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王宮の噂とお茶の香り
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ステファニーは、王宮のお茶会会場をぐるりと見渡していた。
美しく着飾った令嬢たちは、それぞれ数名ずつに分かれて楽しげに談笑している。
一方、令息たちはというと――第一王子アルバート殿下に気に入られようと、次から次へと話題を提供し、必死に機嫌を取っていた。
(皆さま、お家のために頑張っていらっしゃるのね。ご立派だわ)
そんな感想を胸に、ステファニーはいつもの定位置――お菓子の並ぶ卓の前に腰を下ろし、呑気に紅茶を楽しんでいた。
「わたくし、チャーチル公爵家のフローレンスと申しますわ」
「わたくしは、ラッセル侯爵家のエリザベートです」
声をかけてきたのは、高位貴族らしい気品をまとった二人の美しい令嬢だった。
ピンク色の淡いオーラと、青のオーラが美しい。
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。
わたくし、オラニエ侯爵家のステファニーです」
三人は自然な流れで近くの席へ移動する。もちろん、紅茶とお茶菓子付きだ。
「お二人は、もうマカロンを召し上がりました?」
ステファニーがそう尋ねると、二人は揃って大きくうなずいた。
「ええ!あまりの美味しさに、思わず声が漏れてしまいましたわ」
「本当に……。あんなに美味しいお菓子は初めてです。ステファニー様が考案なさったと伺いましたけれど?」
「いいえ。わたくしは、ほんの少し意見を述べただけですわ。
すべては、パティシエのディーン殿の成果です」
奢ることも、自分の手柄にすることもなく、きっぱりと言い切るその姿勢に、二人の令嬢は思わず顔を見合わせた。
「ステファニー様……よろしければ、お友達になっていただけませんか?」
エリザベート侯爵令嬢が、少し恥じらいながら切り出す。
「あら、嬉しいですわ。
わたくし、自宅から出ることが少なくて……お友達がおりませんの」
ステファニーは満面の笑みで、迷いなく頷いた。
「……わ、わたくしも……お友達になって“あげても”よろしくてよ……?
ど、どうしてもと言うのなら、ですけれど」
フローレンス公爵令嬢は頬を赤らめ、そっけない口調でそう付け加える。
(まあ……ツンデレですのね。ピンク色のオーラが可愛らしく波打っていますわ)
「ええ、ぜひ。フローレンス様、お友達になってくださいませ」
こうしてまた一人、いえ、二人――ステファニーは無自覚のまま、王宮に“味方”を増やしていくのであった。
ある日、オラニエ侯爵家に、チャーチル公爵家からお茶会への招待状が届いた。
「わあ……フローレンス様からですわ!」
ステファニーは封を開ける前から、目を輝かせた。
「ステファニーお嬢様、これは大変喜ばしいことですわね!」
侍女のエメリーも、思わずほほ笑む。
封を切ると、中には丁寧な文字で招待の文面が記されていた。ステファニーは一読すると、すぐに小躍りするように喜びを表す。
「お友達三人でのお茶会ですって!フローレンス様、エリザベート様、わたくし……楽しみですわ!」
兄サイラスは微笑みながら、「ステファニー、君がそんなに喜ぶなら、こちらも嬉しいよ」と頭を撫でる。彼は、友人であるチャーチル公爵家の嫡男マーロンに感謝の手紙を認めた。
侯爵夫妻も、娘の成長ぶりに目を細め、喜びを隠せない。
そして迎えたお茶会当日、ステファニーは、フローレンスとエリザベートに会うや否や、互いに笑顔で挨拶を交わす。
「フローレンス様、お久しぶりですわ」
「ステファニー様、お会いできて嬉しいですわ!」
「ええ、こうして再びご一緒できるとは。楽しみましょう」
今回は、王宮で友人となった三人が、フローレンスの招待を受け、再び顔を合わせるお茶会であった。
ステファニーはフローレンスの案内で、広々としたチャーチル公爵家の応接間へと通された。
ほどなくして、チャーチル公爵夫妻と嫡男のマーロンが姿を見せた。
ステファニーは、ぽっちゃりとした体を懸命に縮めるようにして、ガヴァネスから褒められたカーテシーを披露する。
ステファニーの兄サイラスと、フローレンスの兄マーロンは親しい友人同士であり、妹たちが仲良くなったことを心から喜んでくれていた。
(あら……マーロン様のお腹のあたり、色がくすんでいるわね。大丈夫かしら?)
