毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十四章 煙草の灰

第294話 365×8=……

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※この回には性暴力を連想させる表現が出てきます。ご注意ください。

 薄暗い物置き部屋の中。研究所の職員に忘れ去られ、埃を被っていた本を手に取り、アセトアルデヒドは薄く開いた扉の隙間から差し込む光を頼りにページを捲る。
 その本には天体について書かれていた。不老不死の完成を目指しているという研究所とはあまり関係がなさそうだが、趣味なのかもしれない。

(一年は、365日で、一日は、24時間で、季節があって、暑い夏や寒い冬があって……)

 アセトアルデヒドの行動が許されている場所は物置と、ユニットバスと、ニコチンのいる白い部屋。あとはそれらを繋ぐ廊下のみ。外に繋がる扉もなければ外が見える窓もなく、朝も昼も夜もない。
 定期的に物置を訪れる職員に呼ばれたら白い部屋で『清掃作業』をこなし、終わったら食事を貰う。たまに食事がでない事もあるが、基本的にはその繰り返し。
 なので今、研究所ここの外はどんな景色で、どんな季節で、太陽がどの辺りに浮かんでいて、月や星は見えるのか、街中なのか森の中なのか荒野なのかそれとも砂漠なのか、なんてのもわからない。そもそも自分がいつ造られたのかさえ。
 白い部屋に縛られるニコチンの元に3000回近く訪れた事だけしか、アセトアルデヒドは知らない。

(……ニコは歌を聴くのが、好きみたいだなぁ)

 意思疎通をする手段が限られているニコチンだが、歌を聴いている時が落ち着くようで、清掃後に少し許された時間の中で何をしようかと選択肢を提示てみると、『歌』で頷く事が一番多かった。
 音楽なんてものを聴いたことがないアセトアルデヒドの歌など、上等とは決して言えないだろうに。

(『何もするな』とか『喋るな』とかは選んでこないから、好き、なんだよねぇ? ……ちょっとだけ、嬉しいなぁ)

 無機質で機械的な暮らしの中で、ニコチンと過ごす時間だけが唯一の楽しみだ。しかしもっと、彼にしてあげられる事を増やしたくて、アセトアルデヒドは今日も本を飲み込む。
 床を埋め尽くす程の本が乱雑に放置されている物置き部屋では読む物に困らない。ただアセトアルデヒドにインプットされている英語だけでなく、知らない言語で書かれている物もあるので読み解くのに苦労する本もあるが、時間だけはたっぷりあるので問題はない。特にローマ字が使われている本ならば、頑張れば読める。

(本、持ち出せたらいいのになぁ。ニコに見せてあげたい。綺麗な挿絵が入っている本とか、見たら喜んでくれるかなぁ?)
「何をしているんだ」

 薄く開いていた扉が大きく開いて、物置き部屋に室長が現れる。

「あ、あ、い、いえ、なんで、も……」

 前触れなく現れた室長を前に、アセトアルデヒドは言葉を詰まらせながらも立ち上がり、持っていた本は本の山の上へと放り、いつでも移動ができる事を示す。
 室長がアセトアルデヒドの元を訪れるのは、折檻か血抜きかの二択だからだ。どちらを受けるにせよ別室への移動が命じられ、そこでが施される。
 だから直ぐに動けるよう、立ち上がっての待機が一番怒られない。

「ふん。ニコチンの懐柔が上手くできているから見逃してやるが、今の状態を維持できなければ用無しになる事は忘れるなよ」
「ぁ、う……」
「返事」
「は、はいっ」
「……まぁいいだろう。来い」

 いつ顔を合わせても苛立ちを募らせ、些細な事で怒鳴り殴ってくる室長だが、今日はどこか雰囲気が違う。ほんの少しだけ、穏やかに見えた。
 尤もアセトアルデヒドは室長の機嫌がいい理由を訊く事なんてできないので、言われた通り黙って彼に続き物置き部屋を出る。
 アセトアルデヒドの予想としては処置部屋での血抜きだったが、室長はその処置部屋の扉の前を通り過ぎた。処置部屋より先に行った事のないアセトアルデヒドは驚き、恐る恐る室長に訊ねてみる。

