契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第4話 義実家って面倒臭い

8.尚一郎の気遣い

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部屋に戻ると夕食が準備されていた。
懐石風の料理に、昼間のことが思い出されて一瞬、たじろいだ。

「マナーなんて気にすることないよ。
第一、こういう料理でテーブルマナーなんて、おいしく食べることとよっぽど見苦しいことをしない以外に、なにかあるの?」

確かに、刺身もあればステーキもあるような料理で、正しいテーブルマナーもなにもないような気がする。

「ほら、食べよう?
昼はあんなだったし、それからサンドイッチを食べただけだろ?
お腹空いちゃったよ」

苦笑いの尚一郎に熱い顔で、黙ってその前に座った。

 
刺身に天ぷら、ステーキ。
さらには鍋。
節操がないといえばそうだが、旅館の料理といえばこんなものだ。

もちろん箸だが、尚一郎はきれいな箸使いで食べている。
いまは胡座をかいているが、本邸では正座をしていた。
外国人は正座が苦手だと聞いたことがあるし、きっと並々ならぬ努力をしたのだろう。

「しかし、あの人たちも意地悪だよね。
わざわざ懐石にしてくるなんて」

「それって……?」

意味がわからなくて首を傾げてしまう。

尚一郎に嫌がらせをしようとしたのならば、無駄じゃないかと思えるからだ。

「朋香に恥をかかせようとしたんだよ。
たとえば、まるまる一匹の焼き魚が出てきたら、朋香は正しいマナーで食べられるかい?」

「……うっ」

改めて問われると困る。
日本料理の正しいマナーなんて、よく考えたら洋食以上に知らない。

「そういう人間なんだ、あの人たちは。
ごめんね」

尚一郎に謝られて、慌てて首を振る。

……悪いのは尚一郎さんじゃない、祖父母の方だ。
それに、尚一郎さんはこういう事態を見越して、私に野々村さんからいろいろ習うように指示してくれた。

そう気付くと、尚一郎の心遣いが嬉しかった。

 
寝具は敷き布団じゃなくベッドだったが、二つ並んでいた。

……別の部屋で、とか云ったらさすがに今日は怒られるよね。

悩む朋香に尚一郎はさっさとベッドに入ると、空けた自分の隣をぽんぽんした。

「おいで、Mein Schatz」

意味がわからないというか、わかるけど理解したくない。

「なにもしないから、今日は一緒に寝てほしいんだけど。
ダメかい?」

くぅーん、まるでそんな声が聞こえてきそうな顔で、しかも涙で瞳をうるうると潤ませて尚一郎が見てくる。

……だから。
あの顔には弱いんだって。

「今日だけですよ」

仕方なく朋香は尚一郎の隣に滑り込む。
途端に後ろからぎゅーっと尚一郎に抱きしめられた。

「なにもしないって云いませんでしたか?」

「なにもしないよ?
これ以上のことはね」

ちゅっ、ちゅっ、つむじに、うなじに、尚一郎が口付けを落としてくる。
云い返そうと口を開きかけた朋香だったが、はぁっ、小さくため息をついてやめた。
きっと云ったとこでやめてくれないし、それに。

祖父と父をCEO、COOと呼んでいた理由もわかった。

酷く疎まれていることも、父親をよく思ってないことも。

どうして自分なのかは誤魔化されてわからなかったが、きっと、淋しい尚一郎が欲しかった存在。

自分のために怒ってくれたことも嬉しかった。

たぶん、これからはもう少し、尚一郎に優しくできる気がする。

Guteグーテ Nachtナハト,traumトラウム wasワズ schoenesショーネス(おやすみ、よい夢を)」

優しく落ち続ける唇に、ゆっくりと眠りに落ちていく。

……あ。
そういえばもう一つ、なんかあった気がするんだけど。

気にはなったけれどめまぐるしい一日を過ごしたせいか、そのまま朋香の意識に幕が落ちた。
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