異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第二部・最終章 最高の騎士

第三十三話

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 先に仕掛けたのは、邪教神。
 一足跳びで間合いを詰めると、閃光のような速度で袈裟懸けを斬り下ろす。
 が、カズヤは下段に構えていた剣を振り上げ、それを跳ね除けた。
 しかし跳ね上げたはずの激凍剣は空中で弧を描くと、即座に逆袈裟に斬り下ろしてきた。その切り返しの速度たるや、とてつもない。カズヤは剣を横に構えてそれを防ぐが、次の瞬間には剣や切っ先がカズヤの右小手を狙っていた。
 腕を引いてそれをかわしたものの、その隙に邪教神は大きく右足を踏み入れ、内腿うちももから斬り上げてくる。
 途切れなく続く連続攻撃──カズヤは完全に防戦一方へ追い込まれていた。
 カズヤが速度で大きく劣っているわけではない。おそらく剣速でいえばほとんど差はないだろう。
 ただ、邪教神の攻撃は一撃一撃の繋ぎ目が恐ろしく滑らかなのだ。反撃に入り込む余地がまったくないほどに。
 相手がどう受けるか見極めてから動いていたのではこうはいかないだろう。視線や間合い、呼吸、ありとあらゆる一瞬の駆け引きで、相手を「そのように」誘導しているのだ。様々な選択肢を断ち、自分にとって最も都合の良い行動を取らせる──
「くっ!」
 それが分かっていてなお、カズヤはそこから抜け出すことが出来なかった。
 相手の誘導の外へ飛び込むということは、即ち自ら死地へ飛び込むということだ。
 そもそも、このような芸当はかなりの戦闘経験を得なければ出来ない。瞬時に敵の情報を処理し、直観に近い演算力と判断力があって初めて成せる業。
 それが出来るのは、もはや神の領域と言える。

 神というのは、名ばかりというわけでもないのか……。

 辛うじて剣を捌きつつ、自らが相手する敵の認識を改めた。
 敵は神。更にいえば、一騎当千を謳う騎士に乗り移っている。奇策に転じ、一寸の隙を突かなければ、勝機などまずない。
「っ!」
 カズヤは神速で繰り出された邪教神の突きに、あえて身を晒した。
 脇腹に灼熱の棒を押し当てたような熱が走るが、構わず邪教神──カムイの胸めがけて剣を斬り上げる。
 だが、その一撃さえも俊敏に身を翻し、あっさりもかわしてみせた。
 カズヤはその反応速度に改めて驚きつつも、大きく後ろに飛んで間合いを取り直す。
「ふぅ……」
 脇腹の傷は比較的浅い。
 薄い鋼素の膜を集中させたからだが、そうでなければ勝負がついてしまう深手になっていただろう。
「……中々やるな。あの攻防の中で、魔術を詠唱するとは。しかも、使……」
 邪教神の不穏な発言に、カズヤは無意識に反応してしまい、肩をほんの少しだけ動かしてしまった。
 それを見逃さなかった邪教神は、氷のような無機質な表情を崩し、冷徹な笑みを刻んだ。
「怯えているのか? 自身に秘められしを」
「……黙れ」
「まさか、まだ認めていないのか? を使わなければ、自分はまだ人間だと思い込んでい……」
「黙れ──ッ!!」
 この期に及んで邪教神の言葉を最後まで聞いていられるほど、カズヤは悠長な性格ではない。
 カズヤが焔天剣を振るった軌道に魔法陣が浮かび上がる。さらにそこから猛烈な熱波が迸ったかと思うと、その魔法陣を破るようにして巨大な焔の竜が出現した。
「ほう、こんな魔術を有していたか……」
 邪教神が感心したようにつぶやくが、それもそのはず。これは学園でワタルの教えの元に編み出した魔術ものであり、カムイも知らない魔術なのだから。
 奴は恐らく、カムイが持つ記憶の中での俺を元に戦法を構築している。俺の時も、自分の中にある数少ないカムイに関係する記憶から、最も最適な戦闘パターンを導き出し、それを実行してみせた。
 その手法は、ハッキリ言って面倒臭いことこの上ない。
 自動的に動きをイメージできるということは、戦闘中に「どう動くか」と考える必要がなくなり、別のことに意識を向けることができてしまう。
 戦闘において意識を疎外するのは命取りだが、体がどう動けばいいか解ってる状態ではむしろ厄介だ。些細な癖や変化をも見逃さない状況が終始続くとなれば、こちらが圧倒的に不利だ。
 だが幸い、カムイの前で戦ったのは、記憶にある限りでは二度──戴天と暗黒騎士の時だけだ。しかも両方とも、断片的な部分だけしか見せていない。
 更にいえば、邪教神にも知られていない隠し球がある。

