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第4話 義実家って面倒臭い
7.尚一郎の事情
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部屋に戻るとすでに、尚一郎は浴衣になっていた。
別の離れで風呂をすませてきたようだ。
「よく似合ってる」
尚一郎の、眼鏡の奥の目がまぶしそうに細くなり、頬が熱くなった気がした。
でも、これはきっと、お風呂上がりでのぼせてるからで。
冷蔵庫から出した冷たい水を飲みながら、朋香はどきどきと早い心臓の鼓動を落ち着けた。
「夕飯まで少し時間があるから、散歩しようか」
尚一郎に手を引かれて庭に出る。
振り払うとおかしそうにくつくつと笑われた。
並んで黙ってしばらく歩く。
……なにか話した方がいいんだろうか。
聞きたいことはたくさんある。
でも、聞いていいのかわからない。
「朋香は僕が、ドイツ人ハーフだってことはもう知ってるよね」
「は、はい」
唐突に口を開いた尚一郎に慌てて返事をすると、くすりと小さく笑われた。
「僕はCOO……久しぶりに、父とでも呼んでみようか」
父、そう云うときの尚一郎は、明夫をお義父さんと呼ぶときと違い、酷く他人行儀だ。
「僕はね、父が留学中に知り合った、ドイツ人の母との間の子供なんだ。
母の妊娠がわかったのは父が帰国してから。
母は父の、ああいう家の事情は知っていたし、だから黙って僕を産んだんだ。
けど、父はそれを知って、名前を送ってくれた。
尚恭__なおたか__#の第一子で尚一郎。
父の精一杯だったんだと思う。
そういう事情は理解してたから、ドイツで暮らしてた頃は幸せだったよ」
朋香の視線に気付くと尚一郎がふふっと笑った。
けれどそれは、酷く淋しそうで、朋香の胸がずきんと痛んだ。
「十五の春、日本に来ることになった。
父がCEOの命で結婚した相手が、子供を産まないまま亡くなったから。
跡取りとして引き取られることになったんだよ。
父に会える、期待に胸を膨らませて日本に来たけど、現実は違ってた」
東屋に差し掛かり、尚一郎が座って手招きするので、少し離れて腰を下ろす。
「Nein、朋香。
隣においで」
少し躊躇したが、淋しそうな尚一郎に隣に座り直す。
そっと、手を握られた。
振り払おうか悩んでいると、指を絡めてくる。
尚一郎は明らかに弱っていて、ただ黙ることしかできなかった。
「着いて早々連れて行かれたのはあの屋敷で、ここで、ひとりで生活するんだって云われた。
父はいつまでたっても会いに来てくれない。
自分から会いに行こうとしたけれど、本邸には呼ばれない限り入ってはいけないって云われた」
きゅっ、尚一郎の手に僅かに力が入る。
俯いてる尚一郎からは表情が窺えない。
「裏切られたと思ったよ。
それからも会社で、上司と部下として会うときを除くと、父とは数えるほどしか会ったことがない。
さらにはあの人たちだ。
自分たちの跡を、誰とも知れない外国人の血を引く僕が継ぐのが、許せないらしい」
くっくっくっ、おかしそうに喉の奥で笑う尚一郎の声は、自嘲しているようにしか聞こえない。
「ごめんね、朋香。
こんな僕に選ばれてきっと苦労させると思うけど。
でも、僕はどうしても朋香がいいんだ。
……Verzeihen Sie bitte(ごめんね)」
泣き出しそうな尚一郎の声に胸がずきずき痛む。
……けれど。
「あの、……どうして私がいいんですか?」
契約継続の条件に、朋香との結婚を持ち出してきたときから疑問だった。
あの、祖父の態度。
朋香と結婚すれば、責められることは最初からわかっていたはず。
それに、「無理を通した」とか「切り捨て損ねた」とか。
「それはね。
……内緒だよ」
そっと尚一郎の手が肩に載ったかと思ったら、唇が重なった。
いつもはふれるだけなのに、今日ははむ、と一度だけ、軽く喰まれた。
