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第三話 引っ越しと口づけ③
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気がつくと、大きな窓から日差しを注ぐ太陽は、随分高い位置にあった。
見上げる高い天井には豪奢な絵画が描かれている。周囲の壁や調度品も、それに負けない煌びやかなものだった。
一瞬リウは、ついに自分は死んで天国に来てしまったのかと思った。
肌触りのよい清潔なシーツと寝心地のいい寝台は、リウが知らないものだ。
「……そうか、ここはラーゴの家か」
昨日ラーゴに連れてこられた彼の家は、家というよりお屋敷だった。螺旋階段がある玄関ホールなど、どう考えても平民の家ではない。
改めてラーゴの高い地位を実感したリウだったが、部屋に案内された途端に酷い睡魔に襲われたのだ。
ここに至るまでの疲れと、長く辛かった痛みからの解放がそうさせたのだろう。だが振り返れば、あまりに礼儀知らずな行動だとリウは反省した。
しかも外はもう、昼前だろう。起きてラーゴに挨拶をしなければと上体を起こすと、寝ていた寝台はリウが三人は寝られそうなほど大きいことに気がついた。
そしてそこには丁度ひと一人分、こんもりとした盛り上がりがある。布団からは艶やかな黒髪がはみ出していた。
「ら、ラーゴ!?」
驚きのあまり思わず大きい声が出てしまった。
「リウ……」
寝起きの掠れた声が、リウの名を呼ぶ。布団の中から顔を出したラーゴは寝ぼけているのか、ぼんやりとした顔でこちらを見た。
じっとリウを見たと思えば、へにゃりと破顔する。
「リウだ」
ただ名を呼ばれただけだというのに、リウの顔にドッと血が集まった。
原因不明の動悸を抑えるリウの腰に、ラーゴの腕が巻き付く。
「リウ……」
再びラーゴの呼吸が深くなる。どうやら寝起きがよくないらしい。
このまま寝かせてやるべきか、はたまた起こすべきか正解が分からないでいた。
眠るラーゴは、浅い呼吸が聞こえなければまるで物言わぬ彫像のようである。緻密に作られた長い睫が、高い鼻梁にまで影を落とすようだ。
抱きつかれてしまったからには一緒に寝てやるべきなのか。
だが昼間でたっぷりと寝たことで、リウの眠気は綺麗さっぱりなくなってしまった。
ここから更に寝ろと言われても、恐らく夜まで眠れないだろう。
どうしたものかと考えていると、扉が外からノックされた。
「主様! もう昼でがんす! 起きてくだせえ!」
入って来たのは、まだ十三歳程度の少年だった。小さな体躯をかっちりとしたジャケットで包み、胸元には小さなタイを締め、革靴まで履いている。
下働きとは違う出で立ちの少年は、短い赤毛でくりっとした意思の強い瞳をしていた。
一見すると見目麗しいのだが、元気すぎるその気質が表情に表すぎて霞んでしまう。
寝台の中にいるリウと寝ているラーゴに気付いた少年は、リウをキッと睨む。
「オメエのことは、メメルは認めねえですからね! この……女狐!」
「う、うん?」
どこに突っ込んだらいいのか分からず、リウは戸惑いながらも曖昧に頷く。
リウは女でもなければ女狐と呼ばれるような立場でもない。
この少年――メメルが誰なのかも分からないし、そもそも孤児院育ちのリウは子供が好きだ。下手に意見を否定してもよくないのではないかと、おかしな気遣いを発揮してしまう。
リウが黙って聞いていると、少年は寝台に近づきズイッと顔を寄せる。
「主様のことは、メルが一番よく知ってるんですけえ! 後から来て、正妻面するんじゃなかとですよ!」
「……うん?」
「オメエはメメルの次です! 主様と、と、共寝なんて!」
怒りながらもポッと顔を染めるメメルは可愛らしい。
だがまさかこの少年は、ラーゴの恋人なのだろうか。
二十三歳のラーゴの恋人にしては、どう見ても子供すぎる。恩人であるラーゴに一瞬幻滅したものの、とにかくリウは少年の誤解を解かないといけないと考えた。
「待ってくれメメル。俺とラーゴは恋人でもなんでもない。たまたま一緒に寝ただけで」
「はあ!? たまたまで男と寝るんですかオメエは!」
「ち、違うそうじゃない! お前が想像するようなことはなにも……いや、全くしてないとは言えないが……」
呪いが理由とはいえ、キスをしたのは事実だ。
変なところで生真面目なリウは、事実を伏せることもできずに一瞬口ごもる。
「ほんなら、したんじゃないですか!」
「いや! してない! したけど、してないんだ!」
「どっちなんですか!」
悲鳴のようなメメルの叫びにつられて、リウまで大きな声で弁明してしまった。
