無自覚人たらしマシュマロ令嬢、王宮で崇拝される ――見た目はぽっちゃり、中身は只者じゃない !

恋せよ恋

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星読みの塔に棲まう深窓の賢者

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 ステファニーが王宮での生活を始めて数日。表向きは「パティシエ・ディーンの新作に目を輝かせる、愛らしいぽっちゃり令嬢」として浸透しつつあったが、その周囲では、目に見えない糸が確実に絡み合い始めていた。

 ステファニーは今、自室ののソファに腰掛け、エメリーが淹れたハーブティーを楽しんでいた。

 その愛らしい姿を見守る使用人たち──エメリーとエリック、そしてコレットの表情は、満足げであった。

(ああ……のお嬢様が、のソファで、している姿……癒やされる!)

 だが、そのステファニーの視線は窓の外へ向けられていた。王宮の広大な敷地の先にある「歪み」を、確かに捉えている。

(……やっぱり、嫌な感じ。あちこちに、ロンデール伯爵と同じような『濁った黒』が点在しているわ……)

 それは、空腹に喘ぐ民衆の恨みか、あるいは誰かが意図的に撒き散らしている「呪い」の残滓か。

「お嬢様、お顔の色がすぐれませんね。……お口直しに、このマカロンをどうぞ。甘さが、少しだけ憂いを連れ去ってくれるかもしれませんよ」

 エメリーは、そっとマカロンを差し出すが、その目は明らかにこう語っていた。

(“甘味は万能薬”である、と。)

 エメリーが差し出したのは、オラニエ侯爵邸から届いたばかりの、最高級のバターを使った特製品だ。

「ありがとう、エメリー。……でもね、わたくし、少しだけ胸が騒ぐの」
 ステファニーがそう呟いた瞬間、扉がノックされた。

 現れたのは、専属護衛のニコラスだった。彼の足取りは以前よりも軽く、その瞳にはステファニーへの深い敬意が宿っている。いまや彼は、王宮でも指折りの“ステファニー信奉者”となっていた。

「ステファニー様。……宰相サミュエル閣下が、少々お耳に入れたいことがあると」
「……宰相様が? 分かりましたわ。お通しして」

 部屋に入ってきたサミュエルの「青いオーラ」は、以前にも増して鋭く研ぎ澄まされていた。
 彼はステファニーの前に座ると、周囲の侍女たちを一度下げさせ、声を潜めた。その表情はいつになく真剣で、どこか期待を含んでいるようにも見えた。

「ステファニー様。『深窓の賢者』アストラル様をご存知かな?」
「アストラル様……? いいえ、存じ上げませんわ。美味しいお菓子を作る方でしょうか?」

 ステファニーの問いに、サミュエルは微かに苦笑した。
「……いいえ。あの方は、王宮の最上階、星読みの塔に住まわれるであり、です。……陛下ですら、年に一度お会いできるかどうかの貴きお方ですが、あの方が『新しく入ったに会いたい』と仰っているのです」

 ステファニーは首を傾げ、きょろきょろと周囲を見回した。
(……って……この場にいる中で、条件に当てはまるの、わたくししかいませんわよね?
 ええ、ええ。自覚はありますとも。鏡も毎朝見ておりますし)


 誘われるまま、サミュエルと共に長い螺旋階段を上り、王宮の最果てにある「星読みの塔」へと足を踏み入れた。

 石造りの螺旋階段を前に、ステファニーは胸を張って宣言した。
「だ、大丈夫ですわ。自分の足で登れます」

 最初の数段は、確かに順調だった。
 スカートの裾を持ち上げ、意気揚々と足を運ぶ。

 ――五分後。

「……ぜ、ぜぇ……」

 肩は上下し、額には汗。
 螺旋階段は終わりが見えず、同じ景色がぐるぐると続くだけだ。あまりの長さゆえに、途中で気がしたのは──きっと気のせいのはずだ。

「……ステファニー様、少し休みますか」
 後ろを歩いていた護衛騎士のニコラスが、控えめに声をかける。

「い、いえ……だいじょ……ぶ……ょ……」
 言い終える前に、足がもつれた。

「――失礼します」

 次の瞬間、視界がふわりと浮いた。
 気づけば、ステファニーはニコラスの背に担がれていた。

「に、ニコラス!?」
「これ以上は危険です。ご無理をなさらず」

 有無を言わせぬ安定感で、ニコラスは再び階段を上り始める。

 真っ赤な顔で汗をにじませ、ステファニーの「ぜい、ぜい……」という荒い息遣いだけが、静謐な塔内にやけに鮮やかに響いていた。

 だが、不思議なことに、揺れはほとんど感じない。
 広い背中と、規則正しい足運びに身を委ねるうち、呼吸も少しずつ落ち着いていった。

(……背負われるって……こんなに楽でしたのね……)

 やがて、階段の先に柔らかな光が見えた。

「着きましたよ、ステファニー様」

 ニコラスがゆっくりと彼女を降ろす。
 地に足が着いた瞬間、ステファニーは小さく息を吐き――ふわりと顔を上げた。

「……ありがとう、ニコラス。
 あなたがいてくださって、本当に心強かったですわ」

 その言葉は、飾り気も下心もない、ただの事実として紡がれた。

 少し照れたように、けれど疑いのない笑顔。
 まるで「信じ切っている」と言外に告げるような表情だった。

 ――その瞬間。

(……ああ)

