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第十四章 煙草の灰
第293話 子守唄
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※この回には性暴力を連想させる表現が出てきます。ご注意ください。
ニコチンを祭壇に転がした後、室長はさっさと部屋を出て、そこに待機をしていた職員と共に階段を下った。
「それにしても知りませんでした。《人造人間》の涙に『奇跡の水』と同じ効能が……」
「ないよ、そんなもの」
感心する職員の発言を、室長はあっけらかんと否定をする。
「血も涙も成分としては同じだが、毒素が含まれているのは不思議と血だけだ。原理の解明はまだだが、人間の造りとは異なるらしい」
「えっ!? で、では何故、被験体達にあのような虚言を?」
「嫌がらせだよ」
両腕を組み、彼は忌々しげに言った。
「今まで散々、僕の邪魔をしてきたんだ。このぐらいの八つ当たり、許して欲しいね。……これが『モルヒネ』だったら、飛び抜けた成果が見込めたんだが……」
親指の爪を噛み、未だに手にできない『モルヒネ』の未練を口走りった後、室長は「そうだ」と言い忘れていた指示を職員に出す。
「あぁ、集会所の閉館時間がきたらニコチンは檻に戻しておいてくれ。あと掃除と換気を頼むよ。きっと、臭くて汚くて仕方がないだろうから」
◇
白い部屋の冷たい床に、冷たい鎖。
ただ今だけはその冷たさが欲しくって、俺は不自由な身体を限界まで小さく丸め、キツく目を瞑る。
それでもまだ、キモチガワルイ。全身に蛆が張っているんじゃないかって、身体の穴という穴に蛇でも入り込んでいるんじゃないかって、キモチワルさが……
「ニコ?」
首筋に添えられた熱に反応し、俺は大袈裟な程に身体を跳ねさせる。
「ごっ、ごめんねぇ? びっくりさせちゃったかなぁ?」
熱の正体は、アセトの手だった。強張っていた身体からドッと力が抜ける。
「ニコ。今日は……疲れてるぅ? 昨日は一日中? かな、多分。お出かけしてたものねぇ?」
一日。
一日もの間、あそこに転がされていたのか、俺は。どうりで臭いやら感覚やらが消えない訳だ。あそこごと清掃するついでに洗われたのに、染み付いて仕方がない。
それでも、アセトに汚い姿を見せずにすんだのは幸いか。
「えっとぉ。『按摩』っていうの、本で読んだんだぁ。疲れが取れるんだってぇ。手探りでしかできないけど……やってみても、いいかなぁ?」
アセトは疲れていると思っている俺を気遣って、遠慮がちに提案をしてきた。
好きにすればいい。肯定の意味を込めて軽く頷いたら、アセトは嬉しそうに微笑んで俺を膝の上に乗せる。
「痛かったら教えてねぇ? んと、肩とか背中を……こう、ゆっくり優しく押してぇ……」
アセトの手の平は温かくて、優しい手付きだ。無遠慮に嬲ってきた連中とは大違い。
心地よくて、眠気が襲ってくる。
「あれ? ニコ、寝ちゃった? よっぽどお疲れ様だったんだねぇ。……いい夢、見ているといいんだけど」
いい夢、か。なら、アセトと出かける夢を見てぇな。
人間の娯楽にゃ“しょっぴんぐ”とか“たべあるき”ってのがあるんだとよ。知識の片隅にあるんだ。夢の中でなら、再現できるか?
