鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

文字の大きさ
29 / 91

閉ざされた心の奥

しおりを挟む
夜が更け、宿の屋敷は静寂に包まれていた。
ティモシオはすでに乳母のもとで眠り、リヴィオも安らかな寝息を立てている。

カタリーナは寝室の窓辺に立ち、月の光を浴びながら、手の中に収めた小さな木箱の蓋を静かに開けた。
中には、結婚当初に書き溜めた手紙の束が丁寧に収められていた。
誰にも出さずに終わった手紙ばかり。
それでも、あの頃の自分の想いが詰まっている。

彼女は一通を取り出し、目を細めながら読み返す。
「あなたの隣で、笑っていたい」

たったそれだけの願いが、どうしてこんなにも遠くなってしまったのだろう。

手紙を元に戻すと、カタリーナは箱をそっと閉じ、静かに目を閉じた。
(私は……このまま終わりたくない)

その時、控えめなノックの音が扉を叩いた。

「……カタリーナ」

聞き慣れた低い声に、彼女は振り返る。

扉の向こうにいたのは、レオナルドだった。

「少し……話がしたい」

レオナルドの声は、わずかに迷いを含んでいた。
それでも、いつものように命令でも叱責でもなく、どこか戸惑いを孕んだ柔らかさがあった。

「……いいわ」

カタリーナが答えると、彼はゆっくりと扉を開けて中に入った。

いつになく、レオナルドの表情には影があった。

「……今日、君にかけるべき言葉をいくつも飲み込んでしまった。言えば、余計に傷つけてしまう気がして」

そう言ったあと、彼は短く息を吐き、言葉を選ぶように続けた。

「けれど、あの場で君がどれほど孤独だったか、ようやく気づいたんだ」

「気づいた……のなら、なぜ」
 カタリーナの声は静かだったが、明確な棘を含んでいた。

「……怖かったんだ。自分が築いた“家族”の形が、君の苦しみで崩れていく気がして」

「どういうこと?」
カタリーナは思わず問い返した。

レオナルドはしばらく視線をさまよわせた後、低く静かな声で言った。
「……仕事をして、家を守って、それで十分だと思っていた。家庭はきちんと回っていたし、君は何も言わなかったから、うまくいっていると思い込んでた」
「けれど、それは……君の沈黙を肯定だと勘違いして、君の痛みを見ようとしなかっただけだった」

彼の言葉には、確かに自分の中の何かを直視し始めた男の苦さが滲んでいた。

「……けれど今は、怖いままではいられないと思った。君に、子どもたちに、向き合わなければ」

「どうして……今になって、そんなふうに自分の気持ちを話せるようになったの?」
カタリーナの問いには、疑いというよりも、ただ率直な驚きがにじんでいた。

レオナルドはしばらく黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「……君の声が、初めて真正面から心に届いたからだと思う。今まで耳にしていたはずなのに、聞こうとしていなかった」
「それに……今日の君の姿を見て、ようやく気づいた。君がどれほど耐えて、踏みとどまってきたのかを」

レオナルドが話しに来た理由は、カタリーナの言葉に揺れた心と、親戚たちの集まりで痛感した“空虚な誇り”の重さによるものだった。

「レオナルドは、本当は……ちゃんと話ができる人だったのね」
カタリーナの声には、安堵とも切なさとも取れる響きがあった。
「女性は……苦手だったの?」

レオナルドは少し目を伏せ、淡く笑んだ。
「……もしかしたら、そうなのかもしれない。感情を言葉にするのが怖かった。うまく伝わらなければ、相手を傷つけるだけだと、どこかで思い込んでいたんだ」

沈黙の時間が流れた。

「ねえ……レオナルド」
カタリーナはゆっくりと言葉を紡いだ。
「家族って、夫や父親って、どういう存在なのか……ずっと、考えていたの」
「ただ屋敷にいて、名を継ぎ、子どもを持つこと。それだけが家族ではないって、ようやく気づけた気がするわ」
「本当は……もっと温かくて、もっと寄り添えるものだったんじゃないかって……思っていたのよ。
夫は確かに、妻や子ども、家族を守る存在だと思う。
でもそれは、何もかも一方的に決めていいという意味じゃない。
お互いに尊重し合ってこそ、家族なんだって……私は、そうありたかったの。」

カタリーナは、窓の外の月を見上げながら、心の奥でほんのわずかにほどけるものを感じていた。

レオナルドは、そっと息を吐いて口を開いた。
「……君の言葉を聞いて、自分がどれほど独りよがりだったか、やっとわかった気がする。守ることばかり考えて、支えるということをしてこなかった」
「尊重‥‥そうだね。それは、本当に、大切なことだったんだ。きっと……ずっと前から、君はそれを示そうとしてくれていたんだよな」

ふたりのあいだに、再び沈黙が訪れた。
けれどその静けさは、これまでのような冷たく閉ざされたものではなかった。
互いに言葉を探し、心の奥に触れようとする静かな時間
その中に、確かなものが芽生えはじめていた。

夜の深まりとともに、窓辺に射す月明かりがふたりの間に落ちる。
それは、長いすれ違いの果てに差し込んだ、小さな光のようだった。

しおりを挟む
感想 86

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

俺はお前ではなく、彼女を一生涯愛し護り続けると決めたんだ! そう仰られた元婚約者様へ。貴方が愛する人が、夜会で大問題を起こしたようですよ?

柚木ゆず
恋愛
※9月20日、本編完結いたしました。明日21日より番外編として、ジェラール親子とマリエット親子の、最後のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。  お前の家ティレア家は、財の力で爵位を得た新興貴族だ! そんな歴史も品もない家に生まれた女が、名家に生まれた俺に相応しいはずがない! 俺はどうして気付かなかったんだ――。  婚約中に心変わりをされたクレランズ伯爵家のジェラール様は、沢山の暴言を口にしたあと、一方的に婚約の解消を宣言しました。  そうしてジェラール様はわたしのもとを去り、曰く『お前と違って貴族然とした女性』であり『気品溢れる女性』な方と新たに婚約を結ばれたのですが――  ジェラール様。貴方の婚約者であるマリエット様が、侯爵家主催の夜会で大問題を起こしてしまったみたいですよ?

処理中です...