 という儀式を受けていることを、向こうは知らない。
 
 儀式を知らない邪教神を相手に、焔天剣本来の解放術が勝敗を決める。
 解放術を決める一瞬、それを逃さず──こちらの企みを悟られないためにも、今の自分に出来る全力を出すに徹しなければならない。
 焔の竜は空気を震わせるような雄叫びを上げると、巨大なあぎとを開けながら邪教神に接近していく。
「大した魔術だ。だが……」
 邪教神は距離を取ると、パチンと指を鳴らす。
 途端、焔の竜は一瞬で跡形もなく消失した。
「我に魔術は通用しない……っと、どこに行った」
 魔術の向こう側にいるはずのカズヤが消えていることに気付いた邪教神は、周囲を見回すも、その姿はなかった。
 そんな中、背後から──。
「こっちだよ」
 短い一言と共に、短く唱える。
解放バースト
 掌に宿した炎素を解放させ、火炎放射の如き炎の奔流が、ゼロ距離で放たれる。
 しかし──流石は邪教神と言うべきなのか、炎素の発動と同時に魔術自体にマイナス因子を流し込み、存在を抹消してみせた。
「……驚いたぞ。まさか、最初の魔術が囮だったとわな」
 先程の炎素を全く気にしない様子で、平然としている。
「貴様相手に、生半可な戦いはできないからな」
「そうか……。なら今ので分かったはずだ。我に、魔術など通用しないことが」
 悠然と言い放たれたが、素直に認めるしかないのが悔しい。
 奴はマイナス因子を自在に操っており、その力のせいで魔術が当たる直前に喪失してしまう。生きようとする意思を死のうとする意思に逆転させたりなど、因子単体でもかなり厄介な力を、奴は常時使用できる。
 だが、決して万能ではない。落下などの、既に結果の決まった事象には作用しない。
 邪教神に唯一対抗できる手段は、それは剣による攻撃。斬撃を放つという事象に予備動作などない。放つやすぐに結果の決まる事象のため、マイナス因子も作用しない。
 剣と剣での戦いは俺としても望むところだが、敵の技倆はまったくの未知数。恐らくは暗黒騎士たちと同じく、絶え間なく続く連続攻撃を主軸としたスタイルだろう。
 カムイさんの記憶を覗き見た奴には、既存の戦闘スタイルは全く通用しない。ならば、考えずに直観で見出した動きで荒れ狂う連撃を掻い潜り、なんとか密接し、邪教神が知らないはずの本来の解放術で勝機を見いだすしかない。
 腹を決め、俺は突進に備えて重心を落とした。前に出した右足と、後ろに引いた左足で、硬い床をしっかりと踏み締める。
 対峙する邪教神は、涼やかな立ち姿で右手の剣を後方に高く掲げた。
 あの姿には、見覚えがある。あれは、伝統流派の構えだ。放たれるのは、受け流すことさえ不可能なほど速く、重い必殺の一撃だろう。
 早速こちらの予想は外れてしまったが、それをどうにかして回避し、懐に潜り込んだ所で、解放術を提唱すれば、絶対に勝てる。
「………………ッ」
 俺は大きく息を吸い、ぐっと腹に力を溜めた。
 邪教神の剣がわずかに揺れた瞬間、思い切り床を蹴りつけ、俺は前に出た。
 敵の長剣が煌めく。繰り出される斬撃が垂直斬りだと読み、俺は左足を強く踏み切って突進の軌道を右にずらした。
 不気味な軌跡を引きながら、長剣が恐るべき速度で迫る。俺は体を左に開き、必死に剣先をやり過ごす。
 ──かわした!
 今度は右足で強く床を踏み、突進の軌道を戻しながら、右手の剣を振りかぶる──。
 だが。
「ッ…………!?」
 驚愕に喘ぐ俺の足許から、振り切られる寸前の剣が慣性を無視した動作と速度で跳ね上がってくる。もう回避できない。振りかぶる途中だった剣を引き戻し、どうにか斬撃の軌道に割り込ませる。
 ガイィィィン! という強烈な金属音と、膨大な火花が迸った。どうにか防御には成功したものの、右手の骨が軋むほどの圧力に大きく体勢を崩され、倒れまいと後方に跳ぶ。ステップで敵の斬り上げを回避し、すかさずカウンターの一撃を──。
 しかし邪教神の剣技は、またしても俺の想像を上回った。
