5 / 5
おまけ その後、シャムロック家にて
しおりを挟む
※本編に甘さが足りないなと、勢いでつい書いたおまけです。
本編よりも性的に匂わせる表現がありますので、ご注意ください。
「……足りない」
夕暮れの書斎。
目尻を擦りながら、ヴィンセント・シャムロックが書類から顔を上げる。
本や書類を積み上げたせいで狭くなった机の隙間に何とかペンを置くと、恨めしげな視線を真向かいの妻――グラディスに向けた。
「何がです?」
涼しい顔のまま、素早く書類に目を通していく彼女に一層恨めしげな視線を向けてから、ヴィンセントは立ち上がった。
腰と背中が悲鳴を上げる。朝からずっと座っていたせいだ。
背筋を伸ばしていると、向かおうとした先――グラディスの方がいち早く席を回ってきてしまう。
「数が合いませんか?」
実家のバセット家から妻のシャムロック家に婿入り――結婚し直した彼は、もともと不得意な数字の勉強をまた、最初からやり直すことになった。扱う品目や商慣習がバセットとはまた少々違うからだ。
何度か投げ出したくなった――実際、今までだったら間違いなくそうしていただろう――のに諦めないのは、ひとえに、妻の役に立ちたいからだった。
……が。
「そうですね、途中までは合っています。怪しいのはこの辺りですが、慣れた人でも間違えやすい場所ですから、気にしなくて大丈夫――」
細い指先が書類をなぞると、ヴィンセントは息をもう一度吐いて、机の引き出しから取りだしたものを彼女の肩にかけた。
「――羊のショール?」
「この前言ってた羊の毛を取り寄せて、編ませてみた」
「ええ……ほんとうにチクチクしない、素敵な肌触りですね」
「気になったことは、メモして、試してみることにしたんだ。あなたを見習って」
その肩を抱くと、首筋に顔を埋める。ちくちくしないふわふわの毛が、グラディスの首とヴィンセントの頬をくすぐった。
二度目の初夜から、ヴィンセントはお前、と呼ばなくなった。それをグラディスが思い出していると、重ねるようにヴィンセントが続ける。
「試してみないと分からないこともあるしな。……あの時指を刺したのは、早まったかもしれない」
「……その、あれは対外的なものでしたから。どの夜も、ヴィンセント様がとても優しいことに……変わりは……」
グラディスの言葉に恥じらいがこもったのを耳ざとく捉えて、ヴィンセントの片手がそっと腰に回る。
「契約通り、俺はちゃんと仕事をするつもりだ」
「はい、そうですね」
「契約を遂行するには心身の健康が必要だろう」
「それとこの状況にどんな関係が」
「今の俺には、ふわふわなグラディスが不足していると思う」
「……」
グラディスは沈黙の後、体から力を抜いて背中に腕を回すと、ぽんぽんと叩いた。
「……お気の済むまでこのままお付き合いします。でも今夜にはこの書類だけは、終わらせてくださいね。私もまだ自分の仕事を、頑張りますから」
それは、彼女は単に夫を元気づけるつもりの言葉だったのだが。
息を大きく吸うと、体を離したヴィンセントは急いで机につくと、熱心に書類を捲り始めた。
「分かった、今すぐ終わらせる」
「ヴィンセント様、わざと誤解していますね。……あの、笑わないでください」
グラディスは離れる直前に口付けられた首筋に手をやりつつ、頬を赤らめつつ抗議する。
それでも、普段から冷静で、時々弁舌鋭い彼女のその唇の端も恥じらうように綻んでいるのを見付ければ、心を許してくれているのだとヴィンセントには分かる。
――グラディスはほとんど夢を見ない。
朝から晩まで、彼女のシャムロック家の長女としての“やるべきこと”で満たされているから、寝る時間は体の休息と割り切っているのだ。
それに気付いたのは、バセット家で寝室を共にして大分経ってからだ。