結果、まだ隣で眠っていたこの屋敷の主がモゾモゾと起きた。
「メルル、煩いですよ……」
その瞬間、ギャンギャン逆毛を立てていたメルルの態度が一変した。きゅるんという音が聞こえてきそうなほど、その小さな身体に愛らしい雰囲気を纏う。
「主様~! おはようございます! お疲れです? まだお眠りになりますですかっ」
メルルはラーゴのベッド横に跪き、あざとく下から見上げる。
だがリウの身体に腕を回したままのラーゴは、それに全く気付かない。
「もう、起きます……。昨晩はリウの寝顔を眺めていたら、なかなか眠れなかっただけなので」
「では食事の用意もさせていただきますね! そっちのお客人の分も、ついでに」
メルルはチラとリウを見る。言葉の端々に棘がある。
だがラーゴは大きく伸びをして、それからそれが当たり前のような顔でリウの唇を奪った。
「んっ!?」
「婚約者なので。当然で挨拶のキスくらいはしますよね」
この生活をする上での約束の一つは、周囲には恋愛結婚だと思わせること。
なるほどこの屋敷にいるメメルの前でもそれは効力を発揮するらしい。リウはやや赤く染まった頬を、手の甲で押さえながら頷いた。
「そ、そうだな? 俺たちは婚約者だからな」
リウの視界の端では、毛を逆立てたような表情のメメルがいる。
結局このメメルはラーゴの恋人ではなく、ただの下働きなのだろうか。メメル本人は、ラーゴへの恋慕がありそうだったが。
ラーゴは名残惜しそうにリウの頬にキスをしたあと、のっそりと寝台を降りる。
「今後、リウの分は僕が作ります」
寝起きのせいか、ラーゴの無表情に拍車がかかっている。
機嫌が悪いのか、それとも眠いだけなのか分からない。
だたメメルはそれを不安に思ったらしく、慌ててラーゴに駆け寄った。
「な、なんですかあ? メメルの作る食事、毎日美味しいって仰ってくれてたじゃねえですかっ」
「リウに関わるものは、全て僕が用意したいんです」
メメルに視線を移すことなく言い切って、ラーゴはさっさと扉を開けて出て行ってしまった。残されたメメルの肩からは怒りが立ちのぼる。
リウへ振り向くメメルの顔は眉が釣り上がりながらも涙目で、半分泣きそうになっていた。
「ちょ、調子に乗るんじゃねえですよ! この、泥棒猫が~っ!」
そう言い残してメメルもまた、扉の向こうへ消えてしまった。
残されたリウは、まるで嵐に巻き込まれた後のような顔をしている。
「なんだったんだ……一体」
豪華な室内には、ポツリと呟くリウの言葉だけが響いた。
見上げる高い天井には豪奢な絵画が描かれている。周囲の壁や調度品も、それに負けない煌びやかなものだった。
一瞬リウは、ついに自分は死んで天国に来てしまったのかと思った。
肌触りのよい清潔なシーツと寝心地のいい寝台は、リウが知らないものだ。
「……そうか、ここはラーゴの家か」
昨日ラーゴに連れてこられた彼の家は、家というよりお屋敷だった。螺旋階段がある玄関ホールなど、どう考えても平民の家ではない。
改めてラーゴの高い地位を実感したリウだったが、部屋に案内された途端に酷い睡魔に襲われたのだ。
ここに至るまでの疲れと、長く辛かった痛みからの解放がそうさせたのだろう。だが振り返れば、あまりに礼儀知らずな行動だとリウは反省した。
しかも外はもう、昼前だろう。起きてラーゴに挨拶をしなければと上体を起こすと、寝ていた寝台はリウが三人は寝られそうなほど大きいことに気がついた。
そしてそこには丁度ひと一人分、こんもりとした盛り上がりがある。布団からは艶やかな黒髪がはみ出していた。
「ら、ラーゴ!?」
驚きのあまり思わず大きい声が出てしまった。
「リウ……」
寝起きの掠れた声が、リウの名を呼ぶ。布団の中から顔を出したラーゴは寝ぼけているのか、ぼんやりとした顔でこちらを見た。
じっとリウを見たと思えば、へにゃりと破顔する。
「リウだ」
ただ名を呼ばれただけだというのに、リウの顔にドッと血が集まった。
原因不明の動悸を抑えるリウの腰に、ラーゴの腕が巻き付く。
「リウ……」
再びラーゴの呼吸が深くなる。どうやら寝起きがよくないらしい。
このまま寝かせてやるべきか、はたまた起こすべきか正解が分からないでいた。
眠るラーゴは、浅い呼吸が聞こえなければまるで物言わぬ彫像のようである。緻密に作られた長い睫が、高い鼻梁にまで影を落とすようだ。
抱きつかれてしまったからには一緒に寝てやるべきなのか。
だが昼間でたっぷりと寝たことで、リウの眠気は綺麗さっぱりなくなってしまった。
ここから更に寝ろと言われても、恐らく夜まで眠れないだろう。
どうしたものかと考えていると、扉が外からノックされた。
「主様! もう昼でがんす! 起きてくだせえ!」