チャーチル公爵家一同との挨拶を終えると、柔らかな光が差し込む応接間で、ステファニーはちょこんと椅子に腰を下ろした。
三人はすぐに打ち解け、談笑しながらお茶を楽しむ。
ステファニーは、胸の奥でそっと思った。
(お友達ができるなんて……本当に、嬉しいわ……!)
やがて、フローレンスとエリザベートが、顔を見合わせるようにして話し始める。
「そういえば、王宮ではアルバート第一王子の婚約者選定が進んでいるそうですわ……」
「癇癪王子と評判で、かなりお手を焼かれているとか……」
ステファニーはお茶を一口含み、眉をひそめた。
(……あの時の、王子殿下ね。随分と評判が悪いのね……それほどでもなかったと思うけれど)
こうして、ステファニーは友人たちと談笑しながら、ロンデール王家の複雑な事情を知る第一歩を踏み出したのであった。
「ステファニー様、王宮の噂話はご存知でしょうか?」
フローレンスがにっこり笑った。
「いいえ。わたくし、引きこもり令嬢ですから」
ステファニーはお茶を一口含み、眉をひそめた。
「では、少しだけ……お話を」
フローレンスが説明を続ける。
「王妃殿下はアービン公爵家のご長女で、長年、陛下の婚約者でいらしたのですけれど……。その御子息で、わたくしたちと同じ十二歳なのが、第一王子アルバート殿下。
短気で使用人にも容赦のない癇癪持ち。さらに過食傾向があり、医師から食事制限を受けているという噂ですわ」
「なるほど……それで、王宮では“癇癪王子”と噂されているわけですのね」
ステファニーは頷いた。
エリザベートも付け加える。
「側妃セザンヌ様には、五歳の第二王子スチュワート殿下がいらっしゃるの。セザンヌ妃はローガン伯爵家の令嬢で、かつてエマニュエル王妃殿下の侍女だった方ですわ。……驚くことに、ある日陛下との間に子ができたのですって」
「王妃と侍女が長年の友人……それにも拘わらず子が?」
ステファニーは眉をひそめる。
フローレンスは、眉根を寄せて呟いた。
「ええ、まったく王家というのは、想像を超えますわ。両陛下の仲は良好で、王妃が侍女に嫉妬するようなことはなかったのですけれど……それでも第二王子が生まれました」
ステファニーは小さく息を吐き、茶葉の香りを嗅ぎながら考えた。
(……王宮の人間関係、なんてややこしいのかしら……。でも、アルバート王子に癇癪の噂があるなんて、なんだか信じられないわ……)
二人の令嬢のささやきの合間に、ステファニーは王宮の内情を少しだけ理解した。
とはいえ、十二歳の令嬢たちには、大人のややこしい事情はまだ完全には理解できなかったのだった。
大人でも理解の範疇を超える、ややこしい人間関係だったのだが。
談笑の輪が少し離れた隙を見て、ステファニーは静かにマーロンのもとへと近づいた。
声を落とし、まるで天気の話でもするように、柔らかく微笑む。
「……マーロン様」
彼が振り向くより先に、ステファニーは一瞬、みぞおちの辺りへと視線を落とした。
(やはり……綺麗な青に温かさがありませんわ。冷えて、くすんでいる)
「最近、お食事を急いでいらっしゃいません?」
唐突とも思える問いかけに、マーロンはわずかに目を瞬かせた。
「え……?」
「決まった時間に、きちんと召し上がっていらっしゃいますか?
早く済ませて、すぐ次の用事へ向かわれる――そんな毎日ではありませんか?」
責める調子は一切なかった。
あくまで世間話の延長のように、穏やかに。
マーロンは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まる。
ステファニーは、くすりと小さく笑った。
「公爵家の嫡男として、弱みは見せられませんわよね」
その言葉に、マーロンの肩が、ほんのわずかに緩んだ。
「でも――」
ステファニーは、声をさらに低くする。
「このままでは、血を吐きますわ」
「......っ」
「マーロン様。あなた様は、あまりの重圧に冷たく凍りついていますわ。責任を果たすのは立派ですが、体が壊れては公爵家を支えることも叶いません」
冗談めかした言い方だったが、視線だけは真剣だった。
彼女はそっと、自分のお気に入りの「胃に優しいハーブティー」のティーバッグを手渡した。
「これは、わたくしの屋敷の庭師が育てた特別なものです。今夜、これを飲んで、何も考えずに眠ってくださいませ」
マーロンは、差し出されたその小さな包みと、自分を「一人の人間」として心配してくれた少女の瞳を見つめ、気づけば耳まで赤く染めていた。
(ああ……こんなにも、打算もなく温かい令嬢がいるのか)
「ですから、内密に。お医者様の診察を受けてくださいませ。
これは、“気の持ちよう”ではありませんの」
彼女は、きっぱりと言い切る。
「典型的なストレス性の胃の不調ですわ。
あなた様の精神が弱いからではなく、公爵家としての責任が重いから、です」
一拍置いて、少しだけ声音を和らげた。
「悩みは、誰にでもありますもの。ご自身を卑下なさらないでください」
マーロンは、しばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「……ありがとう。誰にも、気づかれないようにしていたつもりだったんだが……」
「“つもり”でも、体は正直ですわ…… 肌艶は隠せませんもの」
ステファニーは、にこりと微笑む。
このやり取りの報告を、家令と息子のマーロンから受けたチャーチル公爵夫妻は、嫡男を救ってくれたステファニーに心からの感謝の意を表した。
早速、オラニエ侯爵宛に礼状をしたためたが、帰ってきた返信には「他言無用」とだけ書かれていた。
後日、内密に受けた診察で、マーロンは医師から告げられた――胃潰瘍の一歩手前の状態である、と。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは、あの穏やかな声と、自身の不調を見抜いた少女の澄んだ紫の瞳だった。
(ステファニー嬢……彼女が欲しい。――婚約者は、いるのだろうか)
これまで、数えきれないほどの縁談を「家のため」という義務感で眺めてきたマーロンにとって、初めて心から湧き上がった「独占欲」だった。
彼女の隣にいれば、凍りついた心が溶けていくような気がした。
こうして、王都の未来を担う公爵家嫡男までもが、無自覚な彼女の信奉者となった。
だが、マーロンは知らない。
彼女がすでに第一王子の胃袋と心を、完全に掴んでしまっていることを。
一人の「マシュマロ令嬢」を巡って、第一王子と公爵家嫡男が真っ向から激突する――そんな王都騒然の未来が待ち受けているとは、今の彼は夢にも思っていないのであった。
_____________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇
🎍🌅 あけましておめでとうございます!
新年もよろしくお願いします✨
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「わたくし、チャーチル公爵家のフローレンスと申しますわ」
「わたくしは、ラッセル侯爵家のエリザベートです」
声をかけてきたのは、高位貴族らしい気品をまとった二人の美しい令嬢だった。
ピンク色の淡いオーラと、青のオーラが美しい。
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。
わたくし、オラニエ侯爵家のステファニーです」
三人は自然な流れで近くの席へ移動する。もちろん、紅茶とお茶菓子付きだ。
「お二人は、もうマカロンを召し上がりました?」
ステファニーがそう尋ねると、二人は揃って大きくうなずいた。
「ええ!あまりの美味しさに、思わず声が漏れてしまいましたわ」
「本当に……。あんなに美味しいお菓子は初めてです。ステファニー様が考案なさったと伺いましたけれど?」
「いいえ。わたくしは、ほんの少し意見を述べただけですわ。
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奢ることも、自分の手柄にすることもなく、きっぱりと言い切るその姿勢に、二人の令嬢は思わず顔を見合わせた。
「ステファニー様……よろしければ、お友達になっていただけませんか?」
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「あら、嬉しいですわ。
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「……わ、わたくしも……お友達になって“あげても”よろしくてよ……?
ど、どうしてもと言うのなら、ですけれど」
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(まあ……ツンデレですのね。ピンク色のオーラが可愛らしく波打っていますわ)
「ええ、ぜひ。フローレンス様、お友達になってくださいませ」
こうしてまた一人、いえ、二人――ステファニーは無自覚のまま、王宮に“味方”を増やしていくのであった。
ある日、オラニエ侯爵家に、チャーチル公爵家からお茶会への招待状が届いた。
「わあ……フローレンス様からですわ!」
ステファニーは封を開ける前から、目を輝かせた。
「ステファニーお嬢様、これは大変喜ばしいことですわね!」
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封を切ると、中には丁寧な文字で招待の文面が記されていた。ステファニーは一読すると、すぐに小躍りするように喜びを表す。
「お友達三人でのお茶会ですって!フローレンス様、エリザベート様、わたくし……楽しみですわ!」
兄サイラスは微笑みながら、「ステファニー、君がそんなに喜ぶなら、こちらも嬉しいよ」と頭を撫でる。彼は、友人であるチャーチル公爵家の嫡男マーロンに感謝の手紙を認めた。
侯爵夫妻も、娘の成長ぶりに目を細め、喜びを隠せない。
そして迎えたお茶会当日、ステファニーは、フローレンスとエリザベートに会うや否や、互いに笑顔で挨拶を交わす。
「フローレンス様、お久しぶりですわ」
「ステファニー様、お会いできて嬉しいですわ!」
「ええ、こうして再びご一緒できるとは。楽しみましょう」
今回は、王宮で友人となった三人が、フローレンスの招待を受け、再び顔を合わせるお茶会であった。
ステファニーはフローレンスの案内で、広々としたチャーチル公爵家の応接間へと通された。
ほどなくして、チャーチル公爵夫妻と嫡男のマーロンが姿を見せた。
ステファニーは、ぽっちゃりとした体を懸命に縮めるようにして、ガヴァネスから褒められたカーテシーを披露する。
ステファニーの兄サイラスと、フローレンスの兄マーロンは親しい友人同士であり、妹たちが仲良くなったことを心から喜んでくれていた。
(あら……マーロン様のお腹のあたり、色がくすんでいるわね。大丈夫かしら?)
チャーチル公爵家一同との挨拶を終えると、柔らかな光が差し込む応接間で、ステファニーはちょこんと椅子に腰を下ろした。
三人はすぐに打ち解け、談笑しながらお茶を楽しむ。
ステファニーは、胸の奥でそっと思った。
(お友達ができるなんて……本当に、嬉しいわ……!)
やがて、フローレンスとエリザベートが、顔を見合わせるようにして話し始める。
「そういえば、王宮ではアルバート第一王子の婚約者選定が進んでいるそうですわ……」
「癇癪王子と評判で、かなりお手を焼かれているとか……」
ステファニーはお茶を一口含み、眉をひそめた。
(……あの時の、王子殿下ね。随分と評判が悪いのね……それほどでもなかったと思うけれど)
こうして、ステファニーは友人たちと談笑しながら、ロンデール王家の複雑な事情を知る第一歩を踏み出したのであった。
「ステファニー様、王宮の噂話はご存知でしょうか?」
フローレンスがにっこり笑った。
「いいえ。わたくし、引きこもり令嬢ですから」
ステファニーはお茶を一口含み、眉をひそめた。
「では、少しだけ……お話を」
フローレンスが説明を続ける。
「王妃殿下はアービン公爵家のご長女で、長年、陛下の婚約者でいらしたのですけれど……。その御子息で、わたくしたちと同じ十二歳なのが、第一王子アルバート殿下。
短気で使用人にも容赦のない癇癪持ち。さらに過食傾向があり、医師から食事制限を受けているという噂ですわ」
「なるほど……それで、王宮では“癇癪王子”と噂されているわけですのね」
ステファニーは頷いた。
エリザベートも付け加える。
「側妃セザンヌ様には、五歳の第二王子スチュワート殿下がいらっしゃるの。セザンヌ妃はローガン伯爵家の令嬢で、かつてエマニュエル王妃殿下の侍女だった方ですわ。……驚くことに、ある日陛下との間に子ができたのですって」
「王妃と侍女が長年の友人……それにも拘わらず子が?」
ステファニーは眉をひそめる。
フローレンスは、眉根を寄せて呟いた。
「ええ、まったく王家というのは、想像を超えますわ。両陛下の仲は良好で、王妃が侍女に嫉妬するようなことはなかったのですけれど……それでも第二王子が生まれました」
ステファニーは小さく息を吐き、茶葉の香りを嗅ぎながら考えた。
(……王宮の人間関係、なんてややこしいのかしら……。でも、アルバート王子に癇癪の噂があるなんて、なんだか信じられないわ……)
二人の令嬢のささやきの合間に、ステファニーは王宮の内情を少しだけ理解した。
とはいえ、十二歳の令嬢たちには、大人のややこしい事情はまだ完全には理解できなかったのだった。
大人でも理解の範疇を超える、ややこしい人間関係だったのだが。
談笑の輪が少し離れた隙を見て、ステファニーは静かにマーロンのもとへと近づいた。
声を落とし、まるで天気の話でもするように、柔らかく微笑む。
「……マーロン様」
彼が振り向くより先に、ステファニーは一瞬、みぞおちの辺りへと視線を落とした。
(やはり……綺麗な青に温かさがありませんわ。冷えて、くすんでいる)
「最近、お食事を急いでいらっしゃいません?」
唐突とも思える問いかけに、マーロンはわずかに目を瞬かせた。
「え……?」
「決まった時間に、きちんと召し上がっていらっしゃいますか?
早く済ませて、すぐ次の用事へ向かわれる――そんな毎日ではありませんか?」
責める調子は一切なかった。
あくまで世間話の延長のように、穏やかに。
マーロンは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まる。
ステファニーは、くすりと小さく笑った。
「公爵家の嫡男として、弱みは見せられませんわよね」
その言葉に、マーロンの肩が、ほんのわずかに緩んだ。
「でも――」
ステファニーは、声をさらに低くする。
「このままでは、血を吐きますわ」
「......っ」
「マーロン様。あなた様は、あまりの重圧に冷たく凍りついていますわ。責任を果たすのは立派ですが、体が壊れては公爵家を支えることも叶いません」
冗談めかした言い方だったが、視線だけは真剣だった。
彼女はそっと、自分のお気に入りの「胃に優しいハーブティー」のティーバッグを手渡した。
「これは、わたくしの屋敷の庭師が育てた特別なものです。今夜、これを飲んで、何も考えずに眠ってくださいませ」
マーロンは、差し出されたその小さな包みと、自分を「一人の人間」として心配してくれた少女の瞳を見つめ、気づけば耳まで赤く染めていた。
(ああ……こんなにも、打算もなく温かい令嬢がいるのか)
「ですから、内密に。お医者様の診察を受けてくださいませ。
これは、“気の持ちよう”ではありませんの」
彼女は、きっぱりと言い切る。
「典型的なストレス性の胃の不調ですわ。
あなた様の精神が弱いからではなく、公爵家としての責任が重いから、です」
一拍置いて、少しだけ声音を和らげた。
「悩みは、誰にでもありますもの。ご自身を卑下なさらないでください」
マーロンは、しばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「……ありがとう。誰にも、気づかれないようにしていたつもりだったんだが……」
「“つもり”でも、体は正直ですわ…… 肌艶は隠せませんもの」
ステファニーは、にこりと微笑む。
このやり取りの報告を、家令と息子のマーロンから受けたチャーチル公爵夫妻は、嫡男を救ってくれたステファニーに心からの感謝の意を表した。
早速、オラニエ侯爵宛に礼状をしたためたが、帰ってきた返信には「他言無用」とだけ書かれていた。
後日、内密に受けた診察で、マーロンは医師から告げられた――胃潰瘍の一歩手前の状態である、と。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは、あの穏やかな声と、自身の不調を見抜いた少女の澄んだ紫の瞳だった。
(ステファニー嬢……彼女が欲しい。――婚約者は、いるのだろうか)
これまで、数えきれないほどの縁談を「家のため」という義務感で眺めてきたマーロンにとって、初めて心から湧き上がった「独占欲」だった。
彼女の隣にいれば、凍りついた心が溶けていくような気がした。
こうして、王都の未来を担う公爵家嫡男までもが、無自覚な彼女の信奉者となった。
だが、マーロンは知らない。
彼女がすでに第一王子の胃袋と心を、完全に掴んでしまっていることを。
一人の「マシュマロ令嬢」を巡って、第一王子と公爵家嫡男が真っ向から激突する――そんな王都騒然の未来が待ち受けているとは、今の彼は夢にも思っていないのであった。
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