というのも、彼女の方が後に寝ることが多かったからだが、はじめは深夜までの仕事と、男の自分を警戒してだろうと思っていた。
そして睡眠を削ってヴィンセントに勉強を教えてくれることには感謝し敬意も内心で払ってきたが――それでもいつしか、安らかに眠って欲しいと思うようになった。
こうやって忙しい日には、特に。
「笑ってないよ」
「笑っています」
「馬鹿にしてるんじゃない。嬉しいだけだ」
抗議しつつ観念したように黙るグラディスに、なるべく自然に笑いかけてからヴィンセントは書類にもう一度目を通す。
今度こそ早く終わらせようと、シャムロックに移った日の、初夜の願いを思い出す。
彼女に触れたいのは嘘偽りのない本心で、我が儘だけれど。
それでも、いくらでも彼女から受け取ってきた自分などにも、あげられるものがあるのなら。
夜に腕の中で、いつもより少し早く寝言を言って。
いつもより少し遅く目を覚ます彼女が、間近でふにゃりと笑ってくれる朝が増えればいい。
本編よりも性的に匂わせる表現がありますので、ご注意ください。
「……足りない」
夕暮れの書斎。
目尻を擦りながら、ヴィンセント・シャムロックが書類から顔を上げる。
本や書類を積み上げたせいで狭くなった机の隙間に何とかペンを置くと、恨めしげな視線を真向かいの妻――グラディスに向けた。
「何がです?」
涼しい顔のまま、素早く書類に目を通していく彼女に一層恨めしげな視線を向けてから、ヴィンセントは立ち上がった。
腰と背中が悲鳴を上げる。朝からずっと座っていたせいだ。
背筋を伸ばしていると、向かおうとした先――グラディスの方がいち早く席を回ってきてしまう。
「数が合いませんか?」
実家のバセット家から妻のシャムロック家に婿入り――結婚し直した彼は、もともと不得意な数字の勉強をまた、最初からやり直すことになった。扱う品目や商慣習がバセットとはまた少々違うからだ。
何度か投げ出したくなった――実際、今までだったら間違いなくそうしていただろう――のに諦めないのは、ひとえに、妻の役に立ちたいからだった。
……が。
「そうですね、途中までは合っています。怪しいのはこの辺りですが、慣れた人でも間違えやすい場所ですから、気にしなくて大丈夫――」
細い指先が書類をなぞると、ヴィンセントは息をもう一度吐いて、机の引き出しから取りだしたものを彼女の肩にかけた。
「――羊のショール?」
「この前言ってた羊の毛を取り寄せて、編ませてみた」
「ええ……ほんとうにチクチクしない、素敵な肌触りですね」
「気になったことは、メモして、試してみることにしたんだ。あなたを見習って」
その肩を抱くと、首筋に顔を埋める。ちくちくしないふわふわの毛が、グラディスの首とヴィンセントの頬をくすぐった。
二度目の初夜から、ヴィンセントはお前、と呼ばなくなった。それをグラディスが思い出していると、重ねるようにヴィンセントが続ける。
「試してみないと分からないこともあるしな。……あの時指を刺したのは、早まったかもしれない」
「……その、あれは対外的なものでしたから。どの夜も、ヴィンセント様がとても優しいことに……変わりは……」
グラディスの言葉に恥じらいがこもったのを耳ざとく捉えて、ヴィンセントの片手がそっと腰に回る。
「契約通り、俺はちゃんと仕事をするつもりだ」
「はい、そうですね」
「契約を遂行するには心身の健康が必要だろう」
「それとこの状況にどんな関係が」
「今の俺には、ふわふわなグラディスが不足していると思う」
「……」
グラディスは沈黙の後、体から力を抜いて背中に腕を回すと、ぽんぽんと叩いた。
「……お気の済むまでこのままお付き合いします。でも今夜にはこの書類だけは、終わらせてくださいね。私もまだ自分の仕事を、頑張りますから」