入って来たのは、まだ十三歳程度の少年だった。小さな体躯をかっちりとしたジャケットで包み、胸元には小さなタイを締め、革靴まで履いている。
下働きとは違う出で立ちの少年は、短い赤毛でくりっとした意思の強い瞳をしていた。
一見すると見目麗しいのだが、元気すぎるその気質が表情に表すぎて霞んでしまう。
寝台の中にいるリウと寝ているラーゴに気付いた少年は、リウをキッと睨む。
「オメエのことは、メメルは認めねえですからね! この……女狐!」
「う、うん?」
どこに突っ込んだらいいのか分からず、リウは戸惑いながらも曖昧に頷く。
リウは女でもなければ女狐と呼ばれるような立場でもない。
この少年――メメルが誰なのかも分からないし、そもそも孤児院育ちのリウは子供が好きだ。下手に意見を否定してもよくないのではないかと、おかしな気遣いを発揮してしまう。
リウが黙って聞いていると、少年は寝台に近づきズイッと顔を寄せる。
「主様のことは、メルが一番よく知ってるんですけえ! 後から来て、正妻面するんじゃなかとですよ!」
「……うん?」
「オメエはメメルの次です! 主様と、と、共寝なんて!」
怒りながらもポッと顔を染めるメメルは可愛らしい。
だがまさかこの少年は、ラーゴの恋人なのだろうか。
二十三歳のラーゴの恋人にしては、どう見ても子供すぎる。恩人であるラーゴに一瞬幻滅したものの、とにかくリウは少年の誤解を解かないといけないと考えた。
「待ってくれメメル。俺とラーゴは恋人でもなんでもない。たまたま一緒に寝ただけで」
「はあ!? たまたまで男と寝るんですかオメエは!」
「ち、違うそうじゃない! お前が想像するようなことはなにも……いや、全くしてないとは言えないが……」
呪いが理由とはいえ、キスをしたのは事実だ。
変なところで生真面目なリウは、事実を伏せることもできずに一瞬口ごもる。
「ほんなら、したんじゃないですか!」
「いや! してない! したけど、してないんだ!」
「どっちなんですか!」
悲鳴のようなメメルの叫びにつられて、リウまで大きな声で弁明してしまった。
結果、まだ隣で眠っていたこの屋敷の主がモゾモゾと起きた。
「メルル、煩いですよ……」
その瞬間、ギャンギャン逆毛を立てていたメルルの態度が一変した。きゅるんという音が聞こえてきそうなほど、その小さな身体に愛らしい雰囲気を纏う。
「主様~! おはようございます! お疲れです? まだお眠りになりますですかっ」
メルルはラーゴのベッド横に跪き、あざとく下から見上げる。
だがリウの身体に腕を回したままのラーゴは、それに全く気付かない。
「もう、起きます……。昨晩はリウの寝顔を眺めていたら、なかなか眠れなかっただけなので」
「では食事の用意もさせていただきますね! そっちのお客人の分も、ついでに」
メルルはチラとリウを見る。言葉の端々に棘がある。
だがラーゴは大きく伸びをして、それからそれが当たり前のような顔でリウの唇を奪った。
「んっ!?」
「婚約者なので。当然で挨拶のキスくらいはしますよね」
この生活をする上での約束の一つは、周囲には恋愛結婚だと思わせること。
なるほどこの屋敷にいるメメルの前でもそれは効力を発揮するらしい。リウはやや赤く染まった頬を、手の甲で押さえながら頷いた。
「そ、そうだな? 俺たちは婚約者だからな」
リウの視界の端では、毛を逆立てたような表情のメメルがいる。
結局このメメルはラーゴの恋人ではなく、ただの下働きなのだろうか。メメル本人は、ラーゴへの恋慕がありそうだったが。
ラーゴは名残惜しそうにリウの頬にキスをしたあと、のっそりと寝台を降りる。
「今後、リウの分は僕が作ります」
寝起きのせいか、ラーゴの無表情に拍車がかかっている。
機嫌が悪いのか、それとも眠いだけなのか分からない。
だたメメルはそれを不安に思ったらしく、慌ててラーゴに駆け寄った。
「な、なんですかあ? メメルの作る食事、毎日美味しいって仰ってくれてたじゃねえですかっ」
「リウに関わるものは、全て僕が用意したいんです」
メメルに視線を移すことなく言い切って、ラーゴはさっさと扉を開けて出て行ってしまった。残されたメメルの肩からは怒りが立ちのぼる。
リウへ振り向くメメルの顔は眉が釣り上がりながらも涙目で、半分泣きそうになっていた。
「ちょ、調子に乗るんじゃねえですよ! この、泥棒猫が~っ!」
そう言い残してメメルもまた、扉の向こうへ消えてしまった。
残されたリウは、まるで嵐に巻き込まれた後のような顔をしている。
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