身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻

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身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

二十八話『必ず戻る』

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 花は初めて、彼と出逢った日のことを思い出す。
 折れた腕で布団を運ぼうとして、痛みに蹲る義孝。心配して駆け寄り――――代わりに布団を押入れに運び入れて。崩れてきた布団から、花を庇うように立った彼。

 けれど、それよりもっと近い。広くてしっかりとした胸が、花を抱きとめていた。
 力強い両腕が、壊れ物を扱うように肩にそっと回される。突然のことに驚き、身体は緊張だってしている筈。なのに、あの百貨店のエスカレーターで彼の腕を掴んでいた時よりも、花はずっと安心感を覚えていた。
 そして、この腕の中が安心できる分だけ、芽生えた不安が大きくなる。
 ぽろぽろと、涙が花の頬を伝う。雨粒が海原に混じり、消えてゆくように。それは義孝の腕の中に吸い込まれていった。
「花さん。一体、何に泣いているのですか?」
 訊ねる義孝に、花は口を閉ざし、ふるふると首を振る。今からそこに向う本人を前にして、言うことではないと思ったからだ。
「教えてください、悲しい?悔しい?それとも怒り、なげきでしょうか」
 義孝は花に言葉を促した。
 責める口調ではない。以前と同じ、純粋に涙の理由を聞きたいのだろう。 
「言ってくれないと、鈍い朴念仁の私には分かりません。泣きじゃくる貴女に、何もしてあげられない。不甲斐ない男として、家を発たねばなりません。・・・・その不名誉から、私を救ってくれませんか」 
 ゆっくりと、低く静かな声で義孝が花に言い聞かせる。
 互いの呼吸の音だけが、部屋の中に揺蕩う。花は躊躇いながら、しかしきつく引き結んでいた口唇を開いた。
 息を吸うたびに、喉が、胸が、身体が震える。それが嗚咽になるのを何とか堪えながら、我慢していた心のうちを言葉にして吐き出す。
「わ、私っ・・・義孝さんとずっと一緒にいたいです。置いていかれるのは、嫌なのです。残されるのが、怖いのです」
 義孝の胸に縋り着くようにして、花は訴えた。母だけでなく、父にも先立たれた。
 義孝は親ではない、だが幼い頃の記憶に、花はどうしても重ねてしまう。そして今は、孤独だけが恐ろしいのではない。
 愛しい人が居なくなってしまう喪失感、それが何よりも花は恐ろしい。そして義孝は、ただの家族ではない、愛しい人だった。
「道理にそぐわぬ我儘だと分かっていても、叶わぬことだとしても。生まれた年には差はあれど、過ごす時は同じでありたい。・・・あなたと、離れたくありません」
 口にしながら、花は自分が嫌になる。なんて、子供じみたことを。
「花さん、約束してください」
 花が泣きじゃくりそうになった時、義孝が言った。
「例えば、私が海に散ったとしても、決して後を追ったりしないと」 
 義孝の口から出てきたのが、花が曖昧な言葉で濁しながらも、その実、心の片隅で考えていたことだったからだ。
「人は、いつか死にます」
 ビクッと、花は身体をこわばらせる。

 ―――――死。

 その一言に、心臓を掴まれたようになる。
「私は軍人になった時、既にその覚悟は出来ています。だから、この年まで結婚はせずに生きてきました。御相手に苦労をかけたくなかったのです。でも・・・こうして、素敵な人に出逢ってしまった」
 花は、そろりと義孝から身体を離した。向き合うようにして見た彼の目には、慈しむような優しさが見える。
 まるで、穏やかな海のような人だ。彼を見て、花は改めてそう思った。こうして見合っていると、なぜだか無性に懐かしい気持ちになる。
「私は花さんに長生きして欲しいです。長生きして、辛く苦しかった年月よりも、ずっと幸せになって欲しい。だから・・もし、私が海から帰らなければ、婚約は破棄してください」  
「え?」
「あなたは、ほかの男性と・・あの薬屋の主人と添い遂げることもできます」
「嫌です!」
 反射的に、花は声を荒げた。
「どうして?どうして、他の男性のことがでるのですか!」
 震える声で言葉を紡ぎながら、これは憤りだろうかと、花は頭の中で考える。
 自分は義孝しか見ていなかったのに、他の男性を見ていたと思われていたのか。
「私は、義孝さんと幸せになります!義孝さんとがいいです、他の男性なんていりません。そんなの、ほしくありません!」
 子供が駄々をこねるみたいに、義孝に迷惑をかけてしまっている。そんな暗い顔で項垂れた時、大きく温かいてが花の頭を撫でた。
「――――すみません、花さん」
 よしよしと、あやすように義孝は花の頭を優しく撫でる。
 口唇を噛み締めて、花は義孝の胸に額を付けた。
「私こそ、すみません。・・・義孝さんのお仕事は、御国を守る、大事な御役目なのに」
「公には言えませんが・・・嬉しかったですよ。花さんは御国より、私を大事だと想ってくれたんですね」
 こくん、と花は頷く。
 再び顔を上げると、義孝に涙を指の腹で拭われた。
「必ず帰ります」
 穏やかに微笑みながら、力強くそう言った。花は微笑みを浮かべる。
「戻って来る頃には、婚約の許可も下りていることでしょう。その時になって、嫌だとか言っても、遅いですよ」   
「い、言いません、そんなこと」
「では、待っていてくれますか?」
 涙を拭い、花は義孝に笑顔を向ける。
「はい。もちろん、お待ちしております。この家と、お義母さんをお守りして。だから、どうぞ、ごぶじで」
 花を抱く義孝の腕に、僅かに力が籠もる。それに答えるかのように、花も彼を抱きしめ返した。 
 二人が離れぬように。
 強く、祈りを込めるように。
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