けど、疲労ってのをしていた俺は夢を見る事もなく泥のように眠って、起きたらまた室長にあそこに連れ出された。
おい、昨日ので終わりじゃないのかよ。あんな生産性の欠片もない事を続けて何になるってんだよ。それとも何だ? 俺に殺して欲しいのか? ありもしねぇ効能を求めて縋る連中を、死なせる事で解放させてやりゃいいのか? そうすりゃお前ぇも満足、
「余計な事を考えるなよ、ニコチン? アセトアルデヒドを廃棄したいというのなら、話は別だが」
◇
「ニコ。具合ぃ、悪そう」
何度かあそこに転がされた後の日。
いつも通り俺を洗いながらも、アセトは俺の顔色を心配してくれた。鏡ってのがないからわからんが、ずっと眠れてねぇし、目の下にクマってのが出来ているんだろうな。
「ビョーキ? 室長に言ったら治してくれるかなぁ?」
病気じゃねぇよ。そもそも俺達は病気にならないって話だ。アセトが気にする事じゃない。それに話したとして、あの室長がどうこうしてくれる訳もねぇ。
室長は自分と同族の筈の人間だろうと、構わず食い物にする奴なんだぞ? アセトは知らねぇのかね。
まぁ、知らない方が、いいか。
俺はアセトがどこか行かないよう、床に座るアセトの膝にぼふりと頭を乗っけて寝転がった。
温かい。落ち着く。眠く、なってくる。
「ニコ? 寝ちゃう? ええっとぉ……。あっ、そうだ。人間は寝る時に『子守唄』っていうのを聴くといいんだってぇ。こう、ゆっくり優しく、ぽんぽんって胸元を叩いて、それから……。うぅん、上手く歌えるかなぁ?」
あくまで本の知識として得た『子守唄』ってのを、アセトは自信なさげに歌ってくれた。実際に聴いた事はないから、歌詞以外は即興らしい。
即興だとしても、ゆったり喋るお前の声と、穏やかな歌は、合っている。耳心地がいい。
久し振りに、深く眠れた。
目が覚めればまた、痛みとキモチワルさが待ち受けていた。
絞られては擦り付けられる。なんつぅか、ボロ雑巾みてぇだな、俺。生物として扱われている気がしねぇ。
そんな待遇を、毎日、毎日、毎日、毎日。受け続ける。変わり映えのしない日々。
あ、けどアセトには少し変化があった。アセトはずっと、サイズも合ってないボロの服を着ていたんだが、最近は新品の衣服を着るようになった。
「ニコがお仕事頑張っているから、余裕ができたんだってぇ。ありがとねぇ、ニコ」
あれか。集会所に集まっている奴らから金を巻き上げたのか。手っ取り早く『金』って奴を得るにゃそれが一番、効率的だろうから。
あんな薄汚い連中の金が財源なのは釈然としないが、金は金だ。アセトも喜んでいる。笑ってくれている。
それで十分だ。
「しゃんぷーとりんすっていうのもねぇ、新調して貰えたんだよぉ? ラベンダーの香りがするんだってぇ。リラックス効果があるらしいんだけど、ニコの好みだったら、嬉しいなぁ」
アセトは少しでも俺が快適に過ごせるよう、色々と手を考えてくれていた。癇癪持ちな室長や、何考えているのかわからん職員どもに意見を言うの、怖かったろうに。
こんな汚物にも優しいアセトの立場が、俺が何かする度に悪くなるってんなら、何も考えないで過ごした方がいいのか?
……そっちの方が、いいか。
意識しない。感じない。考えない。そんなふうに、徹した方が、きっと……。
アセト。俺はアセトさえ笑ってくれたら、笑ってくれるんなら、他に何も、いらない。
いらない。いらない。いらないんだ。いらない。いらないだろ。いらないよな。いらないな。いらない。いらないから。
お前に寄り添って眠る事を、どうか許して欲しい。
ニコチンを祭壇に転がした後、室長はさっさと部屋を出て、そこに待機をしていた職員と共に階段を下った。
「それにしても知りませんでした。《人造人間》の涙に『奇跡の水』と同じ効能が……」
「ないよ、そんなもの」
感心する職員の発言を、室長はあっけらかんと否定をする。
「血も涙も成分としては同じだが、毒素が含まれているのは不思議と血だけだ。原理の解明はまだだが、人間の造りとは異なるらしい」
「えっ!? で、では何故、被験体達にあのような虚言を?」
「嫌がらせだよ」
両腕を組み、彼は忌々しげに言った。
「今まで散々、僕の邪魔をしてきたんだ。このぐらいの八つ当たり、許して欲しいね。……これが『モルヒネ』だったら、飛び抜けた成果が見込めたんだが……」
親指の爪を噛み、未だに手にできない『モルヒネ』の未練を口走りった後、室長は「そうだ」と言い忘れていた指示を職員に出す。
「あぁ、集会所の閉館時間がきたらニコチンは檻に戻しておいてくれ。あと掃除と換気を頼むよ。きっと、臭くて汚くて仕方がないだろうから」
◇
白い部屋の冷たい床に、冷たい鎖。
ただ今だけはその冷たさが欲しくって、俺は不自由な身体を限界まで小さく丸め、キツく目を瞑る。
それでもまだ、キモチガワルイ。全身に蛆が張っているんじゃないかって、身体の穴という穴に蛇でも入り込んでいるんじゃないかって、キモチワルさが……
「ニコ?」
首筋に添えられた熱に反応し、俺は大袈裟な程に身体を跳ねさせる。
「ごっ、ごめんねぇ? びっくりさせちゃったかなぁ?」
熱の正体は、アセトの手だった。強張っていた身体からドッと力が抜ける。
「ニコ。今日は……疲れてるぅ? 昨日は一日中? かな、多分。お出かけしてたものねぇ?」
一日。
一日もの間、あそこに転がされていたのか、俺は。どうりで臭いやら感覚やらが消えない訳だ。あそこごと清掃するついでに洗われたのに、染み付いて仕方がない。
それでも、アセトに汚い姿を見せずにすんだのは幸いか。
「えっとぉ。『按摩』っていうの、本で読んだんだぁ。疲れが取れるんだってぇ。手探りでしかできないけど……やってみても、いいかなぁ?」
アセトは疲れていると思っている俺を気遣って、遠慮がちに提案をしてきた。
好きにすればいい。肯定の意味を込めて軽く頷いたら、アセトは嬉しそうに微笑んで俺を膝の上に乗せる。
「痛かったら教えてねぇ? んと、肩とか背中を……こう、ゆっくり優しく押してぇ……」
アセトの手の平は温かくて、優しい手付きだ。無遠慮に嬲ってきた連中とは大違い。
心地よくて、眠気が襲ってくる。
「あれ? ニコ、寝ちゃった? よっぽどお疲れ様だったんだねぇ。……いい夢、見ているといいんだけど」
いい夢、か。なら、アセトと出かける夢を見てぇな。
人間の娯楽にゃ“しょっぴんぐ”とか“たべあるき”ってのがあるんだとよ。知識の片隅にあるんだ。夢の中でなら、再現できるか?
