悪女は愛より老後を望む

きゃる

文字の大きさ
37 / 58
第三章 偽の恋人

 32

しおりを挟む
 クラウス王子を見上げた私は、その表情にハッとする。いつになく真剣な様子の彼は、私を食い入るように見つめていた。心臓の音が聞こえてしまわないよう、私は胸の上に置いた両手を一層強く握り締める。

「ディア、そんなにアウロスのことが好きなのか?」

 いいえ、と答えれば彼に期待をさせてしまう。クラウス王子は少なからず、私に好意を抱いている。そして私も彼が好き――

 決して結ばれない以上、この想いは諦めなければならない。命を奪う愛よりも、私は穏やかな老後を望んでいる。それなら答えはたった一つ。

「ええ、もちろん」

 胸の痛みを押し隠し、私は笑った。真っ赤に塗った唇が、悪女っぽくあでやかに見えることだろう。
 私は人を愛せないし、愛されてもいけない。取り返せない罪、過去に犯した過ちのせいで、今なお苦しめられている。

「そう、か……」

 大好きな青い瞳が私かららされ、肩に置かれた大きな手も力なく外された。
 まだ大丈夫、まだお互いにそこまで好きではないでしょう? 芽生えた想いはきっと、すぐに忘れられるはず。

 私はまぶたを閉じて髪に触れた。再び開けて気怠けだるげな表情を作り出すと、アウロス王子に声をかける。

「アウロス……。私、なんだか疲れたわ。忙しいなら帰っていい?」

 軽くまばたきしたアウロス王子が、私に向かって微笑んだ。

「まさか。僕が君を手放すと思うかい? クラウス、仕事の話は後で。久しぶりに会った可愛い人と、親交を深めたい」
「……承服しかねるが、仕方がない。だがアウロス、油断はするな。傷つけたら許さない」

 いつになく低い声。心が揺れてはいけないと、私はクラウス王子の顔をまともに見ないようにする。

「当たり前だ。大切な人だから」

 そこは強調しなくていいような。アウロス王子ったら、自分の兄に対してまで演技するなんて。
 一方、クラウス王子は大きなため息をつくと、再び書類を手にした。

「これは処理しておく。今日だけだからな」
「ありがとう、任せるよ。よろしく~」

 あっさり立ち去ったところを見ると、クラウス王子は私にそこまで想い入れがあったわけではないみたい。ホッとしたのかがっかりしたのか……

 扉を出る彼の背中を見た瞬間、思わず鼻がツンとした。
 クラウス様、元気そうで良かったわ。好きだと言わずに遠くから眺めるだけなら――許されるわよね?

 用意された香り高い紅茶を飲み、私は一息つくことに。
 悪女の演技は気が滅入めいる。他人を傷つける言葉は、口にすると自分の心もすり減るような気がするから。
 沈んでいたら、アウロス王子が話しかけてきた。

「さて、ディア。これからの計画を練ろうか。この後エルゼは父親に訴え、君につらく当たるだろう。僕も気を付けるけど、君も身の回りには十分注意してほしい」
「ええ。そのためにも護衛を……いけない! アウロス殿下が彼らをエルゼに引き渡しましたよね? 二人は無事かしら」
「エルゼに騙されていなければね? まあ、君ほど綺麗な人の側にいて、彼女に従うとは思えないけれど」
「いえ、彼らは大丈夫です。まさか、試すためにわざと付き添わせたのですか?」
「さあ、どうだろう? 案外、君と二人きりになりたかったからかもしれないよ?」
「そういう冗談は結構です」

 人払いをしない以上、部屋には女官が控えている。厳密に二人きり、というのは無理な話だ。

「やれやれ、手厳しいね。でもディア、口調が元に戻っている。恋人だろう? ちゃんとアウロスと呼んでくれなくちゃ」
「ここで演技の必要はないかと」
「つれないな。だけど、誰が聞いているかわからないからね。まったく、ここまで素っ気ないのは君が初めだ。茶畑と僕とどっちが大事?」

 私は首を傾げた。
 当然茶畑ですが、それが何か?

