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第十四章 煙草の灰
第295話 臆病者
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※この回はグロテスクな展開が続きます。ご注意ください。
この行為が何なのか。
知識にはある。本でも見かけた。けれどアセトアルデヒドの知識が正しければ、身動きも意思疎通もろくにできない相手にするのは、肉欲のまま貪るのは、ただの暴力である。
アセトアルデヒドは頭が真っ白になって、目の前の出来事の理解を拒んで、逃げ出したくなった。
けれど身体は反対し、がむしゃらに、無我夢中に、男達を押し退けニコチンの元へと駆け寄り、庇うように覆い被さる。
頭上から「神さまが」、「どけ」、「儀式の邪魔をするな」、「失せろ」といった暴言が聞こえる。蹴られる。殴られる。それでもアセトアルデヒドはニコチンを抱き込んで身体を小さくして、誰にも触れさせないよう盾となった。
両目からぼろぼろと零れ落ちる涙が止まらない。こんなにも悲しく辛いのは、暴言を吐かれているからでも、暴力を受けているからでもない。
ニコチンが傷付けられているのが、酷くショックだったからだ。
「おい、何をしているんだ! 儀式を妨げるな!」
「それとも混ざりたいのか? ちゃんと準備はしてきているんだろうな?」
「してないんじゃないか? ニコチンはもうベテランだからなぁ。初々しい反応する奴が求められているのかもだ」
職員2人が何か言っている。耳を疑う言葉を囁いている。
その意味を理解したくなかったが、目の前で起きていた事を無視する事はできず、アセトアルデヒドは目をキツく瞑った。
今日昨日だけではない。長い時間、ニコチンはこの仕打ちを受けていたのだと、容易に察せられる。
「ごめんねぇ。ごめんねぇ」
……逃げられたのだ、本当は。いつだって。
勇気が出なくて。恐怖が勝ってしまって。
衣食住は貰えているのだし、このままでいいのではないかと、楽な方に流れてしまって。逆らいさえしなければ、アセトアルデヒドは血をわけ、ニコチンの世話をこなせばそれでよかったから。
その間、ニコチンがずっと搾取され続けているなんて知りもせず、知ろうともせず。ニコチンが血の提供だけでない仕打ちを受けている事は、薄々気付いていたのに。
具体的な内容はわからなくとも、自分より遥かに悪い環境にいたのはわかっていたのに。
今日までずるずると時を消費し続けてしまった。
「僕はどうしてこんなに、臆病に生まれてしまったんだろうねぇ?」
◇
「何の用だ、トール」
研究室にある通信機器の前で、室長は苛立ちを隠す事もなく『トール』との通信を開始する。
「今日は上層部から直接派遣された視察が来ているんだ。その使者を待たせてしまっている。わかったんなら切るぞ」
こんな大事な時に連絡など、嫌がらせでしかないと判断した室長は早々に通信を切ろうとしたが、トールに「待った」をかけられてしまう。
トールの質問はただ一つ、「上層部に人造人間を見せるのかどうか」だという。
「そうだ。上層部には人造人間を見せる予定だ。ニコチンはとても見せられた姿じゃないが、アセトアルデヒドはマシな見た目をしているからな。それに鈍臭いがニコチンと違って逆らわない。爪か生皮を剥がせば直ぐ従順になる、便利なやつだよ。集会所? あそこは見せるとしても映像だけだね。何せ汚いったらありゃあしない。希望があるなら信者の何人かを呼んで会わせる、ぐらいは出来るが、現場は無理だな。あんな掃き溜め、僕自身もう何年も入っていないよ」
そう言って室長は苦々しい顔を浮かべる。
ニコチンへの嫌がらせとして、戯れに作った(と言っても空室に祭壇と壇上を置き、天井にそれっぽい模様を貼っただけだが)集会所が今でも活用されているのに内心、うんざりしていた。
自分の城に余所者を招くのも研究物をベタベタ触られるのも、本当は嫌で仕方がない。けれどそのデメリットがメリットを遥かに上回ってしまっているので、続けざるを得ない状況だった。
また、我慢しただけの成果は、きちんと得ている。
「はははっ! 昔はあんなに苦労していた被験体の確保が容易なんだ! おまけに金までばら撒いてくれる。研究も捗るものさ! 僕には教祖の才能もあったかもしれないね! この報告も上層部は喜ぶだろう! 《不老不死》の完成も、きっと近い!」
通信機器越しに聞こえるトールの言葉を笑い飛ばし、室長はこの研究所《ウロボロス》の目的である《不老不死》の研究に手応えを感じていた。上層部もそれをわかっていて使者を派遣しにきたに違いない。
《不老不死》が完成すれば、その報酬として地位も名誉も金も思うがまま手に入れられる。こんな光のささない地下で身を隠すように研究するのではなく、地上で堂々と、自分の好きな研究に打ち込める。
それが今から楽しみであった。
「逆に君は落ち目か? 次に僕と連絡を取る時、まだ白衣を着れたままだと……ん?」
――その調子では、直に足元を掬われるだろう。
トールはそれだけ言ってくると、一方的に通信を切ってきた。
連絡を寄越したのはトールの方だと言うのに、大した情報を寄越す事もなく話を打ち切るとは勝手である。
(全く、時間の無駄だったな。さっさと使者に会いに行かなくては)
苛立ちつつも室長は足早に研究室を出て、アセトアルデヒドを待機させている廊下へと戻る。
しかしそこにアセトアルデヒドの姿はなかった。それどころか職員の姿もない。一体、どこに行ったのかと焦って周囲を見渡してみれば、階段の上、集会所から騒がしい音が聞こえる。
(まさか集会所に連れ込んだのか!? 待機を命じていたと言うのに、勝手な事を!)
