毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第494話 囚人

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「……先輩」

 沈黙を保ったままのニコチンへ、タリウムが身体を向けた。
 と同時に、ニコチンはタリウムの胸倉を掴み、身体を持ち上げる。

「えっ?」

 タリウムが困惑し反応を返せない僅かな隙を使い、ニコチンは階段下へ向け彼を思い切り放り投げた。

「うわぁあああ!?」

 悲鳴をあげながら落下していくタリウム。体勢を立て直そうにも、空中では身動きが取れない。いっそ階段へ直撃してしまった方が次の行動に動けるのだが、ここは直通階段。
 綺麗な放射線を描きながらの落下では、壁にも天井にも床にも手を伸ばせない。
 そのまま暗闇の中へ消えて行ったタリウムを見届けて、ニコチンは鋭い視線をシアナミドへ向ける。

「出て行きな。今なら気絶で済ませてやるよ」
「物騒ですね。物騒ですね。僕は荒事を好みません。貴方に勝てるとも思っていません。自分の実力については、正確に把握しているつもりです。把握しているつもりです」

 第二課所属のシアナミドにとって、第一課所属のニコチンは格上。
 乱闘となれば毒素の強さでも地力でも場数でも、また頭の回転の早さでさえも勝てない。天と地程の差がある事など、理解していた。

「答えない貴方から答えを出力させる術を、僕は持っていません」
「へっ、そうかよ。ならとっとと失せな」
「しかし僕は見てしまいました。見てしまいました。よって貴方の思惑に巻き込まれたらしきタリウムを連れ戻す努力を、惜しみたくありません」

 言うや否や、シアナミドは真横にあった本棚の木枠を掴むと、力任せに引き千切る。
 ベリベリと乾いた音を立てて剥がされたそれは、盾状の板となった。
 それを武器代わりに突進してくるつもりかと、ニコチンは身構える。即興の武器を作ったシアナミドは、板を前に突き出しながら床を蹴り、確かに突っ込んできた――
 が、ニコチンの眼前に迫って来たかと思えば、彼はその場で跳躍。ニコチンの頭上を通り過ぎ、奥の暗がりへ飛び込む。

「なっ!?」

 しかもシアナミドは着地をする際に板を足元に敷き、それをボード代わりに一気に加速していく。
 あっという間に姿が見えなくなった彼に、ニコチンは苛立ちながらも後を追いかけて行った。

 どうせ出口はこの階段のみで、この先には行き止まりしかないと、知りつつも。

 ◇

 地下に設けられた、【檻】の前。

「いててて……」

 そこに辿り着いたタリウムは、痛む身体に顔を歪ませながらも立ち上がる。
 ニコチンに放り投げられた後、幾分か飛んだ後に階段へ身体を打ち付けたのだが、着地を失敗した事と勢いを殺す事ができず、結局は最下層まで転がり落ちる事となってしまった。
 【檻】と呼ばれているそれは、鉄格子ではなく特殊なガラスで仕切られ、廊下が暗い事もあいまって、さながら水族館のような外見をしている。
 そして【檻】の向こう側は柔らかな乳白色で彩られ、実際柔らかな素材で作られたソファやベッドが設置されている。床にはゴムボールや積み木や絵本が散乱し、小ぶりなテントやジャングルジム、滑り台なんてものもある。
 まるで幼子が怪我をしないよう配慮された、キッズルームだ。

(ざっと4年振りっスけど、何も変わっていないスね)

 5年前。タリウムがニコチンの手によって捕縛された後、それまで要人を中心に何十人もの人間を殺めてきた彼は、国連から「廃棄処分」を求められた。所長がそれを突っぱねた結果、結ばされたのは『契約』だ。
 ――『珊瑚』に関わる有事の際、国連に使役させられる契約。
 とは言え、現在に至るまでその契約が効力を発揮した事はない。タリウムはウミヘビの中でも新参者だ。ウロボロスの所有物だった時期が長いので、製造年数自体はそれなりに経ているものの、クスシの所有物となった時期は最近の部類。
 超規模菌床へ赴いた経験もなければ、菌床となった街の住人を皆殺しにする殲滅作戦に参加した事もない。
 それほど『珊瑚』の生物災害バイオハザードが落ち着いていた頃だった為、国連から特殊な任務を言い渡される事もなかった。戦闘能力があるウミヘビと、大差のない時を過ごしてきたのだ。

(【檻】での記憶とか、カリウム達がしてくれたっていうメンテナンスとか、曖昧な所が多いっスけど、それでも郷愁? って言うんスかね。感じるものっスねぇ)

 現在、【檻】の中のウミヘビはほんの数人しかいないとタリウムは聞き及んでいる。ウミヘビを製造していたウロボロスの解体が進んだ事と、【檻】へ収監されたウミヘビへの教育が進んだ事により、外へ出る者が増えたからだ。数ヶ月前、パラチオンが解放されたように。
 しかしタリウムは警戒を強めた。『珊瑚』の襲撃により、【檻】と廊下を隔てるガラスに異常が出たか、否か。もしも異常があった場合――タリウムの生死に関わる。
 【檻】を訪問する際は第一課のウミヘビを同伴させなければならない。という規則がある通り、ここにはパラチオンに並ぶ、凶悪な毒素を持つウミヘビが収監されているのだから。

(廊下に人影はない。【檻】の様子も……以前と変わった所はなさそうっスね)

 ガラスの向こう側では、何人かのウミヘビがソファやハンモックで眠っていた。この地下にもサイレンの音は響き渡っているのだが、目覚める気配はない。
 タリウムはほっと胸を撫で下ろした。
 その時、

「おい」

 ガラスの向こう側、【檻】の奥。
 壁に設置された扉を開けて、一人の男が顔を出す。逆立った白髪と、瞳孔の境目がわからない真っ白な瞳、そして何より、鍛え上げられた肉体を持つ美丈夫。
 彼は地の底を這うような低い声で、

「警報が鳴ってるなか来たって事は……しに来たのか? タリウム」

 と言って、薄笑いを浮かべた。
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