それは、彼女は単に夫を元気づけるつもりの言葉だったのだが。
息を大きく吸うと、体を離したヴィンセントは急いで机につくと、熱心に書類を捲り始めた。
「分かった、今すぐ終わらせる」
「ヴィンセント様、わざと誤解していますね。……あの、笑わないでください」
グラディスは離れる直前に口付けられた首筋に手をやりつつ、頬を赤らめつつ抗議する。
それでも、普段から冷静で、時々弁舌鋭い彼女のその唇の端も恥じらうように綻んでいるのを見付ければ、心を許してくれているのだとヴィンセントには分かる。
――グラディスはほとんど夢を見ない。
朝から晩まで、彼女のシャムロック家の長女としての“やるべきこと”で満たされているから、寝る時間は体の休息と割り切っているのだ。
それに気付いたのは、バセット家で寝室を共にして大分経ってからだ。
というのも、彼女の方が後に寝ることが多かったからだが、はじめは深夜までの仕事と、男の自分を警戒してだろうと思っていた。
そして睡眠を削ってヴィンセントに勉強を教えてくれることには感謝し敬意も内心で払ってきたが――それでもいつしか、安らかに眠って欲しいと思うようになった。
こうやって忙しい日には、特に。
「笑ってないよ」
「笑っています」
「馬鹿にしてるんじゃない。嬉しいだけだ」
抗議しつつ観念したように黙るグラディスに、なるべく自然に笑いかけてからヴィンセントは書類にもう一度目を通す。
今度こそ早く終わらせようと、シャムロックに移った日の、初夜の願いを思い出す。
彼女に触れたいのは嘘偽りのない本心で、我が儘だけれど。
それでも、いくらでも彼女から受け取ってきた自分などにも、あげられるものがあるのなら。
夜に腕の中で、いつもより少し早く寝言を言って。
いつもより少し遅く目を覚ます彼女が、間近でふにゃりと笑ってくれる朝が増えればいい。
198
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたけれど、どうぞ勝手に没落してくださいませ。私は辺境で第二の人生を満喫しますわ
鍛高譚
恋愛
「白い結婚でいい。
平凡で、静かな生活が送れれば――それだけで幸せでしたのに。」
婚約破棄され、行き場を失った伯爵令嬢アナスタシア。
彼女を救ったのは“冷徹”と噂される公爵・ルキウスだった。
二人の結婚は、互いに干渉しない 『白い結婚』――ただの契約のはずだった。
……はずなのに。
邸内で起きる不可解な襲撃。
操られた侍女が放つ言葉。
浮かび上がる“白の一族”の血――そしてアナスタシアの身体に眠る 浄化の魔力。
「白の娘よ。いずれ迎えに行く」
影の王から届いた脅迫状が、運命の刻を告げる。
守るために剣を握る公爵。
守られるだけで終わらせないと誓う令嬢。
契約から始まったはずの二人の関係は、
いつしか互いに手放せない 真実の愛 へと変わってゆく。
「君を奪わせはしない」
「わたくしも……あなたを守りたいのです」
これは――
白い結婚から始まり、影の王を巡る大いなる戦いへ踏み出す、
覚醒令嬢と冷徹公爵の“運命の恋と陰謀”の物語。
---
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
お母様!その方はわたくしの婚約者です
バオバブの実
恋愛
マーガレット・フリーマン侯爵夫人は齢42歳にして初めて恋をした。それはなんと一人娘ダリアの婚約者ロベルト・グリーンウッド侯爵令息
その事で平和だったフリーマン侯爵家はたいへんな騒ぎとなるが…
婚約破棄から始まる、ジャガイモ令嬢の優雅な畑生活
松本雀
恋愛
王太子から一方的な婚約破棄の書状を受け取ったその日、エリザベートは呟いた。
「婚約解消ですって?ありがたや~~!」
◆◆◆
殿下、覚えていらっしゃいますか?