使者に会わせる前に洗浄が必要になるかもしれない事を面倒に思いつつ、室長は荒い足取りで階段を登り扉の奥へと入った。
途端、血の匂いが鼻につく。
集会所には首を捩じ切られた半裸の男、腹に穴が空いた全裸の男、後頭部と足裏がくっ付きそうなほど折れ曲がった男など、目を背けたくなる惨状が、広がっていたのだ。
ミステリードラマの猟奇殺人現場さながらの光景。
その真っ赤な血溜まりの真ん中に、ニコチンを抱えたアセトアルデヒドが立っている。頭から血を浴び両手も真っ赤に染め上げ、肩を震わせ浅い呼吸を繰り返し、怯えと興奮が混ざった表情を浮かべている。
(……殺、したのか……?)
臆病で人の言いなりになるしか脳のない、アセトアルデヒドが。
信じがたい出来事に室長の思考が停止する。その隙にアセトアルデヒドは集会所の外へと繋がる扉に向かって走り出し、扉を蹴破って飛び出してしまった。
そこで我に返った室長は慌てて壁際で縮こまっていた職員を蹴飛ばし、アセトアルデヒドを追うよう指示を出す。
「お前には見張りを任せていただろう! 職務を全うしろ!」
「け、け、けど室長っ! あんな、素手で人の首を捩じ切れる奴なんてどう捕まえれば……っ!」
「人造人間が怪力なことぐらい知らないのか!? さては研修をサボったかこの愚図が! 電撃でも浴びさせれば動きを止められる! 早くしろ!!」
室長は怒鳴り散らしてから職員を走らせ、自分自身も後を歩いて追う。
その間にも通信機器を用い、警備を担当する職員へ通達を出し出口を塞ぐ事と待ち伏せをする事を命じた。
尤もアセトアルデヒドには外へ繋がる道などわからないだろうが。端から2人の逃げ場など、ない。
「手間をかけさせる……!」
早く連れ戻して洗浄をして、上層部の使者に突き出して、いやいっそアセトアルデヒドは廃棄し造り直した方がいいかもしれない。ニコチンだけ回収すればいい。
使者には青い血を見せる事でお茶を濁す。その方が手っ取り早い。
その結論に至った室長はさっさと廊下の突き当たり、曲がり角にいるアセトアルデヒドの元まで移動をした。彼は自身を囲み、銃を突き付けてくる複数の職員に怯えているようだった。
アセトアルデヒドもニコチンも、鉛玉で死ぬような身体ではないにも関わらず。
「もういい、お前達そいつから離れろ」
アセトアルデヒドを廃棄するには、再生が追いつかない程に身体を欠損させなければならない。
例えば、首に仕込んだチョーカー型の爆弾を作動させる。首が胴体と離れてしまえば流石の人造人間でも死ぬはず。そしてその爆弾は、アセトアルデヒドを造った時からずっと付けさせている。
携帯端末の操作一つで片せる。室長は職員を下がらせたと同時に、迷わず爆弾を起動させた。
爆音と爆風が廊下を駆け巡り、肉片と青い血が床や壁や天井にこびり付く。
爆弾は問題なく作動した。後は青い血に気を付けつつニコチンの回収を、と室長は考えていたのだが、
「……は? 吹き飛んで、いない……?」
アセトアルデヒドの首は、胴体と繋がったままだった。皮も肉も血も確かに吹き飛んだはずなのに。
骨が、残っている。身体と頭を繋げる脊椎が。
その骨を起点として、アセトアルデヒド再生が、始まった。
この行為が何なのか。
知識にはある。本でも見かけた。けれどアセトアルデヒドの知識が正しければ、身動きも意思疎通もろくにできない相手にするのは、肉欲のまま貪るのは、ただの暴力である。
アセトアルデヒドは頭が真っ白になって、目の前の出来事の理解を拒んで、逃げ出したくなった。
けれど身体は反対し、がむしゃらに、無我夢中に、男達を押し退けニコチンの元へと駆け寄り、庇うように覆い被さる。
頭上から「神さまが」、「どけ」、「儀式の邪魔をするな」、「失せろ」といった暴言が聞こえる。蹴られる。殴られる。それでもアセトアルデヒドはニコチンを抱き込んで身体を小さくして、誰にも触れさせないよう盾となった。
両目からぼろぼろと零れ落ちる涙が止まらない。こんなにも悲しく辛いのは、暴言を吐かれているからでも、暴力を受けているからでもない。
ニコチンが傷付けられているのが、酷くショックだったからだ。
「おい、何をしているんだ! 儀式を妨げるな!」
「それとも混ざりたいのか? ちゃんと準備はしてきているんだろうな?」
