堅物侯爵令息から言い渡された婚約破棄を、「では婚約破棄会場で」と受けて立った結果

有沢楓花

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風紀委員会と婚約破棄会場、そして恋愛小説の流行について

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 貴族間の婚約が大よそ政略的に両家の間で取り決められる契約であれば、破棄もそうでならなくてはならない。
 ――というのが今までの一般的な“常識”であったが、近年子どもの権利の拡大が何やらとかで婚約の無効化や破棄が、本人でも可能になった。
 そこにきて身分性別を問わない平等な教育のため、共学の学校まで建てられるようになったのだから、自由に異性と交流できるようになった子供たちが「大人の事情など知らん」と言い出すのも当然のことだ。
 だからこの学院に入れる貴族の親たちにとっても、婚約破棄はある程度親の想定内に入りつつあった。

「とはいえ、多すぎですよねえ。それにあの真面目が服を着て歩いているような人が、政略結婚の破棄を自分から言い出すなんて。何の影響ですかね、悪いものでも食べたとか?」

 風紀委員会に割り当てられた趣味のいい一室。
 ソファの上で書類のチェックをしつつ軽口を叩く子爵家令息の後輩・カインに、ミルドレッドは書類の必要事項を確認しつつ頷いた。
 小柄で可愛らしい顔立ちの彼は口数も多く、テレンスと正反対で話しやすい。
 それに代々の委員長の「(取り締まられる・取り締まる側の)風紀は実家の爵位と関係ない」という方針によって、この場所は良い意味でも取り繕う必要がなかった。

「最近笑うようになったと聞いていたから、何か大きな変化があったのは間違いないと思うけど」
「本当に心当たりないんですか」
「残念ながら……もう残念という気持ちもほとんど残ってないけど……そう、思い付くのは……笑顔の鍛錬」
「鍛錬?」
「式典で笑う必要があるとか、子どもとの交流会でにらめっこをするから負けるためとか? それとも好きな人でもできたとかね。好きな人の前ではカイン君も笑顔でしょう」

 カインには幼馴染のとても仲の良い婚約者がいて、刺激が最近足りないとか言いながらも毎日揃って昼食をとっているのを知っている。

「女っ気のないエインズワース先輩が? ミルドレッド先輩以外の女子に自分から声をかけたところ見たことないですよ」
「……なら、恋愛小説にでも感化されたとか。女子の間で大流行していて、婚約破棄件数の上昇の原因の一つだと、先月アンケート調査で出ていたしね」

 続けられる、年頃の女子にしては悲壮な想像に、慌てたようにカインが声を上ずらせる。

「ああ、もしかしてあの『男爵令嬢のどきどき成り上がり! 婚約破棄は慰謝料を添えて』のシリーズですか?」
「『男爵令嬢の成り上がり! どきどき』……ええっと、何……そんなタイトルだったの」

 ミルドレッドの興味は専ら実用書や図鑑や旅行記で、小説はほとんど読まない。

「男子も読んでるんですよあれ。主人公の男爵令嬢が魅力的なのはもちろん、振り回される当て馬男子たちにそれぞれ女子生徒のファンが付いてるので、研究するんだっていって。でもエインズワース先輩がそんなの読むかなあ」
「カイン君、詳しいね……ああ、そうか」

 風紀委員として取り締まる方なせいか、クラスメイトともそういう「学業に不要なものを持ち込む」回し読みの場からはそれとなく外されている。
 でも普通は婚約者とそんな話もするだろう。
 ミルドレッドがテレンスとここ数年そんな他愛無い雑談をしたのは――思い出せないということは、ない、ということだ。

「……いえ、笑顔の原因は逆で。何かがあったのでなくて、なくなったから。婚約破棄するハードルが下がっているから――遂に破棄できるんだって笑顔なのかもしれない」

 笑顔を作るミルドレッドにカインが気の毒そうな視線を向けると、

「これは逆にチャンスなんじゃないの、ミーちゃん?」

 ローテーブルを挟んでその反対側で、茶菓子を無限につまんでいた先輩、オリアーナがのんびりと言った。
 美しい顔立ちと風紀委員長という立場、何より侯爵令嬢という肩書きに相応しくないくしゃくしゃの紫がかった髪がばさりと広がる。これは天然モノで、曰く地毛の生徒たちを守るために必要らしいが、だらけている姿を見るとやや疑わしく思える、そんな先輩だ。

