葉を使っているが、これは脅しだ。曄琳は項垂れた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

処理中です...