31 / 116
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
二十八話『必ず戻る』
しおりを挟む
花は初めて、彼と出逢った日のことを思い出す。
折れた腕で布団を運ぼうとして、痛みに蹲る義孝。心配して駆け寄り――――代わりに布団を押入れに運び入れて。崩れてきた布団から、花を庇うように立った彼。
けれど、それよりもっと近い。広くてしっかりとした胸が、花を抱きとめていた。
力強い両腕が、壊れ物を扱うように肩にそっと回される。突然のことに驚き、身体は緊張だってしている筈。なのに、あの百貨店のエスカレーターで彼の腕を掴んでいた時よりも、花はずっと安心感を覚えていた。
そして、この腕の中が安心できる分だけ、芽生えた不安が大きくなる。
ぽろぽろと、涙が花の頬を伝う。雨粒が海原に混じり、消えてゆくように。それは義孝の腕の中に吸い込まれていった。
「花さん。一体、何に泣いているのですか?」
訊ねる義孝に、花は口を閉ざし、ふるふると首を振る。今からそこに向う本人を前にして、言うことではないと思ったからだ。
「教えてください、悲しい?悔しい?それとも怒り、なげきでしょうか」
義孝は花に言葉を促した。
責める口調ではない。以前と同じ、純粋に涙の理由を聞きたいのだろう。
「言ってくれないと、鈍い朴念仁の私には分かりません。泣きじゃくる貴女に、何もしてあげられない。不甲斐ない男として、家を発たねばなりません。・・・・その不名誉から、私を救ってくれませんか」
ゆっくりと、低く静かな声で義孝が花に言い聞かせる。
互いの呼吸の音だけが、部屋の中に揺蕩う。花は躊躇いながら、しかしきつく引き結んでいた口唇を開いた。
息を吸うたびに、喉が、胸が、身体が震える。それが嗚咽になるのを何とか堪えながら、我慢していた心のうちを言葉にして吐き出す。
「わ、私っ・・・義孝さんとずっと一緒にいたいです。置いていかれるのは、嫌なのです。残されるのが、怖いのです」
義孝の胸に縋り着くようにして、花は訴えた。母だけでなく、父にも先立たれた。
義孝は親ではない、だが幼い頃の記憶に、花はどうしても重ねてしまう。そして今は、孤独だけが恐ろしいのではない。
愛しい人が居なくなってしまう喪失感、それが何よりも花は恐ろしい。そして義孝は、ただの家族ではない、愛しい人だった。
「道理にそぐわぬ我儘だと分かっていても、叶わぬことだとしても。生まれた年には差はあれど、過ごす時は同じでありたい。・・・あなたと、離れたくありません」
口にしながら、花は自分が嫌になる。なんて、子供じみたことを。
「花さん、約束してください」
花が泣きじゃくりそうになった時、義孝が言った。
「例えば、私が海に散ったとしても、決して後を追ったりしないと」
義孝の口から出てきたのが、花が曖昧な言葉で濁しながらも、その実、心の片隅で考えていたことだったからだ。
「人は、いつか死にます」
ビクッと、花は身体をこわばらせる。
―――――死。
その一言に、心臓を掴まれたようになる。
「私は軍人になった時、既にその覚悟は出来ています。だから、この年まで結婚はせずに生きてきました。御相手に苦労をかけたくなかったのです。でも・・・こうして、素敵な人に出逢ってしまった」
花は、そろりと義孝から身体を離した。向き合うようにして見た彼の目には、慈しむような優しさが見える。
まるで、穏やかな海のような人だ。彼を見て、花は改めてそう思った。こうして見合っていると、なぜだか無性に懐かしい気持ちになる。
「私は花さんに長生きして欲しいです。長生きして、辛く苦しかった年月よりも、ずっと幸せになって欲しい。だから・・もし、私が海から帰らなければ、婚約は破棄してください」
「え?」
「あなたは、ほかの男性と・・あの薬屋の主人と添い遂げることもできます」
「嫌です!」
反射的に、花は声を荒げた。
「どうして?どうして、他の男性のことがでるのですか!」
震える声で言葉を紡ぎながら、これは憤りだろうかと、花は頭の中で考える。
自分は義孝しか見ていなかったのに、他の男性を見ていたと思われていたのか。
「私は、義孝さんと幸せになります!義孝さんとがいいです、他の男性なんていりません。そんなの、ほしくありません!」
子供が駄々をこねるみたいに、義孝に迷惑をかけてしまっている。そんな暗い顔で項垂れた時、大きく温かいてが花の頭を撫でた。
「――――すみません、花さん」
よしよしと、あやすように義孝は花の頭を優しく撫でる。
