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第十四章 煙草の灰
第292話 生き神
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※この回には性暴力を連想させる表現が出てきます。ご注意ください。
白い部屋の中で、アセトアルデヒドはニコチンを“洗浄”する。身体に付着した青い血を拭ってあげて、髪も身体も洗い、最後にドライヤーで乾かす。
その間、ニコチンは人形のように動かず、されるがままだった。今までの暴れっぷりが嘘のように大人しい。同族だからか、危害を加える気がないようだ。
研究室に置かれたモニター越しにその様子を見ていた室長は、上機嫌に笑う。
「あいつに世話を任せるようになってから一週間、トラブルが起きなくなった。従順な被験者の集まりも上々。もっと早くこうするべきだったな」
今は24世紀初頭。文明の利器の発達により、有害物質を含む嗜好品は排除されてきている時代。
酒やタバコでさえノンアルコールや電子タバコといった代替品が増え、店頭を占拠している嗜好品は基本的に無害だ。
そんな世の中で、感染爆発や生物災害といった先の見えない恐怖に押し潰されそうな現代人に向け、「不安を解消する奇跡の水」などと謳い、ニコチンを含むクスリを与えたらどうなるのか――
耐性のない人々は面白いぐらいに堕落し、依存し、虜になり、自らの身を捧げるにまで至る。
「奇跡の水」の実態は希釈に希釈を重ね調合した、ほんの僅かしかニコチンを含んでいない水なのだが、元が人造人間の血だからか、効果が跳ね上がっているように思えた。
何にせよ、これで被験体の確保に困らない。妥協してでのニコチンの起用だったが、結果オーライである。
「拉致をするのも強制をするのも、手間と労力と時間がかかるからな。こう言う時は自分から来て貰うのが一番だ」
そこで室長は研究室内にいた職員を呼び付けると、ワイングラスに赤ワインを注がせた。
「アセトアルデヒドもなかなか便利で、造った甲斐があったというものだ。それに、仮に何かあったとしても痛手ではない。……折角だ、このまま『依存』させていくか」
「依存、ですか」
「また暴れられたら面倒だろう? ニコチンがアセトアルデヒドに依存すれば、今後のコントロールがとても楽になる。精々、溺れて貰おうか」
真っ赤なワインを漆黒の瞳で見詰め、暫し香りを楽しんだ後、室長はそれを一気に飲み干したのだった。
◇
「久しぶりだな。アセトアルデヒドとは仲良くなれたか?」
聞きたくなかった男の声が聞こえてきて、俺は眉間にシワを寄せる。
ただ前と違って、そいつは室長は派手なオレンジ色をした防護服ではなく、白衣姿で現れた。
生身。ここで出血という名の毒散布をすれば、こいつは死ぬ。
「おっと、危害を加えようと思うなよ? 八つ当たりという生産性のない行為をする気なら、僕も八つ当たりとしてアセトアルデヒドを嬲ろう」
俺の思考を読んでか、室長は釘を刺してきた。
「だから愚行はよしておくべきだ」
別に端から、どうこうする気はなかったけどな。ただ、1ヶ月? だかそんぐらい久し振りに顔を出してきたから、驚いただけだ。
こいつが何を喋ろうが何をしてこようが、もうどうでもいい。
「ようやく言う事を聞く気になったか。いい心掛けだ。さて僕が今日ここに来たのは他でもない、君に紹介したい人々がいるからなんだ」
室長はそう言って俺に繋げられた鎖を全て外していく。
清掃の時に部分的に外す事はあったが、全部取られたのは初めてか? 白い部屋に入れられてから今日までずっと、床に縫い付けられていたからな。
「その人達がいるからこそ、君はおまんまを食べられる。スポンサーであり、未来を発展させる礎となる尊き貢献者。挨拶の一つ済ますべきだろう」
次いで俺は妙に肌触りのいい薄布に包まれて、ひょいと抱えられた。赤子を抱き抱える格好ってこんな感じだったか?
室長は「小さくすると運びやすくていいな」とかいう感想を口にしている。どうでもいい。
それから初めて、白い部屋を出た。
けど何の感慨も湧かない。薄暗いうえに、装飾性のない無機質な廊下を見た所でなんっっも面白くねぇ。
アセトがいればまた違ったか?
また足が生えたら隣を歩いて、また手が生えたら手を繋いで、また口を開けられたら他愛のない話をして。
そうすればこんな、モノクロな空間も彩りを感じられるようになるか?
そんな事を考えている内に室長は廊下を進んで細い階段をあがって、今までと打って変わり妙に華美な彫り物が施された扉の前まで来ると、そこを開けて中へと入った。
「おお、そのお方こそが生き神!」
「神さま! 神さま!」
「美しい真紅の瞳だ……っ!」
扉の先にあったのは、祭壇が置かれた小ぶりな部屋。天井には六角形をメインにした幾何学模様が描かれていて、妙に神々しい。知識にある、アラベスク模様とかいうのに似ている気がする。
そんな妙な部屋の中に、老若男女問わず多くの人間がひしめきあっている。室長が立っている壇上まで上がってきそうな勢いだ。
(いきがみって、何だ……?)
