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仕上げた書類から目を上げ軽く肩を回すとデスクの上にそっと紅茶が置かれた。
「ブルーム先輩、お疲れ様です。良かったらどうぞ」
「ありがとう、チヘル」
愛らしい笑みを浮かべる令嬢につられてブルームも頬がゆるむ。
チヘル・フェイド伯爵令嬢は6年前に失踪したオネットの1つ年下の妹だ。陰気な姉とは違ってころころと表情の変わる人なつっこい令嬢で、生徒会員たちの雑用を率先して引き受けるため皆にかわいがられている。
ここ最近心がささくれだっているブルームもさりげなく気遣ってくれるチヘルの優しさに癒されている。
(ティアラにも見習ってほしいものだ……)
ブルームはこのところ会うたびに文句を言ってくる婚約者のきつい顔を思い出して憂鬱になった。
以前の人生でブルームはティアラに一目惚れして婚約者に望んだ。しかし、母は彼女の病弱さを理由に婚約に猛反対し、自分が選んだ伯爵家の令嬢とともに婚約者候補にした。幸い、努力家のティアラは母の厳しい王太子妃教育にたびたび体調を崩しながらもめげずに身に着けていき、以前16歳で正式な婚約者になった時には「努力家の王太子妃」と賞賛されたものだ。
今世は10歳で健康を取り戻したことや以前の知識もあるからか順調に王太子妃教育をこなし、ブルームと交流する余裕すらあった。母も「彼女は優秀ね」と褒めたぐらいだ。
しかし、ある時から学習が進まなくなった。落ち込んだティアラは「疲れた」と言い、見かねたブルームは母に授業のペースを落として休憩を増やすように頼んだ。
それが良くなかったのか。ティアラは特に自分が苦手とする授業の時には露骨にやる気を失くし、それでいて休憩時間やブルームとの交流を増やそうとするようになった。そして、母や教師たちに「もっと真剣に取り組むように」と叱られるたびに「自分はがんばっているのに王妃がわざと意地悪をする」とブルームに泣きついてきた。
去年学園に入学してからは、友人という名の彼女のご機嫌取りに励むとりまきたちに「美しく優しい王太子妃」とおだてられて喜んだティアラはますます母に反抗するようになった。
ブルームがたしなめても「以前はきちんとできていたわ!! ブルームまで私を責めるのね、ひどい!」と喧嘩になるばかりで。会えば愚痴か労わりの言葉と報酬を要求するティアラの相手をするのが嫌になってきた。
(ティアラは怒るだろうが、今からでも補佐を探すべきか)
以前の人生では体調を崩して休みがちなティアラの苦手な分野の習得や面倒な仕事はオネットがやっていた。ティアラは「自分を差し置いてでしゃばりすぎる」と嫌っていたが、オネットは言われたことはきちんとこなすのでその点だけはブルームも気に入っていた。
以前は努力していたティアラのことだ。彼女を補佐する侍女兼文官がいれば気持ちにゆとりができるだろうし、将来的にも彼女が信頼できる味方ができて心強いだろう。母も厳しすぎる教育への反感から意固地になってしまっているティアラをなだめるためだと言えば受け入れてくれるはずだ。
それに、優秀な令嬢ならば側妃に迎えても良い。気難しい母と上手く付き合いこの国を背負う王となる自分の気持ちに寄り添う、かつてのティアラのような美しく優しい少女がいれば、だが。
甘美な過去を思い浮かべて苦い笑いを浮かべるとチヘルがこてんと首を傾げた。
「先輩? もしかして紅茶、口に合わなかったですか?」
「いや、そんなことない。私の好みの味だ。この紅茶は初めて飲んだな、どこで手に入れたんだい?」
「ふふふ、良かった。実はこの紅茶、私がブレンドしたんです。先輩は前に疲れている時にはミルクをたっぷり淹れるって聞いたから、それに合うように作ってみました。気に入ってくれてうれしいです」
「そうだったのか。チヘルは本当に物知りだな」
にこにこと笑うチヘルに胸が温かくなる。いつも明るくブルームへの好意を見せるチヘルは好奇心旺盛で話していて楽しい。生徒会の仕事の合間に彼女と過ごす時間はかけがえのないものだ。
(そうだな。チヘルは成績優秀で性格も良いし、あの女と同じ治癒の家系の血を引いている。母上もチヘルならばきっと気に入るだろう)
――それに万が一上手くいかなかったらあの女を使ってまた時を戻せばいい。