「いや、わかったから答えなくていい。それなら、君に譲る分について話をしようか」
「ええ、是非」

 アウロス王子の嬉しい言葉に口元が緩んでしまう。助ける代わりに見返りを要求するなんて、私は既にかなりの悪女かもしれない。
 遅れてやってきた護衛と合流し、初日は無事に帰宅することができた。



 恋人のフリをして三回目の今日は、赤いドレスで目立つように装った。城に毎日通うエルゼと違い、私は三日に一度。だからなるべく派手にする必要がある。
 地味にひっそりしていた頃とは異なるけれど、念のため顔を帽子に付けたレースで隠す。アウロス王子と噂になればいいだけなので、はっきり言って顔は見えなくても関係ないと思う。

 初日にショックを受けたのか、今日もエルゼ達の登場はなし。姿が見えても向こうが私を避けるので、非常にいい感じ。
 代わりに城にいる人達の視線が痛い。どんな噂を振りかれているのか知らないけれど「アウロス王子をたぶらかしている」との悪評が立てば、こちらの目論見もくろみ通りだ。

 実際はアウロス王子とはなごやかにお茶を飲み、世間話をする程度。部屋付きの女官も信頼できる者達だし、口は堅いという。
 クラウス王子は忙しいのか、初日以降姿が見えない。自分で突き放しておきながら勝手だけれど、会えないと一抹の寂しさを感じてしまう。
 こんなことを言えば、アウロス派のハンナに贅沢だと怒られそうね? クラウス王子びいきのリーゼなら、なんと言うのだろう?

 今回も穏やかに過ごせたので、馬車まで送るというアウロス王子の申し出を断った。私は護衛を引き連れて、悪女っぽく堂々と廊下を歩く。
 すると、恰幅かっぷくの良いきらびやかな衣装の中年男性が、私の行く手をふさいだ。後ろには、同じような年齢の男性を大勢従えている……誰かしら?

「おや、君は誰かね?」

 その男性は今気づいたとでも言うように、私に目を向ける。金色の柔らかそうな髪と口ひげ、上を向いた鼻。わざとらしい態度といい、かもし出すこの偉そうな雰囲気といい……もしかして!

「公爵閣下、ご挨拶もなく大変失礼致しました。私はミレディアと申します」

 エルゼの父親、デリウス公爵だ!
 まさか、直接話しかけてくるとは思わなかった。どうしよう?

「ふむ。君は人と話すのに顔を隠すのか?」
「それは……」

 彼は私の被るレース付きの帽子のことを言っている。エルゼが父親に言いつけたのだろう。「不器量だから隠している」という嘘は、今さら通じない。
 公爵の方が正しいけれど、私は人前で素顔を晒すわけにはいかないのだ。いきなり告白されることはないにしろ、この顔はかなり人目を引く。父親程の年齢でも異性は異性なので、なるべく隠しておきたい。

「まあ、野良猫が礼儀を知らないのは当然か。だが、そのせいで高貴な血筋がおびやかされるのは、いただけないな。君もそう思わないかね?」

 私を野良猫にたとえ、アウロス王子から手を引くようにと宣告してきた。肯定すれば身の安全は守れるけれど、自分を卑下することになる。否定すれば礼儀にのっとり、これから前髪でも顔は隠せない。それなら――

「そうですね。本物の野良猫なら礼儀を知らず、挨拶も満足にできないかと。高貴な血筋が何を示すのかわかり兼ねますが、内面性を指すのなら、該当するものは少ないでしょう」

 そっちこそ挨拶してないし、高貴って身分だけではないわよね? と暗に皮肉ってみた。

「なっ……なんと無礼な!」 

 一拍遅れて公爵が怒り出し、彼の周りがざわつく。

「無礼? あら、今は野良猫の話をしていたのですよね?」

 私はわざとらしく扇を口に当て、考えこむフリをする。意味がわからないとでもいうように。もちろんはっきりわかっているし、猫の方が私よりよほど素直で可愛らしい。一生懸命生きている猫達に、謝ってほしいくらいだ。

