この歌声が届くまで

蒼村 咲

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9月4日 木曜日

第24話 つながる手と手

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 桐山さんは何も言わずに続きを待っている。
 新垣先輩の言う「提案」とは一体何だろう。
 でも、合唱祭中止の撤回が難しいにもかかわらず「合唱祭実行委員会」を名乗る、ということは──まさか。

「──新規行事としての合唱祭の開催を」

 新垣先輩が静かに、でもはっきりと言った。

「……は?」

 桐山さんは意表を突かれたようだった。
 僕たちの要求はあくまで中止の撤回だと想定していたのかもしれない。

「それは……言葉の綾か何かのつもりか? 中止を取り消せないなら新たに作ればいい、と?」

 探るように尋ねる桐山さんに、乾先輩が問い返す。

「そんなのが通用するのか?」

「するわけないだろう」

 ぴしゃりと言って、桐山さんは新垣先輩の方に向き直った。

「真意を聞こう」

 新垣先輩がうなずき、ゆっくりと口を開く。

「去年までの合唱祭は、知ってのとおりれっきとした学校行事だった。僕たちは『合唱祭実行委員会』とはいっても、実際に合唱祭を『実行』していたわけじゃない」

「まあ、運営に携わっていたのは確かだけどな」

 言われてみれば、「実行委員会」というよりは「運営委員会」という方がしっくりくるかもしれない。
 でも、別にどんな名前で呼ばれようと同じこと──少なくとも僕はそう思っていた。
 だから新垣先輩の次の言葉には、思わず目を瞬いてしまった。

「僕たちを、合唱祭実行委員にしてほしい──名実ともに」

「……どういう意味だ」

 桐山さんも片眉を上げている。
 新垣先輩は真剣な表情のまま続けた。

「学校行事としてじゃなく、生徒主体の非公式イベントとして合唱祭を開催する。僕たち自身が」

「な……」

 絶句したのは僕だけじゃなかった。
 もちろん中村とはとっさに視線を交わしたし、桐山さんですら軽く目を見開いている。

「合唱祭を主催って……一体何を言っているんだ」

 ややたじろいでいる桐山さんに対し、新垣先輩はあくまで穏やかに続けた。

「そのまま、言葉の通りの意味だよ。だから改めて、僕たちに『合唱祭実行委員会』を結成させてほしい。そして合唱祭の主催団体に任命してほしい。桐山くん──生徒会長である君の名のもとに」

 桐山さんは、どう答えるべきか決めかねているようだった。
 僕たち一人ひとりの顔を順番に見てから、最後に新垣先輩に視線を戻す。

「本気で言っているのか」

「もちろん」

 即座に答えた新垣先輩に、桐山さんが口をつぐんだその時だった。

「──いいんじゃない?」

 突然、聞き慣れない声がしたのだ。
 全員が一斉にその声の主へ顔を向ける。
 と、いつからいたのだろう、そこには一人の女子生徒の姿があった。
 そういえば声や顔──というかたたずまいに覚えがある。生徒会選挙のときに立候補演説で見かけたのだ。僕の記憶が正しければ、たしか副会長の候補者だったはずだ。

「……河野」

 桐山さんがつぶやく。そう、河野明美さんという名前だった。
 河野さんは、桐山さんの方へと一歩進み出た。その時初めて、僕は彼女の背後に扉があったことに気づく。どうやらその向こうにも空間があり、そこも生徒会執行部の領分のようだ。

「会長が信じる本物の合唱祭を開催する、またとない機会でしょう」

 そう言って、河野さんはふんわりと微笑んだ。おそらく桐山さんと僕たちのやりとりを聞いていたのだろう。

「今までの合唱祭が『合唱祭』じゃないと言うなら、本物の『合唱祭』をつくればいいと思う。ほかでもない会長自身が」

 河野さんは、熱を込めるでもなく淡々と言った。
 たぶん、彼女は合唱祭の開催を望んでいるのだろう。そしてそのためには、桐山さんの同意──というか協力が必要であることもわかっている。今まで散々実感させられてきたけれど、合唱祭実行委員会という冠があってもなくても、僕たちは所詮一般生徒の集まりにすぎないのだ。
 そんなことを思っていると、「──僕たちは」と新垣先輩の声が聞こえてきた。

「僕たちにできるかたちでの開催を考えている。たとえば、授業を潰すのは無理だろうから、本番は放課後なり土日なりになると思う。だから参加も不参加も完全に自由にして、個人の選択に任せる」

 それは言い換えれば、参加したい人だけが参加する、つまり歌いたい人だけが集まり、歌うことになるだろう。もしかするとそれは、桐山さんにとっての「合唱祭」のあり方に近いのかもしれない。新垣先輩は、河野さんが「本物」という言葉で桐山さんを焚きつけようとしたことで生じた機を、決して見逃さなかった。

「……そんな合唱祭が成り立つと思っているのか?」

 桐山さんの表情は苦い。
 けれどまるでそれを払拭しようとするような、明るい声がした。

「成り立たせてみせるよな?」

 そう言ってこちらを振り向いた乾先輩に、僕は力いっぱいうなずく。

「でもそれには桐山くん──君の力が必要なんだ」

 まっすぐな目で言った新垣先輩に、桐山さんは今度こそはっきりと顔をしかめた。

「忘れたのか? 今年の合唱祭が中止になった経緯を」

 事情が事情だけに、桐山さんがそう簡単には首を縦に振れないのはわかる。
 でも新垣先輩が言う通り、桐山さんの力添えなくしては何も始まらないのだ。

「まさか。むしろ忘れていないからこそ、君の協力を仰いでるんだけど」

 そう答えた新垣先輩の顔には、かすかに笑みが浮かんでいる。
 二人の先輩の迫力に気圧されながらも、僕は意を決して口を開いた。

「──桐山さん」

 部屋中の注目が集まるのが感じられ、内心身震いする。
 それでも昇降口で話しかけたときに比べれば、緊張はましだった。

「……僕たちの手で、『祭り』を開きませんか?」

 この間、新垣先輩の援護射撃をするべく必死に考え続けて、ようやく思いついた殺し文句だった。いや、とても殺し文句なんて呼べる代物ではないかもしれないけれど。

「何だって……?」

 目を瞬く桐山さんの後ろで、河野さんが微笑むのが見えた。

「私はそれ、素敵だと思うけど」

 なおも複雑な表情を浮かべる桐山さんに、新垣先輩が手を差し出す。

「……何だ」

「正直、僕たちが組めば怖いものはないと思ってる」

 新垣先輩は今度こそ、はっきりと見て取れる笑みを浮かべた。

「やろう──合唱祭。本物の、合唱の祭りを」

 桐山さんはすぐには答えずに、ちらりと背後を振り返った。
 そして河野さんの微笑みに目をとめると、どこか諦めたように額を押さえた。

「本気で執行部を巻き込むんだな」

 そうつぶやいた桐山さんに、どんな逡巡があったのかはわからない。
 けれど額の手を下ろしたときには、いつもの桐山さんがそこにいた。

「やるからには妥協は一切しない──生徒会執行部の名にかけて。後悔するなよ」

 投げかけられた鋭い視線を、新垣先輩は笑顔で受け止める。

「望むところだよ」

 そして生徒会長と合唱祭実行委員長、二人の手がつながった。

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