毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第493話 不審な動き

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 赤い塔が崩壊。アバトンを侵食した『珊瑚』は全て死滅し、ネグラに蔓延っていた毒素も、潮風に流れ拡散。
 屋上に避難していたウミヘビ達は警戒を解き、ようやく地上へ降りられるようになった。

「ぱら……」

 とてとてと、アトロピンが石畳の上を小さな足取りで歩く。向かう先には、白衣を赤黒く汚したパラチオン。
 彼は息は荒いが、目立った傷はない。アトロピンに気付くと、力を抜いたような笑みを浮かべてみせた

「けが、ない?」
「ないぞ。言っただろう、俺様は飛び切り強いのだと」
「……ん」

 パラチオンの返答に小さく頷くアトロピン。そのまま彼は紅葉のような小さな手を上に伸ばす。しかし届かないと見るや、背伸びをしてまで伸ばそうとする。
 不思議に思ったパラチオンが抱き上げてやると、その小さな手の平が、パラチオンの頭を優しく撫でた。

「これは……。テルルの真似か?」
「? がんばったら、えらいえらいする。ちがう?」
「いいや、合っているな」

 災害後の緊張がまだ残る中、そのやりとりは小さな灯火のように周囲を和ませた。遠巻きに見ていたウミヘビ達の表情にも、自然と笑みが浮かぶ。
 だが、少し離れた場所で弓を抱えて立つストリキニーネは、苦笑混じりに肩をすくめた。

「共に『珊瑚』の侵食を食い止めていた、それがしも労わって欲しいものだがなぁ」
「……頑張った、な」

 するとアトロピンの代わりに、とでも言うかのようにテルルがストリキニーネの頭に手を置く。

「おっと。これは想定外」

 撫でられる感触に、ストリキニーネはもう一度、今度は少し照れくさそうに笑ったのだった。
 そうして各々が、緩やかに平穏を取り戻していく中。

「ニコ、ニコ……」

 アセトアルデヒドは一人、ニコチンの姿を探した。
 すれ違うウミヘビ達にも訊ねて回るが、誰一人、彼を見たと答える者がいない。

「……ニコ、どこぉ?」

 胸の奥に冷たい塊ができていく。
 まさか、『珊瑚』に壊されてしまったのではないか。想像したくもない最悪の結末が、鋭く脳裏をかすめる。
 何だかんだ真面目で、世話焼きで、勇猛で、格好いい。
 憧れの人。
 息が荒くなっても、足は止まらなかった。通路を駆け抜け、角を曲がり、薄暗い階段を上り下りする。
 名前を呼びながら、ネグラの端まで辿り着いた、その時――

「アセトアルデヒド……!!」

 背後から、鋭く切り裂くような声が響いた。反射的に肩が跳ねる。
 振り返ると、そこにはシアナミドが立っていた。普段はきっちり七三に整えられた彼の白髪は乱れ、額には汗が滲んでいる。
 彼は叫ぶ。

「クスシを、クスシを呼びなさい! 今すぐにです!!」
「え……?」
「私の端末は壊されました! 壊されました! 連絡手段がありません! どうか、早く!」

 そして、喉が裂けるほどの声で、

「タリウムが、重症です!」

 ニコチンと共に居たウミヘビの危機を、知らせてきた。


 ***

 報告。
 11月1日9時5分。人工島アバトンで『珊瑚』による生物災害バイオハザードが発生。類似性のある事例を確認できないが、範囲のみで言えば『大規模』と見做される。
 11月1日9時43分、生物災害バイオハザード収束。
 被災の結果、クスシの一人カールがステージ5となり、コールドスリープ処置を受ける事となった。
 また一部の施設の破壊の他、エタノール、ペンタクロロフェノールを始めとする、10人を超えるウミヘビの破壊を確認。個体を判別する作業を進めている。

 それに加え、【檻】に収納されていたウミヘビが島外へ脱走。手引きをしたニコチンと共に、姿を消した。
 現在、行方を捜索中である。

 ***


 時は遡る。
 それは海に赤い塔が出現して、間もなくの事。
 真っ赤な胞子が潮風に乗り流れていく中、ニコチンはタリウムを連れ、ネグラの端まで走っていた。
 目的地は、一見なんの変哲もない住居。しかしその奥の部屋、書斎には【檻】へ続く隠し扉がある。
 かつてタリウムも収容されていた場所だったが、この数年は足を踏み入れることすらなかった。

「先輩? ここに何の用が……。抽射器を取りに行くんじゃなかったんスか?」
「答えている暇はねぇ。いいから来い」

 懐かしさと不安の入り混じる住居の中を進み、ニコチンは迷いなく書斎の本棚に手を伸ばした。
 特定の本を押し込むと、仕掛けが作動し、本棚が横にスライドする。そうして、奥に隠されていた階段が露わとなった。
 【檻】のある地下へと続く、二階層分の直通階段。

「もしかして【檻】のウミヘビを助っ人として呼ぶんスか?」
「……そんな所だ」
「確かに此処にいるウミヘビは強いっスからね。あんな訳のわからない大きさの『珊瑚』を相手にするには、合理的に思えるッス」

 そのままタリウムは先導するニコチンに続き、階段へ足を伸ばした。
 丁度その時、

「この緊急事態に、何をしているのですか。何をしているのですか」

 冷ややかな声が背後から響いた。
 振り返ってみれば、いつの間にそこにいたのか、書斎に一人のウミヘビが立っていた。白い髪をワックスできっちりと七三分けで撫で付け、白衣のボタンを上から下までしっかり留め、乱なく着ていて、真面目で規律に忠実そうな印象を受ける――シアナミド。
 いつも不機嫌そうな表情を浮かべている彼だが、今日は一段と険しい表情をしている。ただならぬ雰囲気に、タリウムはたじろいだ。

「シアナミド? お前ぇこそ何でいるんだよ」
「貴方方、朝からお酒を飲みましたね? 飲みましたね? 僕はだらしのない人が嫌いです。広場でグラスを持つ姿を注視していました、注視していました」

 つまり、広場でショットガンを飲んだ一幕を見られていたということ。恐らくたまたま目撃してしまったのだろうが、規律を重んじる彼にとって、朝からの飲酒は唾棄すべき行為。目撃してしまったからには見逃せない。
 赤い塔の出現で混乱する中でも、シアナミドの視線は自然とニコチンとタリウムへ向けられていた。
 故に、気付いた。

「……不審な動きもまた、目に留まりました」

 だから尾けて来たと、シアナミドは暗に言う。

「不審って……。えっと、何かクスシの指示らしいスよ。緊急事態だから【檻】のウミヘビの手も借りるとか」
「あり得ません。あり得ません」

 シアナミドは首を左右に振った後、左腕を上げ、手首に付けた腕時計型電子機器を指差した。
 腕時計の文字盤は、真っ暗だ。

「サイレンが鳴って以降、電子機器は使えません」

 淡々と告げられる、衝撃の事実。慌ててタリウムも自身の腕時計並び携帯端末を確認するが、そのどちらも機能していない。
 クスシとの連絡は不可能。では一体、ニコチンは誰の意思で動いていると言うか。
 疑惑の視線が、ニコチンへ向けられる。

「そもそもここは【檻】です。【檻】です。規則ルールを守れないウミヘビがいる場所です。クスシの言葉に従いません。つまり、助力になどなり得ません」

 冷たい声で、冷たい視線で、ニコチンを追及するシアナミド。
 しかしニコチンは答えない。

「……何を考えているのですか? ニコチン」

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