 ニコラスの胸の奥で、何かが静かに、しかし決定的に落ちた。

 守るべき主ではない。
 義務として仕える相手でもない。

 ――この人こそ、守り、仕えたい主人だ。

 命じられたからではない。立場でも、契約でもない。ただ、この人が安心して前を向けるように。この人の笑顔が曇らぬように。

 それだけで、剣を取る理由としては十分だった。

 ニコラスの胸の奥で、静かに、しかし確かに誓いが結ばれる。この主のためなら、どんな階段も、どんな塔も、どんな敵も――越えてみせる。

 彼は何も言わず、一歩下がって深く礼をした。
 それは騎士としての形式であり、同時に、心からの忠誠だった。


 天宮の最上階、部屋の中央、古い天体観測儀の影から、雪のような白い髭を蓄えた小柄な老人が姿を現した。

「ほっほっほ……。これはこれは、実に愛らしいぽっちゃりな令嬢がおいでくださった」
 賢者アストラルは、厚いレンズの眼鏡越しに、ステファニーをじっと見つめた。

 その瞬間、ステファニーは驚いた。老人の周囲には、今まで見たこともない、七色に揺らめく透明な光が満ちていたのだ。

 つい、普段なら慎重に飲み込んでいる“正直な感想”が、小さなつぶやきとなって口をすべり落ちた。

「まあ……あなた様、とっても綺麗な色をなさっているのね」

 ──初対面一言目が色評。礼儀より感想が先に立った瞬間である。

 アストラルは、その言葉を聞いた瞬間、動きを止めた。そして、ステファニーのアメジストの瞳を覗き込むように顔を近づける。

「ほっほっほ! これは驚いた。……やはりそうか。お嬢さん、おまえさんのその目は、伝説に名高い『彩光(さいこう)の目』、神の絵筆の化身よ」

「さいこうのめ……?」

「左様。人の嘘も、国の病も、すべてはおまえさんの目に映る『淀み』にすぎん。……世界を揺るがす人物か、あるいは救う人物か。
 ほっほっほ、わしの退屈な余生に、とびきりの楽しみが舞い込んできたわい」

 賢者アストラルは愉快そうに笑いながら、傍らにあった高級な砂糖菓子をステファニーに差し出した。

「これを食べなさい。知恵を絞るには糖分が必要じゃ。……おまえさんがその目で『黒』を見つけたのなら、それは間違いなく、この国に巣食う本物の闇じゃろうて」


 塔を降りる帰り道。サミュエルは、賢者の言葉に深く衝撃を受けた様子で沈黙していた。

 そして、部屋に戻り、人払いを済ませた後、彼はついにステファニーに向き合った。
「……ステファニー嬢。賢者アストラル様のあのような態度は、三十年仕える私も初めて見ました。
……単刀直入に伺おう。君は、謁見の間でロンデール伯爵の中に、何を見たのですか?」

 ステファニーは、賢者アストラルからもらったお菓子を頬張りながら、静かに答えた。

「……あれは、色ではありませんでしたわ。……それは、光をすべて吸い込んで、何も残さない『虚無の黒』です」。あの方の周りだけ、冷たい風が吹いているようでした」

 サミュエルの指先がわずかに震え、その瞳に、鋭い決意の光が宿る。

「やはりか…… 賢者アストラルが認めた君が暴いたその『虚無の黒』……放置するわけにはいかんな」

 こうして、伝説の賢者の「お墨付き」を得たステファニーの瞳は、王宮を揺るがす真実を暴くための、最も強力な武器として認められたのだ。

「……虚無、か。……私の調べでも、彼の管轄する穀物庫からは、不自然なほどの『損失』が出ている。
 彼はわざと国を飢えさせようとしているのかもしれない」

「お腹が空くと、人は優しくなれませんもの。……ロンデール伯爵は、その『トゲトゲした心』を集めて、どこに向けようとしているのかしら?」

 十二歳の少女が口にした言葉は、サミュエルが最も恐れていた事態そのものだった。

「……君のその『瞳』を、信じてみようと思います。……ステファニー嬢、これから王宮は騒がしくなるでしょう。……だが、君だけは、そのマシュマロのような柔らかさを失わないでいてほしい」

「ふふ、もちろんですわ。……わたくしが痩せてしまったら、お父様とお兄様が王宮を更地にしてしまいますもの」

 ステファニーの冗談に、サミュエルは初めて声を立てて笑った。



 王宮の平穏な空気を切り裂くように、報せが舞い込んだ。
 王妃の“目”である侍女のコレットと護衛のニコラスからだった。

「――第一王子アルバート殿下が、激しい癇癪を起こされ、自室にお引きこもりになったとのことです」

 低く抑えた声で告げられたその内容に、場の空気が一瞬、張り詰める。
 その瞬間、ステファニーのオーラが、ほんの一瞬だけ鋭い《紫》に弾けた。

(……始まったわ。王子の心に、誰かが“毒”を投げ込んだのね)

 コレットとニコラスは、それ以上を語らない。
 だが二人の表情が、その事態の深刻さを雄弁に物語っていた。

 ――そんな緊迫した空気の中、今度はオラニエ公爵家から、嬉しい知らせが届く。

「あら、サイラスお兄様がいらっしゃるそうよ」
 ステファニーはぱっと表情を和らげ、愛らしい微笑みを浮かべた。
___________

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