紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

文字の大きさ
19 / 55
第3章 華の競い合い

第19話 見知らぬ宦官

しおりを挟む




 本日も晴天。
 雲一つない夏空から降り注ぐ陽射しが、服の上からじりじりと肌を刺してくる。

 曄琳イェリンは内教坊の外門の雑草を抜き、首から下がった手拭いで滴る汗を拭う。手に触れた黒髪が燃えるように熱い。このままでは火を吹きそうだ。

「暑すぎる、死んじゃう……」
「口より手を動かす! 小曄シャオイェの罰に付き合っているこっちの身にもなりなさいよね!」

 後ろで作業をしていたミンが、箒の柄で曄琳の背中を小突く。
 先の天長節で曄琳が途中所在不明となった問題を受け、師弟関係である茗も連帯責任として罰を受けていた。
 
 あの日、暁明から解放されて仲間のもとに戻った曄琳は、宮妓らが大慌てで曄琳を探し回っていたことを知った。宮妓は仲間内への絆があつい――ということもあるが、脱走者を出すと上からこってり絞られるのだ。連帯責任で俸禄を減らされることもあるため、皆躍起になって探していたらしい。

 そんな中で、「何かよくないことに巻き込まれたんじゃないかって心配したんだから」と茗にきつく抱きしめられたのは、不謹慎だが少しだけ嬉しかった。今までの長い隠れ家生活で友人らしい友人もいなかった。身内以外と親しくなるのは、これが初めての経験だった。

 曄琳は泥の付いた手で頬を拭った。べったりと頬に何かついた気がしたが、もうどうでもよかった。

「それは本当に申し訳ないと思っています」
「申し訳ないと思ってるならさっさと掃除を終わらせる! このままじゃあたしら丸焼きになるわよ!」

 茗が箒で塵を飛ばしながら門の隅へと走っていく。曄琳も早く終わらせてしまおうと脇に置いてある袋に抜いた草を放り込んでいく。眼帯の裏がじっとりと汗で濡れて気持ち悪かった。

(外したいけど外せない。汗疹あせもにならないよう気をつけないと)

 この季節はいつもそれで悩まされる。曄琳は左目を見られないよう、眼帯を少しずらして袖で拭った。

 あの後、左目について暁明は何も言ってこなかった。知って見逃しているのか、本当に何も気づかなかったのかはわからない。後者であることを祈るばかりだ。後宮の四夫人の仕事とやらも追って指示するとのことで、ここ半月、彼の動きはなかった。

(そもそも、今の主上に四夫人はいないと聞いてるんだけど?)

 まだ幼く真の意味で後宮を必要としていない主上は、即位の際に周辺諸国や諸官から献上された娘数名のみを後宮に置いていると聞く。主上が後宮へ足を運ぶのも、特定の妃嬪のもとに通うためというよりも、複数名の妃嬪と話や食事をしている程度らしい。

(あの年で女遊びをしていたらおかしいし、それが普通か)

 曄琳がひとりごちていると、掖庭宮から一際賑やかな声が上がった。耳を澄ますと、複数人の足音が通明門へと向かっているのが聞こえてきた。中から人が出てくるようだ。

「それでは、また」

 数名の宦官と女官が連れ立って通明門を出てくる。その後ろを何人かの宮女が名残惜しそうに見送っていた。
 曄琳はそれをぼうっと見つめる。
 
雪宜シュエイー様、また来てくださいましね」
「もちろんですよ。近日中に伺いますからね」
「きゃあ、お待ちしておりしてますぅ」

 甘ったるい声で宮女達が見送るのは、曄琳が見たことのない宦官だった。
 暁明のような大層な美形というわけではないのに、なぜか目を引かれる。全身から人当たりの良さが滲み出ているせいかもしれない。ふわふわとした雰囲気と立ち振る舞いに視線が引きつけられる。歳は三十代くらいに見える。肩幅や上背があり、体型に宦官らしい丸みはない。
 
(あれは確かに後宮に入れば人気だろうな)

 男性性を切り取られて丸く太ってしまった多くの宦官と違い、先程の宦官は男性らしさを残している。外の世界と隔絶して生きる女官や宮女から引く手数多であろうことは想像できた。

 その後ろをひとりの女官が静かに門を潜って出てきた。足音だけですぐわかる。周りの女官より頭ひとつすらりと抜けた長身。

ソン少監ね。女装がすっかり板についてる)

 相変わらず胸元の詰まった服を楚々と着こなし、艶やかな髪を風に揺らして颯爽と歩いている。
 曄琳が目だけで追っていると、後ろから頭を小突かれた。

「あんた、何見てんの? 終わったなら引き揚げるよ」
「うぐ」

 茗にのしかかられて、しゃがんだままだった曄琳はぺしゃんと地面に座り込んだ。茗は曄琳の視線の先を追って、ああと納得したように呟いた。

明星ミンシン様ね。綺麗よねぇ」
「明星……それがあの女官の名前なんですか?」
「そうよ。主上の筆頭女官のひとり。唖者あしゃなんだってさ」
「へーえ」

 声が出ないことにしてるのか。それなら男だとバレる心配もない。
 こちらの視線に気づいたのか、雪宜と呼ばれていた宦官がふわりと微笑んだ。茗が男前ねぇなどとぽやく。雪宜の後ろに追いついた暁明がちらりとこちらを一瞥した。一瞬視線が交わる。すぐに逸らされる顔。その横顔を見ていると、口が小さく動いた。

 ――五日後、お話があります。逃げないでくださいね。

 暁明が小声で話したのだ。曄琳だけがわかる音量で。
 雪宜が気にしたように暁明に声をかけていたが、暁明は笑ってなんでもないと首を振っていた。
 耳を便利に使われている。

(こんな状況で逃げるわけないでしょうが)
 
 素性がバレる心配が迫っていないのであれば、大人しく従いますとも。

(というか、五日後って?)
 
 何かあったっけと頭を捻るが、思い出すことは何もない。記憶を漁る曄琳の前を一行が通り過ぎていった。

 そんなある日、朝から後宮が騒がしい日があった。





しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

男装官吏と花散る後宮 仮面の貴人と妃の秘密

春日あざみ
キャラ文芸
旧題:男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜 2026年3月書籍発売! <第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

もっと早く、伝えていれば

嶌田あき
キャラ文芸
 記憶から生まれ、1ヶ月で消える運命のあやかし・憶。鎌倉の古い喫茶店「波音堂」で目覚めた彼が最初に出会ったのは、17歳の高校生・夏希だった。  同じ17歳なのに、夏希には18歳の誕生日が来る。憶には来ない。  憶は、大切な人を失った人々を「記憶の渚」へ導き、故人の記憶と対話する手伝いをしている。言えなかった恋の告白、12年越しのさよなら、認知症の夫への思い――4つの「弔い」を通じて、憶は生きること、死ぬこと、記憶することの意味を知っていく。  そして最後、憶は自分の正体を知る。憶は、夏希の母の記憶から生まれたのだと。 「もっと早く、伝えていれば」と後悔する人々に寄り添いながら、憶自身も夏希との限られた時間の中で、大切な気持ちを伝えようとする。  1ヶ月後、憶は静かに光の粒子となって消えていく。でも憶の存在は、夏希の記憶の中で永遠に生き続ける――。

処理中です...