代々の国王と王太子には膨大な魔力と引き換えに時間を巻き戻す”時戻しの秘宝”の使い方が伝えられている。父からそれを聞いた時には半信半疑だったが。愛するティアラの突然の死に嘆き悲しんでいたブルームはティアラの身体を完全に治さなかった罰としてオネットの命を使って秘宝を発動させ、無事に時を戻った。
唯一、誤算だったのはオネットまでもが記憶を持っていていたことだ。姑息なオネットは魔術誓約書を持ち出してこちらを脅迫し、ティアラのためにも表面上は条件を呑まざるを得なかった。
ただ、魔術誓約書は”作った魔術師がこめた魔力よりも契約者の魔力が上回る場合は誓約を消せる”欠点がある。それを見越してブルームは密かに父やエヴェニース公爵に協力を頼んで、オネットが出した”関わりを断つ“誓約を消して捕らえようとした。
しかし、どうやったのか。オネットもまた”こちらの目の届くところにいる”という誓約を消した上で事故を装って完全に行方をくらました。追っ手たちは城の片隅に捨てられていたところを見つかったが全員が錯乱しており、それを見た父と公爵は恐れを抱き「これは魔術師からの警告だ。あの少女には関わらないように」と手を引いてしまった。
――自分の幸せを奪ったあの女には必ず罪を償わせる。
その時の屈辱を思い出すと今でもはらわたが煮えくり返る。
以前の自分の人生は完璧な王太子として讃えられ、ティアラとの愛に満ち足りた幸せなものだった。それがあの女の怠慢のせいでティアラは衰弱して死んだ。いや、殺されたのだ。
今世も同じようにしているのに。ティアラの様子がおかしいのも、チヘルともっと早く出会えなかったのも、母の態度が冷たいのも、父のため息が増えたのも。全部ただの道具のくせに誰よりも尊い存在である自分に逆らうあの女のせいだ。
以前のように暮らしていた修道院を人質にとれば出てくるだろう。チヘルを婚約者にしたら連れ戻して自分のメイドにしてやろう。ティアラも心のゆとりができれば機嫌も直るだろう。
美しく後ろ盾の強いティアラと愛らしく人々を魅了するチヘル。2人の愛しい女性とともにブルームは幸せになるのだ。ブルームは幸せな未来を思い浮かべてうっとりと微笑んだ。
「ブルーム先輩、お疲れ様です。良かったらどうぞ」
「ありがとう、チヘル」
愛らしい笑みを浮かべる令嬢につられてブルームも頬がゆるむ。
チヘル・フェイド伯爵令嬢は6年前に失踪したオネットの1つ年下の妹だ。陰気な姉とは違ってころころと表情の変わる人なつっこい令嬢で、生徒会員たちの雑用を率先して引き受けるため皆にかわいがられている。
ここ最近心がささくれだっているブルームもさりげなく気遣ってくれるチヘルの優しさに癒されている。
(ティアラにも見習ってほしいものだ……)
ブルームはこのところ会うたびに文句を言ってくる婚約者のきつい顔を思い出して憂鬱になった。
以前の人生でブルームはティアラに一目惚れして婚約者に望んだ。しかし、母は彼女の病弱さを理由に婚約に猛反対し、自分が選んだ伯爵家の令嬢とともに婚約者候補にした。幸い、努力家のティアラは母の厳しい王太子妃教育にたびたび体調を崩しながらもめげずに身に着けていき、以前16歳で正式な婚約者になった時には「努力家の王太子妃」と賞賛されたものだ。
今世は10歳で健康を取り戻したことや以前の知識もあるからか順調に王太子妃教育をこなし、ブルームと交流する余裕すらあった。母も「彼女は優秀ね」と褒めたぐらいだ。
しかし、ある時から学習が進まなくなった。落ち込んだティアラは「疲れた」と言い、見かねたブルームは母に授業のペースを落として休憩を増やすように頼んだ。
それが良くなかったのか。ティアラは特に自分が苦手とする授業の時には露骨にやる気を失くし、それでいて休憩時間やブルームとの交流を増やそうとするようになった。そして、母や教師たちに「もっと真剣に取り組むように」と叱られるたびに「自分はがんばっているのに王妃がわざと意地悪をする」とブルームに泣きついてきた。
去年学園に入学してからは、友人という名の彼女のご機嫌取りに励むとりまきたちに「美しく優しい王太子妃」とおだてられて喜んだティアラはますます母に反抗するようになった。