 V字の軌道を描いて上段まで戻った剣が、再び轟然と唸りながら振り下ろされる。重心を前に移していた俺は三度目を避けきれず、左胸を浅く切り裂かれる。かすり傷だが、恐怖と驚愕が全身を駆け巡る。
 ここで回避しようとしたり、生半可なブロックを試みたら斬られる。
 瞬間的に横切った思考に、身を委ねて──
「お……おおッ!!」
 雄叫びで恐怖を吹き飛ばし、俺も少々無理のある体勢ながら斜め斬りを繰り出した。
 今度こそ予想が的中し、邪教神の剣が世の理から逸脱した速さで大上段に戻ると、渾身の四撃目を撃ち込んできた。
 真上から迫る白銀の刃を、俺の黒い剣が迎え撃つ。魔術を宿す剣同士が激突したような、爆発めいた閃光が発生し、俺とカムイの顔を照らし出す。
 ぎゃりぃぃん! と金属音を響かせて二本の剣が離れると、俺は今度こそ大きく後方に跳び、間合いの外に出た。
 左手で胸の傷に触れると、薄い赤が指先に滲む。治癒術で治すほどのダメージではないが、肉体の傷よりも、今受けた精神的ダメージの方が大きい。
 声を出せない俺に代わって、邪教神が、ゆるりと体を起こしながら言った。
「今ので解ったか。貴様と我の、圧倒的な差が」
 耳に届いた声を完璧に理解するのに、一秒と掛からなかった。
 俺の唯一の勝機は、至近距離からの解放術。それを為すためには、敵の斬撃を完璧に躱さなければいけない。そうしなければ、失敗してしまうから。
 しかし、邪教神の連撃には一寸の隙もないし、全てを避けることすら出来ない。それでは、初撃で仕留めることができない。
 混乱と焦燥に襲われ、じりじらと後退するも、邪教神に支配されたカムイの精神が頭に浮かんだ。
 カムイの精神を取り戻すまでは、逃げることなんて許されない。
 いっそうの焦慮しょうりょに駆られながら、怯える自分に喝を入れた。
 ぐっと足を開き、焔天剣を構え直した俺を見て、邪教神は不気味に笑った。
「まだ心が折れぬか……いいぞ、もう少しだけ遊んでやろう」
 底知れない余裕を見せてそううそぶいた。俺はもう何も言い返そうとせず、大きく息を吸い、ぐっと溜めた。
 剣に風素を螺旋状に宿し、背中にも小さな風素を待機させる。
 右から、円を描くように剣を真っ直ぐ真上まで動かし──。
「──解放バーストッ!!」
 鋭い気合を迸らせながら、風素を爆発させた。
 突風に後押しされ、体が超高速で宙を翔ける。剣に宿る風素を解放バーストされ、目視不可の速度の上段斬りが放たれる。
 斬撃が、カムイの左肩を捉えるまで、コンマ五秒。
 感覚が加速され、時の流れから逸脱したスローの世界のなか──。
 長剣が、切っ先を真っ直ぐ俺に向け。
 閃光が、煌めき。
 ドカカカカカッ!! と、こちらも目視不可能な神速の刺突が、俺の体を貫いた。
「がっ……」
 俺の口から、鮮血が散った。
 いったい何が起きたのか、推測はおろか認識すらできない。苦痛と驚愕に激しく翻弄され、俺は自分の腹から引き抜かれる激凍剣を凝視しながら、よろよろと後退った。
 両肩、胸、喉、腹に穿たれた小さな傷口から、勢いよく鮮血が噴き出した。がくりと膝から力が抜け、俺は床に剣を突き立てて、懸命に倒れまいとした。
 ──嘘だ……あれは、俺の世界に実在する、フェンシングと同じ……。
 まさか、奴は俺の記憶から剣術を得ているというのか。
 返り血を避けるように、軽やかに距離を取った邪教神は、刀身についた血を振り払った。
「どうだ。まだ、つづけるか」
 ────最後まで。
「諦めるかッ!!」
 恐怖と焦燥をかき消すように叫び、俺は駆け出した。
 剣を右水平に構える。対する邪教神は、再び大上段に悠然と構え──。
「ウォォォッ!!」
「──ッ!!」
 無言と有声の気合を振り絞り、斬撃を繰り出す。縦と横から接触したエッジは、激しい閃光を迸らせると──。
 カズヤだけが、後方へ吹き飛んだ。まるで、不可視の力場に衝突したように。
 理解不可能な事象に思考が追いつかず、カズヤは一切の受け身を取らずに背中から床に衝突した。打ち所が悪かったのか、肺の酸素が一気に吐き出されてしまい、ぐらり、と世界が歪む感覚。
 
 いや、歪んでいるのは俺自身か。信じられないはずの現実を突きつけられ、俺は必死に解答を求める。

 ──なんで、俺の剣は邪教神に届かないんだ。
 ──まさか……俺の意思は既に、負けを認めているのか……。奴の圧倒的な力の前に、俺は無意識のうちに屈しているのか……?
「嘘だ……」
 俺の口から、自分の声とは思えないほどひび割れた呟きが漏れた。
「認めない……そんなこと……」
 食い縛った奥歯がぎりりと軋む。自分でも理由の解らない怒りと、そして背中から去ろうとしない恐怖を打ち消そうとするかのように、俺は乱暴に立ち上がり、ふらつく脚を踏ん張って大きくスタンスを取った。
 
 ──認めない……俺の、カムイさんを助けたい意思は、簡単に屈するような意思モノなんかじゃない!
 
 左手を前に出し、右手を引き絞る。彼我の距離、約五メートル。完全に間合いのうちだ。
「う……あああああ!!」
 萎えかけた戦う意思を無理矢理引っ張り出すべく、俺は腹の底から絶叫した。肩の上につがえられた剣が、獰猛な雄叫びを上げるように震える。それは血の色──あるいは、俺の剥き出しの殺意が剣に宿ったのか。
 対する邪教神は──。
 俺と同様に両脚を前後に広げて腰を沈めると、左手の激凍剣を滑らかな動作で右腰に回し、そこでぴたりと静止させた。
 なんだ、あの隙だらけの構えは。いや、違う。あれは、まるで。
 いや、もう何も考えない。考えたくない。奴に対する負の感情いかりがあればいい。
「ウオアアアッ!!」
 獣じみた咆哮を轟かせ、俺は剣を撃ち出した。
「──シッ!!」
 カムイの唇からも、抑制された、しかし鋭い気合が放たれた。
 右腰の剣が、眩い銀色に輝き。
 直線軌道で突き進む刺突よりも速く、美しい曲線軌道を描いて。
 抜き打ちの一閃が、俺の胸を切り裂いた。
 わずかに遅れて、巨人の拳の如き衝撃が、俺を吹き飛ばした。真紅の液体を宙に散らしながら、俺は高く宙を舞った。
 左手を振り抜いた姿勢のまま、邪教神が悠然と放った言葉が、かすかに俺の耳に届いた。
「……これが貴様の世界に伝わる剣技、居合斬りか」
 俺の世界に伝わる、剣技……?
 ──まさか、邪教神はずっと、カムイの記憶ではなく、を主軸に戦っていたのか?
 驚愕すらも遥かに超えた、世界が崩れていくような感覚に襲われながら、俺は床に墜落した。水音が響き、大量の鮮血が周囲に散った。
 体は完全に凍り付き、動かせるのはもう視線だけだった。それでも、思考は止まらなかった。
 奴は、俺の世界の歴史に存在する剣技を使ってきた。でも、俺はその剣技のほとんどを見たことがない。それをどうやって再現したのか、今の俺には到底考えることが出来なかった。
 ただ一つ、確かなこと。

 邪教神に、俺は勝てない。

 魔術ではもちろん、剣と剣での戦いに於いても、邪教神は俺を遥かに凌駕している。
 見覚えのない剣技に、違い世界の剣技をも再現した邪教神の剣に、たかが二年近くの修練で身につけた剣技で勝てるわけがない。
 自分の意思で蓋をした、を使った所で、結果は同じだっただろう。俺の記憶から戦術を編み出す相手に、が勝てるわけがないんだ。
 
 これ以上はもう、推測するだけむなしい。俺にはもう何もないという事実が覆ることはないのは、厳然として変わらないのだから。
 創世神の願い、カムイの自己犠牲、セレナの信頼を無駄にした俺には、もう戦う意思すら残されていない。
「──ようやく、絶望したか」
 凍り付いた刃のような声が、倒れる俺の首筋を撫でた。
 邪教神が、金属の軽快な音を鳴らしながら、ゆっくりと近づいてくる気配が感じられた。
「ようやく理解したか? 己が如何に非力で、何一つ守ることができない存在だと」
「……もう、殺せよ」
 音にならない声で、俺は答えた。
「好きなだけ、痛めつけて、無残に殺してくれ……」
 もう、何も考えたくない。せめて、これから消滅する命たちが受ける苦痛の何十倍も苦しむように殺してくれることを、願うしかない。
 もう喋る力も尽き、貼り付いたように焔天剣の柄を握り続ける右手からも、力を抜こうとした──。
 その瞬間。

『逃げろ、カズヤ!』
 少し低く、今まで聞いたことのない声が、耳元で響いた。
 死に際の幻にしては、いままで知り合った誰の声でもない。ちらりと視線を右に落としたカズヤが見たのは──。
 二年もの旅を共に過ごした、ムーンラビット──スコッドだった。

 ──なんで。監視生物である君が、こんな所にいるんだ。
『私の任務は、君の観察だ。故に、君が行く場所に私がいなくては任務にならない』
 こちらの思考を読んだかのように答えると、紅玉のように煌く二つの双眼でしかとカズヤを見据え、続けて言った。
『そして、君を守るのも私の任務だ。時間は私が稼ぐから、早く逃げなさい!』
 可愛らしい口を動かしながらそう叫んだスコッドは、血の気を失った頰に一瞬だけ顔を向け、右脚をそっと触れさせてから、邪教神へと突進して行った。
 自分に接近する存在を認識した邪教神は、敵を値踏みするようにちかちかと明滅する。
「なんだ、こいつは」
 冷徹な一言と同時に、左手の剣が振り下ろされる。だがスコッドは持ち前の俊敏性で難なく回避すると、そのまま勢いよく突進した。
「ぬおっ!?」
 邪教神から、驚愕の声が上がる。
 大剣同士の激突を思わせる、重々しい金属質の衝撃音が響いた。
 スコッドの一撃によってわずかに姿勢を崩した邪教神が、しかし難なく踏み留まり剣を高く掲げた。
 突如現れた小動物を、邪教神はもう完全に敵と認識したらしく、両眼を鋭く光らせながら轟然と剣を振り下ろした。
 その一撃で、スコッドの左前脚は吹き飛んだ。切断面から、真紅の液体が迸り、白い毛を染めた。
 しかし彼は一歩も退かず、残った脚で勢いをつけた突進を繰り出した。先程と変わらない勢いでの突進を──邪教神は右腕の薙ぎ払いで阻止した。小さな体から迸る鮮血が宙で弧を描くのを見て、邪教神の両眼が、まるで嘲笑うかのように薄く瞬いた。
 遠くへ吹き飛ばされたスコッドだが、しかし彼の勇敢さは消えなかった。
 もはや無意味な突進を繰り出す。
 しかし、攻撃は届かなかった。今度は眼にも止まらぬスピードで蹴り上げられたカムイの脚が、スコッドの腹にめり込み、蹴り飛ばされる。
「もう、いい……やめてくれ」
 掠れ声で、呟いた。
 あの監視生物ムーンラビットと、直接会話したことはない。ただ、俺を監視しているだけでいいのに。
 それだけでいいのに──こんな絶望的な戦いに挑み、俺なんかを逃す時間を稼ぐために、彼が死んでいいはずがない。
「逃げて……あなたが、死ぬ必要はない。だから、早く逃げて……」
 涙で歪む視界に映る、今にも散りそうな儚くて美しい命に、必死に呼びかける。だが、監視生物ムーンラビットは言うことを聞かず、再び無謀な突撃を行うべく体を沈めた。
 しかし、一瞬早く真上から降ってきた激凍剣が、自らの血液に染まった胴体を深々と刺し貫いた。
「…………あぁ……」
 俺の喉から、悲鳴と言うには余りに弱々しい音が漏れた。
 ──なんで……彼が死ななきゃいけないんだ。
 身体を完全に貫かれてもなお立ち上がろうとするかのように、三本の足で床を掻いている。しかし、ずるりと湿った音を立てて剣が引き抜かれると、血溜まりに華奢な身体が力なく沈んだ。
「意味のない行動で死に急ぐとは、愚かな生物だな」
 残虐な一言と共に、瀕死のスコッドをこちらに蹴り飛ばす。
 監視生物ムーンラビットの肉体は顔の横に滑り込んできた。光の薄れかけた両眼が、俺を優しく見詰める。
 カズヤは、持てる力を振り絞り、最後まで立派に戦ってくれた、長い旅を共に過ごしたを抱きしめた。
「なんで、こんな無茶なことを……」
 今にも消えてしまいそうなほど震えた声で、俺は尋ねた。するとスコッドは、瀕死の身体からは到底思えないほど、芯の通った声で答えた。
『君の行動力が、私にも影響したのさ……』
 その言葉に、俺は、自らも死にかけているこの状況でもまだ溢れる涙があったことを知った。そしてスコッドは、俺の涙に気付くと、小さな舌を懸命に動かしながら、流れる涙を舐め取った。
『カズヤ……君との旅は、楽しかったよ……あの時間が、永遠に続けば…………良かったのに』
 スコッドの瞳から、命の輝きが薄れていくのが解る。
 俺はその姿を、両眼に焼き付けた。散ろうとする意思を、魂の輝きを、一生忘れないために。
『最後の時間……君と過ごせて、うれ……し…………』
 言葉は、宙に溶けるように途切れた。艶やかな眼に、紅い光がちかちかと瞬き、そして消えた。
 亡骸となったスコッドを肉体を、一際強く抱きしめた。
 邪教神は、己が断った命への関心を瞬時に失ったかのように、カズヤを捉えた。
「愚かな生物だった。名誉ある死だと錯覚しているのか?」
 非道なる言葉に、一瞬だけ憤激した。
 しかし、その怒りはすぐに消え失せ、代わりに深い喪失感へと変わった。
 邪教神に怒りを向けるのは間違ってる。本当に恨まれるべきは、無力な自分だ。
 失う必要のない命が失われ、戦う意思すら起こさない俺は、本当に成長しない男なのだと思い知らされた。
 もうたくさんだ。自分の弱さにも、覚悟のなさにもうんざりだ。早く邪教神に意思を消されて、楽になりたい。
「さよならだ、小僧」
 きらきらと太陽光を反射しながら、長剣が振りかざされる。
 剃刀のように鋭利な刃が、青い軌跡を宙に引きながら俺の首へと迫る。
 刹那。
 ひとつのシルエットが、俺の目の前に割って入った。
 長い金髪が、ふわりと宙に舞った。
 白銀の鎧に身を包んだ女性騎士の背中を、俺は呆然と見詰めた。
「セレナ……」
 騎士の名を呟く。返ってきたのは、悠然とした声音だった。
「……カズヤは私が守る。絶対に、死なせはしない」
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