身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻

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身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

十話『花の幸せと記憶力』

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(幼くして父を亡くしたという話だったはず。あれは・・・雛鳥が親を求めているのと、同じものだろう)
 そうは思えども、気になってしまう。大丈夫なのだろうか、門から顔を覗かせた時から、顔色が良くなかったように思う。
 体も痩せており、風が吹けば飛んでしまうような、か弱さがあった。だというのに、到着して初日から料理を作るなど、家事に勤しんでくれている。
 彼女は無理をしているのではないだろうか、と義孝は考えるばかりだった。母を心配するのと似た感情だが、それよりも不安なのは、まだ花のことを知らないからだろうか。

 ・・・・そんな気持ちは、初めて艦に乗り込む前に捨てた筈だった。そもそも、自分は何故こんな気持ちになってしまうのだろうか。やはり、陸上だからだろうか。
「・・・たるんでいるな」
「も、申し訳ありません」
「え?」
 張り上げられた謝罪の声に、義孝は視線を向けた。部屋の入口に、いつの間にか、若い士官が立っていた。
「いつの間に」
「今しがた入室いたしました・・・書類をお持ちしました為、一度声をおかけしましたが、何やら考え込まれている様子でしたので、邪魔しない方がよいかと待機しておりました」
 義孝は眉をしかめる。
 人が入ってきたのにも気づかなかったらしい、こんなことは初めてだった。
「たるんでる」
「も、申し訳ありません」
「いや、すまん。私の話だ、ぼんやりしていたのでな」
「ぼんやり・・あの、僭越ながらご体調がすぐれないとか」
「いや、問題はない。少々、難しいことがあってな」
 そこまで言って、ふと部下の顔を見た。義孝の頭の中には、部内の人間の家族構成などの情報がキッチリ入っている。
「君は、確か妻がいたか」
「はい、おります。三年ほど前に結婚しました」
「馴れ初めを訊いてもいいだろうか」
「え、その・・・幼馴染みでして、子供の頃に約束を」
「そうか、ありがとう」
 照れた様子の部下を、義孝はそこで止めた。なにか参考にできる話はないかと思ったのだが、部下の場合は出会いから自分の状況とは全く違うようだったからだ。
「それでは、失礼します」
「うむ」
 一礼して、部下は部屋を去り、再び一人になった義孝は届けられた書類の確認作業を行う。婚約者との関係について悩みは尽きないが、いまは業務の最中である。仕事に集中することを優先した。
(まだ、知らないことが多すぎる)

 何も知らないまま、トントン拍子に進んでしまった。いや、止めなかったのは、義孝自身である。
(・・・花さんにとって、一体何が幸せなのだろうな)
 考えるべきは、そちらだ。

 ・・・また、お話していただけますか?

 昨晩、部屋を去る義孝に、花は問いかけた。『構いませんよ』と答えた義孝に、花は微笑んだ。

 考えるのは、今ではない。
 義孝は、その後、改めて新聞に目を通し始める。特に変わった様子はなさそうだったが、海軍の廃工場についての記事が目に留った。
 鎮守府が置かれたあとに不要になった各地の造船所や、閉鎖されてしばらく経つものの、放置されている、それらのうちの一つに夜な夜な鬼火が現れるといった怪談まがいの内容だった。
(鬼火など、何かの見間違いだろうが・・・花さんは怖がるかもしれないな)
 義孝はその後、淡々と新聞に目を通したあとで新聞を閉じた。その日は特に変わったこともなく、特別な来賓が来たわけでもなく、普段通りに一日は過ぎていった。

 やがて陽が傾き、昼の暖かな空気も冷えてくる頃、義孝は軍司令部での仕事を納めて帰宅した。
 カラカラと玄関の戸を開く。
 すると、花が慌て気味にバタバタと小走りで、中から出迎えに現れた。
 普段と異なる帰宅時の光景だ。義孝は少し、胸のあたりがむず痒くなる。
「おかえりなさいませ」
「ありがとうございます、変わりはないですか」
 訊ねる義孝の鞄を受け取った花は、何やら申し訳なさそうな顔をした。

「なにか、あったのですか」
「・・・それが、あの・・こちらへ」
 説明もそこそこに中へと戻る花を、義孝は怪訝に思いながら追いかけた。
 花に案内されたのは、千代の寝室だった。中に入ると、千代が寝込んでいる。
「母さん、どうしました?」
「腰を痛めてしまったの」
 横たわったまま、千代は悲しげに言った。田舎にいた頃にも、腰を痛めていたという。義孝はそれで心配になり、千代を帝都に呼び寄せたのだ。
「商店街から戻って来たら、玄関の所で急にね」
「出先でなかったのは、幸いでしたね。しかし、以前は治るのに十日以上かかったと聞きましたが、放っておいて大丈夫ですか?まだ医者に診てもらっていないのなら、診てもらった方が」
「今からでは、お医者様に迷惑ですよ。それに、花さんのお陰で、だいぶ楽になりましたよ。薬湯を作ってくれたのですよ」
「薬湯?」
 薬湯とは、いわゆる煎じ薬である。和漢薬から煮出したもののことである。
「花さん。夕べ、お父様の遺した医学書を読むのが趣味だと言っていましたが」
 義孝は夕食時の会話を思い出した。
「花さんはそこに書かれていたことを覚えているのですって。全て」
「全て?」
 義孝は驚いた。それが本当ならば、すごい記憶力である。花の話からして、一冊二冊という数ではなかったはずである。内容も医学書、おそらく簡単なものではなかっただろう。
 もしそうだったなら、謙遜が過剰なほど身についている彼女のことだ。すごいと言われる前に、そのように申告しているはずである。
 だが、そこで義孝は疑問に思った。

(なぜ、桐島家は花さんにそのような優れた記憶力があることを伝えて来なかったのだろう)
 花はどうか分からないが、花の実家が乗り気だった縁談なのは確かだ。
 そして、桐島家は金策に困っていた。
 ならば、縁談を確かなものにするために、花の記憶力を優れた部分として売り込んでも良かった筈だった。
 男を立てるのが、我が国では役に立つ女とされている。
(花さんが、可愛げのない女だと思われるのを恐れていた?)
 しかし、花がどんな娘だとか、どこが嫁としてよいだとか、そういった評判も桐島家からは一切伝えられなかったのだ。
 それについては、縁談を勧めてくれた仲人の、元上官も首を捻っていたくらいだから、やはり奇妙なことだったのだろう。
 いや、それだけではない。
 義孝は桐島家が何か、隠していると考えた。

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