「……」
ジト目で睨むと尚一郎は笑っている。
結局また、誤魔化されてしまった。
別の離れで風呂をすませてきたようだ。
「よく似合ってる」
尚一郎の、眼鏡の奥の目がまぶしそうに細くなり、頬が熱くなった気がした。
でも、これはきっと、お風呂上がりでのぼせてるからで。
冷蔵庫から出した冷たい水を飲みながら、朋香はどきどきと早い心臓の鼓動を落ち着けた。
「夕飯まで少し時間があるから、散歩しようか」
尚一郎に手を引かれて庭に出る。
振り払うとおかしそうにくつくつと笑われた。
並んで黙ってしばらく歩く。
……なにか話した方がいいんだろうか。
聞きたいことはたくさんある。
でも、聞いていいのかわからない。
「朋香は僕が、ドイツ人ハーフだってことはもう知ってるよね」
「は、はい」
唐突に口を開いた尚一郎に慌てて返事をすると、くすりと小さく笑われた。
「僕はCOO……久しぶりに、父とでも呼んでみようか」
父、そう云うときの尚一郎は、明夫をお義父さんと呼ぶときと違い、酷く他人行儀だ。
「僕はね、父が留学中に知り合った、ドイツ人の母との間の子供なんだ。
母の妊娠がわかったのは父が帰国してから。
母は父の、ああいう家の事情は知っていたし、だから黙って僕を産んだんだ。
けど、父はそれを知って、名前を送ってくれた。
尚恭__なおたか__#の第一子で尚一郎。
父の精一杯だったんだと思う。
そういう事情は理解してたから、ドイツで暮らしてた頃は幸せだったよ」
朋香の視線に気付くと尚一郎がふふっと笑った。
けれどそれは、酷く淋しそうで、朋香の胸がずきんと痛んだ。
「十五の春、日本に来ることになった。
父がCEOの命で結婚した相手が、子供を産まないまま亡くなったから。
跡取りとして引き取られることになったんだよ。
父に会える、期待に胸を膨らませて日本に来たけど、現実は違ってた」
東屋に差し掛かり、尚一郎が座って手招きするので、少し離れて腰を下ろす。
「Nein、朋香。
隣においで」
少し躊躇したが、淋しそうな尚一郎に隣に座り直す。
そっと、手を握られた。
振り払おうか悩んでいると、指を絡めてくる。
尚一郎は明らかに弱っていて、ただ黙ることしかできなかった。
「着いて早々連れて行かれたのはあの屋敷で、ここで、ひとりで生活するんだって云われた。
父はいつまでたっても会いに来てくれない。
自分から会いに行こうとしたけれど、本邸には呼ばれない限り入ってはいけないって云われた」
きゅっ、尚一郎の手に僅かに力が入る。
俯いてる尚一郎からは表情が窺えない。
「裏切られたと思ったよ。
それからも会社で、上司と部下として会うときを除くと、父とは数えるほどしか会ったことがない。
さらにはあの人たちだ。
自分たちの跡を、誰とも知れない外国人の血を引く僕が継ぐのが、許せないらしい」
くっくっくっ、おかしそうに喉の奥で笑う尚一郎の声は、自嘲しているようにしか聞こえない。
「ごめんね、朋香。
こんな僕に選ばれてきっと苦労させると思うけど。
でも、僕はどうしても朋香がいいんだ。
……Verzeihen Sie bitte(ごめんね)」
泣き出しそうな尚一郎の声に胸がずきずき痛む。
……けれど。
「あの、……どうして私がいいんですか?」
契約継続の条件に、朋香との結婚を持ち出してきたときから疑問だった。
あの、祖父の態度。
朋香と結婚すれば、責められることは最初からわかっていたはず。
それに、「無理を通した」とか「切り捨て損ねた」とか。
「それはね。
……内緒だよ」
そっと尚一郎の手が肩に載ったかと思ったら、唇が重なった。
いつもはふれるだけなのに、今日ははむ、と一度だけ、軽く喰まれた。
「……」
ジト目で睨むと尚一郎は笑っている。
結局また、誤魔化されてしまった。
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