けど、疲労ってのをしていた俺は夢を見る事もなく泥のように眠って、起きたらまた室長にあそこに連れ出された。
おい、昨日ので終わりじゃないのかよ。あんな生産性の欠片もない事を続けて何になるってんだよ。それとも何だ? 俺に殺して欲しいのか? ありもしねぇ効能を求めて縋る連中を、死なせる事で解放させてやりゃいいのか? そうすりゃお前ぇも満足、
「余計な事を考えるなよ、ニコチン? アセトアルデヒドを廃棄したいというのなら、話は別だが」
◇
「ニコ。具合ぃ、悪そう」
何度かあそこに転がされた後の日。
いつも通り俺を洗いながらも、アセトは俺の顔色を心配してくれた。鏡ってのがないからわからんが、ずっと眠れてねぇし、目の下にクマってのが出来ているんだろうな。
「ビョーキ? 室長に言ったら治してくれるかなぁ?」
病気じゃねぇよ。そもそも俺達は病気にならないって話だ。アセトが気にする事じゃない。それに話したとして、あの室長がどうこうしてくれる訳もねぇ。
室長は自分と同族の筈の人間だろうと、構わず食い物にする奴なんだぞ? アセトは知らねぇのかね。
まぁ、知らない方が、いいか。
俺はアセトがどこか行かないよう、床に座るアセトの膝にぼふりと頭を乗っけて寝転がった。
温かい。落ち着く。眠く、なってくる。
「ニコ? 寝ちゃう? ええっとぉ……。あっ、そうだ。人間は寝る時に『子守唄』っていうのを聴くといいんだってぇ。こう、ゆっくり優しく、ぽんぽんって胸元を叩いて、それから……。うぅん、上手く歌えるかなぁ?」
あくまで本の知識として得た『子守唄』ってのを、アセトは自信なさげに歌ってくれた。実際に聴いた事はないから、歌詞以外は即興らしい。
即興だとしても、ゆったり喋るお前の声と、穏やかな歌は、合っている。耳心地がいい。
久し振りに、深く眠れた。
目が覚めればまた、痛みとキモチワルさが待ち受けていた。
絞られては擦り付けられる。なんつぅか、ボロ雑巾みてぇだな、俺。生物として扱われている気がしねぇ。
そんな待遇を、毎日、毎日、毎日、毎日。受け続ける。変わり映えのしない日々。
あ、けどアセトには少し変化があった。アセトはずっと、サイズも合ってないボロの服を着ていたんだが、最近は新品の衣服を着るようになった。
「ニコがお仕事頑張っているから、余裕ができたんだってぇ。ありがとねぇ、ニコ」
あれか。集会所に集まっている奴らから金を巻き上げたのか。手っ取り早く『金』って奴を得るにゃそれが一番、効率的だろうから。
あんな薄汚い連中の金が財源なのは釈然としないが、金は金だ。アセトも喜んでいる。笑ってくれている。
それで十分だ。
「しゃんぷーとりんすっていうのもねぇ、新調して貰えたんだよぉ? ラベンダーの香りがするんだってぇ。リラックス効果があるらしいんだけど、ニコの好みだったら、嬉しいなぁ」
アセトは少しでも俺が快適に過ごせるよう、色々と手を考えてくれていた。癇癪持ちな室長や、何考えているのかわからん職員どもに意見を言うの、怖かったろうに。
こんな汚物にも優しいアセトの立場が、俺が何かする度に悪くなるってんなら、何も考えないで過ごした方がいいのか?
……そっちの方が、いいか。
意識しない。感じない。考えない。そんなふうに、徹した方が、きっと……。
アセト。俺はアセトさえ笑ってくれたら、笑ってくれるんなら、他に何も、いらない。
いらない。いらない。いらないんだ。いらない。いらないだろ。いらないよな。いらないな。いらない。いらないから。
お前に寄り添って眠る事を、どうか許して欲しい。
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