「生意気な小娘め! 偉そうなことを言えるのも今のうちだ。いつまでも無事でいられるとは……」

 憎々し気に吐き捨てるデリウス公爵。彼の私へのおどし文句をさえぎったのは、別の人物だった。

「無事でいられるとは? その先を是非聞きたいものだな」
しおりを挟む
感想 115

あなたにおすすめの小説

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

【完結】御令嬢、あなたが私の本命です!

やまぐちこはる
恋愛
アルストロ王国では成人とともに結婚することが慣例、そして王太子に選ばれるための最低の条件だが、三人いる王子のうち最有力候補の第一王子エルロールはじきに19歳になるのに、まったく女性に興味がない。 焦る側近や王妃。 そんな中、視察先で一目惚れしたのは王族に迎えることはできない身分の男爵令嬢で。 優秀なのに奥手の拗らせ王子の恋を叶えようと、王子とその側近が奮闘する。 ========================= ※完結にあたり、外伝にまとめていた リリアンジェラ編を分離しました。 お立ち寄りありがとうございます。 くすりと笑いながら軽く読める作品・・ のつもりです。 どうぞよろしくおねがいします。

【完結】地味な私と公爵様

ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。 端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。 そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。 ...正直私も信じていません。 ラエル様が、私を溺愛しているなんて。 きっと、きっと、夢に違いありません。 お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)

【完結】王太子と宰相の一人息子は、とある令嬢に恋をする

冬馬亮
恋愛
出会いは、ブライトン公爵邸で行われたガーデンパーティ。それまで婚約者候補の顔合わせのパーティに、一度も顔を出さなかったエレアーナが出席したのが始まりで。 彼女のあまりの美しさに、王太子レオンハルトと宰相の一人息子ケインバッハが声をかけるも、恋愛に興味がないエレアーナの対応はとてもあっさりしていて。 優しくて清廉潔白でちょっと意地悪なところもあるレオンハルトと、真面目で正義感に溢れるロマンチストのケインバッハは、彼女の心を射止めるべく、正々堂々と頑張っていくのだが・・・。 王太子妃の座を狙う政敵が、エレアーナを狙って罠を仕掛ける。 忍びよる魔の手から、エレアーナを無事、守ることは出来るのか? 彼女の心を射止めるのは、レオンハルトか、それともケインバッハか? お話は、のんびりゆったりペースで進みます。

この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜

氷雨そら
恋愛
 婚約相手のいない婚約式。  通常であれば、この上なく惨めであろうその場所に、辺境伯令嬢ルナシェは、美しいベールをなびかせて、毅然とした姿で立っていた。  ベールから、こぼれ落ちるような髪は白銀にも見える。プラチナブロンドが、日差しに輝いて神々しい。  さすがは、白薔薇姫との呼び名高い辺境伯令嬢だという周囲の感嘆。  けれど、ルナシェの内心は、実はそれどころではなかった。 (まさかのやり直し……?)  先ほど確かに、ルナシェは断頭台に露と消えたのだ。しかし、この場所は確かに、あの日経験した、たった一人の婚約式だった。  ルナシェは、人生を変えるため、婚約式に現れなかった婚約者に、婚約破棄を告げるため、激戦の地へと足を向けるのだった。 小説家になろう様にも投稿しています。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

別れたいようなので、別れることにします

天宮有
恋愛
伯爵令嬢のアリザは、両親が優秀な魔法使いという理由でルグド王子の婚約者になる。 魔法学園の入学前、ルグド王子は自分より優秀なアリザが嫌で「力を抑えろ」と命令していた。 命令のせいでアリザの成績は悪く、ルグドはクラスメイトに「アリザと別れたい」と何度も話している。 王子が婚約者でも別れてしまった方がいいと、アリザは考えるようになっていた。

処理中です...