口唇を噛み締めて、花は義孝の胸に額を付けた。
「私こそ、すみません。・・・義孝さんのお仕事は、御国を守る、大事な御役目なのに」
「公には言えませんが・・・嬉しかったですよ。花さんは御国より、私を大事だと想ってくれたんですね」
こくん、と花は頷く。
再び顔を上げると、義孝に涙を指の腹で拭われた。
「必ず帰ります」
穏やかに微笑みながら、力強くそう言った。花は微笑みを浮かべる。
「戻って来る頃には、婚約の許可も下りていることでしょう。その時になって、嫌だとか言っても、遅いですよ」
「い、言いません、そんなこと」
「では、待っていてくれますか?」
涙を拭い、花は義孝に笑顔を向ける。
「はい。もちろん、お待ちしております。この家と、お義母さんをお守りして。だから、どうぞ、ごぶじで」
花を抱く義孝の腕に、僅かに力が籠もる。それに答えるかのように、花も彼を抱きしめ返した。
二人が離れぬように。
強く、祈りを込めるように。
折れた腕で布団を運ぼうとして、痛みに蹲る義孝。心配して駆け寄り――――代わりに布団を押入れに運び入れて。崩れてきた布団から、花を庇うように立った彼。
けれど、それよりもっと近い。広くてしっかりとした胸が、花を抱きとめていた。
力強い両腕が、壊れ物を扱うように肩にそっと回される。突然のことに驚き、身体は緊張だってしている筈。なのに、あの百貨店のエスカレーターで彼の腕を掴んでいた時よりも、花はずっと安心感を覚えていた。
そして、この腕の中が安心できる分だけ、芽生えた不安が大きくなる。
ぽろぽろと、涙が花の頬を伝う。雨粒が海原に混じり、消えてゆくように。それは義孝の腕の中に吸い込まれていった。
「花さん。一体、何に泣いているのですか?」
訊ねる義孝に、花は口を閉ざし、ふるふると首を振る。今からそこに向う本人を前にして、言うことではないと思ったからだ。
「教えてください、悲しい?悔しい?それとも怒り、なげきでしょうか」
義孝は花に言葉を促した。
責める口調ではない。以前と同じ、純粋に涙の理由を聞きたいのだろう。
「言ってくれないと、鈍い朴念仁の私には分かりません。泣きじゃくる貴女に、何もしてあげられない。不甲斐ない男として、家を発たねばなりません。・・・・その不名誉から、私を救ってくれませんか」
ゆっくりと、低く静かな声で義孝が花に言い聞かせる。
互いの呼吸の音だけが、部屋の中に揺蕩う。花は躊躇いながら、しかしきつく引き結んでいた口唇を開いた。
息を吸うたびに、喉が、胸が、身体が震える。それが嗚咽になるのを何とか堪えながら、我慢していた心のうちを言葉にして吐き出す。
「わ、私っ・・・義孝さんとずっと一緒にいたいです。置いていかれるのは、嫌なのです。残されるのが、怖いのです」
義孝の胸に縋り着くようにして、花は訴えた。母だけでなく、父にも先立たれた。
義孝は親ではない、だが幼い頃の記憶に、花はどうしても重ねてしまう。そして今は、孤独だけが恐ろしいのではない。
愛しい人が居なくなってしまう喪失感、それが何よりも花は恐ろしい。そして義孝は、ただの家族ではない、愛しい人だった。
「道理にそぐわぬ我儘だと分かっていても、叶わぬことだとしても。生まれた年には差はあれど、過ごす時は同じでありたい。・・・あなたと、離れたくありません」
口にしながら、花は自分が嫌になる。なんて、子供じみたことを。
「花さん、約束してください」
花が泣きじゃくりそうになった時、義孝が言った。
「例えば、私が海に散ったとしても、決して後を追ったりしないと」
義孝の口から出てきたのが、花が曖昧な言葉で濁しながらも、その実、心の片隅で考えていたことだったからだ。
「人は、いつか死にます」
ビクッと、花は身体をこわばらせる。
―――――死。
その一言に、心臓を掴まれたようになる。
「私は軍人になった時、既にその覚悟は出来ています。だから、この年まで結婚はせずに生きてきました。御相手に苦労をかけたくなかったのです。でも・・・こうして、素敵な人に出逢ってしまった」
花は、そろりと義孝から身体を離した。向き合うようにして見た彼の目には、慈しむような優しさが見える。
まるで、穏やかな海のような人だ。彼を見て、花は改めてそう思った。こうして見合っていると、なぜだか無性に懐かしい気持ちになる。
「私は花さんに長生きして欲しいです。長生きして、辛く苦しかった年月よりも、ずっと幸せになって欲しい。だから・・もし、私が海から帰らなければ、婚約は破棄してください」
「え?」