「あ、あ、あの、さっき通った部屋、使わないんですか……?」
「今日は違う」

 普段ならばアセトアルデヒドの素朴な問いかけも「耳障りだ」という言葉と共に鉄拳を喰らう事が多いのに、素直に答えてくれている。
 やけに機嫌がいい。
 不思議に思いつつ、しかしこれ以上の詮索は流石に怒られるだろうと口を閉じ、アセトアルデヒドは先を進む室長の後ろを離れずついて行く。

(そういえば、白い部屋にニコがいなかったな……)

 アセトアルデヒドがニコチンと会う白い部屋は処置部屋よりも手前にあるので、処置部屋に向かう際は必然的に横切る。その際、廊下に付けられたガラス窓から白い部屋の中が見れるのだが、彼を縫い付ける鎖だけがあって、肝心のニコチンの姿は見当たらなかった。
 ニコチンはたまに室長に連れられて何処かに『仕事』をしに行く事は知っているものの、ニコチンは喋れないのでその仔細はわからない。だが今日は、その室長が目の前にいる。
 一体どこへ行ってしまったのかと、アセトアルデヒドは不安に駆られた。

「室長、よろしいでしょうか?」

 その時、廊下の向こう側から現れた職員に室長が呼び止められる。

「何だ。僕はビッグゲストを待たせているんだ、手短に言え」
「それが、『トール』さまより緊急の連絡が来まして……」
「……チッ」

 室長は舌打ちをした後、

「おい、こいつを見張っておけ。直ぐに戻る」

 職員にアセトアルデヒドの監視を命じ、廊下の先、曲がり角の奥へと姿を消してしまった。
 残されたアセトアルデヒドは両手を握ったり開いたり落ち着きのない動きをしつつ、職員の様子を伺う。待たされるのは職員も退屈なようで、あくびまでしている。
 声をかけるべきかただ突っ立っていた方がいいのか、アセトアルデヒドが迷っていると、近場にあった階段から職員がもう一人、降りてきた。

「よう、お疲れ」
「お疲れ~。って、何でアセトアルデヒドがこんな所にいるんだよ。こいつもニコチンの所に連れて行くのか?」
「さぁ? 俺はただ見張れって室長に言われただけだよ」
「その室長は?」
「よその研究所から連絡来たから対応している」

 職員2人は上下関係のない同僚なようで、軽快な会話を交わしている。
 そして片方の職員はどうも、ニコチンの居場所を知っているようだった。

「に、ニコ……。ニコチン、どこぉ……?」

 なのでアセトアルデヒドは精一杯の勇気を振り絞って、彼の居場所を訊ねた。
 白い部屋にいない事が堪らなく不安だったから、どうしても知りたかったのだ。

「あ、やっぱニコチンのとこ連れて行く途中だったんじゃね?」
「そうだなぁ。近くなんだし、もう俺らで運んじまうか」

 ニコチンの元に行く予定だった、と勘違いしてくれたお陰で、アセトアルデヒドは職員に連れられ、先程職員が降りてきた階段を登り、その先にあった扉の中へと足を運ぶ。
 扉の中にあったのは小ぶりな部屋。天井にはアラベスク模様に似た、六角形をメインにした幾何学模様が描かれている。祭壇や壇上が置かれているのもあって、どことなく神々しい。しかし他に家具はなく、窓もないこの部屋は物寂しく、機能性は感じられない。

「……。ニコ?」

 その狭い部屋の中央。10人程の男達が密集した場所から、見慣れた茶色い髪が伸びている事に、アセトアルデヒドは気が付いた。

「ニコ、そこにいるの? ニコ……」

 アセトアルデヒドや職員達の入室にも気付かない、気付いたとしても気にも留めていないらしい男達は、アセトアルデヒドが恐る恐る歩み寄っても一瞥もしない。
 だからすんなり近寄れてしまって、人間達に囲まれているニコチンの姿を、見る事ができた。

「ニコ……?」

 首を鷲掴みにし押さえ付け、一方的に揺さぶられ好き勝手ねぶられ、ただただ捌け口にされている、ニコチンの姿を。

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