人間達が俺を見て口々に言う単語。どうも俺の事をさしているようだが、その意味がわからない。
ひしめき合う人間達は、縋るように俺に手を伸ばしてくる。
「お布施を致します! 私めにもっと『奇跡の水』をください!」
「いいえ供物を捧げた自分の方に先に!」
「ください」
「もっと」
「水を、『奇跡の水』を」
「もっと、もっと」
「欲しい」
ぐいっ
腰を超えるぐらい伸びた俺の髪を、人間の一人が引っ張ってくる。地味に痛い。
というか、どいつもこいつも目が血走ってイッちまっている。なんか室長が高尚な感じで喋っているが、聞いちゃいねぇ。
興奮した犬みてぇに浅い呼吸を繰り返す奴もいれば、痺れを切らし怒鳴り散らす奴もいるな。情緒不安定を絵に描いたみてぇだ。
共通するのは、俺にナニカを求めている事。
俺のナニカ? 俺の、ニコチンの……
――ニコチン。
ナス科の植物タバコの葉に含まれる、アルカロイドの一種。神経性に作用する猛毒。
ニコチンを摂取した人間は大量の快感を得る事によって、徐々に脳が侵され依存をしていき……ニコチンが体内にない状態では、正気を保てないレベルに陥る。
そして一度、ニコチン依存症に陥ってしまえば自力で抜け出す事は困難を極めるとされる。薬物依存で知られる、ヘロインやコカインと同じ程に。
それが、ニコチン。
室長は俺の顎を掴んで、ぐいと無理やり顔を上げさせた。
「奇跡の水の正体は、御神の涙に他ならない」
何を言っているんだ、こいつは。
けど人間達は室長の荒唐無稽な発言を前に、歓喜の声をあげ湧き立っている。
次いで不意につぅ、と、室長が俺の背中を指先で撫でてきて、その気持ち悪さにぞわりと鳥肌が立った。
「ただの代替品であるお前をこれだけ求めてくれているんだ、お礼をしなくっちゃなぁ。その、身体で」
そして耳元で囁かれる、無慈悲な宣告。
「沢山、愛して貰いなさい」
そのまま壇上の上に転がされ、薄布一枚だけ纏った無防備なダルマが、人間達へ差し出された。
直後、人間達が群がってくる。池で餌を求める鯉の如く。
手が、伸びてくる。触れてくる。引っ掻いてくる。撫でてくる。噛み付いてくる。舐めてくる。引っ張ってくる。押し付けてくる。擦り付けてくる。
捩じ込んでくる。
アァ。キモチガ、ワルイ。
白い部屋の中で、アセトアルデヒドはニコチンを“洗浄”する。身体に付着した青い血を拭ってあげて、髪も身体も洗い、最後にドライヤーで乾かす。
その間、ニコチンは人形のように動かず、されるがままだった。今までの暴れっぷりが嘘のように大人しい。同族だからか、危害を加える気がないようだ。
研究室に置かれたモニター越しにその様子を見ていた室長は、上機嫌に笑う。
「あいつに世話を任せるようになってから一週間、トラブルが起きなくなった。従順な被験者の集まりも上々。もっと早くこうするべきだったな」
今は24世紀初頭。文明の利器の発達により、有害物質を含む嗜好品は排除されてきている時代。
酒やタバコでさえノンアルコールや電子タバコといった代替品が増え、店頭を占拠している嗜好品は基本的に無害だ。
そんな世の中で、感染爆発や生物災害といった先の見えない恐怖に押し潰されそうな現代人に向け、「不安を解消する奇跡の水」などと謳い、ニコチンを含むクスリを与えたらどうなるのか――
耐性のない人々は面白いぐらいに堕落し、依存し、虜になり、自らの身を捧げるにまで至る。
「奇跡の水」の実態は希釈に希釈を重ね調合した、ほんの僅かしかニコチンを含んでいない水なのだが、元が人造人間の血だからか、効果が跳ね上がっているように思えた。
何にせよ、これで被験体の確保に困らない。妥協してでのニコチンの起用だったが、結果オーライである。
「拉致をするのも強制をするのも、手間と労力と時間がかかるからな。こう言う時は自分から来て貰うのが一番だ」
そこで室長は研究室内にいた職員を呼び付けると、ワイングラスに赤ワインを注がせた。
「アセトアルデヒドもなかなか便利で、造った甲斐があったというものだ。それに、仮に何かあったとしても痛手ではない。……折角だ、このまま『依存』させていくか」
「依存、ですか」
「また暴れられたら面倒だろう? ニコチンがアセトアルデヒドに依存すれば、今後のコントロールがとても楽になる。精々、溺れて貰おうか」
真っ赤なワインを漆黒の瞳で見詰め、暫し香りを楽しんだ後、室長はそれを一気に飲み干したのだった。
◇
「久しぶりだな。アセトアルデヒドとは仲良くなれたか?」
聞きたくなかった男の声が聞こえてきて、俺は眉間にシワを寄せる。
ただ前と違って、そいつは室長は派手なオレンジ色をした防護服ではなく、白衣姿で現れた。
生身。ここで出血という名の毒散布をすれば、こいつは死ぬ。
「おっと、危害を加えようと思うなよ? 八つ当たりという生産性のない行為をする気なら、僕も八つ当たりとしてアセトアルデヒドを嬲ろう」
俺の思考を読んでか、室長は釘を刺してきた。
「だから愚行はよしておくべきだ」
別に端から、どうこうする気はなかったけどな。ただ、1ヶ月? だかそんぐらい久し振りに顔を出してきたから、驚いただけだ。
こいつが何を喋ろうが何をしてこようが、もうどうでもいい。
「ようやく言う事を聞く気になったか。いい心掛けだ。さて僕が今日ここに来たのは他でもない、君に紹介したい人々がいるからなんだ」
室長はそう言って俺に繋げられた鎖を全て外していく。
清掃の時に部分的に外す事はあったが、全部取られたのは初めてか? 白い部屋に入れられてから今日までずっと、床に縫い付けられていたからな。
「その人達がいるからこそ、君はおまんまを食べられる。スポンサーであり、未来を発展させる礎となる尊き貢献者。挨拶の一つ済ますべきだろう」
次いで俺は妙に肌触りのいい薄布に包まれて、ひょいと抱えられた。赤子を抱き抱える格好ってこんな感じだったか?