「委員長。その猫のような呼び方はおやめくださいと前から」
「テレンスに直接聞けるじゃない、何で婚約破棄するんだって」
「……」

 正直なところ、聞きたくなかった。
 いつの間にか会話が続かず会うことも避けられ続ければ、疲れてしまったのだ。

「どうせこのまま破棄をしなくとも、良い関係など築けそうにありません。ならば理由などどうでも良いでしょう」
「いや、良くはないでしょ。こっちの有責になったら困る」
「いえ、私に特別な非がない限り非難も慰謝料の請求もされないでしょう。
 もし好きな方ができたとして、流行の小説は、その――『慰謝料を添えて』? のようなタイトルからすると、婚約破棄をする方が慰謝料を支払う話なのでしょう。読んでいたら、むしろ頭から信じて実行する可能性があります。
 そんな風に一方的に慰謝料を払われる、勝手に幕引きされるというのも嫌ですので」
「変な信頼はあるんだね」
「過ちをごまかしたところは見たことがありません。自分の失敗が他者のせいになりそうなら、誤解を解くため名乗り出るような方です」

 いやいや、とオリアーナは肩をすくめる。 

「今までの対応を考慮してさ、出来る限りむしりとってやればいいのに。知っての通り婚約破棄の決闘なんて一部じゃ呼ばれてるんだよ? 今までの破棄の弁護だってさんざんやり合ってきたんだから、遠慮なしでいけるでしょう」

 うつむくミルドレッドに彼女は「それにさ」と続ける。

「遠慮するなら受けなきゃ良かったのに。ご両親に報告して両家で解決すればいいでしょ」
「私から利用申請書をお渡ししました。テレンス様がそう望まれたので何か理由があるのだと」
「望んだ? あのテレンスが?」
「はい。『破棄についての話し合いだが、一週間後でどうだろうか。家を挟まず学院で行いたい』と」

 ミルドレッドが彼の言葉を再現すると、オリアーナは唸った。

「うーん、そうか、それは……なんか違う気もするけどなあ。会場でしなくてもいいって言ってるとも解釈できる」
「どちらにしても、私たちには立会人がいた方が良いと思います。
 そして風紀委員としても、今後の私の婚約のためにも、円滑円満な婚約破棄は目指したいです。
 それに、副委員長が婚約破棄会場を利用したと評判になれば、利用率をさらに高められそうですよ」

 その言葉に、カインが資料をテーブルにばさりと置くと、心配そうな、呆れたような目を向けた。

「副委員長が婚約破棄されて身をもって治安維持に貢献するって、見世物じゃないですか」

 もっともだとミルドレッドは思うが、これも次善の策なのだ。

 婚約破棄と言っても、昔はひっそりと生徒二人きりで話し合われていたらしい。
 しかし周囲を味方にしたい、証人も欲しい、という生徒たちが増えたのか、昨今風紀の乱れは著しかった。
 たまに開かれる学院内のパーティーやイベント後、校門などで衆目を集める形で行われており、たびたび行事が滞ったり、授業や通行の邪魔になった。

 そこで風紀委員会は、学院は生徒の自治の裁量を大きさをいかして、婚約破棄の会場を校内に用意して運営を始めた。
 これは互いの実家の力関係による不当な圧力がかからないよう、経緯を両家にも文書で提出して生徒を少しでも守る意味もあった。
 理不尽な婚約破棄にショック受けた生徒には弁護人が付き、友人などで相応しい人物が誰もいない場合などには委員が弁護をする――ので、ミルドレッドも買って出ていた。
 事前の申請があれば証人も採用できる。
 そしてもちろん傍聴席。

「……どうせ侯爵家の令息が婚約破棄をしたなんて噂、すぐ広まります。一方的に婚約破棄された女だと噂が広まるくらいなら、正々堂々と受けて立ちたいんです。そして公正公平中立な場を、あなたの思い通りになんてさせないってテレンス様に」

 その返答に、カインは首を緩く横に振った。

「……気持ちは分かりましたけど……」
「まあまあカイン、見世物になんかさせないよ。その日はこっそりやるからさ」
「こっそりってどうやるんですか」
「そりゃあ、立会人の欄にわたしの名前を書くからさ」

 そうカインに言いながら、合間合間にナッツのクッキーを放り込む姿を見ていればミルドレッドは覚悟を決める。
 オリアーナはテレンスのエインズワース家とは親戚関係に当たり、テレンスと初めて会ったのも彼女主催のお茶会でだったから多少なりとも責任を感じているのだろう。

「お心遣いありがとうございます」
「ま、多少の目撃者がいた方がいいから、当日はカインもおいで。あと信用できそうな友人を呼んでもいいよ」
「傍聴者を立会人が操作するってどうなんですか」

 カインが首を傾げ、オリアーナは苦笑する。

「もし厄介事が起こった場合に備えてね――さ、ミルドレッド。手伝うから紙をちょうだい。あいつの行動を知ってるだけ書いてあげるからさ」
「……親戚だからですか?」
「そうそう。でも気にしないでいいよ。あいつに比べたらわたしの把握してる行動なんて可愛いもんだから」
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