紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第3章 華の競い合い

第20話 入内と立て札

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 掖庭宮えきていきゅうの入口は通明門つうめいもんただ一つである。
 この内教坊に隣接する大門は、百華を守る後宮の砦を担う。
 宮女や下人専用の戸口は外郭にいくつかあるが、門と呼べるものはこの通明門のみ。その上、掖庭宮は水堀に囲まれており、中へ入るには門をくぐり、堀に掛かる太鼓橋を渡り、入口手前の尚宮しょうきゅうで木簡の改めを受けてようやくという道程だ。
 
 入口が一箇所のみに加えて中へ入るために手続きがいるとなると、起こりうるのは――混雑しかない。

「後宮、朝からすんごい列になってますね」
「ほんとよねぇ。蟻の行列みたい」

 曄琳イェリンミンと教坊の庁堂ひろまからぼんやりと通明門を覗いていた。早朝から女官や宮女が通明門にずらりと並び、列が途切れる気配は微塵もない。皆大小様々な荷物を抱えており、茗の『蟻の行列』という喩えはまさに言い得て妙であった。

 茗が耳の穴をほじりながら七弦琴を調弦していく。少し前の雲角のヒビはすっかり直したらしく、粘土で埋められていた。音のズレやヒビの音は聞こえない。

「なんでもイイトコロのお嬢さん方が一斉に入内じゅだいするらしいよ。四華スーファの儀とやらがあるんだってさ」
「四華の儀? 妃嬪選びですか?」
「皇帝陛下はまだあーんなちっこいのにねぇ。四夫人を入れたところでって感じだけど」

 後宮に身を置く妃嬪らは、皇后を頂点に、四夫人、次いで九嬪、二十七世婦、八十一御妻の順に位を得る。この度選ばれるらしい四夫人は、その名の通り四つの位――上から貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の順に位を分ける。

 四華の儀とはこの四つの椅子を争って女達が競い合う場なのだろうと曄琳は解釈した。

(で、この蟻の行列は選抜関係者ってとこか)
  
 曄琳は炎天下の中、列を成す人々に耳を傾ける。

「早くジュ様のところに行かないといけないのに」「私がお仕えするのはリン家から四の姫ですって。まだ七つだとか」「こっちは六歳ですって」「後宮って決まりとか厳しいのかしら……」

 並ぶ女官は皆他部署から後宮へ配属された増員らしい。不安と期待が混じった声が聞こえてくる。
 今の後宮は閑散としている。先代の崩御にともなって先の後宮は解体され、当時の宮仕えの大半が尼寺送りとなった。今の後宮は主上が即位後再編された後宮で、必要最低限の人のみを配置しているらしい。
 
(後宮は今しばらくは忙しないだろうなぁ)

 暁明シャオメイが言っていた四夫人のもとで云々も、すぐには行われないだろう。なにしろ、まだその四夫人が選ばれてすらいないのだから。

 七弦琴の弦を弾いていた曄琳は、ふと風に乗って聞こえてきた大勢の足音に顔を上げた。何人なのか拾えないが、みな一様にこちらへ向かっている。
 曄琳は琴から手を離して欄干から顔を出すと、茗が訝しげな顔をして続く。

「どしたの?」
「何かこっちに向かってるような……」

 しばらくすると曄琳の察知した通り、色とりどりの一団が角を曲がって姿を現した。容車ようしゃを先頭に、赤の衣で統一された宦官や女官らが付き従う。

 右目だけでなんとか目を凝らすと、女官は一様に赤い玫瑰バラの刺繍が施された薄衣の帔帛ひはくを腕に掛けていた。
 曄琳の頭に顎を乗せた茗が騒ぐ。

「うへぇ、天女の一団みたいだわ」
「それにしては俗物的ですけどね」

 曄琳は冷めた目で玫瑰の一行を見つめた。
 門につくと、車から小さな人影が女官に抱えられて出てきた。やはり全身赤で統一されている。年不相応な金銀装飾で全身を飾り立てられたその子は、主上と同じくらいの年に見えた。

 真っ赤な唇に、白雪のような肌、そして瑞々しい黒髪。細い手足は幼く、胸など全くないのに一丁前に胸元を開けている姿は、可愛らしさより取り繕ったような痛々しさすら感じた。

(揃いの玫瑰にここまで豪華な輿入れとなると、さっき漏れ聞いた凌家の四の姫?)

 赤の玫瑰と聞くと、皆が凌家の名を上げる。
 凌家は言わずと知れた力のある名家。今の中書令ちゅうしょれいも凌家の人間が拝命していたはずで、朝廷へ多大な力を持っていると聞く。

 曄琳は女の噂話には疎いが、一通りの政治知識は頭に入れている。
 身を守るためには危機察知能力を上げること、それにはまず知識から。
 母楚蘭チュランに叩き込まれた教えは未だに活きている。ここにきて女の噂話も馬鹿にできないと身に沁みてきているので、噂話も耳聡くなるべきかと思ってはいるが。
 
 しかし、だ。
 曄琳は重い息を吐き出す。
 凌家の姫でこれだ。さっきの盗み聞きから想像はしていたが、主上に合わせて後宮へ入れる妃嬪の年齢も軒並み下げられているのだろう。

(私、こんな幼子ばっかりの後宮で何をするの……?)

 曄琳の不安は増すばかりだ。
 しかも、その心配は的中した。



 ◇◇◇




「ちょっと、失礼します」

 人垣を掻き分けるようにして曄琳は前に進む。真昼間、突然教坊の門に現れた立て札に、宮妓らはざわついていた。大半の宮妓は文字が読めないのだ。
 小柄な曄琳は人波に揉まれながら姐様方の腰のあたりから顔を出し、肩を抜くと前へまろび出た。

 目の前にあったのは、横に長い大きな木板。そこにはつらつらと長ったらしい文面が綴られていた。

(なになに? この度の掖庭宮四華の儀において、下記宮妓を招集する。本日の日昳初刻14じ至春院ししゅんいん庁堂ひろまに集まりたし……?)

 曄琳は下記宮妓とやらを目で追っていく。十数名はいそうな名前の羅列の中に己の名を見つけてしまい、曄琳は顔を顰めた。何か面倒くさそうなものに選ばれてしまっている。
 しかし待てよと曄琳は首を傾げる。よく見ると選ばれた他の宮妓は内人ばかり。曄琳のような下っ端で名前がある者は一人もいなかった。

 これは作為に仕組まれたものではないか。というより、おそらくそうだ。四華の儀の文字がでかでかと目に飛び込んでくる。
 曄琳は複雑な気持ちで立て札から離れた。
 
「ねえ小曄シャオイェ、あんた文字読める? あたし読めなくて」

 遅れて仲間とやってきた茗が立て札を覗く。曄琳は前回の失敗を思い出して首を横に振った。

「読めません。でも自分の名前があることくらいはわかります」
「えっ、あんた名前載ってんの?」
「載ってるみたいです」

 人垣が膨れ上がっていくのを見かねた誰かが、近くの官舎から識字のできる官吏を連れて戻ってきた。声高に読み上げられる文面を聞きながら、曄琳は人混みからそっと離れたのだった。




 
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