あなたが選んだ隣国の姫のことではなく、
――私、侯爵令嬢エリザベートのことを。
あなたに婚約を破棄されて以来、私の人生は見違えるほど実り多くなりましたの。
優雅な所作で鍬を振り、ジャガイモを育て、恋をして。
私のことはご心配なく。土と恋の温もりは、宮廷の冷たい風よりずっと上等ですわ!
魔女見習いの義妹が、私の婚約者に魅了の魔法をかけてしまいました。
星空 金平糖
恋愛
「……お姉様、ごめんなさい。間違えて……ジル様に魅了の魔法をかけてしまいました」
涙を流す魔女見習いの義妹─ミラ。
だけど私は知っている。ミラは私の婚約者のことが好きだから、わざと魅了の魔法をかけたのだと。
それからというものジルはミラに夢中になり、私には見向きもしない。
「愛しているよ、ミラ。君だけだ。君だけを永遠に愛すると誓うよ」
「ジル様、本当に?魅了の魔法を掛けられたからそんなことを言っているのではない?」
「違うよ、ミラ。例え魅了の魔法が解けたとしても君を愛することを誓うよ」
毎日、毎日飽きもせずに愛を囁き、むつみ合う2人。それでも私は耐えていた。魅了の魔法は2年すればいずれ解ける。その日まで、絶対に愛する人を諦めたくない。
必死に耐え続けて、2年。
魅了の魔法がついに解けた。やっと苦痛から解放される。そう安堵したのも束の間、涙を流すミラを抱きしめたジルに「すまない。本当にミラのことが好きになってしまったんだ」と告げられる。
「ごめんなさい、お姉様。本当にごめんなさい」
涙を流すミラ。しかしその瞳には隠しきれない愉悦が滲んでいた──……。
叩いても真実の愛は出てきません
有沢楓花
恋愛
モノじゃないんですから、叩いても逆さにしても、「真実の愛」は出てきません。
何です、手にお持ちなのはハタキですか?
貴族の令息の持つものじゃ、だから部屋中掃除したって出てこないんですってば……って、あれ?
サザーランド子爵家の虐げられた前妻の娘ジニアと、「真実の愛」で産まれた後妻の娘、義理の妹・ミリアム。
そして滞在したサザーランド家の客室で「真実の愛」を探す幼なじみの伯爵家の次男・ノーマンの短い話。
――残り物には愛がある。
※この話は他サイトにも掲載しています。
忘れるにも程がある
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたしが目覚めると何も覚えていなかった。
本格的な記憶喪失で、言葉が喋れる以外はすべてわからない。
ちょっとだけ菓子パンやスマホのことがよぎるくらい。
そんなわたしの以前の姿は、完璧な公爵令嬢で第二王子の婚約者だという。
えっ? 噓でしょ? とても信じられない……。
でもどうやら第二王子はとっても嫌なやつなのです。
小説家になろう様、カクヨム様にも重複投稿しています。
筆者は体調不良のため、返事をするのが難しくコメント欄などを閉じさせていただいております。
どうぞよろしくお願いいたします。
【完結】嘘も恋も、甘くて苦い毒だった
綾取
恋愛
伯爵令嬢エリシアは、幼いころに出会った優しい王子様との再会を夢見て、名門学園へと入学する。
しかし待ち受けていたのは、冷たくなった彼──レオンハルトと、策略を巡らせる令嬢メリッサ。
周囲に広がる噂、揺れる友情、すれ違う想い。
エリシアは、信じていた人たちから少しずつ距離を置かれていく。
ただ一人、彼女を信じて寄り添ったのは、親友リリィ。
貴族の学園は、恋と野心が交錯する舞台。
甘い言葉の裏に、罠と裏切りが潜んでいた。
奪われたのは心か、未来か、それとも──名前のない毒。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる