悪女は愛より老後を望む

きゃる

文字の大きさ
47 / 58
第四章 告白の行方

 40

しおりを挟む
 パチパチとまきぜる音がする。
 ――まだ小屋の中? まさか私、逃げきれていないの?
 恐ろしい考えにガバッと飛び起きた。その途端、掛けられていた毛布がはらりと床に落ち、驚愕の事実に気がつく。

「な、な、ななな………」

 なんと、毛布の下はすっぽんぽん。いえ、かろうじてドロワーズはいているものの、それ以外は何もなし。裸のため、無数のり傷や火傷の火ぶくれが白い肌に浮かび上がって見える。すすや泥の汚れはなくなっていたけれど、着ていたはずのラベンダー色のドレスが近くになかった。
 私は毛布を巻きつけて、状況を見極めようと目をらす。

「ここ、どこ?」

 見覚えのない場所にいるため、戸惑う。今はいつでここはどこ? 私はどのくらい眠っていたの?
 囚われていたかび臭い小屋とはおもむきが随分違う。濃い色の床には毛皮が敷かれ、私はその上に寝ていたみたい。正面には暖炉が明々と燃えて暖かく、近くには高価そうな木の椅子とテーブルが置かれている。壁には鹿の頭部の剥製はくせいや地図、銃まで飾ってあった。結構広いし奥には別の部屋もありそうで、狩猟小屋というよりお屋敷に近いような印象を受ける。
 きょろきょろしていたところ、背後から声がかかった。
 
「ディア、気がついたのか。もう大丈夫だ」
「ク、ク、クラウス様!」

 彼の白いシャツのボタンは開き、筋肉質の胸がのぞいている。黒いトラウザーズに長い足を包み、その手にはコップを握っていた。
 そういえば、喉が渇いたような。私は手渡されたコップを受け取ると、両手で持って中の水を勢いよく飲んだ。……で、見事にむせる。

「ゴホッ、ゴホゴホ」
「すまない。弱っているのに、いきなりは無理だったな。貸してごらん?」

 言われた通りコップをおとなしく差し出すと、彼は自分で口にした。代わりに飲んであげるって、そういうこと? そのままじっと見ていると、王子が私の前に片膝をつく。肩を抱き寄せ、長い指で私の顎を支えたかと思うと、当たり前のように顔を近づけてきた。
 重ねられた唇から、冷たい水が流し込まれる。びっくりして思わずごくんと飲み込むけれど、こ、ここ、これっていわゆる『口移し』よね?

「もう少し持ってこようか? お腹は空いてない?」

 クラウス王子が私の頬に手を添えながら、優しく聞いた。
 私は後ずさり、首をぶんぶん横に振る。激しく否定したために、頭がくらくらするような。いえ、くらくらするのはキスのせい……じゃないでしょ、これって単なる口移し。だから、深い意味などないの。必死に自分に言い聞かせるものの、混乱して心臓もバクバクいっている。
 対するクラウス王子は平気な顔。ふと彼の視線を感じて下を見ると、毛布がずり落ちていた。何てこと! 私は焦って引き上げて、胸を隠す。恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。

 クラウス王子は何も言わず、紳士らしく見なかったことにするらしい。彼はコップをテーブルの上に置くと、暖炉の前に座る私の隣に同じように腰を下ろした。私は二度と醜態しゅうたいを晒さないように、毛布を固く握り締める。

「ディア、体調はどう? 冷え切っていたため、急いでここに運び込んだのだが……顔色は少し良くなったようだな」

 そうだわ。彼は森で彷徨さまよっていた私を助けてくれたのに、まだお礼も言っていなかった。

「あの、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いや、礼はいい。元々は、君を危険に巻き込んだアウロスの責任だ。あいつには言いたいことが山ほどある」

 もしかして恋人のフリがバレたの? それとも私が城に行かなかったから? 今回はアウロス王子は関係ない。依頼された品をクラウス王子に届けようとしたのは私の独断で、誘拐を命じていたのはデリウス公爵だ。実際は、エルゼが出てきたけれど……
 それより私は、今の状況が知りたい。アウロス王子のことは後回しだ。

「ええっと、今はいつで、ここはどこですか? あと、できれば何か着る物を……」

 この建物が誰かの屋敷で女官がいるなら、何か服を貸してもらおう。

「ディアを発見してから、そう時間は経っていない。といっても、もうすぐ夜になる」

 森でクラウス王子に会ったのが朝方だから、私はずっと寝ていたということ? 黙っていると、彼が続けた。

「ここは、王家が所有する狩猟小屋だ。北で見つけたディアが冷え切っていたので、一番近いこの場所に連れて来た」
「狩猟小屋、ですか?」

 狩りをしないので知らないけれど、小屋というのに豪華な造りなのは、王家の持ち物だからだろうか? 自信を持って歩いていた私が、西ではなく北に進んでいたなんて大失敗だ。どうりでなかなか、森の終わりが見当たらないと思ったわ。

「それと、残念ながら服はない。冬場はここを閉じるため、予備がなかった。呼びかけても起きる気配がなく、俺が勝手に脱がし……」

 クラウス王子が失言したというように、自分の口元を手で塞ぐ。
 ちょっと待って! 今何か、不穏なセリフが聞こえた気が……って言った? 見た? もしかして、全部見たの!?

「ま、ま、まさか!」
「すまない。ドレスはボロボロだったし、冷え切った身体を一刻も早く温める必要があった。そのままだと、病気になってしまう」
「いえ、あの。ドレスのことじゃなくって……ほ、他の方は?」
「取り急ぎ城に報告に戻らせた。一人は近くの村で服を調達しているから、もうすぐ戻るだろう」
「みんな男性……ですか?」
「そうだが? ああ、心配しなくていい。ディアの世話は俺が全部一人でしたから」

 それが一番心配だから! 好きな人に寝顔どころか全てをさらけ出すって……傷だらけで泥だらけ、ボロボロでじめじめの身体を見られてしまった。恥ずかしさを通り越し、頭が真っ白になってしまう。

「な、ななな……」
「誓って変なことはしていない。温めて拭っただけだ。ぐったりして目を覚まさなかったから、不安になったことは確かだが」

 触られたのに起きない私も相当だけど、王子なのに世話を焼くって……温めたってどうやって? 私が目を見開くと、クラウス王子が自分の額に手を当てて、ぼそりと漏らした。
 
「暖炉に火を入れ部屋が暖かくなるまで、俺が君を抱いていた。人肌が一番良いが、さすがにそこまでは」
「抱っ……」

 それ以上言葉が続かなかった。覚えていない間に、すごい事態になっていたらしい。彼は服を着ているから、ギリギリセーフだ。セーフって何が?……ダメだ、とにかく話題を変えよう。

「あの、エルゼ様は今どこに?」

 唐突に彼女の名前を出した。すると、クラウス王子が苦虫をみ潰したような顔になる。

「やはりエルゼが元凶か。しかし、君を捕らえる指示を出したのは父親の公爵だ。彼は今牢の中で、エルゼの確保にはアウロスが向かっている」
「そう、ですか」

 安心して力が抜けた。追手は放たれていなかったようね? クラウス王子に尋ねられたため、私は捕らえられ、小屋に連れて行かれた後のことを詳しく語った。

「くそっ、あの女……」

 クラウス王子の怒りはすさまじく、拳を床に叩きつけている。安物の木材でなくて良かったわ。昨日の小屋なら確実に穴が開いていた。穴といえば、私は壁の穴から命からがら逃げ出して……
 不意に「小屋ごと焼いて」というエルゼの声を思い出し、私は恐怖に身を震わせた。

「ごめんディア。その恰好では寒いだろう? ベッドの用意ができたから、向こうの部屋で休むといい」 
「いえ、私は別に……」

 私の膝裏に手を入れて、抱え上げようとするクラウス王子。重病人ではないのだから、そのくらい自分で歩けるわ。私は彼の胸に手を置いて、離れようとする。けれど、触れた指先に彼の肌の熱を感じたため、ドキリとして慌てて引っ込めた。
 吐息のかかる近さ、唇さえ触れそうな距離に好きな人がいる。その事実だけで、私の胸は激しく高鳴った。向けられた青い瞳、困ったようなその表情を和らげてあげたくて。
 クラウス王子の頬に向かって伸ばした手を、しかし本人に掴まれてしまう。

「ご、ごめんなさい。私ったら……」

 慌てて引き抜こうにもびくともしない。クラウス王子は目を伏せて、私の手のひらにキスをした。再び開けたその目には、激しい思いが浮かんでいるようで。緊張して苦しくなる胸を押さえながら、私は急ぎ言葉を探す。

「クラウス様、私は……」
「ディア、聞いてほしい。俺は君が好きだ。アウロスよりも深く君を愛している」
しおりを挟む
感想 115

あなたにおすすめの小説

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】御令嬢、あなたが私の本命です!

やまぐちこはる
恋愛
アルストロ王国では成人とともに結婚することが慣例、そして王太子に選ばれるための最低の条件だが、三人いる王子のうち最有力候補の第一王子エルロールはじきに19歳になるのに、まったく女性に興味がない。 焦る側近や王妃。 そんな中、視察先で一目惚れしたのは王族に迎えることはできない身分の男爵令嬢で。 優秀なのに奥手の拗らせ王子の恋を叶えようと、王子とその側近が奮闘する。 ========================= ※完結にあたり、外伝にまとめていた リリアンジェラ編を分離しました。 お立ち寄りありがとうございます。 くすりと笑いながら軽く読める作品・・ のつもりです。 どうぞよろしくおねがいします。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

【完結】あなたの色に染める〜無色の私が聖女になるまで〜

白崎りか
恋愛
色なしのアリアには、従兄のギルベルトが全てだった。 「ギルベルト様は私の婚約者よ! 近づかないで。色なしのくせに!」 (お兄様の婚約者に嫌われてしまった。もう、お兄様には会えないの? 私はかわいそうな「妹」でしかないから) ギルベルトと距離を置こうとすると、彼は「一緒に暮らそう」と言いだした。 「婚約者に愛情などない。大切なのは、アリアだけだ」  色なしは魔力がないはずなのに、アリアは魔法が使えることが分かった。 糸を染める魔法だ。染めた糸で刺繍したハンカチは、不思議な力を持っていた。 「こんな魔法は初めてだ」 薔薇の迷路で出会った王子は、アリアに手を差し伸べる。 「今のままでいいの? これは君にとって良い機会だよ」 アリアは魔法の力で聖女になる。 ※小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

出ていってください!~結婚相手に裏切られた令嬢はなぜか騎士様に溺愛される~

白井
恋愛
イヴェット・オーダム男爵令嬢の幸せな結婚生活が始まる……はずだった。 父の死後、急に態度が変わった結婚相手にイヴェットは振り回されていた。 財産を食いつぶす義母、継いだ仕事を放棄して不貞を続ける夫。 それでも家族の形を維持しようと努力するイヴェットは、ついに殺されかける。 「もう我慢の限界。あなたたちにはこの家から出ていってもらいます」 覚悟を決めたら、なぜか騎士団長様が執着してきたけれど困ります!

処理中です...