「してないんじゃないか? ニコチンはもうベテランだからなぁ。初々しい反応する奴が求められているのかもだ」
職員2人が何か言っている。耳を疑う言葉を囁いている。
その意味を理解したくなかったが、目の前で起きていた事を無視する事はできず、アセトアルデヒドは目をキツく瞑った。
今日昨日だけではない。長い時間、ニコチンはこの仕打ちを受けていたのだと、容易に察せられる。
「ごめんねぇ。ごめんねぇ」
……逃げられたのだ、本当は。いつだって。
勇気が出なくて。恐怖が勝ってしまって。
衣食住は貰えているのだし、このままでいいのではないかと、楽な方に流れてしまって。逆らいさえしなければ、アセトアルデヒドは血をわけ、ニコチンの世話をこなせばそれでよかったから。
その間、ニコチンがずっと搾取され続けているなんて知りもせず、知ろうともせず。ニコチンが血の提供だけでない仕打ちを受けている事は、薄々気付いていたのに。
具体的な内容はわからなくとも、自分より遥かに悪い環境にいたのはわかっていたのに。
今日までずるずると時を消費し続けてしまった。
「僕はどうしてこんなに、臆病に生まれてしまったんだろうねぇ?」
◇
「何の用だ、トール」
研究室にある通信機器の前で、室長は苛立ちを隠す事もなく『トール』との通信を開始する。
「今日は上層部から直接派遣された視察が来ているんだ。その使者を待たせてしまっている。わかったんなら切るぞ」
こんな大事な時に連絡など、嫌がらせでしかないと判断した室長は早々に通信を切ろうとしたが、トールに「待った」をかけられてしまう。
トールの質問はただ一つ、「上層部に人造人間を見せるのかどうか」だという。
「そうだ。上層部には人造人間を見せる予定だ。ニコチンはとても見せられた姿じゃないが、アセトアルデヒドはマシな見た目をしているからな。それに鈍臭いがニコチンと違って逆らわない。爪か生皮を剥がせば直ぐ従順になる、便利なやつだよ。集会所? あそこは見せるとしても映像だけだね。何せ汚いったらありゃあしない。希望があるなら信者の何人かを呼んで会わせる、ぐらいは出来るが、現場は無理だな。あんな掃き溜め、僕自身もう何年も入っていないよ」
そう言って室長は苦々しい顔を浮かべる。
ニコチンへの嫌がらせとして、戯れに作った(と言っても空室に祭壇と壇上を置き、天井にそれっぽい模様を貼っただけだが)集会所が今でも活用されているのに内心、うんざりしていた。
自分の城に余所者を招くのも研究物をベタベタ触られるのも、本当は嫌で仕方がない。けれどそのデメリットがメリットを遥かに上回ってしまっているので、続けざるを得ない状況だった。
また、我慢しただけの成果は、きちんと得ている。
「はははっ! 昔はあんなに苦労していた被験体の確保が容易なんだ! おまけに金までばら撒いてくれる。研究も捗るものさ! 僕には教祖の才能もあったかもしれないね! この報告も上層部は喜ぶだろう! 《不老不死》の完成も、きっと近い!」
通信機器越しに聞こえるトールの言葉を笑い飛ばし、室長はこの研究所《ウロボロス》の目的である《不老不死》の研究に手応えを感じていた。上層部もそれをわかっていて使者を派遣しにきたに違いない。
《不老不死》が完成すれば、その報酬として地位も名誉も金も思うがまま手に入れられる。こんな光のささない地下で身を隠すように研究するのではなく、地上で堂々と、自分の好きな研究に打ち込める。
それが今から楽しみであった。
「逆に君は落ち目か? 次に僕と連絡を取る時、まだ白衣を着れたままだと……ん?」
――その調子では、直に足元を掬われるだろう。
トールはそれだけ言ってくると、一方的に通信を切ってきた。
連絡を寄越したのはトールの方だと言うのに、大した情報を寄越す事もなく話を打ち切るとは勝手である。
(全く、時間の無駄だったな。さっさと使者に会いに行かなくては)
苛立ちつつも室長は足早に研究室を出て、アセトアルデヒドを待機させている廊下へと戻る。
しかしそこにアセトアルデヒドの姿はなかった。それどころか職員の姿もない。一体、どこに行ったのかと焦って周囲を見渡してみれば、階段の上、集会所から騒がしい音が聞こえる。
(まさか集会所に連れ込んだのか!? 待機を命じていたと言うのに、勝手な事を!)