室長は「小さくすると運びやすくていいな」とかいう感想を口にしている。どうでもいい。
それから初めて、白い部屋を出た。
けど何の感慨も湧かない。薄暗いうえに、装飾性のない無機質な廊下を見た所でなんっっも面白くねぇ。
アセトがいればまた違ったか?
また足が生えたら隣を歩いて、また手が生えたら手を繋いで、また口を開けられたら他愛のない話をして。
そうすればこんな、モノクロな空間も彩りを感じられるようになるか?
そんな事を考えている内に室長は廊下を進んで細い階段をあがって、今までと打って変わり妙に華美な彫り物が施された扉の前まで来ると、そこを開けて中へと入った。
「おお、そのお方こそが生き神!」
「神さま! 神さま!」
「美しい真紅の瞳だ……っ!」
扉の先にあったのは、祭壇が置かれた小ぶりな部屋。天井には六角形をメインにした幾何学模様が描かれていて、妙に神々しい。知識にある、アラベスク模様とかいうのに似ている気がする。
そんな妙な部屋の中に、老若男女問わず多くの人間がひしめきあっている。室長が立っている壇上まで上がってきそうな勢いだ。
(いきがみって、何だ……?)
人間達が俺を見て口々に言う単語。どうも俺の事をさしているようだが、その意味がわからない。
ひしめき合う人間達は、縋るように俺に手を伸ばしてくる。
「お布施を致します! 私めにもっと『奇跡の水』をください!」
「いいえ供物を捧げた自分の方に先に!」
「ください」
「もっと」
「水を、『奇跡の水』を」
「もっと、もっと」
「欲しい」
ぐいっ
腰を超えるぐらい伸びた俺の髪を、人間の一人が引っ張ってくる。地味に痛い。
というか、どいつもこいつも目が血走ってイッちまっている。なんか室長が高尚な感じで喋っているが、聞いちゃいねぇ。
興奮した犬みてぇに浅い呼吸を繰り返す奴もいれば、痺れを切らし怒鳴り散らす奴もいるな。情緒不安定を絵に描いたみてぇだ。
共通するのは、俺にナニカを求めている事。
俺のナニカ? 俺の、ニコチンの……
――ニコチン。
ナス科の植物タバコの葉に含まれる、アルカロイドの一種。神経性に作用する猛毒。
ニコチンを摂取した人間は大量の快感を得る事によって、徐々に脳が侵され依存をしていき……ニコチンが体内にない状態では、正気を保てないレベルに陥る。
そして一度、ニコチン依存症に陥ってしまえば自力で抜け出す事は困難を極めるとされる。薬物依存で知られる、ヘロインやコカインと同じ程に。
それが、ニコチン。
室長は俺の顎を掴んで、ぐいと無理やり顔を上げさせた。
「奇跡の水の正体は、御神の涙に他ならない」
何を言っているんだ、こいつは。
けど人間達は室長の荒唐無稽な発言を前に、歓喜の声をあげ湧き立っている。
次いで不意につぅ、と、室長が俺の背中を指先で撫でてきて、その気持ち悪さにぞわりと鳥肌が立った。
「ただの代替品であるお前をこれだけ求めてくれているんだ、お礼をしなくっちゃなぁ。その、身体で」
そして耳元で囁かれる、無慈悲な宣告。
「沢山、愛して貰いなさい」
そのまま壇上の上に転がされ、薄布一枚だけ纏った無防備なダルマが、人間達へ差し出された。
直後、人間達が群がってくる。池で餌を求める鯉の如く。
手が、伸びてくる。触れてくる。引っ掻いてくる。撫でてくる。噛み付いてくる。舐めてくる。引っ張ってくる。押し付けてくる。擦り付けてくる。
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アァ。キモチガ、ワルイ。
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