ブルームがたしなめても「以前はきちんとできていたわ!! ブルームまで私を責めるのね、ひどい!」と喧嘩になるばかりで。会えば愚痴か労わりの言葉と報酬を要求するティアラの相手をするのが嫌になってきた。
(ティアラは怒るだろうが、今からでも補佐を探すべきか)
以前の人生では体調を崩して休みがちなティアラの苦手な分野の習得や面倒な仕事はオネットがやっていた。ティアラは「自分を差し置いてでしゃばりすぎる」と嫌っていたが、オネットは言われたことはきちんとこなすのでその点だけはブルームも気に入っていた。
以前は努力していたティアラのことだ。彼女を補佐する侍女兼文官がいれば気持ちにゆとりができるだろうし、将来的にも彼女が信頼できる味方ができて心強いだろう。母も厳しすぎる教育への反感から意固地になってしまっているティアラをなだめるためだと言えば受け入れてくれるはずだ。
それに、優秀な令嬢ならば側妃に迎えても良い。気難しい母と上手く付き合いこの国を背負う王となる自分の気持ちに寄り添う、かつてのティアラのような美しく優しい少女がいれば、だが。
甘美な過去を思い浮かべて苦い笑いを浮かべるとチヘルがこてんと首を傾げた。
「先輩? もしかして紅茶、口に合わなかったですか?」
「いや、そんなことない。私の好みの味だ。この紅茶は初めて飲んだな、どこで手に入れたんだい?」
「ふふふ、良かった。実はこの紅茶、私がブレンドしたんです。先輩は前に疲れている時にはミルクをたっぷり淹れるって聞いたから、それに合うように作ってみました。気に入ってくれてうれしいです」
「そうだったのか。チヘルは本当に物知りだな」
にこにこと笑うチヘルに胸が温かくなる。いつも明るくブルームへの好意を見せるチヘルは好奇心旺盛で話していて楽しい。生徒会の仕事の合間に彼女と過ごす時間はかけがえのないものだ。
(そうだな。チヘルは成績優秀で性格も良いし、あの女と同じ治癒の家系の血を引いている。母上もチヘルならばきっと気に入るだろう)
――それに万が一上手くいかなかったらあの女を使ってまた時を戻せばいい。
代々の国王と王太子には膨大な魔力と引き換えに時間を巻き戻す”時戻しの秘宝”の使い方が伝えられている。父からそれを聞いた時には半信半疑だったが。愛するティアラの突然の死に嘆き悲しんでいたブルームはティアラの身体を完全に治さなかった罰としてオネットの命を使って秘宝を発動させ、無事に時を戻った。
唯一、誤算だったのはオネットまでもが記憶を持っていていたことだ。姑息なオネットは魔術誓約書を持ち出してこちらを脅迫し、ティアラのためにも表面上は条件を呑まざるを得なかった。
ただ、魔術誓約書は”作った魔術師がこめた魔力よりも契約者の魔力が上回る場合は誓約を消せる”欠点がある。それを見越してブルームは密かに父やエヴェニース公爵に協力を頼んで、オネットが出した”関わりを断つ“誓約を消して捕らえようとした。
しかし、どうやったのか。オネットもまた”こちらの目の届くところにいる”という誓約を消した上で事故を装って完全に行方をくらました。追っ手たちは城の片隅に捨てられていたところを見つかったが全員が錯乱しており、それを見た父と公爵は恐れを抱き「これは魔術師からの警告だ。あの少女には関わらないように」と手を引いてしまった。
――自分の幸せを奪ったあの女には必ず罪を償わせる。
その時の屈辱を思い出すと今でもはらわたが煮えくり返る。
以前の自分の人生は完璧な王太子として讃えられ、ティアラとの愛に満ち足りた幸せなものだった。それがあの女の怠慢のせいでティアラは衰弱して死んだ。いや、殺されたのだ。
今世も同じようにしているのに。ティアラの様子がおかしいのも、チヘルともっと早く出会えなかったのも、母の態度が冷たいのも、父のため息が増えたのも。全部ただの道具のくせに誰よりも尊い存在である自分に逆らうあの女のせいだ。
以前のように暮らしていた修道院を人質にとれば出てくるだろう。チヘルを婚約者にしたら連れ戻して自分のメイドにしてやろう。ティアラも心のゆとりができれば機嫌も直るだろう。
美しく後ろ盾の強いティアラと愛らしく人々を魅了するチヘル。2人の愛しい女性とともにブルームは幸せになるのだ。ブルームは幸せな未来を思い浮かべてうっとりと微笑んだ。
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