「あなたは、ほかの男性と・・あの薬屋の主人と添い遂げることもできます」
「嫌です!」
反射的に、花は声を荒げた。
「どうして?どうして、他の男性のことがでるのですか!」
震える声で言葉を紡ぎながら、これは憤りだろうかと、花は頭の中で考える。
自分は義孝しか見ていなかったのに、他の男性を見ていたと思われていたのか。
「私は、義孝さんと幸せになります!義孝さんとがいいです、他の男性なんていりません。そんなの、ほしくありません!」
子供が駄々をこねるみたいに、義孝に迷惑をかけてしまっている。そんな暗い顔で項垂れた時、大きく温かいてが花の頭を撫でた。
「――――すみません、花さん」
よしよしと、あやすように義孝は花の頭を優しく撫でる。
口唇を噛み締めて、花は義孝の胸に額を付けた。
「私こそ、すみません。・・・義孝さんのお仕事は、御国を守る、大事な御役目なのに」
「公には言えませんが・・・嬉しかったですよ。花さんは御国より、私を大事だと想ってくれたんですね」
こくん、と花は頷く。
再び顔を上げると、義孝に涙を指の腹で拭われた。
「必ず帰ります」
穏やかに微笑みながら、力強くそう言った。花は微笑みを浮かべる。
「戻って来る頃には、婚約の許可も下りていることでしょう。その時になって、嫌だとか言っても、遅いですよ」
「い、言いません、そんなこと」
「では、待っていてくれますか?」
涙を拭い、花は義孝に笑顔を向ける。
「はい。もちろん、お待ちしております。この家と、お義母さんをお守りして。だから、どうぞ、ごぶじで」
花を抱く義孝の腕に、僅かに力が籠もる。それに答えるかのように、花も彼を抱きしめ返した。
二人が離れぬように。
強く、祈りを込めるように。
243
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
好感度0になるまで終われません。
チョコパイ
恋愛
土屋千鶴子(享年98歳)
子供や孫、ひ孫に囲まれての大往生。
愛され続けて4度目の転生。
そろそろ……愛されるのに疲れたのですが…
登場人物の好感度0にならない限り終わらない溺愛の日々。
5度目の転生先は娘が遊んでいた乙女ゲームの世界。
いつもと違う展開に今度こそ永久の眠りにつける。
そう信じ、好きなことを、好きなようにやりたい放題…
自覚なし愛され公女と執着一途皇太子のすれ違いラブロマンス。
王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする
葉山あおい
恋愛
王宮で働く勤続八年のメイド、エレナ・フォスター。仕事は完璧だが愛想がない彼女は、いつしか「鉄の女」と呼ばれ恐れられていた。
そんな彼女に下された辞令は、王宮の敷地内にありながら「魔窟」と呼ばれる『北の塔』の専属メイドになること。そこの主である宮廷魔術師団長・シルヴィス・クローデルは、稀代の天才ながら極度の人嫌い&生活能力ゼロの偏屈男だった!
ゴミ屋敷と化した塔をピカピカに掃除し、栄養失調寸前の彼に絶品の手料理を振る舞うエレナ。黄金色のオムレツ、とろける煮込みハンバーグ、特製カツサンド……。美味しいご飯で餌付けされた魔術師様は、次第にエレナへの独占欲を露わにし始めて――?
意地悪な聖女や侯爵夫人のいびりも、完璧なスキルで華麗に返り討ち。平民出身のメイドが、身分差を乗り越えて幸せな花嫁になるまでの、美味しくて甘いシンデレラストーリー。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
『番外編』イケメン彼氏は警察官!初めてのお酒に私の記憶はどこに!?
すずなり。
恋愛
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の身は持たない!?の番外編です。
ある日、美都の元に届いた『同窓会』のご案内。もう目が治ってる美都は参加することに決めた。
要「これ・・・酒が出ると思うけど飲むなよ?」
そう要に言われてたけど、渡されたグラスに口をつける美都。それが『酒』だと気づいたころにはもうだいぶ廻っていて・・・。
要「今日はやたら素直だな・・・。」
美都「早くっ・・入れて欲しいっ・・!あぁっ・・!」
いつもとは違う、乱れた夜に・・・・・。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんら関係ありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる