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侍女と護衛は王妃の目
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ディーンが感極まって厨房へと駆け戻ったあと、部屋にはステファニーと、彼女を囲む四人の従者たちが残された。
専属侍女のコレットは、震える手でティーカップを片付けながら、隣に立つ護衛ニコラスと目配せを交わした。その瞳には「とんでもない令嬢の担当になってしまった」という驚きが隠しきれない。
(……何だったのかしら、今の時間は)
コレットは王宮で多くの貴族を見てきた。
デザイナーやパティシエを「使用人」として見下す令嬢は数多い。だが、このステファニーという令嬢は、相手の魂の奥底にある「こだわり」をひと口で理解し、それを肯定して相手を完全に陥落させてしまった。
さらに、コレットを戦慄させたのはその直後だった。
「コレットさん」
不意に名前を呼ばれ、コレットの背筋が伸びる。
「はっ、はい。何でございましょうか、ステファニー様」
ステファニーは、マシュマロのような手で自分の頬をそっと包み、小首をかしげた。
「その……あまり無理をなさらないでね。あなた、お家に、具合の悪いどなたかがいらっしゃるのではないかしら?」
「…………っ!?」
コレットの持つトレイが、ガチャンと音を立てた。
実家の母が流行り病で臥せっていることは、同僚にも、ましてや主人である王妃にも伝えていない。ただ一人、自分だけが胸に秘め、仕事中は完璧な笑顔で隠し通してきたはずだった。
(……なぜ? どこでそれを!?)
驚きに固まるコレットを横目に、ステファニーは今度は護衛のニコラスへ視線を移した。
「ニコラスさんも。……剣の訓練も大切ですが、足首の古傷が痛むのでしょう? 雨の日はお辛いでしょうに、無理に立っていなくていいのよ」
「な……ッ」
鉄面皮で知られるニコラスの頬が、引きつる。
数年前の任務で負った足首の古傷。普段の歩行には一切出さないよう、血の滲むような訓練で克服したはずの「弱点」を、この少女は初対面で、しかもお菓子を食べながら見抜いたのだ。
二人の専属スタッフの間に、言いようのない沈黙が流れる。
恐怖、ではない。だが、すべてを見透かされているような、得体の知れない「格」の違い。
傍らで、エメリーが「やれやれ」といった風に肩をすくめた。
「コレットさん、ニコラスさん。驚くのはそのくらいにしておいた方がよろしいですよ」
エリオも、銀のトングを磨きながら淡々と付け加える。
「うちのお嬢様に隠し事は無意味です。……それより、お嬢様が『大丈夫』と仰ったのですから、素直にハーブティーでも飲んで休むことをお勧めします。……さもないと、お嬢様が心配して、もっとたくさんのお菓子を食べ始めてしまいますから」
(そっちかよ!)
ニコラスは心の中で叫んだが、言葉にはならなかった。
ステファニーはといえば、二人の動揺を気にする様子もなく、最後の一口のタルトを幸せそうに咀嚼している。
(……この方は、ただの『食いしん坊な令嬢』ではない)
コレットは、震える膝を抑えて深く一礼した。
( 王妃殿下がこの方を呼び寄せた理由……ようやく、その一端が見えた気がするわ。……この温かい瞳の奥に、この国を揺るがすような『何か』が隠されている……!)
こうして、王宮から遣わされた「王妃の目」である二人の優秀な使用人をもまた、ステファニーという底なしの沼に、一歩足を踏み入れたのであった。
王宮の奥、昼でも薄暗い執務室。
分厚いカーテンが引かれ、外の光はほとんど遮断されている。
ロンデール伯爵は、机に肘をつき、指先でゆっくりと書類を撫でていた。
その紙面には、穀物の流通量、倉庫の管理番号、そして修正された数字が並んでいる。
「……今年は、ずいぶんと“豊作”だったそうだな」
独り言のように呟きながら、伯爵は口元に柔らかな笑みを浮かべる。
人前で見せる、あの温厚で人の良さそうな微笑みと、寸分違わぬものだった。
ソファに座る人物から、低い声がする。
「しかし伯爵、この数字……王宮への報告とは、ずいぶん差がありますが」
「問題ない」
ロンデール伯爵は即答した。
「“途中で傷んだ”ことにしてある。天候不順、輸送事故、倉庫管理の不備……理由はいくらでもある」
彼は立ち上がり、ワインを注いだグラスを傾ける。
「民は文句を言うだろう。だが、腹が減れば減るほど、王家への不満が募る」
「……そして、その不満は――」
「王族へ向かう」
ロンデール伯爵は、静かに言い切った。
その瞬間、彼の周囲に漂う空気が、どろりと重く沈む。
誰にも見えぬはずの“黒”が、彼の胸の奥から滲み出すように。
「マクシミリアン陛下は、清廉すぎる。だからこそ――少し、揺さぶりが必要なのだよ」
グラスの中で、赤い液体がゆらりと揺れた。
同じ頃。
宰相サミュエルは、自室の書斎で、一通の古い帳簿を開いていた。
机の上には、いくつもの報告書。
農林省、倉庫管理局、地方領主からの上申書――すべて、ロンデール伯爵の管轄に関わるものだ。
「……やはり、妙だな」
サミュエルは低く呟く。
数字は、すべて“正しく”整えられている。
だが、整いすぎているのだ。
不作の年にしては、王宮の備蓄が減りすぎている。
民への配給量が、帳尻合わせのように削られている。
そして何より――
( 陛下の御前で、あの男の名が出た瞬間……)
サミュエルは、ステファニーの澄んだ紫の瞳を思い出す。
十二歳の少女が、理由も告げずに、あえて名前を口にした意味。
「偶然では、あるまいな……」
彼は静かに呼び鈴を鳴らした。
「密かに調べよ。過去三年分の穀物流通、廃棄報告、輸送事故」
「名は出すな。理由も聞かせるな。ただ――ロンデール伯爵に関わるものを、すべてだ」
返事は短く、即座だった。
独りになると、サミュエルは椅子に深く腰掛け、天井を見上げる。
(黒を見た少女と、何かを隠している男……)
(そして、それに気づいてしまった我々)
王宮は、今日も静かだ。
だがその水面下で、確実に、何かが動き始めていた。
――まだ、誰も声には出していない。
だが、もう後戻りはできない。
______________
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📚新作・短編
【【悲報】地味系令嬢、学園一のモテ男に「嘘の告白」をされる。】
専属侍女のコレットは、震える手でティーカップを片付けながら、隣に立つ護衛ニコラスと目配せを交わした。その瞳には「とんでもない令嬢の担当になってしまった」という驚きが隠しきれない。
(……何だったのかしら、今の時間は)
コレットは王宮で多くの貴族を見てきた。
デザイナーやパティシエを「使用人」として見下す令嬢は数多い。だが、このステファニーという令嬢は、相手の魂の奥底にある「こだわり」をひと口で理解し、それを肯定して相手を完全に陥落させてしまった。
さらに、コレットを戦慄させたのはその直後だった。
「コレットさん」
不意に名前を呼ばれ、コレットの背筋が伸びる。
「はっ、はい。何でございましょうか、ステファニー様」
ステファニーは、マシュマロのような手で自分の頬をそっと包み、小首をかしげた。
「その……あまり無理をなさらないでね。あなた、お家に、具合の悪いどなたかがいらっしゃるのではないかしら?」
「…………っ!?」
コレットの持つトレイが、ガチャンと音を立てた。
実家の母が流行り病で臥せっていることは、同僚にも、ましてや主人である王妃にも伝えていない。ただ一人、自分だけが胸に秘め、仕事中は完璧な笑顔で隠し通してきたはずだった。
(……なぜ? どこでそれを!?)
驚きに固まるコレットを横目に、ステファニーは今度は護衛のニコラスへ視線を移した。
「ニコラスさんも。……剣の訓練も大切ですが、足首の古傷が痛むのでしょう? 雨の日はお辛いでしょうに、無理に立っていなくていいのよ」
「な……ッ」
鉄面皮で知られるニコラスの頬が、引きつる。
数年前の任務で負った足首の古傷。普段の歩行には一切出さないよう、血の滲むような訓練で克服したはずの「弱点」を、この少女は初対面で、しかもお菓子を食べながら見抜いたのだ。
二人の専属スタッフの間に、言いようのない沈黙が流れる。
恐怖、ではない。だが、すべてを見透かされているような、得体の知れない「格」の違い。
傍らで、エメリーが「やれやれ」といった風に肩をすくめた。
「コレットさん、ニコラスさん。驚くのはそのくらいにしておいた方がよろしいですよ」
エリオも、銀のトングを磨きながら淡々と付け加える。
「うちのお嬢様に隠し事は無意味です。……それより、お嬢様が『大丈夫』と仰ったのですから、素直にハーブティーでも飲んで休むことをお勧めします。……さもないと、お嬢様が心配して、もっとたくさんのお菓子を食べ始めてしまいますから」
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ニコラスは心の中で叫んだが、言葉にはならなかった。
ステファニーはといえば、二人の動揺を気にする様子もなく、最後の一口のタルトを幸せそうに咀嚼している。
(……この方は、ただの『食いしん坊な令嬢』ではない)
コレットは、震える膝を抑えて深く一礼した。
( 王妃殿下がこの方を呼び寄せた理由……ようやく、その一端が見えた気がするわ。……この温かい瞳の奥に、この国を揺るがすような『何か』が隠されている……!)
こうして、王宮から遣わされた「王妃の目」である二人の優秀な使用人をもまた、ステファニーという底なしの沼に、一歩足を踏み入れたのであった。
王宮の奥、昼でも薄暗い執務室。
分厚いカーテンが引かれ、外の光はほとんど遮断されている。
ロンデール伯爵は、机に肘をつき、指先でゆっくりと書類を撫でていた。
その紙面には、穀物の流通量、倉庫の管理番号、そして修正された数字が並んでいる。
「……今年は、ずいぶんと“豊作”だったそうだな」
独り言のように呟きながら、伯爵は口元に柔らかな笑みを浮かべる。
人前で見せる、あの温厚で人の良さそうな微笑みと、寸分違わぬものだった。
ソファに座る人物から、低い声がする。
「しかし伯爵、この数字……王宮への報告とは、ずいぶん差がありますが」
「問題ない」
ロンデール伯爵は即答した。
「“途中で傷んだ”ことにしてある。天候不順、輸送事故、倉庫管理の不備……理由はいくらでもある」
彼は立ち上がり、ワインを注いだグラスを傾ける。
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「……そして、その不満は――」
「王族へ向かう」
ロンデール伯爵は、静かに言い切った。
その瞬間、彼の周囲に漂う空気が、どろりと重く沈む。
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机の上には、いくつもの報告書。
農林省、倉庫管理局、地方領主からの上申書――すべて、ロンデール伯爵の管轄に関わるものだ。
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サミュエルは低く呟く。
数字は、すべて“正しく”整えられている。
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サミュエルは、ステファニーの澄んだ紫の瞳を思い出す。
十二歳の少女が、理由も告げずに、あえて名前を口にした意味。
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返事は短く、即座だった。
独りになると、サミュエルは椅子に深く腰掛け、天井を見上げる。
(黒を見た少女と、何かを隠している男……)
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王宮は、今日も静かだ。
だがその水面下で、確実に、何かが動き始めていた。
――まだ、誰も声には出していない。
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