使者に会わせる前に洗浄が必要になるかもしれない事を面倒に思いつつ、室長は荒い足取りで階段を登り扉の奥へと入った。
途端、血の匂いが鼻につく。
集会所には首を捩じ切られた半裸の男、腹に穴が空いた全裸の男、後頭部と足裏がくっ付きそうなほど折れ曲がった男など、目を背けたくなる惨状が、広がっていたのだ。
ミステリードラマの猟奇殺人現場さながらの光景。
その真っ赤な血溜まりの真ん中に、ニコチンを抱えたアセトアルデヒドが立っている。頭から血を浴び両手も真っ赤に染め上げ、肩を震わせ浅い呼吸を繰り返し、怯えと興奮が混ざった表情を浮かべている。
(……殺、したのか……?)
臆病で人の言いなりになるしか脳のない、アセトアルデヒドが。
信じがたい出来事に室長の思考が停止する。その隙にアセトアルデヒドは集会所の外へと繋がる扉に向かって走り出し、扉を蹴破って飛び出してしまった。
そこで我に返った室長は慌てて壁際で縮こまっていた職員を蹴飛ばし、アセトアルデヒドを追うよう指示を出す。
「お前には見張りを任せていただろう! 職務を全うしろ!」
「け、け、けど室長っ! あんな、素手で人の首を捩じ切れる奴なんてどう捕まえれば……っ!」
「人造人間が怪力なことぐらい知らないのか!? さては研修をサボったかこの愚図が! 電撃でも浴びさせれば動きを止められる! 早くしろ!!」
室長は怒鳴り散らしてから職員を走らせ、自分自身も後を歩いて追う。
その間にも通信機器を用い、警備を担当する職員へ通達を出し出口を塞ぐ事と待ち伏せをする事を命じた。
尤もアセトアルデヒドには外へ繋がる道などわからないだろうが。端から2人の逃げ場など、ない。
「手間をかけさせる……!」
早く連れ戻して洗浄をして、上層部の使者に突き出して、いやいっそアセトアルデヒドは廃棄し造り直した方がいいかもしれない。ニコチンだけ回収すればいい。
使者には青い血を見せる事でお茶を濁す。その方が手っ取り早い。
その結論に至った室長はさっさと廊下の突き当たり、曲がり角にいるアセトアルデヒドの元まで移動をした。彼は自身を囲み、銃を突き付けてくる複数の職員に怯えているようだった。
アセトアルデヒドもニコチンも、鉛玉で死ぬような身体ではないにも関わらず。
「もういい、お前達そいつから離れろ」
アセトアルデヒドを廃棄するには、再生が追いつかない程に身体を欠損させなければならない。
例えば、首に仕込んだチョーカー型の爆弾を作動させる。首が胴体と離れてしまえば流石の人造人間でも死ぬはず。そしてその爆弾は、アセトアルデヒドを造った時からずっと付けさせている。
携帯端末の操作一つで片せる。室長は職員を下がらせたと同時に、迷わず爆弾を起動させた。
爆音と爆風が廊下を駆け巡り、肉片と青い血が床や壁や天井にこびり付く。
爆弾は問題なく作動した。後は青い血に気を付けつつニコチンの回収を、と室長は考えていたのだが、
「……は? 吹き飛んで、いない……?」
アセトアルデヒドの首は、胴体と繋がったままだった。皮も肉も血も確かに吹き飛んだはずなのに。
骨が、残っている。身体と頭を繋げる脊椎が。
その骨を起点として、アセトアルデヒド再生が、始まった。
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